(急) 父の物語
その患者はボロボロのよれよれだった。
本人ももうそれ以上の「無駄な延命」は望んでいなかったので。
最終末期医療の苦痛緩和措置だけを受けていた。
個室で孤独のままに死ぬのだけは嫌だという希望だったので。
体調が許す限り、昼間は他の患者も集まる大きな居間の一隅で。
観るともなしに、壁面の大画像速報やドラマを。
眺めてはうとうととまどろんでいる…
そんな、最期の静かな日々だった。
ある日。
たまたま近くを通りかかった看護師は。
その患者がガラにもなく取り乱し。
興奮して、騒いでいるのに気づいた。
震える手で胸元から古い古い家族写真を取り出し。
「彼だ! …彼だ…!」
と。
画面に大写しになっていたトキ・マサト氏を指さして泣き出した。
むろんその貌を知らぬ者など今の世の中に一人としていない。
だが。
成人しても相変わらずずっと垂れ目ぎみの愛らしい童顔とはいえ。
人生の半ばも過ぎて、重鎮、と呼ばれつつある。
それでも若々しい…
彼では、あったが。
家族写真のその姿は…
赤ん坊。だった。
子を抱く妻と、その妻を抱きしめる夫の…
家族、写真。
*
「ボケたのでは?」
「幻覚、いえ、幻想よ!」
医局では慌ただしく意見が交わされたが。
元の彼はとても沈着冷静で、客観的な性格だったと。
健康だった頃の彼を覚えていた看護師長が。
念の為にと『仮親ボランティア』組織に連絡を入れた。
遺伝子情報の照合は、一方の当事者の関係者からの申告だけで、可能だ。
結果は…
是、だった!
*
「急いで!」と。
関係者は嬉し泣きしながらも、悲鳴をあげた。
残された時間は…
もう、ほとんど無い!
しかしとにかく『彼』はまさにトキの人。であり。
多忙を極める上に、妖しい連絡等は完全シャットアウトだ。
運悪く、往時のコーディネーターだった高原リツコも。
難民受け入れ業務で多忙を極め、まったく連絡がつかず。
『法的保護者』であるパペル社オーナーに至っては。
さらに連絡など、とりようもない雲の上の存在。
看護師も医師も里親紹介組織も必死で各方面に連絡をとりまわった挙句。
なんとか。
当時いくらかタテルゼ社内では閑職にあって。
時間の余裕のあった由利士郎氏に電話がつながった。
「…すぐ、連れて来て下さい!」
嘘ではないらしい、と、判断するなり。
元・親友氏は。
即座に動いた。
*
しばらく顔を合わせる機会のなかった旧友から。
いきなり『緊急!』の刻印つきで連絡が入った。
追いすがる取材陣や、サインが欲しいだけの迷惑なグルーピーどもを。
振り払いつつ。
指定された合流場所へ、トキは急いだ。
そこには。
かつての親友と。
車椅子の患者に付き添ってきたと思しい、制服姿の看護介護士と。
一目で終末期医療を受けている状態…と、わかる。
老人の。
病人が…
「??」
目線でトキは親友に説明を促した。
それより、速く。
「…トァーキ…!」
かすれた声が…
嬉しそうに…
なまえを!
…本当の…
なまえを…!
「…お、…お、…お、…父さん…ッ!?」
トキは叫んだ。
叫びながら、駆けだそうとして…
ばたりと。
転んだ。
「…ほら。ほら…
トァーキ…
走ったら…
危ないよぅ… 」
唄うように。
父は諭した。
震えて、立てない彼を。
由利士郎が抱え上げて。
父の手を。
握らせた。
「…お、 お父、さん…? ほんとに…?」
「…おおーきく、なってた…ねぇ… トァーキ…!」
「生きてたんだ…!? … お父さん… ッ!」
*
「画面でトキさんのインタビューが流れてたんです。
それ観てて突然、興奮して。
録画で確認したら、二歳の頃の。
お母さまの最後の記憶の話をされてて…
そしたら、この写真を出して、
『彼だ!』と… 」
半信半疑ながら。
不幸と不遇の連続だったであろう、最終収容船でようやく辿り着いて。
そのまま終末期医療機関に運ばれた、最後の、避難民の。
せめて死ぬ前の、最後の喜びになれば…!
と。
必死で連絡を取ってくれた看護師長は。
後に語った。
*
トキ個人の私財はもはや完全に底をついていたので。
関係者一同が。
慌ててカンパを募って。
懐かしい実の父と。
共に過ごせる最後の日々を。
一日でも長いものにしようと…
精一杯の。
医療的尽力が為された。
*
「同居人だよ」と。
もはや中年を過ぎるほどになっていた、
かつては幼かった息子から紹介された、伴侶が。
かなり恰幅のよい、同性の人物であったことに、父は少しだけ…
驚いてはいたが。
「この性格… だれかに似ている…w」
と。
まもなく、敗顔して…
細い声で、笑い転げた。
「えぇ? 誰にさ?」
「お母さんにだよ… おまえの!」
「…あぁ…ッ! そう言えば…ッ?」
「そうだろう?」
「そうかもッ!」
*
後日、そのエピソードを聴いて。
若き日々に、その現・同居人氏を。
「なんでっ! オマエなんだよ…ッ??!」と。
妬心から。
イジメた記憶のある。人々は…
いささかの、苦い笑いを覚えた。
*
静かな日々は、けれど長くはなく。
『3PS』の創立記念式典とて賑やかな行事が続いた日々の終わりに。
老父は。
ひっそりと。
息をひきとった。
…満足そうに。
頬笑んで。
息子の手を。
握って…
「ほら。…お母さんが… 迎えに来たよ…」
そう、呟いて。
*
葬儀はひそやかに。
内うちだけで、ひっそりと。とり行われた。
*
その、後かたづけをしながら。
トキは、ユリに呟いた。
「ねぇ… もう、ぼく、お役ご免で… いいよね?」
「……… いいんじゃない?」
「ちょうど通帳も完全にカラになったし! これから働かなくちゃだし!
ぼくもう、人気者も有名人も、営業スマイルも… 飽き飽きしたしッ!」
「自分で勝手にやらかしたんでしょ…
ボクはあんなに止めたんだからねッ?」
「うん。ごめん。止めてくれて嬉しかった…
でもまぁなんとか。健康管理だけは… してたよ?」
「途中で倒れたら、うんとアザ笑ってやろう!って思ってた…」
「ぅわはははw」
トキは、笑って。
周囲の者たちにとっても、まじかに直接にみた、最後の笑顔になった。
*
まもなく。
録画だけで『引退』が発表された。
「公約通り。個人的な貯金も完全にゼロになりましたし~。
これからは、普通の技術者として。
元々の、設計畑の。
仕事に戻りまーすッ!」
そんな軽い調子で。てへぺろ☆ ってな感じの。
社会的責任のある、立派な中年男性にも、あるまじき。
挨拶だけを、残して。
*
整形して一般市民にまぎれこんで普通に暮らしているんだ、という説と。
木星移民船に乗って憧れの『恒星間移住船』建設に参加しに行ったんだ。
という説と。
真偽は明らかにされぬまま…
歴史上に残された、彼の記録は途絶えた。
*
後。
コウイチ・スギタニによる地表殲滅作戦と。
強制恒星間移住計画が発動された際に。
すでに。
木星軌道上に大量の。
大型移民船が用されていた。
ということだけが、
史実である…。
FIN.