「今日から新しい単元です。その導入として、教科書を読むより、ぼくの普段の仕事のことを話しますね。ぼくは、みんなも知っているとおり、看護師ではありません。ヘルパーと呼ばれる職業です。肢体不自由者生活介助士、というのが正式な名称なんだけど」
風坂先生は教室前方の壁に貼られた黒いデジタルボードに「肢体不自由者生活介助士」と板書した。
黒いボードに指先で触れて文字を書くときの風坂先生の手、すごく好き。長い指、目立ち気味の関節、キッチリ切られた爪、手の甲の静脈、ポコッと飛び出した手首の骨。
字があんまりうまくないのはご愛敬。風坂先生もこっそり気にしてるっぽくて、自分の書いた字をしげしげと見て、苦笑いすることがある。すんなりした人差し指でほっぺたを掻いたり、「まあ、いっか」とつぶやいたりしながら。いちいちカッコかわいい。
「ぼくの本業は、こうして教壇に立つことではなくて、体が不自由な人の一人暮らしを支援することです。自立生活支援という仕事はね、社会福祉というより、サービス業に近いんですよ。ぼくの利用者さんはお金を出して、ぼくの仕事を買ってくれます」
風坂先生の物腰は丁寧で、生徒の前でも絶対に上から目線になったりしない。ぐるっと教室を見渡して、話についてきてるかなーって顔で首をかしげる。一呼吸置いて、そして話を再開する。
「サービス業なんです。例えば、車の免許を持たない人がタクシーを利用するように、お金が間に入ってる。ボランティアではない。だからお互い、利用する側と提供する側の関係でいられて、利用者さんは遠慮せずに、ぼくに仕事を振ってくれるんです」
我慢する関係だと苦しいんだって、4月最初の授業で風坂先生は話した。「こうしてほしい」って言えない利用者さん、「自分は奴隷じゃない」と感じるヘルパーさん。お互いに我慢してたら関係は長続きしないから、利用者さんの一人暮らしに支障が出る。
「ぼくの利用者さんの1人は、ぼくの親友でもあります。それでも、お金を介在させるサービス業のルールは守っています。親しいからこそ、割り切るべきところは割り切る。そのためには、お金というものはとても便利なんです」
経験から出る言葉って、どっしりした手応えがある。教科書を何十ページ読んだってわからないことが、風坂先生のたった一言には詰まってる。そう感じる。
「ちなみにね、彼は、今は寝たきりになっているんだけど、昔はよく一緒に遊んでました。彼の車いすを押して、ロックバンドのライヴに行ったりね。彼は21世紀初頭の懐メロなロックが好きで。普段は、2人でゲームをするのが日課でした」
ゲームって言葉に、くすっと教室から笑いが漏れる。風坂先生も笑顔。いつも笑顔。ほっぺたには、えくぼって呼んでいいのかな、縦長のくぼみが刻まれてる。
「だんだん体の自由が利かなくなる病気だった彼は、腕が動かなくなってもゲームが好きでした。ぼくが代わりにプレイして、彼は隣で見ていた。楽しんでくれていた。利用者さんと趣味を共有することも、ぼくらヘルパーの仕事です」
さらりと、優しすぎる笑顔のままで、風坂先生はつらい現実に触れた。腕が動かなくなったっていう、それすら過去形。今は寝たきりって、どういう「寝たきり」なの? 意識は? 人格は? 感覚は?
