一週間後、哲也は父から渡された大きな果物カゴを持ってユースケの病室を訪れた。
「ユースケ、具合は大丈夫か!」
「お前、また果物カゴかよ!」
病室ではたくさんの見舞いの果物で溢れかえっていた。ユースケはちょうどテレビのワイドショーを見ているところだった。
「お前、生死をさまよっていたんだって? ウチの家族も心配してあれもこれも持ってけって大変だったんだぜ」
「そっか、それでこんなにたくさん果物が」
「現場検証とか調書だけでなくて、マスコミの取材やらが殺到して忙殺されていたんでね。ほら、ウチの捜査部隊がさ……」急に哲也は声を小さくした。
「現場検証で毒針が仕掛けられたの、ちょっと奥まっていたから見逃していたこともあって、内部でちょっと問題になったんだよな」
哲也の話によると、事件の次第はこんな内容だった。
忘年会の日、商業施設から先に戻ってきた都丸は、西脇社長に様子を報告したいと事務所に呼び出した。
直前に事務所の一つ下の階である七階でエレベーターが止まるように外からボタンを押した。
ちょうどエベレスト投資会社は不在だったので、扉に毒針を仕込んだ。
そうとは知らない西脇は酔っていたこともあって、八階かと思って七階で降りた。このビルはどの階も似たような作りなので、下の階で止まっても、自分が押した階だと思って降りて、事務所に入ろうとする。それで、部屋に入るには暗号ボタンを必ず押さなくてはならない。
アーバン投資の暗証番号は「4391」。エベレストは「4392」。一文字しか違わない。
西脇は当然「4391」を押した。
都丸は最後の「1」のボタンに、心臓麻痺を引き起こす毒針を仕込んでおいたので、まんまと西脇はそれを押してしまった――。
「その後の調べでやっぱり都丸は国際手配されている殺人詐欺師で、これまでもかなりの数の被害があったらしい。どの手口も例の毒針のようだ」
「日本で手に入るのかな」
「ネット経由で手には入るようだが、それだとすぐに足がつくから、オーストラリア旅行へ行ったように見せかけて、現地で仕入れていたらしいぜ。もともと毒グモに由来するものらしい」
「確かにオーストラリアって、普段でも毒グモがいるって聞いたことがあるな」
「ただ、もともとはめちゃめちゃ強い毒でもなかったらしいんだが……。心臓が弱くない人の場合は、かなり苦しんでから死ぬらしい」
「それは体験した」
「いや、だから、死ななかったからよかったんだ。西脇社長はもともと心臓が弱かった上に少しずつ盛られていたから即死したらしいんだな」
「でも、それにしても、エベレスト投資会社の暗証番号入力するボタンにそんなもの仕掛けて、よく他の人は大丈夫だったな」
「まあ、暗証番号を間違えた人が誰もいなかったのは、ある意味奇跡だったな。そういう懸念はあったから、都丸は社長が死んでからすぐに外すつもりだったらしい。でも、図らずも事故にあっちまったもんだから、病院からすぐに抜け出せなくなって……。それで頃合いを見て抜け出した、と思ったら、お前らに出くわしたってわけ」
「偶然にね」
「お前、靴に毒が付着しているってよく分かったな!それにしても、お前の犬、すごかったらしいじゃないか。なんか、見かけによらずサイボーグみたいだって。エベレストの篠原社長が興奮してたぜ。お前訓練したわけ?」
「するわけないだろ!」
「そういう犬はこれから新しい警察犬として必要なんじゃないかと思うんだな。……ん?何か外が騒がしいような……」
哲也が窓の外を見ると、病院の入り口付近で白い犬とユースケの母が複数の看護師らに囲まれていた。看護師らはきゃあきゃあ叫びながら、エルモを撫でたり携帯で写真を撮ったりしていた。
「お前の犬モテモテだな!」
「あいつが来ているのか……。どうりで」
「俺も犬になりてえな! チクショー!」
「そういう嫉妬はやめろ」
「あ、やべ、こんな時間。また来るわ。ゆっくり休め」
哲也は腕時計を見るとあわてて病室を出ていった。後の病室はユースケ一人だけになったが、ユースケは思わず声に出して言わずにはいられなかった。
「エルモ、お前近くにいるんだろ?」
すると、いつの間にか人間の姿のエルモが病室の窓のそばで外を向いて立っていた。
「病室は犬禁止だ」
「ここはプリティなナースが多いね。でも残念ながらユースケに射止めることは難しいかも。ユーモアが足りないんだよね、ユースケは」
「うるさい!早く家に帰れ!」
「なんだ、元気そうじゃないか。僕だって少し心配して来たんじゃないか。はいはい、帰りますよ」
エルモは帰るそぶりを見せたが、クルリと後ろを振り返りユースケの顔を見つめた。
「何だよ」
「僕には思ったままのこと言えるんだ」
「……いつもバカな事ばかり言ってるからな!」ユースケは思わず下を向いて笑った。
「入りまーす」
ユースケの病室の扉がノックされ、担当の看護師が入ってきた。若い看護師で少し興奮しているようであった。
いつものようにエルモの姿は病室から消え失せてしまった。
「あら、真庭さんなんだか楽しそうですね? 何か良い事ありました?」
ユースケは一瞬赤くなったが、下を向きながらつぶやいた。
「そうですね……。最近仲違いしていた友人が来たもんで」
「ヘエ、それは良かったですね。経過は順調ですし、もう少しで退院できると思いますよ」
窓の外はまだ冬の寒さが残っていた。
日の光がだんだんと長くなるにつれ、少しずつではあるが、春の訪れが感じられ始めた。
ユースケは一人になった病室で、もう少ししたら家に帰れる事がこんなにも待ち遠しいものであったのか、と感慨深げに病室から見える晴れた空を眺めた。
