きみと駆けるアイディールワールド―赤呪の章、セーブポイントから―

 今年は、西暦二〇五二年。SNSを利用した犯罪が相次いで大量の逮捕者が出たのは、二十七年前のこと。あたしが生まれる十年前だった。
 そのときの法的措置はとても厳しかった。粛清っていっていい。インターネットを活用したビジネスは潰滅。コンピュータゲーム産業も、もちろん完全にすたれた。
 以来二十五年間、市場に出回るゲームは、すべてオフラインだった。インターネット回線による通信システムは、全面禁止。家庭用ハードウェアと家庭用ソフトウェアで完結する「ハコ型」のみOK。
 特別認可オンラインRPG『PEERS' STORIES《ピアズ・ストーリーズ》』が配信解禁となったのは二年前のことだ。

LOG IN?
――YES

 ピアズは、オンラインゲーム業界再生のための第一歩。二度と犯罪を蔓延させてはならないから、管理体制は徹底している。
 オンライン本編のプレー時間は、一日四時間まで。最初のダウンロードにだけ料金が必要で、それ以外の本編での課金は、制度そのものが存在しない。
 システムエラーが少ないのもピアズの特徴。プロのエンジニアが全力でサポートしてるらしい。ピアズ内の治安維持は法律系のエキスパートが担当してる。
 基盤産業の希薄な日本が生き残りをかけて展開する国家プロジェクトが、コンピュータゲームだ。外国に先駆けてオンラインゲームを解禁したのも、その一環。

PASSCODE?
――****************

OK! ALOHA, SHA-LING!

