壮行会からまた数日経った。鈴蘭の態度もようやく、もとに戻った。ただ、変化したのは師央だ。
「じゃ、お二人で、ごゆっくりー」
 そう言って抜け出そうとすることが多々。オレは師央の首根っこをつかまえる。
「ふざけんな。おまえひとり、どうするつもりだ?」
「文徳さんと帰ります」
「兄貴のほうに行くのこそ邪魔だろ。亜美さんと二人になる時間、確保してやれ」
「それもそうですけど。でも、ぼくは、何が何でも、二人をくっつけたいんです。このままじゃ、意地を張ってばっかりでしょ? 全然、進展しない」
「くっつけるとか、進展とか。いちいちうるさい。オレの行動に口出しするな」
 師央は上目づかいでふくれる。でも、うなずかない。意外に頑固なやつだ。
 最近、暖かい日が続いてブレザーが暑苦しくて、今日は家に置いてきた。上はカッターシャツに、緩めたネクタイだけ。下も夏服のズボンに替えた。
 その放課後、図書室で。
「煥先輩、ボタンが取れかけてます」
 鈴蘭がオレの襟元を指差した。さわってみると、いちばん上のボタンがぶら下がっている。
「よく気付いたな」
「た、たまたま見えたんですっ。わたし、付けましょうか?」
「必要ない。こんなボタン、留めないし」
 鈴蘭が、ムッと眉を逆立てた。
「式典のときは、ボタンを全部留める! 校則ですよ? 付けてあげます」
 鈴蘭はカバンから小さな箱を出した。化粧のコンパクト? と思ったら、裁縫箱らしい。針と糸が出て来た。
「じっとしててください」
「おい、やめろ。この状態で作業するのかよ?」
「動いたら危ないです」
「動かなくても危ないだろ」
「わたし、家庭科もそこそこできますよ?」
 そこそこじゃ怖い。ったく。お節介もいいとこだ。オレはネクタイを解いた。カッターシャツのボタンを外す。
「せ、先輩、何脱いでるんですかっ!?」
「下にTシャツぐらい着てる。期待すんな」
 カッターシャツを脱いで、鈴蘭に押し付けた。鈴蘭は無言で受け取って、黙ったまま、ボタンを付け始める。
 横目に見下ろすと、鈴蘭の手付きはぎこちない。慣れてないらしい。針で指を突きそうで、ハラハラする。
 ハラハラ? 心配? そんな小さなケガを? 下らない、と胸の中で吐き捨てたとき。
「痛っ」
 鈴蘭が、か細い声をあげた。左手の人差し指の先を見つめている。ぷつり、と血のしずくが膨れ上がった。
「慣れないことをするからだ」
「ボタンは付け終わりました。後は、糸を切るだけです」
 鈴蘭は、傷付いた指を口にくわえた。針を裁縫箱にしまう。ふと、オレは思い付いたことを口にした。
「自分の傷を治療することはできるのか?」
「能力を使って、って意味ですか? やったことないです。原理的には、できると思います。傷の痛みを別の場所に移せれば、傷を治せるはずです。ただ、誰かに協力してもらう必要はありますよね」
 なんとなく、視線が絡み合った。
「やってみるか?」
「いいんですか?」
「その程度のケガなら、たいして痛くもない」
「またそんなこと言う」
 鈴蘭はため息をついて、左手をオレのほうへ差し出した。
「何だ?」
「わたしの手を握ってください。他人にさわるのが嫌いなのは知ってます。でも、実験に協力してもらえるんでしょう?」
「わかってる」
 オレは鈴蘭の左手を握った。その小ささは予想ができていた。でも、柔らかさと軽さに驚く。指先が少し冷えている。
 鈴蘭が、つないだ左手に、右手をかざした。右の手のひらから青い光が染み出した。
 チクリと、左手の人差し指の先に、かすかな痛みが走った。意識を集中すると、わかる。チクチクと、ささやかな傷口の自己主張。
 青い光が消えた。同時に痛みも消えた。
 鈴蘭の左手がオレの手の中で、もがいた。オレはその手を解放した。
「治ったみたいです。痛くなかったですか?」
「別に」
 鈴蘭は、裁縫箱から小さなハサミを出した。ボタンの裏に飛び出した糸を、短く切る。
「できました」
 差し出されたカッターシャツを受け取る。黙って受け取って、足りないと気付く。
「ありがとう」
 つぶやいてみる。胸が騒いでいる。小さな手の感触が、まだオレの手に残っている。鈴蘭がバタバタと音高く帰り支度をした。
「し、師央くんは玄関で待ってるそうです。早く行かなきゃ、待たせすぎますよねっ。先輩、シャツ着てください! 置いていきますよっ」
 口調が、なんかキツい。オレのリズムが、いちいち鈴蘭をイラつかせてるのか?