きみと駆けるアイディールワールド―赤呪の章、セーブポイントから―

 ラフはカイから話を聞き出していた。
「カイは三人の兄貴をクーナにやられてる。漁の禁忌《カプ》の日に海へ出た罰だったみたいだけど」
「自業自得じゃないの」
「でも、カイにしてみりゃ、クーナは兄貴の仇だ。で、一年前、村の力比べで優勝した日、カイはクーナに勝負を挑んだ」
「結果は?」
「引き分け。カイはクーナの土手っ腹に槍を打ち込んだ。でも、とどめを刺す前に海から陸へ放り出されて、戦闘不能。クーナは槍を口にくわえて引っこ抜くと、どこかへ逃げ去った」
 ちょっと待って。今、変なこと言わなかった?
「口にくわえて引っこ抜く?」
 ラフはうなずいた。
「クーナは巨大なウナギの姿をしているんだそうだ」
「ウナギ? って、にょろにょろした魚よね?」
 ニコルがアタシを見上げて小首をかしげた。
「お姫さま、何か気になることがあるの?」
「アタシ、さっき、ヒナを尾行してたの。ヒナは村の外れの洞穴に入っていった。そこでクーナと会ってたのよ」
「会ってたって? デート?」
「ま、まあ、そんなもんだとは思うけど」
 デートなんて軽い言葉じゃなくて、もっとキレイで切ない光景だった。
 ニコルは重ねてアタシに尋ねた。
「大ウナギと美少女の、デート?」
「違うわ。クーナは大ウナギじゃなかったわよ。青い体をした男だった。ヒナとお似合いの美形だったわ。ヒナは、イケニエじゃなくて嫁になるんだって楽しみにしてた」
 ラフが、ふと硬い声で言った。
「シャリン、こっち向け」
「なによ?」
「……なあ、ニコル?」
「うん。おかしいね」
 なんなのよ? って訊こうとした、そのとき。
「黒岩の瀬の洞穴にヒナがいるのか?」
 いつの間にか、カイがそこにいた。槍を持った腕がわなわなと震えている。
 止める間もなかった。カイは黒岩の瀬のほうへと駆け出した。
「うわぁ、修羅場になっちゃうね」
「修羅場って……まあいいわ。とにかく行く。アタシは、カイのほうこそいけ好かないと思うわ」
 アタシはカイの後を追って駆け出した。ラフがアタシを呼び止めようとする。
「待てよ、お姫さま! その目の色……ああもう、聞けってば!」
 結局、ラフもニコルもアタシの後ろから走ってきた。
 洞穴の入り口で、アタシたちはカイに追いついた。
 クーナは洞穴の中に立って、静かな目でカイを見つめている。迫力と闘志は圧倒的だった。
 カイは吠えるように言った。
「ヒナを返せ!」
 木皮《カパ》のドレスのヒナが、クーナの背後でビクッとする。クーナは低い声でカイに問いかけた。
「返さぬ、と言ったら?」
 カイは槍を構えた。
「バトル、来そうだな」
 ラフが双剣を抜いた。ニコルが杖を振るってバトルモードに変換する。
「ま、待ってください!」
 ヒナがクーナの前に立った。大きな目は真っ青な光に満ちている。晴れた海のように青い光。
 カイは構えを解かない。
「どけ、ヒナ。その大ウナギを倒してやる」
 この流れ、イヤだ。アタシはラフたちとクーナの間に割り込んだ。
「ウナギじゃないわよ。ヒナの話を聞いてやって。分岐、間違えてるんじゃないの? クーナとは戦わなくていいはずよ」
 ひゅっ、と、空気が鳴った。
 え?
