鈍い金属質の輝きが、足のほうから頭のほうへ、人の輪郭を形づくる。
「戦士タイプ?」
アバターに色彩が定着する。
スラリと引き締まった体つきの男だ。襟足でくくられた長い黒髪。肩と胸を覆うシルバーメイル。むき出しのお腹には、形よく割れた筋肉。背中には、交差に装着された二本の大剣。
「メイルの内側の赤黒い紋様は、イレズミ? ちょっと趣味悪いわね。でも、ピアズのキャラデザって、やっぱ整ってる」
双剣の戦士は目を閉じている。浅黒い肌と右頬の一文字傷が野生的。顔立ちは、端正だ。繊細っていえるくらい、キレイ。
このアバター、アタシと同じで、ユーザ自身の3D投射で作ってあったりして。だったら、実物はけっこうな美形だ。
男のくせに長いまつげを震わせて、彼はまぶたを開いた。
「お、美少女発見! お姫さま、お名前は?」
発声の感じからして、人工音声ではないみたい。たぶん、ユーザ本人の肉声だ。姿も声も悪くないけど、チャラいセリフに興醒めしてしまう。
「人の名前を尋ねる前に、自分が名乗りなさいよ」
「こいつは失礼。はい、オレの名前」
ぴろりん、と効果音。双剣の戦士は、パラメータボックスを開示した。
name : Laugh-Maker(♂)
class : highest
peer : Nicol
「ラフ・メイカーっていうの?」
「ああ。ラフって呼んでくれ。んで、こっちがオレの相方」
もう一人、アバターが浮かび上がってくる。
魔術師らしい緑色のローブをまとった子どもだ。年齢は、設定可能な下限である十二歳にしてあるんだろう。
銀色の髪はサラサラのおかっぱ。緑色の目はこぼれ落ちそうに大きい。ピンク色のほっぺたがかわいらしい顔つき。男の子なのか女の子なのか、パッと見にはわからない。
「初めまして! ボク、ニコルです」
コンピュータ合成の子ども声も、やっぱり性別不詳。ただ、そいつのパラメータボックスに答えが書いてあった。
name : Nicol(♂)
class : highest
peer : Laugh-Maker
「ボクっ娘かと思ったら、普通に男の子なのね」
「そうだよ。よく勘違いされるんだけどね。で、おねえさんのお名前は?」
「呑気に自己紹介なんかしてる場合じゃないわよ。面倒くさそうなやつが迫ってきてるの」
アタシは剣先でモンスターを示してみせた。大トカゲだ。地響きと土煙を立てて爆走してくる。
「バカでかいトカゲだな。南国系ステージらしく、爬虫類型モンスターがお出迎え役ってわけだ。ニコル、情報を」
「了解」
ニコルはローブの袖から、ペンくらいのサイズの小枝を取り出した。ニコルが小枝をサッと一振りする。小枝は、ニコルの背丈よりも長い杖へと姿を変えた。
杖のてっぺんに付いた緑色の珠が淡く光った。ニコルが何かの魔法スキルを発動させたらしい。魔力を帯びた風が、ニコルの小さな体から湧き起こっている。
「モオキハって名前のモンスターだ。バシリスクタイプではないから、石化魔法は使わないよ。炎の属性も毒の属性も検出されないし。ヒットポイントが高いだけの、ただの力押しキャラだ」
「透視? アンタ、妙な能力を持ってるのね」
「見たところ、おねえさんも力押しキャラ? 意外と攻撃力の数値が高いんだね。敏捷性がすごい。そんなに速くて、自分についていける?」
「当たり前でしょ。反応速度には自信があるの。透視や索敵みたいな補助系の魔法なんて必要ない。初めての敵でも、戦いながら属性を見破れるわ。アンタたちと一緒にしないで」
ラフが両手に一本ずつ、大剣を構えた。