風坂先生が教室じゅうを見回す。
「みんなはナースを目指してるよね? 患者さんに接していれば、きっと、苦しいこともあると思う。命の形に、じかに触れる経験をするかもしれない。ぼくはもうとっくに大人で、31歳になってます。でも、現場ではまだ、割り切れないことばかりです」
静かな笑みでそう締めくくって、風坂先生は教科書を起ち上げるよう指示をした。ハッと夢から覚めたように、クラスみんなが端末の操作を始める。
引き込まれる声としゃべり方だよね、風坂先生って。見惚れる隙を与えてくれないっていうか、めっちゃ集中できる。だからあたし、ナースⅢの成績だけは点数いいんだよね。全部の教科でこれくらい集中しろって話か。
風坂先生の授業は毎度のことながら、あっという間に終わってしまった。栄養学の授業なんか凶悪に長ったらしいのに。
あたしはわざとゆっくり、机の上のものを片付ける。
ノート用の薄型プラスチック製の端末は、クロスで画面を拭いて、角を合わせて畳む。教科書用の端末は、古風なハードタイプのタブレット。あたしが小学校に入学したころ、古い型が流行ったんだ。教科書のほうもクロスで丁寧に拭く。
必要以上に時間をかけるのは、残ってれば特典があるからなのです。
「授業、わかりにくいところはなかった?」
帰りがけの風坂先生が訊いてくれるんだ。あたしの席、教室の出入口のそばだから。超ラッキー。席替え、一生なくていいよ。
にこっと柔らかい笑顔。メガネ越しのまなざしは、この上ない癒やし系。癒やされながらも、めっちゃドキドキするっ。
「だ、大丈夫です、ちゃんとバッチリです!」
「そう言ってもらえると、励まされるよ。話にまとまりがなくなるときがあるなーって自覚してるんだけど、なかなかうまくいかなくて」
「そんなことないですってば! 風坂先生のお話、わかりやすいですよ」
「ありがとう、甲斐さん」
名前呼ばれた! ただでさえドキドキだった心臓が、これでもかって勢いでダッシュする。その反則ボイスで、もっかい呼ばれたら死ねる。でも呼ばれたい。
「お世辞とかじゃないですからっ。あたし、風坂先生の授業、ほんとにいちばん好きなんです! 現場のこと、きちんと教えてもらえるし、実技、役に立ってるしっ」
「実技が役に立ってる?」
「あー、いえ、あの……と、とにかく、風坂先生の授業、すっごくいいので、自信持ってくださいね。それと、あのそのえっと、風坂先生の声、あたしすごく好きですっ!」
うわぉ、勢い余って言っちゃった! これってアウト? いや、でも、いま言ったのは風坂先生の「声」限定なの。風坂先生「自身」を好きって言っちゃったわけじゃないの。だからセーフだよね?
風坂先生は一瞬キョトンとした。それから、白い歯を見せて、キラッキラに爽やかな笑い声をたてた。レアだ。超絶レアだ。風坂先生はいつも微笑んでるけど、「あはは!」って笑うとこは初めて見た。
「はははっ、ありがと。嬉しいな、声を誉めてもらえて。高校時代は役者や声優に憧れてたからね」
「ええっ、そうなんですか? あたしも中学のころまでは声優になりたかったんです!」
「ほんと? 声優志望からナース志望に転向なんだ? あはっ、なんだか嬉しい。ぼくと同じなんだね」
同じって言われた! 同じって言われちゃった! 大事なことなので繰り返すけど、同じって言われちゃったよ嬉しすぎるよ同じだって!
「じゃあ、風坂先生、演劇やってたんですか!?」
「高校時代は演劇部だったよ。大学のころは、ゲームを自作するサークルに入ってて、声の出演や脚本はぼくが担当してた」
「すごーいっ! 自作のゲームで声の出演って、めっちゃ楽しそうですね!」
「単位が危なくなるくらい楽しかったよ。実は、今でも劇団に所属してるんだ。あまり練習に参加できないから、公演のときはチョイ役ばっかりだけどね」
「えっ、今でも舞台に立ってるんですか!?」
「たまーにね」
なんてマルチな人なの! というか、チョイ役だなんてもったいないでしょ。風坂先生、主役級の素材だと思いますけど? 背も高いし、カッコいいし、声もステキだし。
「ももももしよかったら、今度、風坂先生が出演するとき教えてください! あたし、観に行きたいですっ」
花束持って行っちゃうって!