 アタシのあごの下に、剣先。ラフだ。双剣のうちの一方をアタシに突き付けてる。
「下がっとくかクーナと戦うか、選んでくれ」
「な、なによ、わからず屋っ」
「選んでくれ」
「クーナは人の姿をしてるの。アタシが見聞きしたこととアンタたちが集めた情報、食い違ってる。このままじゃ気持ち悪いわ。戦うなら、どっちが正しいかハッキリさせてからにしてよ」
 ラフが危険そうに目を細めた。ゾッとする。この体勢じゃ、逃げることも反撃することもできない。
「お姫さまは戦線離脱だな。バトルが終われば、自分がまやかしにやられてることもわかるよ」
「まやかし?」
「見ろ」
 ラフは、双剣のうちのもう一方を掲げた。幅広の刀身にアタシの顔が映る。
「これ、なによ? どうして?」
 アタシの目が青い。ヒナの目と同じ色。そんなはずない。アタシの目、ローズピンクのはずなのに。
「状態異常になってるぜ。表示、気付いてたか?」
「気付いてたけど」
 思いがけない声に、名前を呼ばれた。
「シャリン、オレに答えろ」
 クーナだ。
 アタシはクーナを見た。切なさの色をした青い目。神秘的なグラフィックに、呑まれる。
「クーナ、なに?」
 アタシが応えた、その瞬間。
 青い光が視界いっぱいに弾けた。
「きゃっ!」
 強引な魔力がアタシの体を拘束した。一瞬のうちに洞穴の天井近くまで吊り上げられて、動けない。
 ラフがアタシを見上げた。
「やっぱ、やられちまったな。青いまやかしのおとぎ話を聞かなかったか? 大人の言うことを聞かない悪い子は、青い目をした人さらいに魔法をかけられちまうんだぞ」
「そんな」
 ニコルがアタシに杖の先を向けた。緑色の石が光る。状態解除の呪文だ。でも、ダメ。効かない。アタシの状態異常は治らない。
「あーらら。やられちゃったね。一定時間が経過したら、動けるようになるよ」
「一定時間って、どれくらいよ?」
「経験則で言うと、束縛の効力は八分から十分ってとこかな。お姫さまは魔力値が高くないから、もう少し長いかもね」
 ニコルはヒナを見た。ヒナは全身から魔力の気配を漂わせている。
「旅のおかた、お願いいたします。武器を下ろしてください」
「巫女さんってことは、補助魔法を使ってくるタイプかな。ボクが言うのもなんだけど、補助系を使われると面倒なんだよね。邪魔しないでね」
 ニコルは、テニスのサーブのフォームで、左手のツタの葉を右手の杖で打ち出した。宙を飛びながら、ツタが生長する。ツタはヒナの体を縛り上げて、洞穴の壁に貼り付けた。
 ラフは身をひるがえした。クーナに向けて二本の大剣を構える。
「さぁて。男だけのガチンコ対決といきますか」
「よかろう。武を以て語るのみだ」
 クーナは青い両腕を頭上に差し伸べた。何もない宙が凝り固まって、だんだんと形を持つ。長大な槍が出現する。
 アタシは声を張り上げた。
「待ちなさいよ! ねえっ! こういう展開ならアタシも戦わせてよ! アタシが戦える状態になるまで待って!」
 でも、カウントダウンは進んだ。
 3・2・1・Fight!
 バトルが始まってしまった。
 カイの槍は、クーナと数回打ち合っただけで折れてしまった。クーナの当て身に、カイは吹っ飛ばされる。
 ラフがクーナに突進する。
「くらえっ!」
 全身で横向きに旋回しながら、斬撃。
“stunna”
 クーナは長槍を振るった。変幻自在な軌道。ラフの双剣が巻き上げられて、弾き飛ばされる。
「マジかよ!」
 隙のできたラフの側面に、クーナの蹴りが叩き込まれる。寸前、ラフが防御をとった。ダメージは深くない。
「ラフ、援護入るよ!」
 ニコルはツタの鞭を繰り出した。ツタの鞭がクーナの左腕をからめ取る。
 クーナは冷たい目でニコルを見下ろした。腕を引く。ニコルの体が引きずられる。
「あらら? 最大まで重量アップしてるのに、この重さでも動かせるの? そのキャラデザで馬鹿力とか、やめてよぉ」
 カイは、折れた槍でクーナに打ちかかった。クーナは片腕だけで、無造作に長槍を操った。カイが肩口に大ダメージを受ける。戦闘不能が表示される。
 ニコルはクーナの左腕を封じるので精一杯。二度、三度と、ラフが攻撃する。