「頼もしいもんだ。で、お姫さまに相談があるんだけどさ」
「なによ?」
「このホヌアってステージをクリアするまで、オレたちのピアにならないか?」
ピアっていうのは、つまり、ともに戦う仲間のこと。ピアという単語は、ゲームタイトルにも冠されている。
『PEERS' STORIES《ピアズ・ストーリーズ》』
ソーシャルネットワークを利用した仲間《ピア》との協力プレーができる。それが、ピアズの特徴。
でも、アタシは鼻を鳴らしてやった。
「ピア? 結局どんなメリットがあるのかしら? こっちの人数が増えれば敵も強くなるように設定されるんでしょ?」
「難易度上昇は事実。でも相対的に見て、協力プレーのボーナスのほうがおいしいぜ。つまり、三人でバトルをワンミニッツクリアした場合、一人で三分かけるよりも、経験値とゴールドが多く稼げるってこと」
ニコルが口を挟んだ。
「あのトカゲはもっと楽だよ。ハーフミニッツを狙える。ボクたち三人なら、ね」
「協力ボーナスがお得かどうかは、アンタたちがアタシについてこられることが前提でしょ。アタシの足を引っ張らないって保証できるの?」
手を結ばないのであれば、あの大トカゲは、先に手を下した側の獲物となる。遅れをとった側はバトルから弾き出される。
ラフとニコルを威嚇してみせながら、アタシはすでに不利だ。ニコルはもうフィールド系魔法を発動させているから、それをバトル系に切り替えれば先手をとることができる。
「頼むよ、お姫さま。ピアになってよ。ひとまずこのバトルで様子を見てくれ」
「うるさい」
「協力して三十秒を切れなかったら、別行動してくれてかまわないからさ」
「ずいぶん自信がありそうね」
「もちろん。ほらほら、バトル開始まで時間がないぜ。どうする?」
取り引きや駆け引きは苦手。言葉を返すのが面倒くさくなってきた。
「わかったわよ。とりあえず、アンタたちをアタシのピアと認めるわ」
アタシは、初めてのその操作をする。
name : SHA-LING(♀)
class : highest
peer : none
Here come new peers.
Will you accept them?
――YES
Laugh-Maker became your peer!
Nicol became your peer!
これで、ラフとニコルはアタシのピアになった。
「サンキュ、お姫さま」
「シャリンよ」
「シャリン姫さまね。これで百人力だ」
モオキハが、爆走を止めた。砂をかぶった全身は、おおよそ緑褐色。でも、喉元から胸にかけて、毒々しい鮮やかなピンク色。赤く裂けた口から、尖った長い舌と凶悪そうな牙がのぞいた。
「ハーフミニッツで決められるって、本当でしょうね?」
アタシの言葉に、ニコルがうなずいた。
「ボクが保証する。援護するから、シャリンとラフは大暴れして」
「アタシは速いわよ。ついてきてよね」
ラフが双剣を打ち合わせた。
「疑ってくれるなよ。オレたちだって、だてにハイエストやってるわけじゃねえよ」
「ふぅん。そう」
「なあ、お姫さま。ハーフミニッツは当然として、クォーターミニッツでやれたらさ、ご褒美にキスしてくれる?」
「はぁ? なに言ってんのよ、バカ!」
「つれないねぇ。まあ、いいや。とりあえず、一発目からコンボ狙おうぜ」
「BPM300の鬼譜面、いける?」
「出せる出せる。敏捷性はお姫さまのほうが高いから、一番槍は任せる」
「遅れずに入ってよね」
バトル開始のカウントダウンが表示される。
3・2・1・Fight!
