「おーい、二人ともー!」
ニコルが手を振りながら砂浜を駆けてくる。ラフは小さく手を挙げて応えた。
炎のそばのヒイアカが両腕を満天の星へと差し伸べた。波が引くように、喝采が静まる。次の曲が始まるみたい。
ニコルがアタシたちのところに合流した。
「お待たせ! ようやくオートカメラの設定ができたよ。手こずっちゃったなあ。昔と操作法が変わってるんだもん。しかも、悪い方向に。ピアズも、メンテ入れたほうがいいツールが地味に多いよね」
「ご苦労ご苦労。そんな様子じゃ、ゆっくり見れなかっただろ?」
「全然。まあ、ちゃんと撮れてることは確認したよ。後のお楽しみだね」
「これから別の演目か? さっきのと雰囲気が違うな」
「さっきのダンスは、神話時代の恋物語をモチーフにしてた。で、今から、このフアフアの村の起源を歌とダンスで表現するらしい。今日の祭のメインになるダンスだって」
二人の会話に、アタシは口を挟みそこねた。
ラフの「中の人」はエンジニアかもって思ってたけど、ニコルもずいぶんピアズに詳しそう。少なくとも、アカウント登録から四ヶ月って感じの話し方じゃなかった。
と。
ヒイアカの澄んだ声が歌を紡ぎ始めた。
昔語りを いたしましょう
神代の名残 人の子は
土の恵みを まだ知らず
海の気まぐれ 恐れては
飢えぬ未来を 祈るのみ
名もなき村の 乙女ヒナ
これは彼女の 恋の歌
恵みと別れの 恋の歌
ヒイアカのまなざしがハッキリとこっちに向けられた。ミステリアスな目をして、ヒイアカは微笑んだ。
捜しに行っては くれまいか
時の流れの その向こう
夢路をたどりて 預けたる
下弦の月は 海死神《カナロア》の星
いきなり。
ぐらり、と足下が揺れた。
「きゃっ」
「なんだこれ? ワープかよ?」
エコーのかかったヒイアカの声が告げた。
「皆さま、どうぞお気を付けて行ってらっしゃいませ。時をさかのぼり、悲しき海の戦士のもとへ。彼の持つホクラニは『海死神《カナロア》の星』。ワタシのもとへお戻しくださいますよう、お願いいたします」
アタシたちは、時空の歪みの中へ放り込まれる。
「あーちょっと待って。食材を入れたバッグが宿なんだけど」
ニコルの抗議にも、問答無用。祭の夜の風景が遠のいていく。
アタシたちは折り重なるようにして砂浜に倒れてたらしい。朝、村人たちが漁に出るとき、アタシたちを見付けたんだって。
すぐさま、村の巫女、ヒナが呼ばれてアタシたちの正体を占った。
「見慣れぬ風体のかたがたですね。ですが、村に害を及ぼす存在ではありません」
だから、アタシたちは長の家へ運んで介抱された。武器も所持品も取り上げられずにすんだ。
ストーリーを進めることにする。
ニコルはお芝居みたいなお辞儀をした。
「皆さまのご親切、本当に感謝します」
相手はAIなのに、わざわざこんなことするのよね。変なヤツ。
長は、髪も髭も白いおじいさんだった。とはいっても、筋肉ムキムキで、足腰もしゃんとしている。
長の隣に控えた男は、カイと名乗った。長の末息子だって。ガッシリ系の、まあまあイケメンキャラ。タイプじゃないけど。
ラフとニコルがきょろきょろして、村の様子を観察した。
「なんか、雰囲気がものものしいな」
「そうだね。戦でも始まるのかな?」
村の男たちの顔や体には、紋様が描かれてる。フアフアの村の人たちもそうなんだけど、紋様はホヌアの呪術に欠かせないもので、神々《アクア》の力を呼び込むため、体じゅうに描いたり刻んだりしている。
男たちはみんな、木とサメの歯を組み合わせた武器を持っていた。そして、南国の青空に似合わない沈んだ顔をしてる。