 ラフの攻撃は、大剣に体重を乗せて繰り出される。一撃一撃が重い。それなのに、クーナには余裕がある。右腕だけで長槍を繰り出して、ラフの攻撃を受け流す。
「ひっでーな、このバトル。お姫さまが入れねえ上に、このウナギ、強すぎんだろ」
「ここにヒナの補助魔法が入ってたら、ヤバかったね。何か攻略法はあると思うんだけど」
「動きは速いわ、皮膚はぬめるわ、厄介だな」
「一般論で言えば、ウナギは目打ちしてさばくんだけど。そうそう、軍手が必須だね」
 ラフとニコルには、クーナの姿は、やっぱりウナギにしか見えないんだ。
 ヒナの悲痛な叫びが洞穴に響き渡る。
「やめて、やめてくださいっ!」
 クーナは、ニコルのツタに囚われたヒナを見た。にっこりする。青い肌をした、キレイな男の姿で。
「案ずるな、ヒナ。ふさわしい結末が用意されているから」
 ラフがクーナから間合いをとった。
「気取ったセリフ吐いてんじゃねえよ。ウナギの化け物のくせして」
 ニコルが口を挟む。
「あのねー、ラフ。南太平洋の伝説や神話では、ウナギ、よく出てくるんだよ。ウミヘビとかヘビで語られることもあるけど、ヘビがいない島ではウナギのほうが一般的みたいで」
「だあぁっ、もう! 今はそんな豆知識、どーでもいいだろ! ってか、さっさと片付けねえと、タイムオーバーになるぜ」
「そういえばそうかも。今日はボス戦まで行くつもりなかったのに、カイの暴走に引きずられちゃったから、四時間制限のタイムリミットが近いんだよね」
 ラフが、だらりと両腕を垂らした。
「じゃ、まあ、仕方ねえか。さっさと終わらすには、これがいちばんだよな」
 アタシはハッとする。
「待って!」
「どうして?」
「使ってほしくない」
「しゃーないだろ? お姫さまはそこから動けないんだし」
 ラフの黒髪がザワリと波打った。ブーツの足下から不穏な風が湧き立つ。
 ミシリ。
 一瞬、ステージそのものが軋んだ。稲光が走ったように見えた。
 画像の乱れ? 胸騒ぎがする。
「なによ、今のは?」
 ラフがざらついた声で答えた。
「オレの存在がフィールドのCGに干渉シたンだ。バグだかラさぁ……オレのスキル。呪いって、本当ハこノ世界で承認サレチゃイケネェんだヨ」
 ラフは目を閉じた。
 ミシリ。
 ステージのCGが再び軋んだ。バトルのBGMが流れを止めた。クーナやヒナやカイが数秒、フリーズする。
 これって、本格的にヤバいんじゃないの?
 ラフが身じろぎする。稲妻みたいな白い光が無数に走る。ザラザラとした雑音が聞こえる。AIキャラたちの動きが飛び飛びになる。
 アタシは叫んだ。
「ねえ、待って、ラフ! もう少しだけ待っててよ! アタシも戦うから、この束縛が解けるまで持ちこたえてて! 呪いを発動させないでよ!」
 ラフは目を開いた。
「……遅ェヨ」
 黒いはずのラフの目が、まがまがしく赤く光っている。ラフの端正な顔が、変わる。狂気的に開いた口元。牙がのぞく。
 首筋からお腹まで、びっしりと、赤黒い紋様が燃えるように輝いた。
 ラフは笑った。野獣の雄叫びみたいなノイズが、重なって聞こえる。再開したばかりのBGMが掻き乱されて、濁った。
 ミシリ。
 ラフの全身を、パリパリと小さな稲妻が包んでいる。違う、稲妻に見えたけど、あれは違う。画像のひずみが光って見えるだけ。
 壊れかけてる。
 二本の大剣が重さを失ったかのようだった。ラフは跳んだ。高い高いジャンプから、二つの刃を打ち下ろす。
 斬撃を長槍で受け止めたクーナは顔を歪ませた。双剣の勢いを防げない。ラフの剣がクーナの肩に傷を付ける。
「ラフ、グッジョブ!」
 ニコルがツタの葉っぱを投げた。ツタがクーナの傷口に入り込む。メリメリと音をたてて、ツタは宿主に寄生する。
「やめてぇっ!」
 ヒナが泣き叫んだ。
 ラフが暴れる。右から左から、無秩序な斬撃。らんらんと赤く光る目。狂気的な高笑い。
「ハハ、アハハハッ……!」
 巻き添えを食いかけて、ニコルがバトルフィールドから下がった。
 クーナが傷付いていく。ダメージ判定。ヒットポイントの減少、減少、減少。
 長槍の穂先が飛ぶ。二の腕に斬撃が入る。胸の筋肉が裂ける。脇腹を刃がこする。