BPMとかっていうのは、ユーザとしての会話。シャリンとしてのアタシは、華麗に剣を構える。
ニコルの全身がポゥッと光った。
「攻撃力強化、っと! じゃ、行ってらっしゃーい」
アタシが、一番槍。行けっ、と叫ぶ。
“Wild Iris”
七回連続の斬り技が炸裂する。
次にラフが飛び出した。
“kick ass”
縦回転しながら左右の大剣で斬りまくる。
ニコルが、後ろのほうから魔力を飛ばす。
「敵さんの防御力ダウン! ……って、まだ硬いな。もう一回やっとくかな」
アタシとラフで波状攻撃をかける。休みのない斬撃を受けてモオキハは動けない。
「案外やるわね」
ラフの双剣は一撃一撃が重い。表示される技の名前は英語のスラング。ちょっと感心できない言葉ばっかりだけど。
「防御力、下がれー!」
ニコルがガンガン補助魔法を使うたび、モオキハに与えるダメージがおもしろいほど大きくなる。
ラフが笑った。
「すっげー! 息ピッタリじゃん! ここまでうまくハメれるって、すげーよ!」
そう。ほんと。
「うん、気持ちいい!」
ニコルが葉っぱのチャクラムを飛ばした。
「押して押してー! クォーターミニッツ切れるかもよ!」
つまり、十五秒でこんな強敵を撃破できるってこと。爽快!
ラフがモオキハに突進した。
「とどめだ!」
“stunna”
ラフは横回転しながら左右の剣で攻撃した。モオキハが断末魔の悲鳴をあげて、光って消滅する。
勝利のモーションで、ニコルがぴょんぴょん跳ねた。
「十三秒〇二って、すごいね! ほんとにクォーターミニッツ切ったよ!」
バトル勝利に加えて、各種ボーナスが加算される。十五秒以内でのモンスター撃破のボーナス。それと、ノーミスクリアのボーナスがおいしい。
「アンタたち、相当やり込んでるの? BPM300の鬼譜面がジャマナカクトなんて」
最高難度の技を平気で繰り出してた。アタシと息を合わせて、完璧なタイミングで。
ラフが双剣を鞘に収めた。
「今回の技はショートコマンドばっかだったからね。これくらいなら余裕だよ。ま、オレは多少ミスっても、ニコルがカバーしてくれるし」
「このバトルでは、ボクの出番は少なかったけどね」
でこぼこコンビって感じ。背が高くて細身で、顔に傷があって、ワイルド系のラフ。小柄で、子どもっぽくて、女の子みたいにかわいいニコル。
二人とも強い。というか、二人セットだと強い。
なんてね。やすやすと認めちゃうのは、しゃくだ。アタシがいちばん強いんだから。
ラフが傷のある顔でアタシに笑いかけた。
「お姫さま、オレたち合格だろ?」
「まあ、そうね。合格にしてあげる」
「よっしゃ! このホヌアってステージの間、よろしく頼むぜ」
差し出された手を、握る。
「繰り返すけど、アタシの足を引っ張らないでよ」
「了解了解。そうそう、それと、さっきの約束」
「約束?」
「ご褒美のキスはいつでも受け付けるよ」
「ぶっ飛ばされたい?」
ニコルは、呑気ににこにこしている。
そのときだった。女のホログラムが出現した。
南国らしい肌の色をした美少女だ。少女からオトナへ羽化しようとする年ごろ、みたいだ。十七歳のアタシと同じくらいか、少し年上。
波打つ豊かな黒髪。彫りの深い顔立ち。黒く濡れた大きな目。ふっくらした唇は、優雅な笑みを浮かべている。踊り子みたいな衣装にメリハリのある体型で、かなりセクシーだ。
ラフは、かすれた口笛を吹いた。
「すげぇグラマー。いいねぇ」
「いやらしいわね、アンタ」
「出し惜しみしないのはすばらしいことだぜ。アンタもけっこう出してるじゃん」
「最っ低! このタイプのメイルは軽さ優先で選んでるだけよ!」
「はいはい。ま、どっちにしろ、ちょっと子どもっぽいよな、お姫さまは」
「なんですって!」
「オレはこっちの彼女みたいに迫力のあるバストのが好み」
「ほんと最っ低!」
アタシはラフの土手っ腹に肘鉄をぶち込んだ。
