指定された待ち合わせ場所に着くと、既に空は薄暗くなっていた。
先程まで面子や馬とびで寒さを紛らせていた子供達も、今はその姿を見ない。きっと各々の家に戻ったのだろう。永松がそれを実感していると、ちらほらと周囲の建物に光が灯り出す。路面の藍錆色の電灯にも、ぽつりぽつりと暖かな明かりが浮かんだ。
「この辺りも、ずいぶん明るくなったもんだねえ」
永松が寒さに震えながら佇んでいると、背後から霞がかった声が響く。
「先生」
茜宗氏だ。学生帽の下の瞳が爛々と輝いている。そしてその横には雑賀も居た。ぺこりと小さくこちらにお辞儀する。仕草一つ一つとっても可愛らしい人だ。
「確か明治の16、いや15年だったかな」
茜は眩く輝く街灯を、初めて見たかのように好奇心を孕んだ瞳で見上げる。
「銀座に国内初のアーク灯が出来てさ、当時はその輝きに大層驚かされたもんだよ。今じゃこんな所まで普及してるんだからね」
「へ、へえ・・・・・・」
曖昧に相槌を打つ。
というよりこの男、40年ほど前の事をしれっと述べたが、一体何歳なのだろうか。見かけは年端もいかない少年に見えるが。。
「でも、そうですな、あっしも洟垂れの時は、夜道(やみ)がとても怖かったです」
そう、40年。改めて振り返るとかなりの時間が流れたものだ。
思えば永松の人生は、光の発達と共に在った。
洋灯に、ガス灯、そしてアーク灯。点灯時間に難はあるが懐中電灯なども世に生まれ、あれほど怖かった闇という闇が帝都から消えた。ここ40年の光の発展は凄まじい。
「あっしの実家は、東京でもかなり外れにありまして」
昔を懐かしむように、小さく息を吐く。
「家に電気なんざ当然流れて無くて洋灯(らんぷ)でさ。夜に厠に行くのが怖うて怖うて仕方ありませんでした。家までの帰り道もそれはそれは暗くて――――」
暗かったんですけど、と永松は言い淀む。
記憶の片隅に浮かんだのは、泣きながら夜道を走る童の自分だった。草木が生い茂るあぜ道を、鼻水を垂らしながら泣いている。まだ何も知らない、弱い弱い自分。
「でも、何でですかね、あの道だけは、不思議と不便も不安もなかったなあ」
そんな思い出した光景とは裏腹に、口からはそのような言葉が自然と出ていた。
案外子供のころの自分は図太かったのかも知れない。腕組みしながら首を傾げている永松に、茜は「そうかい」と暖かく微笑んだ。
「さて、着いたよ永松さん。どんな馳走が出るのか楽しみだ」
永松も立ち止まり、彼と同じ所作で顔を上げる。
二人の視線の先の店ののれんには、右から左に『伊勢崎食堂』と書かれていた。
『どうせ怪異が出現するのは深夜だ。それまで酒屋で時間つぶしをしようじゃないか。ただぼうっと待っているより、酒でも飲んでいた方が粋だろう?』
というのが、茜が出した提案だった。
確かに永松も一人で家に帰るなど恐ろしくて出来ないし、丁度良いと思っていたが、
「ここはオムレツライスが旨いらしいよ。うちのとどっちが上等か、見ものだねえ」
「意外と卵と程良く絡めるの難しいんですよね。厨房覗けるといいんですけど」
二人の話を傍から聞いている限りでは、ただの敵情視察としか思えなかった。
(本当に、想像したのと随分違うことで)
この感情になるのは、今日で何度目だろう。
偉大なる土御門家の末裔にして、帝都最後の陰陽師、茜宗氏。
彼と会うまではきっと高貴な空気を身に纏った、近寄りがたい人物だと思っていた。
しかしこうして蓋を開けてみれば、自由奔放を絵に書いたような少年だった。まるで今まで一切の邪気に触れてこなかったかのように、爛漫に。
一体どのような人生を送れば、そんな風に生きられるのだろう。一緒に居れば居る程不思議になる。その宝石のような衒い無い瞳には、いったい何が映っている?
「さあ、いこういこう。こんな所でずっと立ってると風邪引いちまうよ」
そんなこちらの気も知らないで、陽気な陰陽師は軽い足取りで店へと入っていく。