「んー、休日に演《や》ることがあれば、ね。いちばん近い日程の公演は、平日の昼間なんだ。とある福祉施設での『いす持参の演劇観賞会』っていう定期イベントで」
「いす持参、ですか?」
「車いす、折り畳たみいす、パイプいす、食卓用にいす、キャスター付きのいす、何でもいいんだけど、観客にはいすを持ってきてもらうんだ。会場では、固定のいすを用意してないから」
バリアフリー以上のフリーダムだ。車いすより、普通のいすを持っていくほうが圧倒的に不自由じゃん。
「いす持参って、おもしろいですね! すごいです。うわー、あたしも参加してみたい。ソファかついでいきます!」
「ありがとう。じゃあ、公演情報は授業のときにみんなに告知させてもらうよ。ところで、そろそろ移動教室じゃないかな?」
風坂先生が腕時計をあたしに見せた。ヤバっ、あと3分で次の授業だ。着替える暇ないや。
「先生、つかまえちゃってスミマセン。栄養学、頑張ってきまーす」
「遅刻しないようにね。行ってらっしゃい」
風坂先生の笑顔に見送られる。朝から妹の世話を焼く優しいおにいちゃんって感じのセリフじゃない? なんていう想像をしてしまった。
あたしは風坂先生に頭を下げて、回れ右した。初生が、ホッとした顔をする。教室の後ろで、あたしを待っててくれてたんだよね。
「ごめんね、初生。行こっか」
「うん」
「じゃ、風坂先生、ありがとうございました!」
あたしはもう1回、風坂先生にお辞儀した。そして、初生の手を引いて、スキップして歌いながら栄養学教室に向かった。
「る~ららる~ら~、るららる~ら~♪」
ご機嫌モードが止まらないー! とか思って絶好調だったんだけど、栄養学の授業が始まった途端、ネチネチ系おばさま先生に集中攻撃されて、バッキバキに心を折られた。がっでむ。
あたしが家に帰り着いたとき、うちには誰もいなかった。瞬一は補習とか自習とか、勉強しまくって帰ってくる。パパとママも留守。居間のテーブルの上に、古風ゆかしく手書きのメッセージが置かれていた。震えていびつなパパの字だ。
〈今日から検査入院です。今回、けっこう長期になる予定。うおー、退屈だ! そのうち、おもしろい漫画でも紹介してくれ! ママもしばらく泊まり込みだけど、えみもしゅんも、ちゃんと食事をするように〉
隣の響告《きょうこく》市にある世界的な先端医療施設、響告大学附属病院にパパの主治医がいる。パパの病気はALS。神経系の、進行性の、不治の病だ。進行性っていうのは、発症したらどんどん病状が進んでいくって意味。風邪とかと違って、自然回復はしないって意味。
パパは、発症した。まだ初期の症状しか現れてない。ALSは、発症してからの平均寿命は2年から4年って言われてる。
嘘だーって思う。パパの余命が2年とか4年とか、信じられるわけないって。
パパは元気だよ。すっごいしぶといし。今日だって、きっと歩いて病院に行ったんだ。響告市まで、ママと並んで歩いたはず。足がもつれて転んでも大丈夫なように、肘にもひざにもプロテクターを付けて、帽子タイプのヘルメットをかぶって。
ALSは、体を動かすための神経が弱っていく病気だ。症状が進むにしたがって、体の自由が利かなくなる。
パパはあたしのヒーローだ。まあ、あたしのパパだけあって、顔は全然カッコよくないけど。昔はサラリーマンだった。病気がわかってからは会社を辞めて、副業だったライターの仕事に専念するようになった。おかげで、入院中も仕事ができる。
あたしが小さいころ、パパは毎晩、絵本の読み聞かせをしてくれてた。しかも、いちいち笑えるアドリブ付き。それがすっごく上手だった。あたしが声優に憧れた最初のきっかけは、実は、アニメじゃなくてパパの読み聞かせだった。
「笑音」って名前をあたしに付けたのもパパ。いつでも笑っててほしいから、って。自分の名前、あたしはほんとに気に入ってる。
パパは、楽しいことが大好きだ。例えば、最近、パパとママと瞬一とあたしの4人でトランプをしたときのこと。パパは、「全員、血圧をモニタリングしよう」って言い出した。
血圧って、「よし、今だ!」ってタイミングで上がるんだよね。ポーカーで役が揃いそうなときとか、神経衰弱で狙えるカードを見つけたときとか、大富豪で瞬一いじりの作戦を立てたときとか。
あたしなんか、ほんとにわかりやすかった。血圧が、わーっと上がっちゃう。そしたら、みんな警戒体制に入る。おかげで、せっかくのチャンスも逃したり。