まあ、体型に関しては事実だけど。
アタシは華奢だ。敏捷性を重視した体型を選んで設定している。
一方、目の前に出現したホログラムの美少女は胸がおっきい。半割にしたココヤシのブラが小さすぎる。赤い花が染め抜かれたスカートも、丈は長いけど、左脚の正面に入った深いスリットがなかなか危険だ。
この踊り子っぽい美少女がホヌアのステージガイドなのかしら。
踊り子はお辞儀をした。所作そのものが優雅なダンスみたいだ。
「初めまして。シャリンさま、ラフ・メイカーさま、ニコルさま。ホヌアへ、ようこそお越しくださいました。手荒いお出迎えとなってしまいましたことを、どうぞご容赦ください」
ハイアークラス以上のステージは、いきなりバトルから始まる。それは、言ってしまえば入学試験。このバトルに敗れると、ステージに挑戦することができない。
踊り子は、ひらりと両腕を広げた。
「ワタシの名はヒイアカ。ホヌアを旅する皆さまにミッションを依頼する者。また、癒しと憩いの場を提供する者です。まずは、西の海岸にございますフアフアの村をお目指しください。フアフアの村でお待ちしていますわ。道中、どうぞお気を付けて」
ヒイアカはしなやかな腰つきでステップを踏んだ。両腕は何かを物語るみたいに、ゆったりと舞う。指先が空を示した。そこから赤い光が生まれる。光はみるみるうちにヒイアカを包んだ。
「お待ちしていますわ……」
エコーのかかった声を残して、ヒイアカである光は、ある方角を指してまっすぐに飛んでいった。
アタシは、マップを拡大表示した。ヒイアカが消えた方角は、ほぼ真西。光のとおりに進めば、海岸線沿いにある人里のマークにたどり着くはずだ。
「ひとまず、フアフアの村とやらを目指せばいいのね。で、アンタたち、今日はどれくらい時間あるの? アタシはさっきログインしたばっかりなの。だから、あと三時間半はあるんだけど」
オンライン本編における一日あたりのログイン時間は、上限四時間。それが、オンラインRPG『PEERS’ STORIES』に課せられた法的規制だ。
この規制はうっとうしい反面、ありがたくもある。アタシは、現実では高校生。だから、一日じゅうこっちにはいられない。延々とログインし続ける暇人に後れを取るのは腹が立つ。規制があるから、フェアな実力主義で勝負できる。
ラフは自分のパラメータボックスを開いてみせた。
「オレとニコルも、あと三時間半だ。進めるだけ進もうぜ」
「あっそ」
主導権を握ってるみたいな言い方が何だかイヤ。アタシは腕組みをしてみたけど、ラフは気にした様子もない。
「道中に気を付けろって、わざわざ言い置いてったよな。つまり、道中にいろいろ出てくるんだろうな頼むぜ、お姫さま!」
ふぅん。アタシの意向を無視して突っ走るって感じではないんだ。
アタシは深呼吸をして、気を取り直した。
「何が出てこようが、望むところよ」
荒野の台地を下るにつれて、景色は鮮やかになっていく。カラフルな熱帯植物のフィールドは、「南島のステージ・ホヌア」っていうキャッチフレーズのとおりの景色だ。
「見て、海!」
行く手に海岸線が見え始めた。白砂の浜が緑葉の森に映える。空は青くて、日差しは明るい。
アタシたちの行く手に、たびたびモンスターが現れた。撃退するのに、それほど苦労はなかった。
でも、一度だけ、ヒヤッとした。アタシとラフの動線が重なって、効果的な攻撃ができなかったの。
なにやってんのよバカ! ってアタシが怒鳴るより先に。
「すまん。今のはオレが悪ぃ」
ラフは潔く頭を下げた。
なんていうか、毒気を抜かれた。
「べ、別に、どっちが悪いってこともないでしょっ」
「いや、おれのほうが出だしが遅かったし」
ニコルが間に入った。
「無事に倒せたんだから、よしとしようよ。もしシャリンがイヤでなければ、ボクが司令塔になってもいいよ?」
「ハッキリ言うと、イヤよ。指示されるのは嫌い。でも万が一、必要だと判断したときには、司令塔とやらをお任せするわ」