カイが進み出て、アタシたちの姿を上から下まで観察した。
「オマエたちも武人か? 腕は立つのか?」
「はい、そうですよー」
「ならば、手合わせ願えるか?」
「おう、やってやろうじゃん」
カイは満足そうに笑った。長である父親に向き直る。
「父上、彼らの腕を見たい。彼らが村の者よりも強いならば、クーナ退治にはオレと彼らで当たりましょう」
村の男たちがどよめいた。三十人くらいいるけど、長やカイと違ってやせ型で弱そうだ。そのうちの一人、カイの友達っぽいキャラが口を開いた。
「よそ者にヒナの命運を預けて、アンタは納得できるのかい? そりゃあ、オイラたち漁夫じゃあ戦力なれないよ。でも……」
「よそ者だろうがなんだろうが、戦士がここにいる。これは天地万物の神のご意向、祖先の御霊の思し召しだ。ヒナのために、必ずクーナを討ち取らねばならない」
やせた男たちは顔を見合わせて、うなずいた。
ニコルがアタシとラフに確認した。
「次のセリフをスクロールさせたら、バトルスタートみたい。ザコキャラ三十人、任せちゃっていい? ここでスタミナ消費したくないから」
「おう、任せとけ。な、お姫さま?」
「そうね。殺しちゃったらペナルティよね? 素手でやるわ」
村の広場がバトルフィールドだった。
久々にこんなザコと戦ったわ。感心するくらい弱かった。アタシとラフが強すぎるって説もあるけど?
三十人全部を倒したら、カイがアタシたちに敬礼した。
「お三方の腕前、しかと拝見した。どうかお力をお貸しいただきたい。もちろん、報酬は用意させていただく。この名もなき村で用意できるものなど、たかが知れているが」
バトルでは何もしなかったくせに、ニコルが真ん中に立った。
「お引き受けします。この村のトラブルを解決しなきゃ、もとの時代に戻れないんだろうし」
現実の世界だったら絶対に避けるリスクでも、ゲームの世界だから、むしろ望んで引き受ける。困ってる人がいて、ユーザがそれを助けるヒーローになって、そうやってストーリーは進められていく。
「ピアズの世界は、非現実的にお人好しな展開の話ばっかりよね」
ラフは、傷のあるほっぺたで笑った。
「古典的なRPGはそういうもんだからな」
「知ってるけど。でも、お人好しすぎるストーリーを演じてると、やっぱり、ときどき違和感を覚えるわ」
「お姫さま、今日、冷めてないか?」
「別に」
ニコルはおかっぱの銀髪をサラッと揺らして、小首をかしげた。
「先、進めるよ?」
「いいわよ」
カイの話によると、村は今、危機的状況らしい。
「巫女のヒナがさらわれてしまう。そうなっては、村は道しるべを失うんだ。潮の満ち引きも、天気の移り変わりも、災害の訪れも、巫女なくしてはひとつもわからない」
アタシたちはヒイアカの呪術で古代に飛ばされてる。フアフアの村はリゾートっぽく、にぎわってた。ネネの里でさえ農業をやってて、暦や文字を持ってた。ここ、「名もなき村」は全然、文化レベルが低い。カロイモやバナナみたいな主食すら見当たらない。
名もなき村はつねづね、「荒くれ者の海精クーナ」という存在におびやかされてるらしい。
たとえば、クーナの機嫌が悪いときに村人が漁に出たら、嵐を叩き付けられて、舟をひっくり返される。巫女が禁忌《カプ》だと言い渡した日に海に近付いたら、禁忌《カプ》をおかす者を高波がさらっていく。
村の巫女である「月の美少女ヒナ」はある日、祈りの庵でおぞましいお告げを受けた。
「次の下弦の月が上るころ、海精クーナが巫女ヒナをイケニエとして連れ去るであろう」