ちなみに、パパもけっこう正直。顔にも血圧にも出ちゃう。瞬一は顔に出さないけど、血圧はごまかせないね。ママがいちばんクールだった。
ついでに言うと、パパってけっこういい大学の理学部生物系の出身なんだけど、卒業論文のテーマがひどい。『マージャンと血圧の相関関係についての共同研究』って。
大学4年生の冬、悪友仲間4人で血圧を測りながら徹夜でマージャンして、徹夜の頭で卒論を書き上げて、勢いのまま教授に提出。呆れられたけど、無事に卒業できたらしい。
こういうパパだから、ALSの発症がわかったときも、明るく宣言した。
「不治の病っていうのは挑戦し甲斐があるな。よし、ALSを克服した最初の人間になって、ギネスに載ってやる!」
パパはライターの立場を活かして入院日記を公開してるけど、「闘病」とは一言も書いてない。「挑戦」って呼ぶ。文章もやたらハイテンションで熱血で、オリンピックでも目指してるみたいなスポ根風。なんか楽しい読み物だから、カンパもよく集まる。
あたしもパパの「挑戦」の役に立ちたい。お医者さんになれたら最高だけど、あたし、頭悪いんだよね。医学部に入れる偏差値じゃなくて。だから、せめて日常生活の手伝いができるように、看護師になるんだ。
瞬一がお医者さんを目指してて、しかも響告大学医学部を狙ってるのも、あたしと同じ理由。パパの「挑戦」に協力するためだ。
あたしも瞬一も高校生で、看護師やお医者さんになるまでに、まだまだ時間がかかる。でも、間に合わないなんて思ってない。必ずパパの役に立ってみせる。
ってわけで、あたしの家庭事情は、実は意外とシリアス? まあ、だからこそ笑うっきゃないって感じ。きついって思うことがないわけじゃないけど、誰にも言えないよね。あたしは脳天気な笑顔キャラでいたいし、笑えない話は人前でしないの。
つらいときは、風坂先生を思い出すんだ。それだけで、あたしは頑張れる。
「さぁてと。ごはん食べて、さっさと宿題しよっ。ピアズも頑張らなきゃいけないもんね!」
誰もいない家の中で、声に出して宣言する。声を上げたら元気出せるじゃん? ひとりごとを言ったり歌ったり、見よう見まねのボイトレをやったり、あたしは一人でいてもにぎやかだ。
ごはんは、ママが作り置きしてくれてる。あたし、壊滅的に料理が苦手だから。てきとーすぎるらしい。瞬一は逆に、すっごく几帳面でめちゃくちゃ器用。先端医療の外科医を目指してるだけある。料理も、暇があるときなら、本を見ながら上手に作る。
あたしはごはんを食べて、宿題を終わらせた。栄養学と英語、たぶん明日は当てられるのに、わかんないとこがあった。泣きたい。朝イチで初生に訊いちゃお。
お風呂に入ってたら、瞬一が帰ってきた。着替えもせずにキッチンに直行して、ごはんを食べ始める気配。パジャマ姿で、あたしもキッチンに行ってみる。
「おかえり! 今日も遅かったね」
「ああ」
「あんまり根詰めてたら、体、壊すよ?」
「ほっとけ」
「そのリアクション、反抗期ってやつでしょーか」
「うるせぇんだよ」
瞬一は同い年だけど、あたしにとっては弟みたいなもので。ちっちゃいころはケンカもしてたけど、最近はないな。あたし、怒るの苦手なんだよね。怒ってるはずが、言葉を重ねるうちに、なぜかおもしろい方向に着地しちゃう。先天性お笑い芸人症候群。
高校に上がったころから、瞬一は、あたしが同じ部屋にいると不機嫌になる。「勉強教えて」って頼むのも、超絶イヤそうな顔をする。難しいやつ。勉強で忙しくて余裕ないんだろーか。むやみに刺激しないほうが瞬一のためかな?
「あたし、今からゲームやるね。うるさくしないつもりだけど、うるさかったらゴメン」
「さっさと行け。すでにうるさい」
「おい弟よ、もうちょっとかわいげのある返事してよー」
「は? 弟?」
「んじゃ、勉強、頑張ってね!」
あたしは自分の部屋に引き上げた。ハンカチサイズに畳んでた薄型プラスチック製のPCを展開して、起動する。
ピアズには「オンライン本編のプレイ時間は連続4時間まで」ってルールがある。今晩の待ち合わせは、20時30分。ってことは、ログアウトしたら、日付が変わっちゃってるだろうね。明日は平日だから、ちょいきついけど。
「頑張るぞー! 人助けだもんね」
あたしはニコルさんのお役に立ちたいのだ!
