ふと、訊いてみたくなった。
「おにいちゃん」
「ん?」
「なんでヘルパーの仕事してるの?」
「なんでって……まあ、縁というか」
「どうして? 昔は役者に憧れてたんでしょ。大学時代は工学部でプログラミングをやってたんでしょ。どうして今、ヘルパーなの?」
 答えを聞かせてほしいのは、あたしが自分自身のための答えを持ってないからだ。
 おにいちゃんはグラスの水をちょっと飲んだ。
「役者には、今でも憧れてるよ。アマチュアの劇団にでも入りたいなって思ってる。まあ、時間的に厳しいけど。高校時代にはね、大学に入ってやりたいことが三つあったんだ」
「三つって?」
「演劇、ゲーム作り、細胞の研究」
 初めの二つは、おにいちゃんが実際に大学時代に打ち込んだこと。三つ目は初めて聞いた。どうして、細胞の研究?
「麗、ジャマナカ細胞って知ってるだろ?」
「肉体のどの器官に移植しても、移植先の細胞と同化する。そして、もとの器官のダメージを補修する。そういう先端医療に役立つはずの人工細胞でしょ?」
 ジャマナカ細胞は、万能細胞と呼ばれるものの一種だ。
 普通、細胞は「体のどの器官の元になるか」が決まっている。つまり、役割が決まっている。でも、「体のすべての器官になりうる」細胞もある。それが万能細胞だ。
 二十世紀の終わりごろには、人間が万能細胞を作れるようになってた。薬の効きを試す実験では、万能細胞が有効に利用されている。
 でも、二〇五二年の今もまだ、医療現場での実用化には至っていない。もうすぐそれが可能になるって噂されて、十年以上たっているはず。
「響告大学の医学部は昔から、万能細胞の研究で世界的に有名だ。最近は、ジャマナカ細胞の養殖技術も完全に安定してるらしい。ぼくはあの研究に憧れてたんだ。きっかけは、子どものころに読んだ伝記マンガっていう、他愛もないものなんだけどさ」
「それなら、なんで工学部を選んだの?」
 おにいちゃんはあたしの質問に苦笑いした。
「工学部を選ばざるを得なかったからね。頭の良し悪しの問題でさ。天下の響告大医学部に通るほど、ぼくは頭がよくないよ。工学部でもギリギリだったんだ。万能細胞をやってる別の私大には落ちたし」
 やりたいことをあきらめる理由って、単純なのね。偏差値だけが問題だったなんて。
 おにいちゃんは笑顔を作り直した。
「でも、工学部でプログラミングを勉強できてよかったよ。ゲーム作りを満喫できたし、いい仲間にもめぐり会えた。なあ、麗」
「なに?」
「能力的に限界があるぼくと、麗は違う。麗はどんな道でも選び放題だ。やってみたいことや好きなことをしっかり見極めて、進みたいほうへ進むといい。ぼくは全力で応援するよ」
「選び放題? そうなのかな」
 じゃあ、どうしてあたしは今、憂鬱な場所から動けないの? 動いちゃいけないの? あたしはどうすればいいの?