慶応四年三月一日、甲陽鎮撫隊は甲州へ向けて出発した。
 アタシとラフ先生は、沖田さんの看病で、バトルのない日々を過ごしている。
 おつかいをいくつかこなした。栄養のある食材を買いに行ったり、結核に効く漢方薬を調合したり、甘いお菓子を作ってあげたり、沖田さんのおねえさんに会いに行ったり。
 ある晴れた昼下がりのこと。
 ラフ先生は江戸の町を散策に行った。プログラムの精度をチェックするらしい。
 沖田さんは、今日は少し顔色がよかった。
「ミユメ、縁側に出たい。ちょっと支えてくれる?」
「わかりました」
 縁側ではヤミが日向ぼっこしていた。アタシと沖田さんは、並んで座る。沖田さんは、ヤミの丸い背中を撫でた。
「まいったなぁ。力が全然出ないよ。ヤミとケンカしても負けそうだ。新撰組一番隊組長が、情けないね。猫一匹斬れないくらい弱るなんて」
 斬る、という言葉に反応して、ヤミが金色の目で沖田さんを見上げた。恨みがましく、にゃぁ、と鳴く。沖田さんは少し咳き込んで、そして笑った。
「ゴメンゴメン。ヤミを斬ったりしないよ。例え話だから怒らないで」
「にゃあ」
 庭に桜が咲いている。そよ風が、ひらひらと、花びらをさらう。
「お花、キレイですね」
 桜だけじゃなくて、生け垣のツツジも、池のほとりのタンポポも。
 沖田さんは驚いたように目を丸くした。
「花?」
「はい。たくさん咲いていて。ステキなお庭ですね、ここ」
 沖田さんはゆっくりと庭を見渡した。その顔に微笑みが戻る。
「気付かなかった。八重桜……遅咲きの桜だね。思い出すなぁ。京の桜もキレイで、みんなで見に行った。土方さんが下手な俳句を読んでた」
「下手なんて言ったら失礼ですよ?」
 確かに、土方さんの俳句のセンスは微妙だけど。とりあえず五・七・五のリズムにしました、みたいな感じで。
「花見を題にした俳句には、『岡に居て 呑むのも今日の 花見哉』っていう句があったっけ。土方さんの句はそのまますぎるんだよね。岡場所で飲みながら花見をしてますってさ」
「岡場所?」
「きれいなおねえさんとイイコトをする店。ミユメはまだ知らなくていい世界だよ」
「…………」
「土方さんって人は色気があるのに、句はいまいち野暮ったいよね。『春の草 五色までは 覚えけり』って自慢してたの、知ってる?」
「いいえ。自慢ですか?」
「五人落としたとこまでは覚えてるって意味。口説いたのか言い寄られたのか、知らないけど結局、何人としたんだろうね」
 沖田さんはさわやかに笑ってのけた。話題はちっともさわやかじゃない。
 別に、土方さんの恋に口出しするつもりはないし、すごくカッコいいのも認める。新撰組副長として、仕事中はとても厳しくて、そのぶん、たまに息抜きするのもいいとは思う。
「でも、やっぱり浮気者はイヤです。プロアマ問わず、とっかえひっかえでしょう? 来るもの拒まずの度が過ぎています」
「なるほど。ミユメは一途《いちず》な男が好きなんだ?」
「当然です」