PCと連動したリップパッチ2つを、唇の左右にペタッと装着する。リップパッチはマイクで、同時に表情筋のセンサでもある。ユーザが笑ったら、ゲーム内のアバターも笑う。そういう仕組みになってる。
ディスプレイに、あたしに似た顔の魔女っ子、ルラが表示される。見た目に偽りなく、職業は魔法使い。
顔はいじっちゃいけないルールだけど、髪や目の色は自由だ。ルラは、赤毛に青い目で、ほっぺたにはソバカスがある。背の高さと肉付きも選べるけど、顔立ちがすっごい地味なんで、体型も無難な標準ド真ん中に設定。リアルもそんな感じ。嘘ついてません。
装備は魔女っ子の王道スタイルだ。とんがり帽子とミニスカワンピは黒、モノトーンしましまのニーハイ、つま先が尖ったショートブーツ、シースルーの魔法布マント。そうそう、このマント、シャリンさんとおそろなの。偶然だけどね。
意外と守備力はある。魔力防御が働くアイテムで固めてるから。魔法攻撃なら、けっこうキツいのも耐えられる。まあ、ハイエストクラスのボス級の重たーい物理攻撃をまともに食らったら、十発以内でぺっちゃんこだけど。
LOG IN?
――YES
PASSCODE?
――*****************
...OK!
Сайн байна уу, Lula?
...承認しました。
こんにちは、ルラ!
このステージは「サロール・タル」。
大陸の真ん中に広がる、草原のステージです。
サロール・タルとは、この大陸の古い言葉で「広き草の大地」を意味します。
さあ、お進みください。
新たなる冒険のステージへ!
勇壮なファンファーレから始まるテーマ音楽に、あたしの胸は高鳴る。じっとしていられない。手慣らしに、ちょっくら暴れようかな。ルラが持ってるスキルの中から、簡単な「譜面」を呼び出す。
ディスプレイ右下に小ウィンドウが開かれた。ピアズの戦闘スキルの操作は、変わり種だ。音楽系ゲームと同じなの。使うのは8種類の矢印。上下左右の4つと、それを45度回転させた斜めの4つ。コントローラには、その8種類の矢印ボタンがある。
小ウィンドウに、矢印がリズムに合わせて降ってくる。下のほうに引かれたヒットラインに矢印が触れる瞬間、コントローラの矢印ボタンを叩く。入力のリズムの正確さが、スキルの威力を左右する。
あたしはもともと音楽系ゲームが好きで得意だ。声優さんが歌ってくれるタイプのゲームね。隠し曲の最高難度までやり込んで、スペシャルボーナスなセリフをゲットするのは常識だよね。
ピアズは人生初のアクションRPGなんだけど、バトルが音楽系ゲームなおかげで、あたしはそこそこ強い。仲間《ピア》に恵まれたこともあって、とんとん拍子にハイエストクラスまで上がってきた。
あたしはコマンドを入力する。BPM180の快速ロックなスキル曲。PFC、つまりパーフェクトフルコンボで決めたのは、お気に入りのこれ。
“ドンパチ花火!”
炎系のエンタメ魔法。敵に与えるダメージ皆無という、ひたすら無意味な打ち上げ花火。キレイだからいいじゃん。蒼く突き抜けた晴れ空に、ピンク色の花火が咲いた。
「た~まや~♪」
花火を見たら、とりあえずそう言うのが礼儀だ。でも、たまやって何?
くすっと、スピーカから柔らかい笑い声が聞こえた。次いで、落ち着いたトーンのイケボが、あたしの鼓膜をくすぐった。
「か~ぎや~。ルラちゃん、楽しい魔法を持っているんだね」
あたしはルラを操作して、くるっと振り返る。
緑のローブが、草原の風になびいていた。しなやかに揺れる銀色の長い髪。静かな微笑みのエメラルドの目。
「ニコルさん! あわわ、変な魔法をお見せしてスミマセン!」
「変かな? ボクは好きだけどな、ああいう魔法」
そのステキボイスで「好き」とか言わないでください、反則です幸せですマジ萌えるっ!
ニコルさんは、にっこりと微笑んだ。もうヤバい。ピアズのグラフィック、美麗すぎる。目の保養、心の栄養、ごちそうさまです。ニコルさんと仲間《ピア》だなんて、やっぱ幸せ!