クーナは、下弦の月の晩には「海に落ちた星のような石」を抱いて、必ず姿を現す。その石っていうのが、つまり、ホクラニのことだ。
ただでさえ強大なクーナが、下弦の月の晩にはさらに凶暴になる。ホクラニがクーナに神の力を授けるんだ。その力を使って、巫女ヒナにまで手出しようとしてる。
お告げを聞かされたカイは、我慢の限界だった。クーナ討伐を決めた。
「そういうわけで、オレたちの協力が必要になったってわけか」
「頼む、旅の戦士たちよ。クーナを倒し、ヒナを救いたいんだ」
必死な顔。まあ、要するに。
「ヒナって子のことが好きなのね?」
「お、オレとヒナは、お、幼なじみなんだ。ヒ、ヒナは巫女で、けがしてはならない存在だから……そ、そう、ヒナは村に必要で、皆に慕われていて……っ」
ふと、少女が一人、しずしずと歩いてくる。
青みがかった銀色に輝くストレートヘア。大きな目も、髪と同じ色。月の光にも似た髪と目と対照的に、肌は日に焼けている。不思議な雰囲気の美少女だ。
華奢な体に白い服を着た彼女は、ふわっと微笑んだ。
「初めまして、旅のおかた。ワタクシはヒナと申します。カイに呼ばれて、こちらへ参りました」
ラフはノーリアクション。ヒナはキレイな子だけど、胸がないから。
ニコルが単刀直入に尋ねた。
「アナタはイケニエになるのが怖い?」
青白いはずのヒナの両目に、真っ青な星がきらめいた。ほっぺたと唇が、ほんのりと染まった。生き生きとして、かわいくなった。
「怖くはありませんわ。ワタクシの身と引き替えに、海精は村の安泰を約束しているのですから」
カイとヒナの話を聞いた後、アタシたちは、思ったことや感じたことを交換し合った。
「ヒナは絶対、何か嘘をついてるわ」
「一方で、カイは単純な男に見えるぜ」
「海精クーナって、やっぱり手強いんだろうね」
方針を話し合う。予言された下弦の月の夜は、明後日だ。
「下弦の月まで待たなきゃいけないのかしら?」
「ホクラニ発動より前に敵と戦えたら、設定上、だいぶ楽なんだよな」
「うん。で、これからボクたちはどう動こうか?」
「アタシはヒナの様子を探りたいんだけど、アンタたちは?」
「オレはカイの腕試しを受けることになってる」
「じゃあ、ボクは村の食事事情その他を調査してくるよ」
一時間後に再集合することにして、いったん解散。
休憩用に貸し与えられた小さな掘っ立て小屋を出て、アタシは海に向かった。
夕日が水平線に落ちていく。世界じゅうがキラキラした橙色に染め上げられている。寄せて返して砕ける波は宝石みたい。一瞬で砕け散る、儚い宝石。
「夕日って、どうしてあんなに大きく見えるのかしら?」
いつ見ても、不思議になる。その錯視のメカニズムは今でも解明されてないから。
人類の進化なんて、きっと、とっくに止まってる。人間は、賢いと勘違いして発展しすぎた未熟な生き物だ。たくさんのものを見落としながらここまで来たんだと思う。
簡単で便利なものに価値が与えられる世界だから、難しくてめんどくさいアタシは居場所を持てない。それはたぶん、平和な世の中のカタチだ。平和で、だけど最低なカタチ。
ピアズは現実よりマシなカタチをしてる。だって、アタシはここにいる限り、そのままのアタシでいられるから。
言葉が出てこない苦しさを、こっちの世界では味わうことがない。アタシにとって、それはとても大きな驚きだった。嬉しい驚きだったんだ。
こっちの世界の匂いって、どうなんだろ? 海には、どんな匂いがあるんだろ? よく動き回るラフは、やっぱり男っぽく汗くさいの? ニコルの作る料理の匂いは、きっと食欲を刺激するのよね?