 血しぶきの代わりに、青い光がクーナの全身からこぼれる。ニコルの植え付けたツタが、肩の傷を押し広げながら、つるを伸ばす。つるがクーナの首を絞め上げた。
 穂先を失った長槍が黒岩の地面に転がった。クーナの胸の傷口から、輝く球体がこぼれ落ちた。ホクラニだ。
「オレは、まだ……」
 クーナはホクラニに手を伸ばした。ニコルのツタがホクラニを横からさらった。
「もらってくよ。後はクーナを倒すだけだ」
 ニコルのつぶやきに応えるみたいに、ラフは吠えた。吠えたっていうか、何かしゃべったのはわかった。でも、ノイズがひどくて聞こえなかった。
 ラフがクーナを追い詰めていく。ラフのスタミナポイントも、クーナのヒットポイントも、あっという間に減っていく。
 拘束されたアタシは、ただバトルの行方を見つめている。ボロボロになっていくラフとクーナを見つめている。
 唐突に実感した。ピアズの世界にも死という概念は存在する、ということを。一般ユーザが使うアバターに死が訪れない、というだけで。
「こっちの世界でも、死ぬんだ」
 ストーリーに編み込まれたクーナは最初から、死すべき存在としてここにいる。そして、ラフは死を背負ってる。どうしてだかわからないけど、ユーザがそれを望んだから。
 ただのゲームなのに、目の前にチラつく死が、アタシにはつらくてたまらない。
 クーナの目が、震えながら見開かれた。クーナはヒナを捜す。まなざしに、悲しく寂しい色をたたえて。
「ハハ、死ネ! ァハハハッ!」
 濁った声で笑って、ラフはクーナの体に双剣を突き立てた。幅広の刃をぐりぐりと動かして、一息に引き抜く。青い光が、どうしようもなくあふれ出る。
 クーナの体がくずおれた。静かな目がヒナを見つめる。男の唇が微笑んで、動く。あ・い・し・て・る。
 海精クーナは死んだ。
 アタシの束縛が解けた。そして、アタシは見た。人間の身長の五倍はありそうな、巨大なウナギの姿を。
「まやかし、だったの……?」
 ニコルは、疲れ果てたように座り込んだ。
「特定のイベントを目撃したら幻術にかかっちゃうっていう仕組みだったのかもね。何か見たんでしょ? 運が悪かったんだよ、お姫さま」
 ラフはウナギの体に足をかけて、大剣を引き抜いた。反動で尻もちをつく。
「でぁー、けっこうキツかった!」
 いつものラフだった。
 ツタから解放されたヒナは、大ウナギの頭のほうへ駆け寄った。
「ああ、クーナ……」
 クーナの姿は、ヒナの目にはどんなふうに映ってるんだろう? ヒナはためらうことなく、大ウナギの頭を抱きしめた。静かな涙がとめどなく流れる。
 ぐにゃり、と世界が歪んだ。ラフの呪いみたいな乱れじゃなくて、キッチリとプログラムされた歪み方で。
「元の時代に戻るのか?」
 ラフの問いかけに、どこからか、ヒイアカの声がする。
「皆さま、お疲れさまでした」
 アタシたちは時空の歪みに放り込まれた。
 下弦の月までに二日足りない夜、海精クーナは滅んだ。巫女ヒナは、愛するクーナの肉体を切り分けて土に埋めた。
 クーナの頭からはココヤシが生えた。心臓からはパンノキが生えた。性器からはバナナが生えた。尻尾からはカロイモが生えた。
 ヒナは村を去った。
 村は海精と巫女を失った。その代わりに、大地の恵みの豊穣を知った。名を持たなかった村は、フアフアと呼ばれるようになった。フアフアとは、ホヌアの言葉で「豊穣」を意味する。
 それが、神代の終わりに起こった伝説の顛末だった。
 太古の名もなき村からフアフアの村に戻って、ヒイアカにホクラニを渡して、残るミッションはあと一つになった。
 アタシたちはぶらぶらと村を歩いている。ラフは右頬の傷のあたりをポリポリ掻いた。
「このステージ、過疎ってるよな。一回もミッション待ちしたことないじゃん。というか、フアフアの村で別のユーザーに出会いもしないってさ、かなりのもんだぜ、過疎レベル」
 ステージ内での拠点は、同じステージにいるユーザ全員との共有空間だ。ホヌアでは、フアフアの村がそれに当たるんだけど。
 共有空間では、ユーザどうしのコミュニケーションがとれる。会話やトレード、ピア・パーティの結成や解散とか。
