LONELY GUARDIAN―守り人は孤独と愛を歌う―

 放課後に校門の前で、と海牙は言っていた。何時にとか、案外ごった返してる校門付近のどこでとか、具体的な指定はなかった。
「ちゃんと合流できるでしょうか?」
 師央も心配していた。が、何の心配もいらなかった。女子って、声高に噂話をするもんだよな。本人の耳に入りそうな場所で。
「あの制服、大都だよ。偏差値七十五がザラなんでしょ?」
「頭いい上に超イケメンじゃん! 背ぇ高いし、モデルみたい」
「大都にも、あんな人いるんだ。しかもお金持ち?」
「だよね、大都だもんね」
 女子の視線が集まる先に、いた。グレーの詰襟の海牙が、軽く街路樹にもたれている。傍らにスポーツバッグがあった。
 理仁が口笛を吹いた。
「モテそうなやつだね~。おれと張り合うレベル? あの大都の悲惨な制服なのに、墓石グレーが、ここまで印象変わるかねぇ?」
 海牙がオレたちに気付いて、笑顔で小さく片手を挙げた。
「こんにちは。お待ちしてましたよ、皆さん」
 まわりの女子が、またざわめいた。組み合わせが奇妙すぎるからだろう。正直な反応だとは思うが、ウザい。
「ここは人が多い。さっさと移動するぞ」
「ええ。そうみたいですね。ところで、今日は徒歩ですか?」
「ああ」
「バイクを取りに帰ってもらえます? 一緒に来てほしい場所がちょっと遠方なんですよ」
 自宅のマンションは徒歩圏内だ。バイクを取りに戻るのは、手間でもない。了解すると、海牙は理仁にも言った。
「長江理仁くん、きみもバイクを持ってますよね?」
「取って来いってことかい?」
「そうしてもらえますか?」
「へいへい。ちなみに中型だけど、いいよね?」
「後ろに一人乗せられるなら、十分です」
「いけるいける。んじゃ、ひとっ走り取ってくるゎ」
 三十分後にオレのマンションの前で再集合、ということになった。
 オレは、鈴蘭、師央、海牙とともに帰宅した。海牙を連れていくのには抵抗があった。が、どうせ、とっくに住所なんて知られている。
 三人をガレージの外で待たせておいた。オレは制服からライダースーツに着替えた。若干、暑い。三人ぶんのメットを持ってガレージに下りる。
 愛車を表に出したところで、理仁が合流した。ラフなジーンズ姿。グローブとブーツだけはライダー用のものだ。
 オレのマシンを見るなり、鈴蘭が目を見張った。
「バイクって、こんなに大きいんですか」
「ここまでデカいのは、あんまりない。重くて操りにくいからな」
「でも、煥先輩は乗れるんですね。すごい!」
 単純な誉め言葉。でも、ドキッとした。
 海牙がスポーツバッグを開けた。ローラースケートを取り出して、革靴から履き替える。
 理仁がキョトンとした。
「そんなもん履いて、どーすんの?」
「移動手段ですよ。今日は走る気分じゃないんでね、滑っていこうかと思います。ぼくが先行するから、ついて来てください」
 海牙は革靴をスポーツバッグにしまい込んで、バッグを肩から斜めに掛けた。ポケットからバイザーを出して装着する。
「え、ちょい待ち。海ちゃん、バイクの前を滑ってく気?」
「そのとおりですよ、リヒちゃん。ぼくの能力、披露します」
 鈴蘭と師央にメットを渡した。師央はすぐにかぶったが、鈴蘭は顎紐に、もたついている。微妙に斜めになってるから、キャッチが留まらないんだ。不器用な様子に、ため息が出る。勉強はできるらしいが、要領は悪そうだ。運動も苦手と言ってた気がする。
「じっとしてろ」
 鈴蘭の頭にメットをかぶせ直す。顎紐を留めてやる。首筋に触れないように気を付けた。でも、髪に触れてしまった。うっかり鈴蘭の顔を見たら、頬が赤い。オレにもそれがうつった。顔が熱い。
 ひゅー、と口笛がハモった。音のほうをにらむと、海牙と理仁だ。
「そういう仲だったんですか」
「見せつけてくれちゃって~」
 師央がいそいそと理仁のマシンに近寄った。
「じゃ、理仁さんに乗せてもらいますね。鈴蘭さんは煥さんの後ろで」
「ちょ、ちょっと、師央くん!」
 理仁がバイクのスタンドを蹴った。
「ふぅん、鈴蘭ちゃんはおれのほうがいい? おれにギューッとしがみついちゃう?」
「イヤです!」
「じゃ、あっきーにギューッとしててね~」
「えぇえぇっ!」
 意識しちゃダメだ。走りに集中しよう。
「ぐずぐずするな。乗れ」
 集中しろよ、オレ。事故るぞ。
 海牙が先導する道は人通りがなかった。裏路地を選んで走っているらしい。バイク並みの時速数十キロを出してローラースケートで疾走するところなんて、目撃されたくないだろう。オレとしても、人目がないのはありがたい。緋炎や警察に見付かったら、厄介だ。
 やがて、県境の高原地帯に入って、広々とした邸宅に到着した。まわりには人家も店もない。
「目的地ですよ」
 海牙は、さすがに軽く息を弾ませていた。ローラースケートから革靴に履き替える。
 そういえば、とオレは思い出した。
「方向音痴と言ってたが、今日は迷ってなかったな」
 海牙は、波打つ髪を撫でつけた。苦笑いしている。
「いくら何でも、通学路では迷いませんね」
 なるほど確かに、オレの家から一旦、大都高校のそばまで行った。そこから改めて、この邸宅へと向かった。位置関係からすると、大回りになっている。
 理仁がメットを取った。
「このお屋敷が海ちゃんちってこと?」
「いえいえ、まさか。ぼくはここに住ませてもらってるだけですよ。総統の何番目かの持ち家で、お気に入りの別荘だそうです」
「ふぅん。そういや、大都はほとんど全員が寮生だっけ? 海ちゃん、違うんだ?」
「縛られるのが苦手でね。監獄ですよ、あの寮は」
 海牙の案内で、バイクを駐車場に置いた。黒服の守衛にメットを預ける。