歌が聞こえた。
わらべ歌みたいだ。おばあさんと小さな子どもたちが、波打ち際で網を修理しながら歌ってる。
海のまやかし 青い色
波の下から 牙をむく
ねんねしない子 どこにおる
早く寝なされ 寝なければ
ねんねしない子 さらわれて
青い夢見て 海の底
ちょっと悲しげなメロディの、素朴な歌だ。初めて聴くのに、なんとなく、なつかしい。ラフやニコルも村のどこかで聴いてるかしら? 悪くない歌よ、って伝えてやりたい。
アタシは夕日の風景の中を、ヒナの住む庵へ向かった。
ヒナは、黒い布で髪を覆った。白い服を脱ぎ捨てて、木皮《カパ》のドレスを身にまとう。地味な色合いが、神秘的な巫女の姿を包み隠す。
周囲に人影がないことを確かめて、ヒナは庵を抜け出した。砂浜を走る。すでに日が落ちて、薄暗い。
村の外れで砂浜は途切れた。黒々とした岩がゴツゴツと重なり合っている。
この「黒岩の瀬」には伝承がある。二匹の巨大なサメが互いを食らい合って、ともに力尽きた。その死骸が、黒岩の瀬になったという。村の者たちは、この瀬に近付かない。神がかったサメの祟りを恐れている。
ヒナは身軽に黒岩を上った。黒岩の瀬には一つ、洞穴の口が開いている。ヒナは洞穴に入っていく。魔力を帯びた洞穴は、ポゥッと明るい。
「海精クーナよ、ヒナが参りました」
ヒナが呼ぶと、彼は潮だまりの中から体を起こした。
晴れた日の海みたいな青い体。その全体に浮かび上がる白い波の紋様。スラッとして神秘的な、キレイな男だ。脇腹には痛々しい傷跡あった。
彼が、海精クーナ。
クーナはヒナに微笑んだ。
「無理をして来ることもないのに。村の者に気付かれたら、オマエの立場まで危険になるのだよ」
低く優しい声。
ヒナは首を左右に振って、クーナの青い体に抱きつく。髪を覆う布が外れた。青みがかった銀色の髪がサラサラとあふれ出す。
「アナタに会わずにはいられません。ワタクシはもう、アナタがいなくては生きていけないのです」
「ヒナ……」
「一年前、この洞穴で、傷を負ったアナタと出会いました。傷の手当てをするうちに癒されていったのは、ワタクシの心でした。ひとりぼっちだったワタクシは、アナタのおかげで心を得ました」
「オレも同じだよ」
「明後日の夜が待ち遠しいです。ようやく、ワタクシは巫女の立場から解放され、アナタの妻になれるのです」
クーナがヒナを抱き寄せた。見つめ合う目が近付いて、二人の唇が重なる。クーナの手が、そっと動いた。ヒナの木皮のドレスが、はらりと落ちる。
こっそりと、クーナは視線を上げた。
青い光を放つまなざしで、クーナはアタシに微笑みかける。切なくて優しい顔をして、クーナは、声なき声でアタシに訴えた。
見逃してくれぬか?
オレとヒナは、愛し合っている
ヒナの孤独を、オレはなぐさめたいのだ。
すっとディスプレイが暗転した。自動的にクーナとヒナを映し出していたカメラワークがもとに戻って、アタシに焦点が当てられる。
アタシは黒岩の瀬の入り口で立ち尽くしていた。
「つまり、クーナとヒナはデキちゃってて、ヒナはイケニエとして殺されるんじゃなくて、イケニエなんていうのはクーナの嫁になるための作戦で。じゃあ、アタシたち、クーナと戦わないほうがいいの?」
ちょっと考える。
それから、ハッと気が付いた。そろそろ待ち合わせの時間だ。
アタシは駆け出そうとした。とたんに、グラッとした。慌ててパラメータボックスを確認する。
「軽度の状態異常? なにこれ? クーナのテレパシーが麻痺の効力でも持ってたの?」
まあ、この程度なら、ほっときゃ回復するでしょ。
アタシはちょっとふらつきながら、村に戻った。
ラフはカイから話を聞き出していた。
「カイは三人の兄貴をクーナにやられてる。漁の禁忌《カプ》の日に海へ出た罰だったみたいだけど」
「自業自得じゃないの」
「でも、カイにしてみりゃ、クーナは兄貴の仇だ。で、一年前、村の力比べで優勝した日、カイはクーナに勝負を挑んだ」
「結果は?」
「引き分け。カイはクーナの土手っ腹に槍を打ち込んだ。でも、とどめを刺す前に海から陸へ放り出されて、戦闘不能。クーナは槍を口にくわえて引っこ抜くと、どこかへ逃げ去った」
ちょっと待って。今、変なこと言わなかった?
