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 放課後、帰ろうとして俺が席を立つと、右隣のお嬢様も同時に立ち上がった。

「優一郎殿」

 まったく武士じゃあるまいし。

 なんでござるかと返事をしたくなるような呼び方をなんとかしてほしい。

「ん、何か?」

「毒殺トリックを思いつきましたか」

 あいにくと俺は真面目に授業を受けていたので、そんなものはさっぱり考えもしませんでしたよ。

 でも、興味がないなどと面と向かって言う勇気はない。

 平穏な高校生活のためにも、とにかくご機嫌を損ねないのが一番だ。

「いや、まあ、俺のような凡人には名探偵に披露できるような華麗なトリックは思いつきませんよ」

 なるべく棒読みにならないようにしゃべったつもりだけど、『披露』が『拾う』とか『華麗』が魚の『カレイ』みたいに、かえって変なイントネーションになってしまった。

 しかし、お嬢様はそんな細かいことは気にしなかったようだ。

「なるほど。それはしかたがありませんね」

 俺の返事がお気に召したらしく、姫君は微笑を浮かべた。

「ならば、わたくしがお手本を示して差し上げましょう」

 いえ、興味ないんですけど。

 察してくれませんかねえ。

 浮世離れしたお嬢様には庶民の気持ちなど通じないから、話が勝手に進んでしまう。

「優一郎殿は、中にあんこが入っている魚の形をした和菓子を知っていますか?」

 ええと、それは鯛焼きのことですよね。

 いや、もしかして、ひっかけナゾナゾか?

 なにしろ名家だからな。

 お茶席に出される京都の老舗菓子舗の特注品かもしれない。

 紫陽花に若鮎をモチーフにした雅な煉り切りとかだったら、お上品すぎてなじみがない。

 味なんかまったく分からないな。

 俺が黙り込んでいると、名探偵の姫君は眉間にしわを寄せた。

「あなたは鯛焼きも知らないのですか?」

 いや、知ってるよ。

 なんだよ、そのまんまかよ。

 で、それがどうしたんだ?

「ショッピングモールのフードコートに『吉崎庵』という鯛焼き専門店が新しくできたのをご存じですか」

 ほう、それは初耳だな。

 俺が首を振ると、お嬢様は満足そうにうなずいた。

「いいですか、吉崎庵の鯛焼きには栗が入っているのです」

 ほう、それはうまそうだな。

 と、そのとき、下の方から声がした。

「え、吉崎庵!? マコっちゃん、あたしも行きたい!」

 隣のクラスの高橋萌乃だ。

 ちびっこい女子で、いつも気づくとそばにいる。

 俺と同じ名字だが、親戚でも何でもない。

 たまたま同じ中学出身というだけで、『もう一人の高橋』と呼ばれている。

 こいつに言わせると、俺が名探偵の助手なら、自分は美少女怪盗の役なんだそうだ。

 美少女でも、怪盗でもないくせに出しゃばったことを言うやつなんだが、左衛門のお嬢様を気安く『マコっちゃん』呼ばわりできるのは萌乃しかいない。

 姫君は身長が百七十センチを超えていて、今時の女子高生としても背が高い。

 しかし、凹凸のない体型で、一部の男子からは電柱体型だと言われている。

 一方の萌乃は、背こそ中学の時からまったく伸びなかったのに、凹凸はくっきりとしている。

 というよりもむしろ男子の視線を釘付けにしているといっても過言ではない。

 二人で同時に階段から落っこちて混ざればお互いにちょうど良くなるんじゃないかなんて、そんなことは断じて思ったことはないんだが、ちょっとは試してみてもいいんじゃないかと思うこともなくはない。