 普通だ、と感じた。意識を研ぎ澄ませてみても、違和感はない。それでも、オレは海牙に念を押した。
「信用していいんだな?」
「守衛さんのことだったら、どうぞ信用して。父君の形見に傷が付かないよう、見張ってくれますよ」
「阿里海牙という人間のことは? 信用できるのか?」
「んー、まあ、そのへんは、個人の見解ってものがあるでしょうね」
 理仁がやんわりと間に入ってきた。
「まずは話を聞かないとね~。でしょ、海ちゃん?」
 海牙は笑って、先に立って歩き出した。
「こっちへ、ついて来てください」
 枯山水の庭を抜けていく。西日を浴びた池がオレンジ色にきらめいている。
 松の木の陰から不意に、巨大な黒い犬が現れた。ガッシリとデカい頭が、オレの胸の高さにある。オレでもギョッとした。鈴蘭が喉の奥で悲鳴をあげた。
 黒い犬が口を開いた。ゴツい牙と薄い舌を持つ口が、器用に動く。
「よぉ、おかえり、海牙。友達でも連れて来たのか?」
 しゃべった。犬がしゃべった。低い男の声で、普通にしゃべった。
 聞き間違い? じゃないよな。鈴蘭も師央も理仁も、目を見張って固まっている。
 海牙は平然としていた。
「ただいまです、アジュさん。こちら、総統がお呼びの皆さんですよ」
 アジュと呼ばれた犬が笑った。犬の口から、普通の男の笑い声が出てきた。
「ああ、四獣珠の面々か。そう驚いた顔をするな。おれも能力者だ。これでも人間だよ」
 師央が恐る恐る進み出た。犬の姿のアジュと、あまり目の高さが変わらない。
「変身、できるんですね? 人間の姿から、この大きな犬の姿に?」
「こういう家系でね。預かってる宝珠の関係で、犬絡みのチカラを持ってる。坊やは何者だ? おれを探ろうっていう波動を感じる」
 理仁が茶々を入れた。
「師央が変身能力を習得《ラーニング》したとしてもね~、こんな強そうなワンちゃんにはなれないよ。チワワになっちゃうと思う」
「ぼくって、チワワなんですか?」
「かわいい子犬系男子でしょ。あっきーは、パッと見、狼系? の割には、実は草食系男子だよね~。ね、じれったいっしょ、鈴蘭ちゃん?」
「なな何でわたしに話を振るんですか!」
「理仁、いちいちふざけてんじゃねえ!」
 アジュが豪快に笑った。笑われるこっちとしちゃ、気分がいいものでもない。
「おいおい、そうにらむなよ。銀髪の悪魔だっけか。噂は聞いてたんだが、意外に普通の高校生だな」
 耳を疑った。
「オレが、普通?」
「おじさんの目には、そう映るってこった。よかったな、海牙。愉快な友達ができて」
 海牙が苦笑いを浮かべた。
「友達になれるかどうかは、未確定ですよ。今日これからの話次第ってとこですかね。まあ、とにかく彼らを総統のところへお連れしてきます」
「おお、そうか。引き留めて、すまんな」
 アジュは前肢の片方を軽く挙げて、立ち去った。海牙が歩き出しながら言った。
「気さくな人でしょ、アジュさん。これから夜勤なんですよ。守衛の仕事に就くときは、あの姿なんです。普段は人間の姿で生活しています」
 犬にありがちな匂いが、そういえば、しなかった。
「ここには、能力者がたくさんいるのか?」
「一定数は、いますよ」
「能力者を集めて、何をするつもりなんだ?」
「総統が集めておられるのは、違います。能力者ではありません。彼らを雇っているのは、失業者対策というか。とにかく、能力者が集まっているのは副次的なものなんです」
 師央が海牙の背中に尋ねた。
「組織に所属している、と言ってましたよね? ここの人たちもみんなそうなんですか?」
「ええ、まあ、そうですね。組織といっても、社会的公認ものじゃなくて、もっと緩い集まりなんですよね。総統が個人的に雇用してる人たちとか、ぼくみたいに、厄介になってるだけの人間もいるし。一応、KHAN《カァン》ってチーム名はあるけどね」
 K、H、A、N、と海牙は綴りを言った。鈴蘭が小首をかしげた。
「何かの略称ですか?」
「さあ? ぼくは知りません」
 つかみどころのないやつだ。
 屋根瓦を見上げると、何かの紋章が入っていた。家紋と呼ぶにはシャープなデザインだ。目を凝らすと、文字も見えた。KHAN、と刻まれている。
 邸宅は、天井の高い平屋建てだった。靴を脱いで、長い廊下を歩いていく。相変わらず、海牙は足音をたてない。
 広い中庭を見ながら、廊下の角を曲がった。そのとたん、海牙が足を止めた。つられて立ち止まったオレの背中に、鈴蘭がぶつかった。
「離れろ」
「す、すみません」
 廊下の先に、男が一人、立っている。薄暗い雰囲気の男だ。二十代半ばってところか。細身で、額にヤケドの痕がある。体のさばき方が異様にひそやかだった。まばたきの少ない目が、えらく据わっている。
 海牙が笑顔をこしらえた。完全に、作り笑顔だった。今までは案外ほんとに笑っていたのか。
「お久しぶりです、世良《せら》さん。こちらの邸宅にいらしていたんですか」
「どうも。後ろのかたがたはお友達ですか?」
「総統のお客さまを案内してるんですよ」
「ああ、なるほど」
 世良が、オレに視線を向けた。ピンと来る。こいつ、本当はオレたちのことを知ってる。とっくに探ってあるくせに、知らんぷりをしている。
 海牙が世良に会釈して、再び歩き出す。世良の脇を通り過ぎるとき、ピリリと神経が緊張した。
 目が合ったのは一瞬だった。世良は深い礼をした。オレは世良のそばを離れた。不快なやつだ。巧妙に隠されていたけど、確かに世良は殺気を抱えていた。
 十分に距離を置いてから、海牙が息をついた。
「大人げないところがあるんですよね。世良昌平《せら・しょうへい》さん、確か二十五歳。ぼくは嫌われてるみたいです」
「嫌われてる、か? それ以上じゃないのか?」
「さあ? 彼なりに必死なのは伝わってくるんです。彼の兄貴分がまた必死な人でね。総統のお目に叶いたいって、頑張りすぎてるんですよね」