「口にくわえて引っこ抜く?」
ラフはうなずいた。
「クーナは巨大なウナギの姿をしているんだそうだ」
「ウナギ? って、にょろにょろした魚よね?」
ニコルがアタシを見上げて小首をかしげた。
「お姫さま、何か気になることがあるの?」
「アタシ、さっき、ヒナを尾行してたの。ヒナは村の外れの洞穴に入っていった。そこでクーナと会ってたのよ」
「会ってたって? デート?」
「ま、まあ、そんなもんだとは思うけど」
デートなんて軽い言葉じゃなくて、もっとキレイで切ない光景だった。
ニコルは重ねてアタシに尋ねた。
「大ウナギと美少女の、デート?」
「違うわ。クーナは大ウナギじゃなかったわよ。青い体をした男だった。ヒナとお似合いの美形だったわ。ヒナは、イケニエじゃなくて嫁になるんだって楽しみにしてた」
ラフが、ふと硬い声で言った。
「シャリン、こっち向け」
「なによ?」
「……なあ、ニコル?」
「うん。おかしいね」
なんなのよ? って訊こうとした、そのとき。
「黒岩の瀬の洞穴にヒナがいるのか?」
いつの間にか、カイがそこにいた。槍を持った腕がわなわなと震えている。
止める間もなかった。カイは黒岩の瀬のほうへと駆け出した。
「うわぁ、修羅場になっちゃうね」
「修羅場って……まあいいわ。とにかく行く。アタシは、カイのほうこそいけ好かないと思うわ」
アタシはカイの後を追って駆け出した。ラフがアタシを呼び止めようとする。
「待てよ、お姫さま! その目の色……ああもう、聞けってば!」
結局、ラフもニコルもアタシの後ろから走ってきた。
洞穴の入り口で、アタシたちはカイに追いついた。
クーナは洞穴の中に立って、静かな目でカイを見つめている。迫力と闘志は圧倒的だった。
カイは吠えるように言った。
「ヒナを返せ!」
木皮《カパ》のドレスのヒナが、クーナの背後でビクッとする。クーナは低い声でカイに問いかけた。
「返さぬ、と言ったら?」
カイは槍を構えた。
「バトル、来そうだな」
ラフが双剣を抜いた。ニコルが杖を振るってバトルモードに変換する。
「ま、待ってください!」
ヒナがクーナの前に立った。大きな目は真っ青な光に満ちている。晴れた海のように青い光。
カイは構えを解かない。
「どけ、ヒナ。その大ウナギを倒してやる」
この流れ、イヤだ。アタシはラフたちとクーナの間に割り込んだ。
「ウナギじゃないわよ。ヒナの話を聞いてやって。分岐、間違えてるんじゃないの? クーナとは戦わなくていいはずよ」
ひゅっ、と、空気が鳴った。
え?