「ユースケ、具合は大丈夫か!」
「お前、また果物カゴかよ!」
病室ではたくさんの見舞いの果物で溢れかえっていた。ユースケはちょうどテレビのワイドショーを見ているところだった。
「お前、生死をさまよっていたんだって? ウチの家族も心配してあれもこれも持ってけって大変だったんだぜ」
「そっか、それでこんなにたくさん果物が」
「現場検証とか調書だけでなくて、マスコミの取材やらが殺到して忙殺されていたんでね。ほら、ウチの捜査部隊がさ……」急に哲也は声を小さくした。
「現場検証で毒針が仕掛けられたの、ちょっと奥まっていたから見逃していたこともあって、内部でちょっと問題になったんだよな」
哲也の話によると、事件の次第はこんな内容だった。
忘年会の日、商業施設から先に戻ってきた都丸は、西脇社長に様子を報告したいと事務所に呼び出した。
直前に事務所の一つ下の階である七階でエレベーターが止まるように外からボタンを押した。
ちょうどエベレスト投資会社は不在だったので、扉に毒針を仕込んだ。
そうとは知らない西脇は酔っていたこともあって、八階かと思って七階で降りた。このビルはどの階も似たような作りなので、下の階で止まっても、自分が押した階だと思って降りて、事務所に入ろうとする。それで、部屋に入るには暗号ボタンを必ず押さなくてはならない。
アーバン投資の暗証番号は「4391」。エベレストは「4392」。一文字しか違わない。
西脇は当然「4391」を押した。
都丸は最後の「1」のボタンに、心臓麻痺を引き起こす毒針を仕込んでおいたので、まんまと西脇はそれを押してしまった――。
「その後の調べでやっぱり都丸は国際手配されている殺人詐欺師で、これまでもかなりの数の被害があったらしい。どの手口も例の毒針のようだ」
「日本で手に入るのかな」
「ネット経由で手には入るようだが、それだとすぐに足がつくから、オーストラリア旅行へ行ったように見せかけて、現地で仕入れていたらしいぜ。もともと毒グモに由来するものらしい」
「確かにオーストラリアって、普段でも毒グモがいるって聞いたことがあるな」
「ただ、もともとはめちゃめちゃ強い毒でもなかったらしいんだが……。心臓が弱くない人の場合は、かなり苦しんでから死ぬらしい」
「それは体験した」
「いや、だから、死ななかったからよかったんだ。西脇社長はもともと心臓が弱かった上に少しずつ盛られていたから即死したらしいんだな」
「でも、それにしても、エベレスト投資会社の暗証番号入力するボタンにそんなもの仕掛けて、よく他の人は大丈夫だったな」
「まあ、暗証番号を間違えた人が誰もいなかったのは、ある意味奇跡だったな。そういう懸念はあったから、都丸は社長が死んでからすぐに外すつもりだったらしい。でも、図らずも事故にあっちまったもんだから、病院からすぐに抜け出せなくなって……。それで頃合いを見て抜け出した、と思ったら、お前らに出くわしたってわけ」
「偶然にね」
「お前、靴に毒が付着しているってよく分かったな!それにしても、お前の犬、すごかったらしいじゃないか。なんか、見かけによらずサイボーグみたいだって。エベレストの篠原社長が興奮してたぜ。お前訓練したわけ?」
「するわけないだろ!」
「そういう犬はこれから新しい警察犬として必要なんじゃないかと思うんだな。……ん?何か外が騒がしいような……」
哲也が窓の外を見ると、病院の入り口付近で白い犬とユースケの母が複数の看護師らに囲まれていた。看護師らはきゃあきゃあ叫びながら、エルモを撫でたり携帯で写真を撮ったりしていた。
「お前の犬モテモテだな!」
「あいつが来ているのか……。どうりで」
「俺も犬になりてえな! チクショー!」
「そういう嫉妬はやめろ」
「あ、やべ、こんな時間。また来るわ。ゆっくり休め」
哲也は腕時計を見るとあわてて病室を出ていった。後の病室はユースケ一人だけになったが、ユースケは思わず声に出して言わずにはいられなかった。
「エルモ、お前近くにいるんだろ?」
すると、いつの間にか人間の姿のエルモが病室の窓のそばで外を向いて立っていた。
「病室は犬禁止だ」
「ここはプリティなナースが多いね。でも残念ながらユースケに射止めることは難しいかも。ユーモアが足りないんだよね、ユースケは」
「うるさい!早く家に帰れ!」
「なんだ、元気そうじゃないか。僕だって少し心配して来たんじゃないか。はいはい、帰りますよ」
エルモは帰るそぶりを見せたが、クルリと後ろを振り返りユースケの顔を見つめた。
「何だよ」
「僕には思ったままのこと言えるんだ」
「……いつもバカな事ばかり言ってるからな!」ユースケは思わず下を向いて笑った。
「入りまーす」
ユースケの病室の扉がノックされ、担当の看護師が入ってきた。若い看護師で少し興奮しているようであった。
いつものようにエルモの姿は病室から消え失せてしまった。
「あら、真庭さんなんだか楽しそうですね? 何か良い事ありました?」
ユースケは一瞬赤くなったが、下を向きながらつぶやいた。
「そうですね……。最近仲違いしていた友人が来たもんで」
「ヘエ、それは良かったですね。経過は順調ですし、もう少しで退院できると思いますよ」
窓の外はまだ冬の寒さが残っていた。
日の光がだんだんと長くなるにつれ、少しずつではあるが、春の訪れが感じられ始めた。
ユースケは一人になった病室で、もう少ししたら家に帰れる事がこんなにも待ち遠しいものであったのか、と感慨深げに病室から見える晴れた空を眺めた。