 ようやく目的の場所に着いた。黒服の護衛が両脇に控える部屋がある。意外に質素なデザインの襖だ。と思ったら、違うらしい。理仁が襖に顔を寄せて、口をあんぐり開けた。
「南宋画ってやつだよね~。すげー、これ本物っしょ?」
「値打ちものだ、とだけ聞いてますよ」
「値打ちのスケールが違うって」
 海牙が襖に手を掛けた。それを引くよりも先に、襖が開いた。中から、白髪の老人が顔をのぞかせた。背筋の伸びたスーツ姿だ。
「総統がお待ち兼ねだぞ、海牙」
 海牙は老人に首をすくめてみせた。振り返って、紹介する。
「総統の執事の天沢《あまさわ》さんです」
 天沢が襖を大きく開けた。数十帖の畳の部屋が広がっている。天沢がオレたちに背を向けた。スーツに切れ込みが入っている。そこから大きな黒い羽根が生えている。
「能力者!?」
 ばさり、と天沢は羽根をはばたかせて浮き上がった。低い空中を、部屋の奥へと飛んでいく。
 理仁が開き直ったようにつぶやいた。
「もはや驚かねぇぞ~。何が起こっても驚かねぇからな~」
 天沢が降り立ったそばに、男がいる。羽織袴の出で立ち。堂々とした体格の男だ。一目でわかった。あの男が総統だ。
 威圧感が、違う。
 羽織袴の男がこっちを見た。その瞬間、膝がわなないた。震えたわけじゃない。ひれ伏せ、という無言の圧力に屈しそうになった。背筋に冷汗が流れる。
 男が口を開いた。
「そんなところで突っ立って、どうした? こちらに来るといい」
 口調は静かで、穏やかですらある。なのに、強烈だ。従わざるを得ない。足が勝手に動き出した。部屋に踏み入る。畳の匂いがした。
 ひれ伏したい衝動が消えない。でも、衝動に抵抗する。オレは顔をまっすぐに上げて、男の目を見て歩いた。目の奥が焼け付く。まぶしい光を見つめ続けているみたいだ。
 畳二帖ぶんほどを隔てたところで、足が自然と止まった。オレはまだ男の目を見ていた。
 男が名乗った。
「私の名は、平井鉄真《ひらい・てっしん》。きみたちのことは知っているよ。ご足労、ありがとう」
 朗々とした声。風格、威厳。圧倒されそうになる。年齢は、五十歳くらいか。
 平井がオレを見た。整った顔に、ゆったりした笑みがある。
「四十八歳だよ。きみの父君が生きていれば、私より四つ年下だ」
 思ったことを読まれた?
 平井がオレたちを順繰りに見やった。鈴蘭が目を伏せた。師央が息を呑んだ。理仁が眉をひそめた。三人の様子を確認して、オレは平井に向き直った。平井がオレにうなずいた。
「伊呂波煥くんだな。きみはいい目をしている」
 上から目線かよ、えらそうに、と思った。恐れ多いお言葉を頂戴した、とも思った。二つの思いがオレの中でぶつかり合った。
「ああ、これはすまないね。見下しているわけではないんだ。かしこまることはない。若者は、大いに反抗しなさい」
 また、読まれた。
 海牙を横目に見る。表情を消している。オレと目が合って、かすかに微笑んだ。オレは唇をなめた。短く深呼吸して、低い声を放った。
「オレたちに話があると聞いた。用件は何だ?」
 平井は、ひとつ、うなずいた。
「お話ししよう。まずは、自己紹介を続けさせてくれ。諸君もお察しのとおり、私も能力者だ。それも、少し特殊な能力を持っている。私は割と全知全能でね」
 まるで自分が神であるかのような言い草だ。が、平井はかぶりを振った。
「神ではないよ。私は、世界の創造などしていない。老いるし、たまに風邪もひく。動き回れば、筋肉痛にもなる。ただ強いチカラがあるだけの人間だ」
 肉体的に普通の人間だとしても、だ。心の声を、平然として聞いている。全知全能ってのは、どれだけのものなんだ?
 平井は少し間を取った。鈴蘭を見て、うなずいた。
「安豊寺鈴蘭さん、きみの考えるとおりだ。私は今、力を抑制している」
 全員の心の声を、平井は同時に聞いている。その上で、平井ひとりがしゃべっている。不気味でアンバランスな会話だ。
「怖がらせてすまないね、伊呂波師央くん。でも、テレパシーは小さなチカラだ。これを抑えておくのは、かえって難しいんだよ」
 まるで、目の粗い網だ。大きな獲物を捕らえるために、小さな獲物を見逃すような。
「その例えは至極正確だよ、伊呂波煥くんと長江理仁くん。二人とも、頭の回転が速いんだね。少しまじめに勉強すれば、テストも満点だろうに」
 余計なお世話だ。点数なんか、どうでもいい。卒業さえできればいい。
 オレの悪態を聞いたからか、平井は笑った。そして、のんびりとした口調で言った。
「単刀直入に話そうかな。用件というのは、四獣珠のことだ。きみたち、四獣珠を私に譲ってくれないか? 年単位の契約で貸してくれるだけでもいい」
 衝撃が走った。息が止まる。海牙以外のオレたち四人、とっさに同じ仕草をしていた。服の上から、胸に提げた四獣珠に手を当てる。手のひらでそれを守ろうとするように。
 海牙が、詰襟の内側から玄獣珠を引き出した。口元が笑っている。
「無理やり奪おうってわけじゃなくてね。実際、ぼくはこうして玄獣珠を身に付けている。総統のお話を耳に入れてもらえますか? 少し長いお話になるけどね」
 平井が海牙の言葉を引き継いだ。滔々と語り始める。
「私は強すぎるチカラを持っている。それを抑えるために、全身に結界をまとっている。結界は、目の粗い網のようなものだ。さっきも言ったとおりだね。目の隙間から、小さなチカラはすり抜けてしまう。まあ、テレパシー程度なら、危険は少ない。私が使い方に気を付ければいいだけだ」
 テレパシーを小さなチカラと言う。じゃあ、オレのチカラは? 人を傷付けたことがある。一生残るヤケドを負わせたことがある。このチカラも、平井にとっては小さいのか?