アタシのあごの下に、剣先。ラフだ。双剣のうちの一方をアタシに突き付けてる。
「下がっとくかクーナと戦うか、選んでくれ」
「な、なによ、わからず屋っ」
「選んでくれ」
「クーナは人の姿をしてるの。アタシが見聞きしたこととアンタたちが集めた情報、食い違ってる。このままじゃ気持ち悪いわ。戦うなら、どっちが正しいかハッキリさせてからにしてよ」
ラフが危険そうに目を細めた。ゾッとする。この体勢じゃ、逃げることも反撃することもできない。
「お姫さまは戦線離脱だな。バトルが終われば、自分がまやかしにやられてることもわかるよ」
「まやかし?」
「見ろ」
ラフは、双剣のうちのもう一方を掲げた。幅広の刀身にアタシの顔が映る。
「これ、なによ? どうして?」
アタシの目が青い。ヒナの目と同じ色。そんなはずない。アタシの目、ローズピンクのはずなのに。
「状態異常になってるぜ。表示、気付いてたか?」
「気付いてたけど」
思いがけない声に、名前を呼ばれた。
「シャリン、オレに答えろ」
クーナだ。
アタシはクーナを見た。切なさの色をした青い目。神秘的なグラフィックに、呑まれる。
「クーナ、なに?」
アタシが応えた、その瞬間。
青い光が視界いっぱいに弾けた。
「きゃっ!」
強引な魔力がアタシの体を拘束した。一瞬のうちに洞穴の天井近くまで吊り上げられて、動けない。
ラフがアタシを見上げた。
「やっぱ、やられちまったな。青いまやかしのおとぎ話を聞かなかったか? 大人の言うことを聞かない悪い子は、青い目をした人さらいに魔法をかけられちまうんだぞ」
「そんな」
ニコルがアタシに杖の先を向けた。緑色の石が光る。状態解除の呪文だ。でも、ダメ。効かない。アタシの状態異常は治らない。
「あーらら。やられちゃったね。一定時間が経過したら、動けるようになるよ」
「一定時間って、どれくらいよ?」
「経験則で言うと、束縛の効力は八分から十分ってとこかな。お姫さまは魔力値が高くないから、もう少し長いかもね」
ニコルはヒナを見た。ヒナは全身から魔力の気配を漂わせている。
「旅のおかた、お願いいたします。武器を下ろしてください」
「巫女さんってことは、補助魔法を使ってくるタイプかな。ボクが言うのもなんだけど、補助系を使われると面倒なんだよね。邪魔しないでね」
ニコルは、テニスのサーブのフォームで、左手のツタの葉を右手の杖で打ち出した。宙を飛びながら、ツタが生長する。ツタはヒナの体を縛り上げて、洞穴の壁に貼り付けた。
ラフは身をひるがえした。クーナに向けて二本の大剣を構える。
「さぁて。男だけのガチンコ対決といきますか」
「よかろう。武を以て語るのみだ」
クーナは青い両腕を頭上に差し伸べた。何もない宙が凝り固まって、だんだんと形を持つ。長大な槍が出現する。
アタシは声を張り上げた。
「待ちなさいよ! ねえっ! こういう展開ならアタシも戦わせてよ! アタシが戦える状態になるまで待って!」
でも、カウントダウンは進んだ。
3・2・1・Fight!