広大な草原のステージ、サロール・タルを、風がびゅうびゅうと吹き渡る。
草原っていっても、牧歌的な一面の若草色とかじゃなくて、ところどころ土がむき出しの乾燥地帯。草がまばらなあたりなんて、沙漠地帯に片足突っ込んでる。
「荒野ですねー。地平線まで、ひたすら何もありませんね」
手でひさしを作ってみせるアタシに、ニコルさんは「そうだね」とリプライしてくれた。シャリンさんは、珍しいオーロラカラーの髪を背中に払って、ため息をついた。
「ニコルもルラもボーッとしないで。時間がもったいない。さっさと進むわよ」
「は、はい、スミマセン!」
ニコルさんが間に入って微笑んだ。端正な顔に、タラッと流れる汗マークを組み合わせてるのがアニメっぽい。
「シャリン、気が急くのはわかるけど、焦らずに。まずはルラちゃんに事情を説明しないと」
「ああもう、わかってるわよ。ルラ、アンタのデータ、バグってるまま?」
「はい、バグったままです。シャリンさんたちの仲間《ピア》として前のステージをクリアしたことになっちゃってます」
「やっぱり、一時的なものじゃなかったのね。こうなったのも、ラフのせいよ」
シャリンさんが指差した先に、黒髪の男戦士さんがいる。ニコルさんと同じくらいの長身で、前回見たときより装備品が充実してる。裸の胸をメイルで覆って、背中にはクロスさせた2本の大剣。
「この人、ラフさんっていうんですね」
「仲間《ピア》なんだから、名前もステータスもパラメータボックスで確認できるでしょ」
「あ、そっか。ラフさんのプロフィールを表示、っと」
name : Laugh-Maker(♂)
class : highest
peer : Nicol, SHA-LING, Lula
status : remote by SHA-LING
見た目どおり、物理攻撃のパワーがすごい。素早さもけっこう高いほうで、破壊力抜群な単体向けスキルがずらりと揃ってる。この人、強いわ。
「ん? シャリンさん、このremote《リモート》って何ですか?」
「知らないの?」
う、呆れられた。
「スミマセン。アタシ、音楽ゲーム以外は詳しくなくて」
歌入り曲が目玉の音ゲーはマニアの域ですけども。
「リモートというのは、移動でも戦闘でもワタシがラフを操作しているという意味よ。しゃべらせたり感情を表現させたりはできない」
「ラフさん的にはオート操作になってる状態ってことですか?」
「そうね。ワタシに操作を預けざるを得ない状態だから。でも、ルラにはあまり関係ないわ。仲間《ピア》の中にしゃべらない男がいるとだけ思っていて」
アタシはラフさんを観察する。黒い髪と黒い目のイケメンさんだけど、赤黒い紋様が全身に描かれてる上に無表情。独特の迫力があるっていうか、けっこう怖い。まあ、慣れるっきゃないか。
ニコルさんが急にアタシを呼んだ。
「ルラちゃん」
「ひゃいっ?」
いかん、声が裏返った上に噛んだ。でも、ニコルさんはアタシの変な声を気にもせず。
「今ここにいるラフは、抜け殻状態なんだ。ユーザの意識は確かにピアズにログインしているのに、ラフの中にいない。この膨大なデータ群のどこにいるのかわからない。現実世界では意識が戻らない」
そもそも、とシャリンさんが言葉を挟む。
「意識があったころのラフが、アバターがピアズの世界に留まるように操作を加えたの。通常、ユーザがログアウトすれば、アバターは消えるように設計されてる。ラフはそれをいじった。そこからデータのほころびやバグが始まったのかもしれない」
ピアズの設計、いじっちゃったんですか。それって違法では? とりあえず、見て見ぬふりをするとして。
「ラフさんの意識の居場所、目星はついてるんですよね? このサロール・タルに入った理由って、ここにいるかもしれないってことでしょ?」
ニコルさんの、うなずきのアクション。銀髪サラッサラ。
「サロール・タルのデータに乱れがあると、シャリンが突き止めたんだ。プログラムに穴が空いている。そこからラフの意識がこの草原に入り込んだらしいとわかったけど、追跡はできなかった」
シャリンさんってエンジニア? 頭よさそうな話し方するもんね。で、シャリンさんはやっぱ頭よすぎることを言い出した。
「人間の脳はブラックボックスよ。科学が発達した現在、2050年代の終わりになっても、脳内を飛び交う電気信号のメカニズムについては仮説の域を出ず、臨床における実証はなされていない。わずかに、運動領域に働き掛ける電気信号の一部の取り出しに成功した程度」