 平井は、ゆったりと微笑んだまま続けた。
「私がまとう結界のエネルギー源が宝珠だ。宝珠のことは、どれだけ知っているかな?」
 四獣珠も、宝珠の一種だ。宝珠は、代償と引き換えに人の願いを叶える。奇跡のチカラを秘めている。宝珠の預かり手は、能力を持って生まれる。オレたちのような異能の人間がいるのも、同じ数だけの宝珠がこの世に存在するからだ。
「むろん、私も預かり手の一人だよ。生まれたときから、このチカラを持っている。私が物心つくまでは、両親が苦労したようでね。結界の宝珠も、赤ん坊のころから身に付けていた。ところで、きみたち。宝珠にも等級があることを知っているかな?」
 平井の問いに、オレと師央は首を横に振った。鈴蘭たちは知ってるのか。まあ、親から話を聞けないのは、オレと師央だけか。
 平井が説明を続けた。
「宝珠にも等級があるんだ。四獣珠は中国大陸由来の宝珠だね。同じく中国大陸の宝珠を数えてみようか。まず、陰陽を司る二極珠。方位と季節を司る四獣珠。木火土金水を司る五行珠。五行の陰陽を区分する十干珠。方角と時間を区分する十二支珠。季節の巡りを区分する二十四気珠。星の巡りを占う二十八宿珠。比較的チカラの大きなもので、八十三の宝珠が存在する」
 平井がしゃべった順に等級が高いのか? だったら、四獣珠は二番目だ。
「そういうことだ。母数が小さい宝珠ほど、等級が高い。つまり、叶えられる奇跡が大きい。四獣珠はチカラの強い宝珠だ。それを預かるきみたちの能力も、四獣珠のチカラの強さに均衡する形で、比較的高い」
 比較的、という言い方に引っ掛かった。やっぱり上から目線じゃねぇか。
 平井は小さく笑った。
「四獣珠は、二極珠に次ぐ等級だったが、数十年前から違う。私の先代のころ、二極珠が平井家に譲られた。今、もとの預かり手の家系に能力者はいない。二極珠はここにある」
 平井が両方の袖をまくった。鈴蘭が喉の奥で悲鳴をあげた。平井の上腕に、宝珠が埋まり込んでいる。右に純白の。左に漆黒の。それらが二極珠だ。
 平井は袖を元に戻した。
「不気味なものを見せてすまないね。私は、全身がこんなものだ。妻も初めは怯えていた」
 喉が干上がっている。声に、それでも、力を込めた。
「四獣珠も、そうして取り込みたいのか?」
「すぐに、とは言わんよ。無理強いもしない。いきなりは信用できないだろう? ぜひ、海牙くんのように、じっくり私を観察してくれ」
 オレは海牙を見た。海牙はうなずいた。
「総統は、ぼくたちより、はるかにお強い。ぼくたちを屈服させることは、本当は簡単です。でも、そうなさらない。おもしろいから、観察させていただいてます」
 オレたちより、はるかに強い? どれほどのものなんだ? まさかハッタリじゃないよな? チラリと、そう思った。ケンカの血が騒いだ。
 平井が、くすくすと笑った。
「元気なんだな、伊呂波煥くん。銀髪の悪魔と呼ばれる最強の不良、か。青春だね。うらやましいよ」
「バカにしてるのか?」
「いやいや、カッコいいなと思ってね。だが、ハッタリではないよ。チカラを見てみたいかね?」
 平井の全身がぶわっと膨れ上がる錯覚にとらわれた。平井の気が爆発的に噴き上がっている。
【息を殺すのと同じように、気を体内に抑え込んでいたのだ】
 声が轟いた。有無を言わせず意識に飛び込んでくる声が。
 理仁が青ざめている。
「な、何だ、この声? おれの号令《コマンド》と同じ?」
【似ているはずだよ、長江理仁くん。発する言語が属する次元が同じだからね。ただ、決定的な差がある。私の声のほうが、はるかに強い!】
 鈴蘭も師央も反射的に耳をふさいだ。違う。耳から入ってくる音じゃない。凄まじい大声。押し潰されそうな圧力。
【ひざまずけ!】
 一瞬、自意識が粉々になった。気付いたら、オレは畳の目を見つめていた。膝を屈して、頭を垂れている。
 何だ、このチカラ?
【言っただろう? 私は割と全知全能だと。私の能力は、掌握《ルール》。人間はもちろん、神羅万象すべてを支配する】
 オレも、鈴蘭も師央も理仁も、海牙や天沢までも、ひざまずいている。全身を、冷たい震えが襲う。頭を上げたら命がない。そんな恐怖の妄想が、脳内に植え付けられている。
 いや、ふざけんな。平井の意のまま、ただ一声で、自由を奪われる? 恐怖による支配? 絶対的に強力な異能?
 オレの意志は、オレのもんだ。
【骨があるな、伊呂波煥くん。きみの強さは、能力だけに依存していない。いいね、おもしろいよ】
 だから、さっきから言ってるだろうが。上から目線は気に食わねぇんだよ。
【一つ、きみに、いい体験をさせてあげよう。少々怖い思いをすることになるがね】
 は? ふざけ……。
 ストン、と場面が切り替わる。浮遊感。巨大な手のひらにわしづかみにされる錯覚。薄明るい意識野に、声が響く。
【襲え】
 え?
【きみが最も襲いたくない相手を、最も守るべきだと信じる相手を、きみのその手で】
 おい、何言って……。
【襲え、伊呂波煥】
「おそう?」
 この手で? 最強と謳われる、この体で?
 オレは、銀髪の悪魔。戦うときには一切容赦せずに、潰す。血も涙も忘れて、相手の痛みなど考えずに、壊す。
「襲う」
 最も弱くて、最もうまそうで、最も美しい。それは誰?