「了解、了解。たぶんね、普通にエンカウントするモンスター程度は問題ない。でも、ボス戦は連携プレーできるほうが安全だと思うよ」
「ふぅん?」
「お互いの凡ミスのせいでハジかれたら、本末転倒だからね」
ピアズの世界では、ユーザが操るアバターは死なない。死という概念が、基本的に存在しない。
アバターのヘルスポイントとスタミナポイントの両方が尽きた場合、死ぬわけじゃなくて、ステージからの追放というペナルティが課せられる。
ペナルティによってステージを追われることを「ハジかれる」ってう。一定回数以上ハジかれると、クラスを落とされる。
ちなみに、クラスとレベルは別の概念。クラスは、ユーザのテクニックによって段階分けされてる。レベルは、経験値を積めば積むほど上がっていく。
レベルが上がれば、ヘルスポイントとスタミナポイントの上限が上がる。ボーナスポイントも与えられる。それを攻撃力や敏捷性みたいな各能力に割り振って、アバターの基礎値を上げていく。
クラスが高い人はたいていレベルも高い。逆に、低いクラスにレベルが高い人がいることもある。
というのも、バトルの鍵を握るのはユーザのテクニックだから。基礎値はそれほど大きな問題にならない。テクニックがないユーザは、いつまで経ってもクラスを上げられない。
「アタシ、今まで一度もハジかれてないの。連勝記録に傷を付けないでほしいわね」
「ボクたちもだよ。ほら」
ニコルが示すパラメータボックスを、アタシはチラッと見た。
コイツ、アタシよりもレベルが低い。そのくせに、アタシと同じハイエストクラスにいるなんて。つまり、相当テクニックがあるってこと? なんかムカつく。
ユーザが口元に着けるリップパッチが、表情筋の動きを認識する。それをアバターに反映する。
アタシは今、ムッとしてる。現実では、顔にも出てると思う。
でも、画面の中に反映できるのは、ハッキリした表情だけ。微妙な苛立ちの表情なんてリップパッチは認識できないから、アバターのアタシは、愛らしい顔に無表情を保っている。
開放的な印象のフアフアの村は、結界によって守られていた。道の両サイドには、色とりどりのハイビスカスが咲き乱れている。
村の入口で、ヒイアカがアタシたちを待っていた。
「皆さま、ようこそお越しくださいました。ここが豊饒の地、フアフアの村です。ホヌアに用意された四つのミッションを旅する間、皆さまにはフアフアの村を拠点にしていただきます。まずは、どうぞこちらへ」
ヒイアカが優雅な身のこなしで歩き出した。アタシたちはその後についていく。ヒイアカが足首に着けた木製の鈴のアンクレットが、歩くたびに、涼しい音を鳴らす。
「それにしても、脳天気なステージね。一つ前のステージが戦場だったから、気休めになるわ」
「同感だね。南国ムードっていいよな。キャラの露出度が高くてさ」
アタシは遠慮なく、ラフの足を踏んづけた。
フアフアの村では旅の必需品を買い物できる。武具や防具。傷や状態異常を治療するための薬。食材や食料。
それと、ロミロミと呼ばれるマッサージが人気らしい。特殊な効果をもたらすんだって。
「フアフアの村に象徴されるとおり、ホヌアは平和です。外敵も内乱もありません。森羅万象の神々や精霊が、人の子とともに住まう島です」
「ふぅん。それで、ミッションの内容はどうなってるのかしら?」
ヒイアカが足を止めて、アタシたちに向き直った。心なしか、頬が赤い。
「実はワタシ、二つ先の新月の日に結婚するのです。その婚姻の儀のために必要なものがありますの。月と星の祝福を受けた宝石『ホクラニ』です。ホクラニをつないで、首飾り《レイ》を作りたいと思っています。皆さまには、ホクラニを回収していただきたいのです」
ホヌアの人々は昔から、月の暦を大切にしている。