えっと。
「のーみそ?」
今の話の流れで脳みそが出てくる意味がわかりませーん。
シャリンさんの盛大なため息がスピーカから聞こえた。噛んで含めるみたいに、口調がゆっくりになる。
「脳はデジタルな仕組みでできているの。体を動かす指令も、外界から得た情報の処理も、すべてデジタルな電気信号によっておこなわれる。自立的に学習するAIも、脳の仕組みをそのままモデルにして造られた。それくらい、脳はデジタルなものなの。ここまではいい?」
「はい。そういえば、生物の教科書で、運動ニューロンが電気信号をピリピリ出してるイラストを見ました」
「そうね。生物の体は、アナログではなくデジタルな要素に占められている。脳という機構はその最たるもので、意識あるいは人格と呼ばれるモノもデジタルデータとして書かれている。だから、ラフの意識はこのデジタルな世界に丸ごと入り込んでしまえたの」
わかったような、わかんないような。でもまあ、要するに。
「ラフさんの魂がゲーム世界にとらわれちゃってるってことですよね?」
「は? 魂?」
「あっ、間違ってました?」
「……非科学的に過ぎるわよ」
「でぁーっ、すみません! せっかく説明してもらったのにアタシ頭悪くてっ」
くすっとニコルさんが笑った。
「いや、魂でいいと思うよ。シャリンが正確性を保ちたい気持ちもわかるけど、一般的に言って、魂のほうがイメージしやすい。ボクたちはこのサロール・タルで、ラフの抜け殻を連れて、ラフの魂を取り戻す旅をするんだ」
ああ、ニコルさんってフォローの神さま。アタシもシャリンさん、両方の立場を守ってくれた。
「魂を取り戻す旅、ですね?」
アタシが確認したら、ニコルさんはうなずいた。
「うん。魂は本来、肉体に憑きたがる。ラフの魂は何かの手違いで自分の肉体に入り損ねたようだけど、この広大なフィールドをふらふら漂っているわけじゃないらしいんだ。そうだろ、シャリン?」
「ええ。フィールドの背景みたいに情報の密度の低いところにはいないわ。ステージガイドやキーキャラクターのような高度なAIの領域に紛れているらしくて、ワタシのコンピュータのスペックでは、総当たり的な解析はできなかった」
ラフさんの魂がサロール・タルにいるのは確実で、浮遊霊状態ではなくて、ステージ在住のAIキャラの背後霊になってる。木を隠すなら森って感じで、人がいっぱいの集合写真に写り込んだ背後霊はなかなか見付けられない。
アタシはそんなふうに想像した。お化け扱いして申し訳ないから、口には出さない。別のことを尋ねる。
「じゃあ、ラフさんの魂がくっ付いてるAIキャラに出会うまで、とりあえずストーリーを進めていく方針ですか?」
「そうするしかないわ。だから、まずはアレを倒すわよ」
シャリンさんがアレって呼んだのは、頭上に舞い降りてくる巨大な影。ギャァァァッス! と鳥系モンスター特有の甲高い声で吠えて、ずんぐり体型のモンスターが迫ってきた!
パラメータボックスの形が変わる。音ゲーっぽい小ウィンドウが開かれて、バトルモード発動!
ニコルさんの足下から魔力の風が吹き上がる。詠唱時間最短にまで効率化されたスキルは、ハイエストクラスには必須の補助魔法。
“賢者索敵”
アタシのパラメータボックスに敵さんの情報が開示される。
「ハン・ガルダっていうんですね。攻撃力めっちゃ高くて、ヒットポイントもかなりある!」
うひゃあ、このバトル、長引くんじゃない?
ハイアークラス以上ではお決まりのパターンだ。ストーリー開始以前に、強いのが1匹出る。初戦でいきなり戦闘不能とか、割とよくあるケース。
アタシはビビっちゃったんだけど、シャリンさんは平然と言い放った。
「この程度なら、30秒ね」
今、何とおっしゃいました?
「30秒っ!?」
「ワタシとラフで畳み掛けるわ。ニコルとルラは援護して。ルラ、BPMいくつならついてこられる?」
BPMっていうのは、1分間に4分音符をいくつ打つかを表す音楽用語。バトルが音楽ゲームのピアズでは、スキルのBPMが速いほど威力が高いってことになる。
「240くらいまでなら行けます」
「そう。じゃあ、240でコンボ組むわよ。ついて来て」
「は、はい!」
行けるって言ったけど、240はけっこうミスりますよー、実は。200超えたら、矢印の落下速度がほんとに鬼だ。
ギャァァァッス! と吠えるハン・ガルダ。翼が生えた力士って感じの迫力満点なフォルムで、ギョロギョロお目めが不気味なことこの上ない。リアルすぎやしませんかね、このCG。