【さあ、襲え】
 知っている。オレは、オレの本能を知っている。意識が赤く染まっていく。ケダモノの色に満たされていく。
【本能を突き動かして、襲え】
 外されるリミット。アクセルはフルスロットル。オレの顔が歪む。笑いの形に歪む。オレは牙を剥く。爪を研ぎ澄ます。
「あ、煥、先輩?」
 怯えて揺れる青い目。すくんだ体。細い肩をつかむ。力を加えるまでもない。
 襲いたい。
 女の体にのしかかる。震える女の唇を手のひらで押さえる。うるさい女は嫌いだ。
 加速する衝動。本性を現すケダモノ。理性と迷いを断ち切る、支配者の命令。
【最も襲いたくない相手を襲え】
 繰り返された命令に、しかし突然、本能が叫んだ。
 矛盾だ!
 本能は知っている。戦うことの意味を知っている。オレが悪魔になれるのは、それが守るための戦いだからだ。壊すためじゃない。壊すことは望んでない。
 襲うことは望んでない。
「あああぁぁぁぁぁああっ!!」
 オレは叫んだ。鈴蘭の肩口に顔をうずめて、喉が裂けそうなほど叫んだ。息をつく。鈴蘭の甘い髪の匂いがした。畳の匂いがした。
「煥先輩、大丈夫、ですか?」
 鈴蘭のかすれ声が聞こえた。
 頭が痛い。胸が痛い。意識が、本能が、引き千切られそうになった。
 戦いの手段は、破壊することだ。オレは破壊が得意で、それを楽しむ本性を確かに隠し持っている。
 戦いの目的は、守ることだ。守るためだからこそ強くなれて、絶対に守りたい存在を理解している。
 自分自身を怖いと思った。壊すことも守ることも紙一重で、どちらを選ぶのか自分の意志ひとつで、オレの意志は弱い。
 オレは起き上がって、鈴蘭から離れた。師央と理仁が鈴蘭を助け起こす。オレは目を閉じた。呼吸を整える。ゴトゴトと走る心臓。恐怖が去っていかない。
 平井の声が聞こえた。
「怖かっただろう、伊呂波煥くん? 守りたいものを、一時の衝動で破壊しそうになる。自分に力があるからこそ、破壊できてしまう。それがどれほど怖いことか。今、わかってもらえただろう?」
 沈んだ響きだった。まじめな口調だった。オレは目を閉じたまま訊いた。
「自分はいつもその恐怖を感じている、と言いたいのか?」
 平井が答えた。
「そのとおりだ。私は、途方もないものの預かり手だから」
「途方もないもの?」
「この地球上で最も大きな宝珠だ。人類にとって最も重要な球体だ。私が預かっているものの正体がわかるかね?」
 平井の問いに応じたのは、師央だった。
「まさか、地球?」
「その『まさか』だよ。大地聖珠《だいちせいしゅ》、つまり地球。そんなものを、一人の男が預かっている。人の身に余る能力を授けられて、な」
 平井が持つチカラ、掌握《ルール》。全知全能と言えるほどの、結界で抑えなければならないほどの、あまりに強すぎる能力。その根源は、圧倒的に巨大で重大な宝珠を預かるため。
「地球の、支配者か」
 平井は静かに言い放った。
「そうだ。私は地球の支配者だ。別の言い方もできる。私は運命の預かり手だ」
 運命、という言葉。最近よく意識するモノだ。目に見えない。存在するのかどうかもわからない。
 いや、それが存在するとして。平井がそれを感知できるのだとして。
「運命は、変えられるのか?」
「変えられるよ、伊呂波煥くん。正確には『運命の一枝』を変えられるんだ」
「一枝? ひとつの、枝?」
「運命は、大きな樹の形をしている。未来の可能性は、枝分かれを繰り返す。私が預かるのは、そのうちの一枝だ。枝は、分かれる可能性を持っている。運命の一枝は、つねに変化の可能性を持っている」
 師央が、震える声を絞り出した。
「運命の、この一枝は、ぼくが未来からきたことで、変化がありましたか?」
 沈黙があった。オレは目を上げた。平井の顔に、予想外の表情があった。不安、だ。
「変化し、不安定だ。今の大地聖珠、この一枝は、半月前から、ひどく『重く』なった」
 半月前。師央が突然現れたころだ。
 オレは師央を見た。師央は目を伏せて、唇を噛んだ。蒼白な顔。師央の唇が再び動いた。
「ぼくは、変えます。運命のこの一枝の未来を、必ず変えてみせます。失われた幸せを、取り戻すために」
 苦しそうな師央を見てられない。オレは平井をにらんだ。
「あんたは、何もしないのか? 異変が起こってるのをわかってる。そのくせ、ここで黙って見過ごすのか?」
 平井はうなずいた。あきらめたような、静かな顔だった。
「私は、何も為してはならないのだ。すべてを知っている。すべてに影響を及ぼすことができる。強いチカラがあるからこそ、禁忌もまた大きい」
 不自由なもんだ。全知全能イコール、何もしちゃいけねぇとは。
「そうだな、伊呂波煥くん。因果の天秤は均衡していなければならないからね。ああ、もう一つ教えておこう。宝珠の預かり手は、因果の天秤の預かり手でもある。狂った均衡を正すため、きみたちはチカラを試されるのだ。精いっぱい、暴れてきなさい」
 ギリギリまで必死になって戦わなきゃ、ほしい未来は手に入らない。そういう意味だと思った。
 平井の部屋を出たときには、もう夜だった。夕食をどうか、と天沢に訊かれた。そんな気分じゃなかった。申し出を断って、邸宅を後にした。
 県境の高原から下っていく。帰るだけだから、案内はいらない。海牙はオレの左肘をつかんでいた。バイクと並走するローラースケート。人目のない道を選んで走る。
 見慣れた町まで降りてきた。ファミレスの明かりを見付ける。理仁がオレたちに声をかけた。
【腹、減ってないかい? どうせなら、みんなでディナーしようぜ】
 異論はない。合図して減速する。ファミレスの駐車場で、それぞれ家に連絡を取った。
 店に入ると、鈴蘭が目を輝かせた。
「わたし、こういうお店、初めて! 家族とも友達とも来たことなかったの!」
 師央も、おずおずと微笑んだ。
「ぼくも実は、ほとんどないんです。伯父さん一家と一緒に、隠れるようにして住んでて、あまり外出しなかったから」
 理仁が頬を掻いた。
「ふぅん。おれは一時期、めっちゃ使ってたけどね~。うち、姉貴がいるんだけど、全っ然、料理できない人だからさ~」
 意外だ。理仁は金持ちの放蕩息子のはずだが。
 海牙が、波打つ髪を掻き上げた。
「ぼくは一人では来るけどね。人と来たことは、今までなかったな」
 それぞれ適当に注文をする。オレは量重視のセットメニュー。かなり腹が減っていた。バイクを走らせるのは消耗する。
 店員が去った後、師央のジト目に気付いた。
「何だ?」
「ほっとくと、野菜食べませんよね。栄養が偏りますよ。ビタミン、ミネラル、食物繊維。野菜からしか摂れないものもあるんです。帰ったら、野菜ジュース作りますから」
 オレはげんなりする。人前でそんなこと言うなよ。
 案の定、理仁がニヤニヤした。
「鈴蘭ちゃん、大変だね~。師央は料理上手だから、あっきーの舌が肥えちゃうよ」
「な、何がどう大変なんですか? 煥先輩の舌とわたしと、関係ないし」
 師央が、しれっと爆弾を落とす。
「鈴蘭さん、大丈夫です。今度、一緒に料理しましょう。日曜日でどうですか? うちに昼ごはんを作りに来ませんか?」
 うちにって、おい!
