京から大津はさほど遠くない。
山中越の街道は通行人が多かった。大津方面から京へ、ものを売りに行く人々だ。彼らが運ぶ畑の野菜や山の獣、琵琶湖の魚は、京の食卓を彩る新鮮な食べ物だ。
街道は、やがて山を抜けた。木立の切れ目から湖が見えた。琵琶湖だ。湖のほとりにある町、大津へと、アタシたちは入っていく。大津の町は、京より素朴で活気があった。
大津に着いた途端、沖田さんはしゃべらなくなった。
ラフ先生は沖田さんをつついた。
「山南が大津にいるって話だけど、このデカい町のどこにいるんだ? どっかに泊まってるとしても、宿屋だけでも相当な数があるぞ。何か情報はないのか?」
沖田さんはかぶりを振った。わからない、ということだろう。屯所でもうちょっといろんな人の話を聞いてから出発したほうがよかったのかな。
そのとき、突然。
「にゃんっ」
ヤミが二股の尻尾を振って、先に立って歩き出した。
沖田さんは小首をかしげた。
「ついて来いってこと? そっちに山南さんがいるの?」
「にゃあ」
ヤミは人混みを縫って歩き出す。
「ほっといたら、迷子になりますね。追いかけましょう」
アタシたちは、ヤミの後ろを追いかけた。ヤミは振り返りもせずに歩いていく。市場を突っ切って、大通りから離れて、ひとけのないほうへ。
町の外れに来ると、雰囲気がガラリと変わった。石段があった。上った先には、小さな石の鳥居がある。神社だ。
ヤミは石段を上り始めた。アタシたちも続く。
石段はキレイに掃き清められていた。石段の両脇には、葉をすべて落した並木が整えられている。暖かくなれば桜が咲くのかもしれない。秋には紅葉が色づくのかもしれない。寒い今は、山はくすんだ色をしている。
鳥居のかたわらで、ヤミは尻尾をユラユラさせて座った。アタシたちは石段を上り切り、鳥居をくぐった。
境内の真ん中に、男の人が立っていた。静かなたたずまいの武士だった。
沖田さんは、どこかが痛むような顔をした。
「山南さん」
この人が、山南さん?
目尻の垂れた優しい顔立ちをしている。ホッとしたように、かすかに微笑んだ。
「総司が来てくれると思っていたよ。会えてよかった」
沖田さんは、いやいやをするように首を振った。
「会えてよかっただなんて、どこか遠くに行くような言い方しないでよ。山南さん、帰ろう。壬生《みぶ》の屯所に帰ろうよ。子どもたちも、山南さんに会いたがってたよ」
山南さんは、困ったように首をかしげた。
「屯所はもうすぐ移転するだろう? 今よりも危険な場所、敵の勢力のおひざ元へ。ワタシは反対したんだが、最近の近藤さんは強引だ。ワタシの言うことには耳を貸してくれない」
「でも、それは……」
「伊東甲子太郎《いとう・かしたろう》さん。彼が来てから、特にな。それはそれでいいんだ。伊東さんのほうが、確かにワタシより博識だ。学もあれば、弁も立つ。近藤さんの参謀役には、伊東さんのほうが向いている」
聞き慣れない名前だ。沖田さんの話には一度も出てこなかった。
「伊東さん、ですか? アタシたち、会ってませんよね?」
ラフ先生がうなずいた。
「会ってねぇな。近藤と一緒に行動してるんだろう。試衛館派の沖田たちにとっちゃ、新参者だ。山南の言うとおり、頭脳プレイが得意でな、近藤はそういうやつに心酔しがちだ。近藤は伊東に高い権威を与えた。もともとは、山南が近藤の頭脳だったんだが」
「山南さんは居場所を奪われたんですか?」
「結果的にそうなちまっただけだ。たぶん、近藤に悪意はない。だからかえってタチが悪いんだ。山南は、むなしさをぶつける場所がねえ」
山南さんが拍手した。
「情報通だね、キミは。新撰組のことをよくわかっている」