新月は次第に満ちて、満月は次第に欠けて、やがて再び、月のない夜を迎える。それは、三十日間の物語。夜ごとに違う顔を見せる月は、ホヌアでは、毎日異なる三十の名で呼ばれている。
かつて、いにしえの時代のできごと。神々《アクア》は月が美しく変身するさまを誉めたたえ、三十の名のために三十の輝夜石《ホクラニ》を生み出した。
そして、あるとき。神々《アクア》の末娘にして歌と踊りの申し子であるヒイアカは、天界の宴で極上の舞を披露した。列席した神々《アクア》はヒイアカの舞を喜んだ。その褒美として、ヒイアカは三十個のホクラニを贈られた。
「ホクラニには神々《アクア》のお力が宿っています。それを手にした者の祈りや願いを叶えることができるのです。ワタシは、友人に困ったことが起こるたび、ホクラニをお貸ししてきました」
ニコルは肩をすくめて、先回りして言った。
「貸したものが返ってこないから、ボクたちを使いっ走りにする。要するに、そういうミッションなんだね」
ヒイアカは困った様子で、首を左右に振った。ココヤシのブラに収まりきれない胸が、たぷんぷるんと弾む。
「ワタシ、頼まれると断れない性分なのです。そもそも、普段ワタシはホクラニを使いませんし。それでしたら、必要とするかたに使っていただくほうがいいですよね?」
「このヒイアカって女、バカが付くほどのお人好しね」
ヒイアカは胸の前で両手の指を組み合わせた。両腕の間に挟まれた胸が、ぎゅむっと形を変える。アタシの隣で、ラフがかすれた口笛を吹いた。
「三十個すべてのホクラニを回収する必要はありません。ワタシの婚姻を知ると、ほとんどのかたはホクラニを返してくださいました。お祝いの品まで贈っていただきました」
残りはいくつ? と言いかけたアタシと、ラフの声が重なった。ニコルが、ふふっと喉を鳴らす。ムカつく。
ヒイアカは続けた。
「あと四つだけなのです。皆さまには、それら四つのホクラニを回収していただきたいのです」
茅葺き屋根の平屋のコテージが、アタシたち宿だった。
「リゾート地のエキゾチックなホテルって感じね」
籐のソファが涼しげでオシャレだ。アタシはソファに腰掛けて、すらりと長い脚を組んだ。ちなみに、現実のアタシも手足が長くて細身の体型だ。3D投射で作ったアバターだし、そんなに嘘はついてない。
ラフはハンモックによじ登った。ニコルは、床に敷かれたキルトの上に腰を下ろした。ヒイアカも床に座っている。
早速ですが、とヒイアカは切り出した。
「まずは、島の南の森へ行っていただきたいのです。そこには、オヘという名の精霊の少女が住んでいるのですが、このところ、彼女のやんちゃが目に余るのです」
「その子がどんなやんちゃをするの?」
「ニコルさま、聞いてくださいます? 月に一度、上弦の月のころ、オヘは人里に現れて貢ぎ物を要求するのだと……里の者たちが困っているようなのです」
「それって、やんちゃっていうか、もっと悪質な気がするんですけど」
「オヘは、もともと、力のある精霊ではありませんでした。むしろ、引っ込み思案でおとなしく、奥手でした」
「それが急にどうして?」
「ワタシは彼女の片想いを知っていました。オヘは、森を潤す雨の神に恋をしていたのです。彼女にホクラニを貸したのは、自信を持ってもらいたいからでした。ホクラニで身を飾った彼女は輝いていました。彼女は雨の神に想いを打ち明けました。けれど……」
ヒイアカは目を伏せて、悲しそうに首を左右に振った。
ニコルは肩をすくめた。
「ふられた腹いせにグレちゃったってところかな?」
フアフアの村を案内されてる間に、なんとなく役割分担が成立している。
ニコルがリーダー役。あれこれ指図するっていうわけじゃなくて、たとえば、三人まとめてヒイアカと会話するとき、ニコルのユーザがボタン操作をしたり合いの手を入れたりして、ヒイアカのAIに話の続きを促している。
アタシにとっては、自動スクロールみたいな感じ。楽でいいわ。
ヒイアカが話を再開する。