「師央、勝手に何言ってんだ! 第一、オレは日曜の昼はバンドの練習だ」
「えーっ? 誰も煥さんのために、とは言ってませんよ?」
「あ」
「でも、せっかくだから、晩ごはんにします? 鈴蘭さんに作ってもらって一緒に食べて」
「か、勝手にしろ!」
「やったー! ってことで、鈴蘭さん、日曜の夕方いいですか?」
 鈴蘭が悲鳴をあげた。理仁が爆笑するのは予想の範囲内だが、海牙も声を殺して笑っている。目尻に涙まで浮かべていた。
「おい、笑いすぎだ」
「すみません……くくっ」
 舌打ちして、そっぽを向く。
 と、通路越しに、隣のテーブルの連中と目が合った。全員、女。イヤな感じがした。ぐるっと、にらみを利かせる。さっと視線をそらす女が、やたら多い。
 理仁がソファにもたれて脚を組んだ。オレに人差し指を振ってみせる。
「そ~んな怖い顔しちゃダメじゃん。せっかく女の子たちが目の保養してたのに」
「下らねえ」
「そーいう硬派な不良タイプのあっきーと、チワワ的な子犬系男子の師央と、知的でクールな笑顔の海ちゃんと、甘くて気さくで優しげなおれと。各種揃ってんだもんね~」
 師央が栗色の頭を掻いた。
「ぼくはともかく、文徳さんがいたら完璧ですよね。大人っぽくて、頼れる雰囲気で」
 鈴蘭まで話に乗っかり出した。
「文徳先輩もだけど、亜美先輩もね。キリッとして凛々しいイケメン系美女でしょ? 女の子のファンが多いの。それこそ目の保養って、寧々ちゃんも言ってる」
「え? でも、寧々さんの好きな人って……」
「うん、尾張くんだよ」
「全然タイプ違いますけど」
「本命と観賞用は別腹なの」
 そんなもんなのか? 微妙に気分悪い言い方だな。
 海牙がいきなり笑い出した。
「あははっ、煥くん、わかりやすいですね! 顔に出るんだな、意外と」
 最近ひたすら、からかわれてる。頭痛がするような反面、胸がくすぐったい。
 今まで、オレに絡んでくるのは兄貴だけだった。瑪都流のメンバーさえ、一線引いている。いや、垣根を作ってるのはオレのほうか。両親の件もあって、心配かけてばっかりで、どうしても遠慮してしまうから。
 だけど、今オレを囲んでる連中。鈴蘭、師央、理仁、海牙は、オレに言いたい放題だ。銀髪の悪魔ってレッテル、怖い不良って評判のはずのオレが相手なのに。
「おーっ? 今、あっきー、ちょっと笑った?」
「ふって、柔らかい顔しましたよね」
「だよね、見たよね、師央」
 理仁と師央のやり取りを受けて、海牙と鈴蘭がオレの顔をのぞき込む。
「残念、ぼくは見逃したな」
「わたしも見てません」
 笑い方なんて思い出せない。顔の筋肉を動かそうとして、眉間にしわが寄ってしまう。
「見世物じゃねぇんだ。じろじろ見るな」
 オレが何か言うたびに。
「クールだね~、あっきーは」
「煥さんを見ていいのは鈴蘭さんだけだそうです」
「師央くん! わ、わたしは別にそんなっ」
「あっ、リヒちゃんのドリア、来ましたね」
 いちいち、にぎやかだ。これが日常ならいいのに、と不意に思った。儚い願いだと気付いている。運命が動き始めていることを、白獣珠と胸騒ぎが告げているから。
 食事の後、ファミレスを出て、少し移動した。海際の道を走って埠頭に至る。夜の海に、ぽつぽつと、港の明かりが落ちている。
 二台のバイクのスタンドを立てた。オレは自分のマシンに軽く寄りかかる。理仁は愛車にまたがっている。海牙はローラースケートを履いたままだ。鈴蘭と師央を三人で囲う形を取っている。
 海牙が夜空を見上げた。オレもつられて仰向く。真上に近いところに、明るい白い星がある。織姫星、だったと思う。
「総統のお話、率直に、どう感じました? 四獣珠を預ける気になりましたか?」
 師央が問い返した。
「海牙さんは、預けないんですか?」
「様子見を続けています。ぼくが総統と出会ったのは、偶然でした。奨学金の出資者が総統だったんです。ぼくが玄獣珠の預かり手と知ったとき、総統はおもしろがっておられました。私にも予測がつかない未来があるのだ、って」
 鈴蘭が小首をかしげた。
「最初は、四獣珠は平井さんの眼中になかった? でも、今は事情が変わったってこと、ですか?」
「半月前ですよ、急に総統が四獣珠のことを口に出されたのは。その理由は、今日初めて直接うかがいました。運命の一枝が重くなったから、と」
 理仁が軽く挙手した。
「その『重い』って言い方さ~、わかんなかったんだよね。どーいうこと?」
「総統が以前、運命という名の大樹のことをお話しくださったんですよ。ぼくの趣味に合わせて、物理学的な言葉でね」
「海ちゃんてば、いい趣味してるね~。お手柔らかに説明してもらえる?」
 海牙はひとつ苦笑いして、話し出した。