 いきなりログインポイントで出会ったアタシたちはレアケースで、普通は共有空間で別のユーザと出会う。
 ミッション中の旅先、例えばダンジョンの中なんかでは、別のユーザと出会わない仕組みになってる。一つのミッションにつき三十個のパラレルワールドが設定してあって、一つのパーティにつき一つのパラレルワールドが貸与されるから。
 通常、ミッションへの参加申請が受理されるまでには待ち時間が発生する。ステージの共有空間にはミニゲームが用意されてて、待ち時間中はミニゲームで暇つぶしができる。
 でも、ホヌアではミッション待ちが発生しない。管理部に参加申請を送ると、あっという間に受理の通知が来る。アタシたちは今まで、ものすごくスムーズにミッションを進めてきた。
「だって、ホヌアはアタシが選んだステージだもの。アタシ、待つのが嫌いなの。ステージ選びの基準は待ち状況よ。過疎ってるステージが好きなの」
 ニコルは眉をハの字にした。お人好しな笑顔。
「北欧神話系やケルト神話系のステージは人気が高くて、大混雑だもんね」
「オレはこのホヌアってステージ、かなり好きだぜ。キャラの露出度高いし」
「バカ。そればっかりね、アンタって」
 ニコルは人差し指をピンと立ててみせた。
「ホヌアのモチーフは、太平洋の島々に伝わる神話だよ。元ネタの知名度が低いぶん、ユーザの間ではマイナーなんだよね。ボクはむしろマイナーな神話のほうが好みだから、ホヌアはすごく楽しいよ」
「ふぅん。ニコルは変なとこで物知りよね」
 笑顔のニコルは小首をかしげた。
「それで、この後どうする? 次のミッションの参加申請、すぐ送っちゃう?」
 アタシは、答えられなかった。
 名もなき村の戦いではいいところなしだった。早く挽回したい。でも、次のミッションは、最後のミッションだ。それをクリアしてしまったら、ラフやニコルとのピアを解消する約束になってる。あたしはまだこのままでいたいのに。
 突然、ラフが右手を挙げた。
「はいはい! お姫さまとニコルに提案! オレ、シナリオ書きたいんだけど、ダメかな?」
 オンラインRPG『PEERS’ STORIES《ピアズ・ストーリーズ》』の特徴の一つに「オリジナルシナリオ」がある。ユーザが書いたシナリオをゲームに反映できるシステムだ。
 著者であるユーザは、シナリオをピアズの管理部に送って、許可を求める。倫理面と技術面の基準をクリアしたら、OK。シナリオに基づいたオリジナルのミッションをプレーできる。
 わざわざシナリオを書くなんてめんどくさいってアタシは思うけど、案外、オリジナルシナリオをやるユーザが多いみたい。中には、シナリオの著者として有名になってるユーザもいる。
「ラフがシナリオを書くの?」
「アイディアはもう持ってて、プロットは作ってある」
「どんな内容?」
「秘密」
「変な内容じゃないでしょうね?」
 シナリオの内容で特に多くて人気なのは、結婚らしい。ユーザがゲームの中で知り合って、好き合うようになって、ゲームの中で結婚するんだって。
 ほかには、ユーザの誕生日とか引退式とか。冒険とは違う日常生活っぽいシナリオがよくあるみたい。
「大丈夫だよ。まともな内容だって保証する」
「まあ、いいわ。アタシ、シナリオやったことないし」
「ボクもオッケーだよ」
「サンキュ。じゃあ、仕上げて申請する。それまで待ちになるけど、いいよな?」
 時間がかかるんなら、むしろありがたい。ニコルがマップを表示した。
「そうと決まれば、時間つぶし。ホヌアの南側には火山があるでしょ。そこを舞台にしたボーナスイベント、行ってみない?」
 ピアズにはときどき、こういうボーナスイベントがある。ミニゲームとは別の、もっと手の込んだもの。
 わざわざ用意されてるんじゃなくて、残ってしまってるんだって。開発中に何かの事情で本筋のミッションから外れちゃったエリアが、ボーナスイベントとして解放されてるの。
 そういうことを教えてくれたのは、ラフだった。ラフはピアズの裏事情にかなり詳しい。アンタは何者なのって尋ねても、はぐらかされちゃうけど。
「じゃあ、行こうぜ」
