思い返せば『家族』と言う意味でも、私は他と違う人生を歩んできた。

父はサラリーマンで小学生までは一緒に住んでいたけど、私が中学生になると同時に、家を離れて海外で働くようになった。

単身赴任になって離れてからは毎晩電話をしてくれて、私と兄の心配をしてくれた。
本当に私達家族が大好きなお父さん。

でも私が高校に入ると同時期に仕事が忙しくなったのか、電話は週に一つあるかないか。
最近は月一の時だってある。

そういえば、今月七月も折り返しているのに電話は来てない。

もう五年近く父と会っていないから、父親とはいっても顔を殆ど覚えていないのが現状だ。

声もあんまり覚えていないかも。

私に母はいない。
父に聞いても、『いない』との一点張りだ。

それ以外は何も語ってくれない。

だから私にとってのお母さんと言う存在は『産まれたときからお母さんなんていなかったんだ』と思っている。

写真も名前も何も残っていない。
十歳離れた兄は高校卒業と同時に地元の市営観光企画部に就職。
ほとんど死んだも同然のこの街に、収入は今一つのよう。

その僅かな収入で父の変わりに私を養ってくれている。

現在は『次期部長』なんて噂があるらしいが、本人は不満げ。
『給料も大して変わらないし、責任が増えるのはごめんだ』と言うのが、兄の口癖だった。

そして私こと桑原茜(クワハラ アカネ)は、中学に入って直ぐに兄の趣味の残骸とも言えるピアノを弾き始めた。
自分では実力なんて気にしたことはないけど、昨年の国内最大のピアノコンクールで入賞。

本当に大したことないと思うのだけど、周りはそう思ってくれないみたい。

世間からは『天才ピアニスト少女』だとか取り上げられて本当にいい迷惑だ。
『ピアノでお金を稼ぎたい』とか思ったことないのに。

そんな私に『桑原茜は謙虚だ』とか『お前は自信が無さ過ぎる』とか『ピアノの実力があるのだからもっと自信を持て』などの声が聞こえるけど、自分の実力が凄いと思わないのはちゃんとした理由がある。

それは私が通うピアノ教室の先生のせいだ。

私の実力なんて、『下の下以下』だと遠回しに言われているような気がして、私はイマイチ自分の実力に自信が持てないのが現状。

圧倒的な彼女の実力に『私は生涯をピアノに尽くしても、先生には勝てる気がしない』と思ったから。
本当に凄すぎる実力の持ち主だ。

ちなみにその先生、決して私がピアノ教室の先生が嫌いとか、スパルタ講師とかじゃない。

実力もそうだけど、考え方が色んな意味でとてもすごい人だ。

本当に私と言う存在が情けなく思うほど凄い前向きな先生だ。