「運命という大樹は、多数の枝を持っている。枝分かれの可能性は、至るところにある。これは先ほども言ったとおりです。でもね、枝は、多数ではあっても無数ではない。運命の大樹に支えきれる『質量』には限界があるんです」
 鈴蘭が確認した。
「質量は、重さのことですよね? この一枝が重くなったのは、質量が増えたっていう意味ですね?」
「ええ、そういうことです。比喩表現だけどね。大樹が支えきれる質量が10だとします。質量1の枝が十本あるのはセーフ。でも、そのうちの一本が質量2になったら? 質量は必ず整数だと仮定したら?」
 師央が答えた。
「質量が0になる一枝が出てくる。つまり、一枝が消滅するわけですね」
 海牙はうなずいた。
「運命の大樹は、そうやって全体の質量のバランスを取っています。質量の大きい枝に呑まれるようにして、質量の小さい枝は消える」
 理仁が眉をすがめた。
「まーだわかんない。質量の大きい小さいは、どこで決まるの?」
 海牙は表情を消して答えた。
「人間の感情エネルギーによって決まります。これも比喩表現だけど、感情エネルギーを数値化するんです。その数値が高ければ、質量が大きくなる。逆もまた然り。最も質量の大きい状況、想像できますか?」
 緑がかった海牙の目が、オレたちを見渡す。オレには、わかる気がした。
「人と人が争う状況、か?」
「正解です。感情エネルギーは、負の値のほうが強く現れやすい。怒り、悲しみ、憎しみ。そんな負の感情エネルギーに満ちた状況が、質量の大きい一枝の特徴です」
 師央が声を震わせた。
「じゃあ、消滅しやすい一枝は、負の感情エネルギーが少ない状態? 平和で、幸せな世界?」
 それこそは、師央が望んでいるはずの一枝だ。
 海牙は淡々と説を並べていく。
「簡潔にまとめると、こういうことです。争いの多い一枝は質量が大きい。平和で質量が小さい一枝を呑み込む可能性がある。そして今、ぼくたちが存在するこの一枝は、半月前から異様に質量が大きくなっている。総統が危機感を覚えるほどに。さらに、今なお、質量は増え続けている」
 師央が色を失っていく。オレは海牙に詰め寄った。
「どうして、この一枝がさらに重くなる? 師央と関係あるのか?」
「あると思いますよ。勘のいい煥くんは、本当は気付いてるでしょう? 未来から、五つ目の四獣珠と五人目の能力者が現れた。それ以来、質量のバランスが狂い出した」
 そうだ。師央がオレの目の前に現れたあの日から、何もかもが変わり始めた。オレを取り巻く学校生活。知らないはずの未来の記憶。いつしか信じ始めたオレの余命。
 できることなら、この運命をねじ曲げたい。師央の生きる未来を救いたい。
 海牙が冷静に数え上げる。
「現在に存在しないはずの師央くんが存在すること、四つであるはずの四獣珠が五つになったこと、師央くんが未来からの制約を引きずっていること、未来を変えたいと願う思念が強すぎること。この一枝が異様に大きな質量を持つのは、いくつもの要因が重なっているんでしょうね」
 あの平井が不安そうだった。それを思い出したオレは、ある可能性に気付いて、ゾッとした。
「運命の大樹の質量が10だとして、一枝だけで10になったとしたら、どうなる? ほかの枝がすべて消えるんだよな? だったら、もしも一枝が10を超えてしまったら?」
 海牙はあっさりと答えた。
「大樹そのものが崩壊しますね」
 師央が自分自身を抱きしめて座り込んだ。鈴蘭が師央のそばにかがむ。
「師央くん、大丈夫だよ。わたしたちが守る。方法を探そう? 師央くんが望む一枝は、絶対に消させない。今のこの一枝に、すべてを支配なんてさせない」
 理仁がささやくように言った。
「この一枝は、そんなにヤバいのか?」
 海牙は黙って、かぶりを振った。わからない、という意味だ。
「ぼくに分析できるのは、三次元の力学のみです。運命の質量を分析できるのはただ一人、総統だけなんですよ。ぼくは、直接には何も見えない。でも、ヤバいそうです。四獣珠が、因果の天秤と言っているでしょう? それの均衡が狂うと、運命の一枝が揺さぶられて危険らしい」
「物理学者の海ちゃんが、曖昧なこと言うじゃん?」
「ええ。自分でも、現状が気持ち悪くてね。だから、総統にすべて預けることができずにいる。総統やその周囲のチカラを持つ人々を観察して分析しながら、ぼくは、ぼく自身の結論を探してるんです」
 チカラを持って生まれて、チカラを持て余して、海牙も迷って悩んで生きている。
 と。
 突然。
「誰かがいる」
 第六感に、ザラリと引っ掛かった。巧妙に隠された気配と、そこから漏れ出した一縷の殺気。
 オレと理仁と海牙が同時に、外側を向いて身構えた。
 その瞬間、来た。
 理仁と海牙の相中の空間だった。オレは手のひらを突き出した。光が飛んだ。障壁《ガード》が生まれた。
 ビシビシッ、ビシッ!