 ラフがニコルの肩を叩く。そして、アタシに笑いかける。黒髪、日焼けした肌、右頬の傷。嫌が応にも目に入る呪いの紋様。
「ラフ、アンタ、今回は呪いを使わないでよ。ボーナスなら、そこまでヤバい敵も出ないはずでしょ」
「わかってるわかってる。無理はしねえよ。のんびり火山見物してこようぜ」
 解像度の高い、端正な笑顔。その向こうにいるはずの、クレイジーな誰か。
 どうして呪いなんか設定したの? アタシはアンタの本物の感情に触れてみたい。
 ボーナスイベントのストーリーは、ヒイアカの恋の物語だ。
「実はワタシ、アナタがたに助けていただいたことがあるのです。ワタシとロヒアウの恋のなれそめをお話しさせてください」
 っていうわけで、過去の恋バナを追体験するっていう筋書きだった。
 ヒイアカのいちばん上の姉、ペレは、火山の女神だ。美人で、気性が激しくて、プライドが高い。ペレはあるとき、一人のイケメンに目を付けた。その男こそ、ヒイアカと相思相愛のロヒアウだった。
 ロヒアウはペレにさらわれてしまう。ヒイアカが大事にしてる森や花畑をペレが人質にする格好で、二人を自分の思いどおりに操ったんだ。
 そこに待ったをかける役が、アタシたち。
 火山地帯はトラップだらけのエリアだった。蒸気の噴出、崩れやすい足場、マグマの川。ちょっとミスったら、ヤケドで痛い目を見る。
「アタシが先に行くから、アンタたちはついてきなさいよ」
 アバターの敏捷性とアタシ自身の操作テクニックを総合したら、やっぱりアタシがいちばんトラップへの対応力が高い。
「張り切ってるな、お姫さま」
「当然でしょ!」
「クーナの件、気にしてんのか?」
「バトルで置いてけぼりをくらうなんて、屈辱もいいところだったわ」
「すまん」
 でも、体が動いたとしても、クーナと戦えた自信はない。恋人の目の前で相手を倒すなんて。
 火山地帯にはヒイアカも同行した。ラフとニコルがめちゃくちゃ喜んだ。
「すっげー! ヒイアカ、最高! 踊る、走る、それに合わせて胸が揺れる!」
「目の保養だねー」
 ほんっとに男ってバカ。
 ストーリー自体は、アタシも気に入った。女王さま気取りのペレを、健気なヒイアカがやっつけるんだもの。ペレがペットにしてるマグマのサメがボスだった。倒した瞬間は、ほんとにスカッとした。
 入手できたアイテムは、レア度も効力も高かった。特に重要だったのが、火山の女神ペレの加護を受けた御守り。最後のミッションは雪山が舞台だから、防寒具代わりの御守りは必須アイテムだ。
 この際だから、火山で入手できるアイテムをすべて回収した。フアフアの村に戻ると、ラフがシナリオの途中経過を報告した。
「シナリオ執筆は完了。ピアズの管理部に送信したよ。審査と反映に一週間くらいかかるらしい。それまで、フアフアの村でミニゲーム三昧だな」
「わかったわ。アタシのピアズ史上、いちばん長いミッション待ちね」
「のんびりバカンスを楽しもうぜ」
 のんびり楽しむって、どうすればいいのかよくわかんない。と思ってたんだけど、ラフやニコルが楽しみ方を知ってた。
 たとえば、どうでもいい買い物をすること。バトルでの効果とかを度外視して、いろんな服を試着してみた。おもしろ半分でニコルに女装させたら、似合いすぎて逆におもしろくなかった。
 驚かされたのが、ラフが正装した姿だった。ビジネススーツ、タキシード、貴公子の衣装。髪をキッチリさせて、呪いの紋様を隠すだけで、ほんとにもう。
「反則でしょ」
 ピアズのキャラデザ、カッコよすぎるってば。
 アタシはヒイアカに恋バナをさせるのも気に入った。なんてことないのろけ話を聞かされるだけ。でも、それが楽しい。
「アタシには友達がいないから」
 ポロリとこぼしてしまった本音。ラフはアタシの頭を優しくポンポン叩いた。前も同じようにしてくれたことがあった。
「このアクション、裏技な。修得方法は企業秘密だぜ」
「……バカ」
「ハグのほうがいい?」
「大バカ!」
 そのバカに励まされて笑わされて、画面の中だけに限られた世界は、退屈な現実を忘れさせてくれる。
 果てしない青空。きらめく太陽。エメラルドグリーンに透きとおる海。まばゆく照り返す白い砂。
 今日は、バカンス七日目。