バトルが始まってしまった。
カイの槍は、クーナと数回打ち合っただけで折れてしまった。クーナの当て身に、カイは吹っ飛ばされる。
ラフがクーナに突進する。
「くらえっ!」
全身で横向きに旋回しながら、斬撃。
“stunna”
クーナは長槍を振るった。変幻自在な軌道。ラフの双剣が巻き上げられて、弾き飛ばされる。
「マジかよ!」
隙のできたラフの側面に、クーナの蹴りが叩き込まれる。寸前、ラフが防御をとった。ダメージは深くない。
「ラフ、援護入るよ!」
ニコルはツタの鞭を繰り出した。ツタの鞭がクーナの左腕をからめ取る。
クーナは冷たい目でニコルを見下ろした。腕を引く。ニコルの体が引きずられる。
「あらら? 最大まで重量アップしてるのに、この重さでも動かせるの? そのキャラデザで馬鹿力とか、やめてよぉ」
カイは、折れた槍でクーナに打ちかかった。クーナは片腕だけで、無造作に長槍を操った。カイが肩口に大ダメージを受ける。戦闘不能が表示される。
ニコルはクーナの左腕を封じるので精一杯。二度、三度と、ラフが攻撃する。
ラフの攻撃は、大剣に体重を乗せて繰り出される。一撃一撃が重い。それなのに、クーナには余裕がある。右腕だけで長槍を繰り出して、ラフの攻撃を受け流す。
「ひっでーな、このバトル。お姫さまが入れねえ上に、このウナギ、強すぎんだろ」
「ここにヒナの補助魔法が入ってたら、ヤバかったね。何か攻略法はあると思うんだけど」
「動きは速いわ、皮膚はぬめるわ、厄介だな」
「一般論で言えば、ウナギは目打ちしてさばくんだけど。そうそう、軍手が必須だね」
ラフとニコルには、クーナの姿は、やっぱりウナギにしか見えないんだ。
ヒナの悲痛な叫びが洞穴に響き渡る。
「やめて、やめてくださいっ!」
クーナは、ニコルのツタに囚われたヒナを見た。にっこりする。青い肌をした、キレイな男の姿で。
「案ずるな、ヒナ。ふさわしい結末が用意されているから」
ラフがクーナから間合いをとった。
「気取ったセリフ吐いてんじゃねえよ。ウナギの化け物のくせして」
ニコルが口を挟む。
「あのねー、ラフ。南太平洋の伝説や神話では、ウナギ、よく出てくるんだよ。ウミヘビとかヘビで語られることもあるけど、ヘビがいない島ではウナギのほうが一般的みたいで」
「だあぁっ、もう! 今はそんな豆知識、どーでもいいだろ! ってか、さっさと片付けねえと、タイムオーバーになるぜ」
「そういえばそうかも。今日はボス戦まで行くつもりなかったのに、カイの暴走に引きずられちゃったから、四時間制限のタイムリミットが近いんだよね」
ラフが、だらりと両腕を垂らした。
「じゃ、まあ、仕方ねえか。さっさと終わらすには、これがいちばんだよな」
アタシはハッとする。
「待って!」
「どうして?」
「使ってほしくない」
「しゃーないだろ? お姫さまはそこから動けないんだし」
ラフの黒髪がザワリと波打った。ブーツの足下から不穏な風が湧き立つ。
ミシリ。
一瞬、ステージそのものが軋んだ。稲光が走ったように見えた。
画像の乱れ? 胸騒ぎがする。
「なによ、今のは?」
ラフがざらついた声で答えた。
「オレの存在がフィールドのCGに干渉シたンだ。バグだかラさぁ……オレのスキル。呪いって、本当ハこノ世界で承認サレチゃイケネェんだヨ」
ラフは目を閉じた。
ミシリ。
ステージのCGが再び軋んだ。バトルのBGMが流れを止めた。クーナやヒナやカイが数秒、フリーズする。
これって、本格的にヤバいんじゃないの?
ラフが身じろぎする。稲妻みたいな白い光が無数に走る。ザラザラとした雑音が聞こえる。AIキャラたちの動きが飛び飛びになる。
アタシは叫んだ。
「ねえ、待って、ラフ! もう少しだけ待っててよ! アタシも戦うから、この束縛が解けるまで持ちこたえてて! 呪いを発動させないでよ!」
ラフは目を開いた。
「……遅ェヨ」
黒いはずのラフの目が、まがまがしく赤く光っている。ラフの端正な顔が、変わる。狂気的に開いた口元。牙がのぞく。