 障壁《ガード》に銃弾が衝突した。焼け焦げて、はらはらと落ちる。
 海牙が吐息でささやく。
「狙撃!」
「最近で二度目だ」
 同じ方角から再び銃弾が飛んでいた。今度は合計四発。
「見覚えのある銃弾です」
「見えるのか、あれが?」
「ぼくの力学的《フィジカル》な目にはね」
 断続的な銃撃。一ヶ所からだ。おそらく二人以上。狙いが正確だ。師央だけを狙っている。
 障壁《ガード》に銃弾が衝突する。そのたびに、純白の光が弾ける。障壁《ガード》の形が一瞬だけ、夜の暗がりに映える。正六角形だ。
 理仁が短く、深い息を吸った。号令《コマンド》を発する。
【動くな!】
 ぶわり、と理仁から噴き出す気迫。波紋を描いて、拡散する号令《コマンド》。
 銃撃のリズムが変わった。飛んでくる銃弾の数が半分になった。
 理仁が唇の端を持ち上げる。
「二人だね。で、片方は一般人、もう片方は能力者。ここからの距離は百五十メートルってとこ。二人まとまって行動してるっぽいね」
 師央が理仁を見上げた。
「人数や距離がわかるんですか?」
「わかるよ。おれの号令《コマンド》は、超音波的な何かみたいでさ~。要するに、レーダーとして使えるってこと」
 海牙が説明を補った。
「号令《コマンド》は、リヒちゃんを中心に、同心円状に広がる。号令《コマンド》を聞く対象の場所と形が、反響として察知できる。そういうことですね?」
「たぶんそれ。で、おれの号令《コマンド》は能力者には効かないわけだけど、二人まとめてこの場から追っ払うくらいならできるよ」
 理仁がオレたちにウィンクした。銃弾が飛んでくる方角に向き直る。
【聞け、狙撃者】
 発せられた号令《コマンド》は限定的で、的が絞られたぶん、気迫の密度が高い。理仁の目が朱っぽく輝いた。拳がきつく握られている。明るい色の髪が逆立つ。
【おれの命令に従え、狙撃者。銃を捨てろ。おまえのそばにいる能力者を拘束せよ】
 弾道がブレた。オレは二枚目の障壁《ガード》を展開する。
 ビシッ。
 海牙の目の前で銃弾が粉砕した。もう一発、あらぬ方向に飛んでいく。
 理仁が舌打ちした。
「抵抗しやがる」
「狙撃者が、あんたの号令《コマンド》に?」
「ああ。マインドコントロール系のチカラの波動に慣れてるぜ、こいつ。上等じゃん?」
 理仁の目が、さらに強く輝いた。
【拘束せよ! そして、連れ去れ! おれたちの前から、立ち去れ!】
 理仁は宙をにらんでいた。拳がわなわなと震える。息が上がり始めている。狙撃はすでに止んだ。オレには状況が読めない。障壁《ガード》を展開したまま待つ。
 理仁が小さく笑った。子どもをあやすように言う。
【そうだ、それでいい。さっさと行くんだ】
 それきり、しばらく無言だった。誰も何もしゃべらない。波が港に寄せる音が聞こえた。遠くから、車が走り交わす音も聞こえた。
 時間が経った。三分か、五分か。正確にはわからない。理仁が息をついて、しゃがみ込んだ。
「もう大丈夫だよ、あっきー。障壁《ガード》、消していいよ」
 ぐったりした声だった。鈴蘭と師央が、慌てて理仁のそばに寄る。
「長江先輩、大丈夫ですか!?」
「理仁さん?」
 理仁は下を向いたまま、軽く右手を挙げた。
「悪ぃ悪ぃ。ちょっと疲れただけだから。イヤな条件が重なっててさ。遠隔で、無理やりで、具体的指示で、しかも抵抗が強い相手で。てか、あーぁ、おれ弱いよね。平井のおっちゃんのチカラを見せつけられた後だし。なおさら凹むゎ」
 チカラを使いすぎたときの絶望的な疲労感は、わかる。体が冷たくなって、二度と浮かび上がれない場所に沈んでいくようで、精神的にも、転がり落ちるみたいに衰弱する。
 オレは理仁の正面に片膝をついた。何か言いたい。
「理仁、助かった。ありがとう」
 結局、うまく言えない。
 理仁が目を上げた。脂汗の浮いた顔で笑った。
「今、おれ、すっげー嬉しい。あっきーからお礼言われるとか。あっきーって、シャイで口下手でしょ? 言葉での感情表現、全然しないんだと思ってた」
 理仁がオレの前に拳を突き出した。一瞬、意味がわからない。遅れたリズムで理解する。オレも拳をつくる。
 乾杯するみたいに、理仁と拳をぶつけ合った。理仁は、師央とも鈴蘭とも海牙とも、同じことをする。
 タフだな、こいつ。そう思った。
 大都高校前で、海牙と別れた。立ち去り際、海牙は忠告を寄越した。
「さっきの狙撃者はKHANの関係者です。おそらくあの二人だけの……いや、能力者のほうの独断で動いている。一般人のほうは、命じられているだけでしょう。何にせよ、狙撃能力の高い二人です。今後も気を付けてください」
 その二人が何者なのか、海牙はハッキリとは言わなかった。動機がわからないから、断定できないらしい。わかり次第、連絡すると約束した。
 それから、師央を家の前で降ろした。身軽になった理仁の自宅まで、バイクで同行した。最後に鈴蘭を送った。
 鈴蘭が門をくぐると、門衛が格子を閉めた。格子の向こうで、鈴蘭がオレを呼び止めた。
「煥先輩、今日、ずっと乗せてくれて、ありがとうございます」
「いや、別に」
「それと、わたし、ごめんなさい。いつもいつも、申し訳ないんです」
 オレはメットを外して脇に抱えた。広がった視野の真ん中で、鈴蘭が下を向いた。
「何で謝る?」
「わたし、何の役にも立ってないから」
「またそんなこと言うのか?」
「煥先輩は強いから、わからないですよね、わたしの無力感」
 小さな白い顔。細い肩。弱々しい立ち姿。不意に、平井に植え付けられた恐怖を思い出す。鈴蘭を襲おうとしたオレ自身を。
「謝るのは、オレのほうだ。平井の屋敷で、怖い思いをさせた。悪かった」
 平井の声が脳裏によみがえる。最も襲いたくない相手、最も守るべきだと信じる相手。オレは迷うことなく、鈴蘭を選んだ。弱くて、うまそうで、美しくて、支配したいと思ってしまった。
 でも同時に、本能的に引き千切られそうなくらい痛感した。男が命を懸けて守りたい存在は、一生に一人きりの、愛する女。
 じゃあ、オレにとって、鈴蘭は?
 オレはメットをかぶり直した。考えるのをやめた。
「また明日、迎えに来る」
 アクセルを回す。鈴蘭の声が聞こえた気がした。でも、訊き返さなかった。
 オレはバイクを駆って、一陣の風になる。何も考えずに、ただ走る。