 そんな萌乃が胸を姫君の腰に押しつけながら抱きついている。

「先週できたばっかりなんだよね。行きたかったんだぁ」

 そして、俺の方をチラリとにらみつける。

「あんたのおごりでいいんでしょ」

 なんだそれ。

 流行に敏感な女子達の話題にはついていけないし、巻きこまれるのもあまりうれしくはない。

 しかし、いいタイミングで入ってきた萌乃のおかげで姫君の御機嫌もいいようなので、俺がいちいち波風を立てることはないだろう。

 それに、いつの間にか毒殺なんて物騒な話題がどこかへ消えている。

 このまま平穏に今日が終わるなら、鯛焼きぐらいおごったところで安いものだ。

 たかが数百円の投資で、面倒な二人に貸しも作れる。

「分かったよ。おごるよ」

 俺の返事がお気に召したのか、左利きのお嬢様は人差し指を立てて微笑んだ。

「では、萌乃さん、まいりましょうか」

 学校を出て、お嬢様を真ん中にして、三人並んで歩く。

 今でこそ俺の方が背が高いけど、中学の頃はやや見下ろされるような視線で、それだけでも威圧感があったものだ。

 制服が夏服になって上着を着なくなると、ますますスレンダーな体型が際立つ。

 うちの高校の夏服は男子がワイシャツで、女子はブラウスにクリーム色のコットンベストだ。

 萌乃は半袖ブラウスだが、姫君はまだ長袖だ。

 袖の長さだけでなく、お嬢様の着ているブラウスは他の女子たちの物とは違う。

 なんというか、独特の風合いの柔らかそうな生地だ。

 萌乃も何か気になったらしい。

「ねえねえ、マコっちゃん、このブラウス、もしかしてシルク?」

「ええ、さすがは萌乃さん、お目が高いですね」

「ものすごく柔らかいのにしっかりしていて、着心地良さそうだね」

 そう言いながら右袖をつまんで肌触りを確かめている。

「ほら、あんたも触ってみなよ」

 いやいや、女子の服になんか触れるかよ。

 俺がためらっていると、姫君が左手を突き出してきた。

「優一郎殿も触ってみますか?」

 いえ、けっこうです。

 この街では、どこに左衛門一族の目があるか油断はできない。

『ピンポンパンポン。市民の皆様にお知らせします。真琴お嬢様に触れようとする不届き者が出没いたしました。不審者を見かけた場合は、最寄りの交番か警察署までお知らせ下さい』なんて防災無線で流されたら俺の人生が終わってしまう。

 俺は無理矢理話題を変えた。

「吉崎庵というのは、そんなに有名なのか」

 萌乃が顔を突き出す。

「なによ、あんた知らないの。ネットで話題のお店よ。東京だと一時間待ちの行列だってよ」

 それはそれは、こんな地方の小都市まで進出してくださってありがたいことだ。

 ショッピングモールに到着して二階のフードコートに上がる。

 平日の午後ということもあって客はまばらで、暇そうなジイサンバアサン達のたまり場といった趣だったが、萌乃の言葉どおり、吉崎庵の前だけは行列ができていた。

 さすがに一時間待ちということはなかったが、幼稚園帰りの子連れママさんグループやうちの高校の生徒が十人くらい並んでいる。

 土日だったら、もっとたくさんいたのかもしれない。

「本当だ。大人気なんだな」

 でしょう、と萌乃が高くもない鼻を上に向けながらさっそく最後尾に並んだ。

 ここは確か、この間までは豚骨ラーメンのチェーン店だったんだが、入れ替わったらしい。

 食べ物屋は生き残るのが大変なんだろうか。

 この鯛焼き屋だって、ブームがいつまで続くのかは分からないだろう。

 何がそんなに人気なんだろうかと、順番を待っている間に作っている店員の様子を見て俺は驚いた。

 鯛焼きがものすごいデブなのだ。

 鯛というよりはハリセンボンとかフグだろう。

 どんだけあんこが詰まってるんだよ。

『これは鯛焼きですか?』と思わず中学英語の例文みたいな質問をしたくなるボリュームだ。

 そういえば、栗が入ってるって言ってたっけか。

 見ると、確かに、栗の甘露煮を丸ごと一個、さらにおせち料理の栗きんとんみたいなクリームも添えて、それを山盛りのあんこにのせてはさんでいる。

 いやいや、それにしても、太りすぎじゃないのか。

 できあがりを受け取った女子高生達がさっそく写真を撮り合っている。

 自分の頬を膨らませて並べて撮るのが流行りらしい。

 ふだんは『フグみたいだな』なんて言われたら躊躇なくクリティカルな蹴りが出るだろうに、女子の遊び心というのはまるで分からない。

 一度にたくさん焼き上がったからか、列が一気に短くなっていった。

 俺たちの番になって、萌乃が三つ注文しようとすると、自称名探偵のお嬢様が左手の指を二本だけ示した。

「二つで良いのです」

 え、そうなの、と萌乃はいったんは首をかしげたものの、姫君の意向通り、二つだけ注文した。

 元気のいい声とともに、店員のお兄さんが二人に向かってフグのような鯛焼きを差し出す。

「はい、まいど! 千百円です」

 はあ!?

 高っ!

 俺は思わずレジ横のメニュー表を二度見した。

 一個五百五十円!

 二つで千円超えかよ。

 あっぶねえ、三つも注文してたら大惨事だったぞ。

 ふつう、鯛焼きって二百円くらいじゃないのか。

 これじゃあ客単価を上げて効率良く儲けようとするお店の戦略にまんまとはまってるじゃんかよ。

 そりゃあ確かに、あんこたっぷりで栗まで入ってこのボリュームならそのくらいの値段なのも分からないでもないけど、いざ支払うとなると、俺の財布は痩せ細る一方だぜ。

 あーあ、明日から、俺もオヤジみたいに肉まんを昼飯代わりに持ってくるか。