首筋からお腹まで、びっしりと、赤黒い紋様が燃えるように輝いた。
ラフは笑った。野獣の雄叫びみたいなノイズが、重なって聞こえる。再開したばかりのBGMが掻き乱されて、濁った。
ミシリ。
ラフの全身を、パリパリと小さな稲妻が包んでいる。違う、稲妻に見えたけど、あれは違う。画像のひずみが光って見えるだけ。
壊れかけてる。
二本の大剣が重さを失ったかのようだった。ラフは跳んだ。高い高いジャンプから、二つの刃を打ち下ろす。
斬撃を長槍で受け止めたクーナは顔を歪ませた。双剣の勢いを防げない。ラフの剣がクーナの肩に傷を付ける。
「ラフ、グッジョブ!」
ニコルがツタの葉っぱを投げた。ツタがクーナの傷口に入り込む。メリメリと音をたてて、ツタは宿主に寄生する。
「やめてぇっ!」
ヒナが泣き叫んだ。
ラフが暴れる。右から左から、無秩序な斬撃。らんらんと赤く光る目。狂気的な高笑い。
「ハハ、アハハハッ……!」
巻き添えを食いかけて、ニコルがバトルフィールドから下がった。
クーナが傷付いていく。ダメージ判定。ヒットポイントの減少、減少、減少。
長槍の穂先が飛ぶ。二の腕に斬撃が入る。胸の筋肉が裂ける。脇腹を刃がこする。
血しぶきの代わりに、青い光がクーナの全身からこぼれる。ニコルの植え付けたツタが、肩の傷を押し広げながら、つるを伸ばす。つるがクーナの首を絞め上げた。
穂先を失った長槍が黒岩の地面に転がった。クーナの胸の傷口から、輝く球体がこぼれ落ちた。ホクラニだ。
「オレは、まだ……」
クーナはホクラニに手を伸ばした。ニコルのツタがホクラニを横からさらった。
「もらってくよ。後はクーナを倒すだけだ」
ニコルのつぶやきに応えるみたいに、ラフは吠えた。吠えたっていうか、何かしゃべったのはわかった。でも、ノイズがひどくて聞こえなかった。
ラフがクーナを追い詰めていく。ラフのスタミナポイントも、クーナのヒットポイントも、あっという間に減っていく。
拘束されたアタシは、ただバトルの行方を見つめている。ボロボロになっていくラフとクーナを見つめている。
唐突に実感した。ピアズの世界にも死という概念は存在する、ということを。一般ユーザが使うアバターに死が訪れない、というだけで。
「こっちの世界でも、死ぬんだ」
ストーリーに編み込まれたクーナは最初から、死すべき存在としてここにいる。そして、ラフは死を背負ってる。どうしてだかわからないけど、ユーザがそれを望んだから。
ただのゲームなのに、目の前にチラつく死が、アタシにはつらくてたまらない。
クーナの目が、震えながら見開かれた。クーナはヒナを捜す。まなざしに、悲しく寂しい色をたたえて。
「ハハ、死ネ! ァハハハッ!」
濁った声で笑って、ラフはクーナの体に双剣を突き立てた。幅広の刃をぐりぐりと動かして、一息に引き抜く。青い光が、どうしようもなくあふれ出る。
クーナの体がくずおれた。静かな目がヒナを見つめる。男の唇が微笑んで、動く。あ・い・し・て・る。
海精クーナは死んだ。
アタシの束縛が解けた。そして、アタシは見た。人間の身長の五倍はありそうな、巨大なウナギの姿を。
「まやかし、だったの……?」
ニコルは、疲れ果てたように座り込んだ。
「特定のイベントを目撃したら幻術にかかっちゃうっていう仕組みだったのかもね。何か見たんでしょ? 運が悪かったんだよ、お姫さま」
ラフはウナギの体に足をかけて、大剣を引き抜いた。反動で尻もちをつく。
「でぁー、けっこうキツかった!」
いつものラフだった。
ツタから解放されたヒナは、大ウナギの頭のほうへ駆け寄った。
「ああ、クーナ……」
クーナの姿は、ヒナの目にはどんなふうに映ってるんだろう? ヒナはためらうことなく、大ウナギの頭を抱きしめた。静かな涙がとめどなく流れる。
ぐにゃり、と世界が歪んだ。ラフの呪いみたいな乱れじゃなくて、キッチリとプログラムされた歪み方で。
「元の時代に戻るのか?」
ラフの問いかけに、どこからか、ヒイアカの声がする。
「皆さま、お疲れさまでした」
アタシたちは時空の歪みに放り込まれた。