「オヘは失恋し、ひどく落ち込み、森の奥に引きこもってしまいました。泣き暮らしていたらしいのですが、その無念の思いがホクラニに作用したようなのです。あるとき人里に姿を現したオヘは、すっかり人が変わっていました」
「あらカワイソウ」
「お姫さま、言い方が冷たいぜ」
「見も知らぬ他人の恋バナなんて興味ないもの。とにかく、ホクラニを取り返して、オヘを正気に戻せばいいんでしょ?」
アタシの言葉に、ヒイアカはうなずいて、うるんだ目でアタシたちを見つめた。
「このようなことになるなんて、ワタシが間違っていました。オヘにホクラニを貸さなければよかった。皆さま、お願いです。どうぞ彼女を救ってください」
装備品の変更は特に必要ない。でも、ウィンドウショッピングは楽しい。アタシたちは、村に立ち並ぶ露店をひととおり冷やかして回った。
ピアズの世界では、携帯できる回復アイテムはとにかく高い。安上がりでスピーディな回復には、人里で休憩するのがいちばんだ。食堂でのごはんや治療院での施術でステータスを回復できる。
でも、放っておいても、一分ごとに最大ゲージの一パーセントが回復する。一日あたり四時間までしかプレーできないから、回復アイテムなしでも、どうにかやりくりできるゲームバランスだ。
ニコルは食材を買い込んだ。
「アンタ、料理のスキルを持ってるの?」
「うん。けっこう何でも作れるよ」
「それ、便利!」
「でしょ」
料理スキルは、旅先で、食堂と同じ効果を発揮する回復手段だ。回復アイテムと違って、食材はけっこう安い。料理が作れるなら、便利なことこの上ない。
「でも、アンタ、変わった趣味ね。普通は料理より戦闘スキルを優先させて習得するものでしょ?」
「ボクの場合、戦闘はラフがいるし。料理人としてお役に立つから、期待しといて」
「興味はあるわ」
今、料理スキルは三十種類くらい配信されている。それぞれ、効果はいろいろだ。
ケガや毒によって減らされるヘルスポイントと、移動やスキル発動によって消費するスタミナポイント。その二つを回復させることと食材を効率的に使うことと、うまく料理スキルを活用するためには、当然ながらたくさんのレシピを習得しておいたほうがいい。
「見て見て、シャリン。ボクのレシピコレクション!」
ニコルのパラメータボックスには、ずらりと料理名が並んでる。配信されている料理スキルのすべてがそろっていた。
「物好きね」
誉める代わりにそう言って、アタシたちは再び旅路に就いた。
オヘが持つホクラニは「戦神《クー》の星」と呼ばれる。戦神《クー》がホヌアの夜を支配する上弦の月のころ、最も強い力を発揮する。
シダ、ツタ、アコウ、ヤドリギ。そのほかたくさんの植物が生い茂っている。その全部がやたらと巨大だ。
ここは熱帯雨林。ホヌアの南側一帯に、うっそうとしたジャングルが広がっている。
先陣を切るニコルが杖を掲げる。植物がワサワサと動いて、勝手に道を空けた。ニコルの使役魔法だ。かなり強力みたい。
「ボクの魔力は植物系に特化してるんだ。なかでも、使役魔法は最高レベルまで修得してる。だから、こういう森のエリアでは、ボクは無敵だよ」
ニコルはフキの葉を椅子にして座ってるんだけど、そのフキの茎は二股に分かれて脚になって、すたすた走ってる。
隊列の順番は、アタシがニコルの後ろ。アタシの後ろにラフ。森の奥へ奥へと、アタシたちは進む。
ラフが笑った。
「やっぱ、ひっでぇよな、ニコルって。このエリア、ほんとは、アクション要素満載の迷路型ダンジョンだぜ。それをニコルのやつ、まっすぐ切り開いてくんだから。ダンジョンを設計したプログラマは、きっと今ごろ涙目だ」
アタシは小首をかしげた。っていう動きは、画面には再現されなかった。
「でも、ニコルって、ステータスは相当な傾斜配分よね? これだけ強力な使役魔法を持ってるんだから、ツケも相当じゃない? 体力も腕力も皆無でしょ」