山中越の街道は通行人が多かった。大津方面から京へ、ものを売りに行く人々だ。彼らが運ぶ畑の野菜や山の獣、琵琶湖の魚は、京の食卓を彩る新鮮な食べ物だ。
街道は、やがて山を抜けた。木立の切れ目から湖が見えた。琵琶湖だ。湖のほとりにある町、大津へと、アタシたちは入っていく。大津の町は、京より素朴で活気があった。
大津に着いた途端、沖田さんはしゃべらなくなった。
ラフ先生は沖田さんをつついた。
「山南が大津にいるって話だけど、このデカい町のどこにいるんだ? どっかに泊まってるとしても、宿屋だけでも相当な数があるぞ。何か情報はないのか?」
沖田さんはかぶりを振った。わからない、ということだろう。屯所でもうちょっといろんな人の話を聞いてから出発したほうがよかったのかな。
そのとき、突然。
「にゃんっ」
ヤミが二股の尻尾を振って、先に立って歩き出した。
沖田さんは小首をかしげた。
「ついて来いってこと? そっちに山南さんがいるの?」
「にゃあ」
ヤミは人混みを縫って歩き出す。
「ほっといたら、迷子になりますね。追いかけましょう」
アタシたちは、ヤミの後ろを追いかけた。ヤミは振り返りもせずに歩いていく。市場を突っ切って、大通りから離れて、ひとけのないほうへ。
町の外れに来ると、雰囲気がガラリと変わった。石段があった。上った先には、小さな石の鳥居がある。神社だ。
ヤミは石段を上り始めた。アタシたちも続く。
石段はキレイに掃き清められていた。石段の両脇には、葉をすべて落した並木が整えられている。暖かくなれば桜が咲くのかもしれない。秋には紅葉が色づくのかもしれない。寒い今は、山はくすんだ色をしている。
鳥居のかたわらで、ヤミは尻尾をユラユラさせて座った。アタシたちは石段を上り切り、鳥居をくぐった。
境内の真ん中に、男の人が立っていた。静かなたたずまいの武士だった。
沖田さんは、どこかが痛むような顔をした。
「山南さん」
この人が、山南さん?
目尻の垂れた優しい顔立ちをしている。ホッとしたように、かすかに微笑んだ。
「総司が来てくれると思っていたよ。会えてよかった」
沖田さんは、いやいやをするように首を振った。
「会えてよかっただなんて、どこか遠くに行くような言い方しないでよ。山南さん、帰ろう。壬生《みぶ》の屯所に帰ろうよ。子どもたちも、山南さんに会いたがってたよ」
山南さんは、困ったように首をかしげた。
「屯所はもうすぐ移転するだろう? 今よりも危険な場所、敵の勢力のおひざ元へ。ワタシは反対したんだが、最近の近藤さんは強引だ。ワタシの言うことには耳を貸してくれない」
「でも、それは……」
「伊東甲子太郎《いとう・かしたろう》さん。彼が来てから、特にな。それはそれでいいんだ。伊東さんのほうが、確かにワタシより博識だ。学もあれば、弁も立つ。近藤さんの参謀役には、伊東さんのほうが向いている」
聞き慣れない名前だ。沖田さんの話には一度も出てこなかった。
「伊東さん、ですか? アタシたち、会ってませんよね?」
ラフ先生がうなずいた。
「会ってねぇな。近藤と一緒に行動してるんだろう。試衛館派の沖田たちにとっちゃ、新参者だ。山南の言うとおり、頭脳プレイが得意でな、近藤はそういうやつに心酔しがちだ。近藤は伊東に高い権威を与えた。もともとは、山南が近藤の頭脳だったんだが」
「山南さんは居場所を奪われたんですか?」
「結果的にそうなちまっただけだ。たぶん、近藤に悪意はない。だからかえってタチが悪いんだ。山南は、むなしさをぶつける場所がねえ」
山南さんが拍手した。
「情報通だね、キミは。新撰組のことをよくわかっている」