 アタシがログインしたとき、ラフはもう、そこにいた。海水パンツを装備して、サーフィンに興じてた。
 波を求めて、沖合へパドリング。邪魔な小波をドルフィンでかわして、絶好の大波と見れば、すかさずライドする。
 サーフボードで波頭を左右に蹴散らして、かぶさってくる波のチューブをくぐり抜けて、ボードごと跳ね上がって宙返りを決める。
 ラフへの拍手喝采がやまない。
「よくやるわ、ほんとに。火山地帯のマグマの川下りではアタシに後れを取ってたくせに、あっという間に上達しちゃうんだから。熱中しすぎなのよ。しかも、似合いすぎ」
 アタシは波打ち際で肩をすくめた。今日のアタシは、バカンスを楽しむお嬢さまスタイル。オーロラカラーの髪は上品なアップにまとめてある。ワンピースタイプの花柄の水着は、胸元や腰のフリルがかわいい。
「せっかく着替えてきたんだから、早くこっちに来なさいよね」
 なんていうのは、ただのひとりごと。
 ニコルは舟で釣りに出掛けてる。ボーナスイベントの魚釣りがめちゃくちゃ上手なの。「釣聖《ちょうせい》」なんていう肩書きまでゲットしてた。
 しばらくサーフィンを眺めてたら、ラフがアタシに気付いた。ボードを小脇に抱えてアタシのほうへと駆け寄ってくる。
「来てたのか、お姫さま。気付かなくて悪ぃ」
「別に。アタシも、アンタのサーフィン見てて楽しかったし」
「そっか? 今日、なんか雰囲気が違うな。似合うじゃん」
「当たり前でしょ。似合わない格好なんかしないわよ」
「普段より布の範囲が広いのに、普段より色気があるぜ」
「黙りなさい」
 ラフのほとんど全身を、赤黒い呪いの紋様が覆ってる。アタシの目に映るところはもちろん、たぶん海水パンツの内側も。呪いが刻まれてないのは、顔と手のひらと、くるぶしから下だけだ。
「アンタの呪いの発動、あと一回ってところ?」
 ラフが笑いを引っ込めた。
「そうだな。次に使ったらデリートだ」
「やめてよ。そんな紋様……アンタに似合ってない」
「紋様だらけで、気持ち悪いか?」
「気持ち悪くはないわ。見慣れたから」
「え、なになに? そんなにいつもオレのこと見てるの?」
「ちょ、ちがっ……あんたが勝手に視界に入ってくんのよ!」
「よせよ、照れるぜ」
「このバカ! ぶっ飛ばされたい?」
 アタシはウェッジソールのサンダルでラフの足を踏みつけた。
「うおっ、その靴、意外に攻撃力高いな」
「そういう言い方、ムカつくんだけど!」
「え、ムカつくって、どのへんが?」
 全部よ、全部。サンダルを靴って言ったり、貝殻の細工がかわいいのを誉めてくれなかったり、かわいさ重視なのに攻撃力とか言い出したり。
 と、そのとき。
「おーい、お二人さーん」
 ニコルがのんびりと砂浜を歩いてきた。麦わら帽子をかぶって釣り竿をかついだ、釣り人スタイルだ。
「お、今日も大漁か?」
「もちろん。フアフアのミニゲームは景品が充実してるから嬉しいね。で、お知らせがあるんだけど」
「なによ?」
 ニコルは静かに告げた。
「宿にピアズの管理部から通知が来たよ。ミッションにシナリオを反映させる作業が完了したって。一週間以内に参加申請をするようにってさ」
「そ、そう……」
「ボクは魚の加工や保存食作りに取りかかるよ。お二人さんはどうする?」
 ラフはサーフボードを抱え直した。
「今、潮が最高で、すっげぇいい波が来てるんだ。最高得点を目指して、もうちょい波に乗ってくる。お姫さまは?」
「え? アタシ?」
「暇ならサーフィンやろうぜ。ボードの選び方から教えてやるよ」
「なによ、えらそうに。すぐにアタシのほうがうまくなるわよ」
「そう来ねえとな。じゃあ、ニコル、お姫さまを借りてくぜ」
 なんでニコルに許可を求めてんのよ? って、愚痴を言う暇もなかった。アタシの手を、ラフの手がつかまえた。
「ち、ちょっとっ!」
「行くぜ、ほら!」
 ラフに引っ張られながら、アタシは砂浜を走ってる。ラフの背中で、漆黒の束ね髪が揺れる。ときおり、チラリと振り返る笑顔。
 ロヒアウたち、村の若者のそばを過ぎたとき。
「ひゅーひゅー!」
「お似合いだよ!」
 冷やかしの声が飛んできた。AIのくせに、余計なリアクションしないで!