「うん。体力は自信ないなあ。このクラスのボスにぶん殴られたら、一発で戦闘不能かもね。腕力は一応、魔法使いキャラの平均値くらいかな。杖の重量もゼロではないから。シャリンの剣なら、ギリギリ装備できると思う」
「何にせよ、ひ弱の非力には変わりないわね」
ニコルが緊張感のない声で警告した。
「あ、前方にモンスター発見~」
虫や鳥の姿のモンスターだ。ただし、サイズはアタシの身長より大きい。
ニコルは杖を伸ばして、手近なツタに触れた。ツタは、するすると伸びてモンスターに絡みつく。狙いは羽や翼だ。ツタにまとわりつかれて、モンスターが動きを止める。
「行くわよ、ラフ!」
「おう!」
アタシは剣を抜いた。ラフは、ブーツに隠した短刀を取り出した。背中の双剣を振るうには、バトルフィールドが狭すぎるから。
動きを封じられたモンスターに、あっさり、とどめを刺す。バトルはあっという間だった。
アタシは剣を鞘に収めて髪を払った。これ、アタシのお気に入りの勝利モーション。
「ニコルがいると、便利ね」
「でしょ。形勢がマズいときには二人の後ろに隠れるから、そのときはよろしくね」
「はいはい」
雑談しながら歩いていく。
ニコルは、かわいらしい見た目どおり、人当たりがいい。軽い話し方のラフは、ときどきムカつくけど、悪いやつじゃないみたい。
「アンタ、変わった名前を使ってんのね」
「オレのこと?」
「そう、アンタよ。ラフ・メイカーだなんて」
「二十一世紀の初めごろに流行った懐メロのタイトルだよ。親父のミュージックポッドから発掘して、気に入った曲なんだ。で、シャリンの名前の由来は?」
「ゲームでは必ず沙鈴《シャリン》ってハンドルネームを使うの。深い意味はないわ。好きな字を重ねただけ」
ニコルが、アタシを振り返る。
「ボクたち、シャリンの名前を知ってたんだよ。コロシアムモードに記録が残ってるからね。いつも一人でステージをクリアしてるでしょ。すごいなって思ってた」
「ひょっとして、アンタたちがホヌアを選んだ理由って、アタシがここに入ったことを知ったからなの?」
ニコルはちょっと笑って前を向いた。ラフがアタシの後ろ側から答えた。
「前のステージの終盤で追いついたんだ。お姫さまは気にも留めてなかっただろうけど、こっちはアンタに興味があったからさ、ステージを移るタイミングを揃えて、声かけさせてもらった」
「興味があったって……な、なによ、それ?」
「ん? 言葉のとおりそのままの意味だけど?」
「こ、このストーカー!」
「まあ、追っかけをやったことは否定しない。いやな思いをさせたなら謝る。すまん」
サクッと謝らないでよ。調子狂う。
「べ、別に、今さら、もうどうでもいいわよ。とにかくっ、アタシの足を引っ張ったら許さないわよ! すぐピアを解消してアンタたちを置いていくんだからねっ」
「はいはい。お姫さまに置いていかれないように精進するよ。ところで、ニコル。時間、そろそろだろ?」
ラフが言う時間っていうのは、現実での時間のこと。
今日は、一緒に行動するようになって二日目だ。待ち合わせは、熱帯雨林の入り口だった。ラフとニコルのほうがアタシより先に来ていた。
ニコルはパラメータボックスを開いた。
「うわっ、ヤバい! 残り三分を切ってる!」
「そうなの? アタシはあと二十五分くらいあるけど」
「今日はボクだけ早めにログインしてたんだ。先に入って設定をいじらなきゃいけなかったから。中途半端だけど、ボクはこのへんで落ちるしかないね」
「ニコルがいないと、道が面倒くさくなるわ。アタシたちも今日はここで足止めね」
「ごめん。シャリンは明日も入れる?」
「入れるわ」
「じゃあ、午後八時ログインってことで集合しよう。ここをポイントにするけど、買い物とか大丈夫?」
「了解よ。変更があったら、サイドワールドでメッセージを送って」
「オッケー。バイバイ、シャリン。また明日」
ニコルは手を振って、ふっと消失した。