 コントローラを持つアタシの手が震えてる。なんでこんなにドキドキするの? 手をつないでるのは「あたし」じゃないのに。
 ラフと手をつないでるのは「シャリン」だ。その手のぬくもりが、まぶしい太陽が、「あたし」にはうらやましい。
 ひとけのないヤシの木陰で、ラフは急に足を止めた。体ごと振り返る。手はつながれたままだ。
「なあ、お姫さま。ちょうどアイツが席を外してるから訊くけど」
「アイツって? ニコルのこと?」
「ああ」
「アンタたち、もしかして一緒の場所にいてインしてるの?」
「そーいうこと」
 なにそれ? アンタたち、現実のほうでも友達ってこと? アタシだけがひとりぼっちなの?
「……ずるい……」
「え? 何て言った?」
「別に」
 ラフは早口になってささやいた。
「お姫さまってフリーだよな?」
「は? な、なに言ってんのよっ? ふ、フリーに決まってるでしょ! なんでそんなこと訊くのよっ?」
「えー、いや、現実とこっちで別々の相手がいたらトラブるだろ。だから、手ぇ出す前に確認するのが、礼儀というか筋というか」
「なっ……」
 手ぇ出す前に? つまり、ラフはアタシのこと……?
「言っちまえば、最初っからアプローチかけてたようなもんだけどさ。賭け、やったじゃん? 最初のモオキハ戦の、クォーターミニッツの。覚えてる?」
「お、覚えてる、けど」
「あの件さ、どうなのかなって」
「ど、どうって訊かれても」
「こっちの世界が仮面みたいなもんだっていってもさ、やっぱ『中の人』的には、シャリンだって自分自身なわけだろ? だから、あの賭け……って、あー、残念。タイムアウトだ」
「は?」
「悪ぃ、今の話、ナシだ。忘れてくれ」
「な、なによ、むちゃくちゃよ! どういうこと? ニコルがそこに戻ってきたの? アタシには関係ないわ。中途半端はやめて。なんなのよ、もうっ!」
 アタシはラフの手を振り払った。結局、アタシは遊ばれてるの? 最初っからナンパなヤツとは思ってたけど。
 アタシはラフを置いて立ち去ろうとした。
「ちょい待て」
「なによ?」
 ラフが両手でアタシの両肩をつかんだ。有無を言わさず向き合わされて、アタシたちは真正面から見つめ合う。
「あー、もう、了解了解……っとに、この腹黒」
「え?」
「すまん、現実サイドの話。シャリンのことじゃなくて」
「アタシに意味が通じるように話して」
「うん、わかってっから」
 ラフが深呼吸するのが、PCのスピーカから聞こえた。
「あのな、シャリン。今の状況、オレにとっちゃ公開処刑なんだけど、言うよ。でも、決定打を出す気はもともとないぜ。画面越しなんて、アンフェアだろ? ちょっとな、例の賭けの有効性を確認しときたいだけだからな。だから、その……」
 言い訳を並べるラフのCGは、赤くなったりなんかしない。でも、その向こう側にはきっと、ほっぺたを紅潮させた誰かが存在している。
 胸のドキドキが、マイクに拾われてしまいそう。アタシは、できるだけ落ち着いた声で応えた。
「なによ?」