 画面の中に現れたのは、アタシ。オーロラカラーのツインテールを揺らす少女剣士、シャリンだ。
 あたしは唇の両端にリップパッチを着けた。リップパッチはマイクの集音器であり、同時に、口元の表情をアバターと連動させる装置でもある。あたしが笑えば、シャリンも笑う。
 戦闘コマンドは、音楽系ゲームと同じシステムだ。かなり変わってる。ピアズの開発者の趣味らしいけど。
 バトルに使うのは、八つの矢印。上・下・左・右の四方向と、それを四十五度回転させた斜め四方向。
 バトルが始まると、画面手前に小ウィンドウが開かれる。リズムとフレーズに合わせて矢印が降ってくる。小ウィンドウの下にある「ヒットライン」に達する瞬間、タイミングよくコマンドを入力する。
 リズムの正確性が大事なの。スキルが成功するか失敗するか、どれだけの威力を発揮するか、それを決定するのはリズム感と指先のテクニック。
 高度なスキルを発動させるには、高度なテクニックが必要になる。初歩的なスキルはBPM120。つまり行進曲のスピード。上達しても、大抵のユーザの限界はBPM220くらい。それ以上になると、もう矢印を目で追えない。
 あたしの視覚は人並み外れている。特異高知能者《ギフテッド》としての能力だ。あたしなら、BPM400のロングフレーズも完璧に視認できる。もうすぐBPM480の新スキルも出るんだって。楽しみ。
 手慣れたコマンドを入力すると、シャリンの剣が鮮烈な光を発した。オーロラカラーの髪が、キラキラと、ひるがえる。ローズピンクの目が輝いて、小さな唇が口角を上げた。
 跳躍。七閃する剣光。
“Wild Iris”
 うん、いつもながら調子は上々。
 では、いざピアズの世界へ。あいつらが待つ、冒険の島へ。
 ホヌアの中央台地、東部。荒野と草原が交互に現れて、モザイク模様になっている。
 北部の高山から吹き下ろす風は気まぐれだ。乾燥しきっているかと思えば、急に、雨や霧を連れてくる。
「ここが、ネネの里なの?」
「小さな村だね」
 カロイモとサトウキビの畑が広がっている。ブタを飼ってるのが見える。木の実や果物を採っている村人がいた。
 里の代表として挨拶したのは、若い男だった。優しそうっていうか、気弱そうな印象だ。
「このようにひなびた里に、ようこそおいでくださいました。ワタシはクラと申します。長の代理を務めております」
 少年って呼んでもいい見た目で、むき出しの上半身は細く引き締まってる。でも、戦士の体つきじゃない。職業としては「農夫」なんだと思う。こんな村の住人だし。
「さっそくだけど、ヒイアカのホクラニを返してちょうだい。って言っても、クリアしなきゃいけない条件があるんでしょうけど?」
 ステージに登場するキャラクターは、AIだ。プログラムのとおりに動いて、しゃべる。アタシが口を開いて会話を促す必要はなくて、ニコルのユーザがボタンを押せば情報が聞き出せる。
 実際、アタシは今までAIとしゃべったりなんかしなかった。淡々とボタンをクリックして、ストーリーを進めてた。
 でも、今は違う。ラフやニコルとは、声に出して会話しなきゃいけない。自然な流れで、AIにまで話しかけてしまう。
 クラはアタシの言葉に反応して肩を落とした。
「ヒイアカさまがご結婚なさること、そのご婚姻の儀にホクラニが必要となること。そうしたことはすでにうかがっています。ワタシたちネネの民も、ヒイアカさまのご結婚を祝福しております。すぐにでもホクラニと贈り物を持ってフアフアへ参りたいのですが……」
「ですがって、なによ?」
「ないのです。ホクラニがネネの里にないのです」
「ない?」
 クラは地面に膝をついた。すがるような目でアタシたちを見上げる。
「ネネの里にお預かりしていたホクラ、『神々《アクア》の星』は、盗まれてしまったのです。どういたしましょう? 皆さまのお力をお借りすることはできませんか?」
 ニコルは眉尻を下げて、お人好しな笑顔をつくった。
「盗難事件ね。そうきましたか。ここは『はい』しかないよね。ボクたちにお任せくださいよ、と」
 ニコルのユーザが選択に答えたみたい。クラの表情がパッと輝いた。
「なんとお心強い! 皆さま、感謝いたします。立ち話のままというのもなんです。ワタシの家へおいでください。ことのあらましを、もう少し詳しくお話しします」
 クラに引き連れられて、アタシたちは、里の奥にある長の家へ向かった。
 長の家っていっても、ずいぶん原始的だ。いわゆる、竪穴式住居。
 地面を掘って造ったかまどが真ん中にある。丸太の柱と、タケの枠組みと、茅葺きの屋根や壁。窓がないのは悪霊の侵入を防ぐためなんだって、ニコルが知ってた。
 クラは、一人暮らしではなかった。がっしりとした体格の男が家の隅で寝ていた。アタシたちの姿を見て、のそりと起き上がる。頭にも腕にも脚にも包帯が巻かれている。大ケガしてるみたい。
「戻りました、とうさま」
 クラは男の前にひざまずいた。男はアタシたちに視線を向けた。
「客人か? 旅の戦士どのとお見受けするが。ワシはネネの里の長だ。ケガを負って、体の自由が利かない。話はすべて、ワシの代理を務めるクラから聞いてくれ」
 くぐもった声で告げて、男はまた横になった。
 アタシたちは、かまどのそばのムシロの上に、輪になって座った。クラがアタシたちに尋ねる。
「まず、何からお話ししましょうか? 順を追って説明しようにも、ワタシ自身、混乱していまして……」
「ニコル、任せるぜ」
「そうね」
「了解。選択肢は三つあるんだけど、最初はやっぱりホクラニの行方について教えてもらいましょーか」
 クラは、ひとつ、うなずいた。
「ワタシたちネネの民は、ご覧のとおり、自然任せに生活しています。十七年前、ワタシが生まれた年に、大きな旱魃が起こったそうです。その際、ヒイアカさまはネネの里においでになり、ホクラニに祈りを捧げ、雨乞いの舞を舞ってくださいました」
 思わずアタシは口を挟んだ。
「ちょっとちょっと、十七年前から踊り子やってた? ヒイアカはいくつなのよ?」
「さあな? 神の血を引いてるらしいし、そのへんは自由自在なんじゃねえの?」
「実はオバサンってこと?」
「その言い方はねぇだろ」
「クラは十七なら、アタシと一緒だわ」
「お、マジ? 『中の人』の顔が見えないからってサバ読むなよ?」
「読んでないわよ、失礼ね」
 ニコルが苦笑いした。控えめなスマイルに、たらりと流れる汗のマーク。
「続き、話してもらっても大丈夫かな?」
「いいわよ」
 クラが再び動き出した。
「ヒイアカさまはホクラニをネネの里にお貸しくださいました。ホクラニは、人の願いを叶える貴石です。冷害や虫の害、流行病やモンスターの襲来……里を脅かすことが起こるたび、ワタシたちはホクラニに願いました。ホクラニは願いを聞き入れ、里を救ってくれました」
 ニコルが合いの手を入れた。
「それが盗まれたわけなんだよね。いつの出来事?」
「一昨日の晩、つまり十三夜月の晩でした」
「その状況、詳しく聞かせて」
「ホクラニの祠は、里の真ん中にあります。人が寝静まった夜中であっても、番犬たちは起きていたはずです。しかし、祠の番犬も家々の番犬も吠えませんでした。翌朝、気が付いたときには、ホクラニは消えていたのです」
 ラフが口を開いた。
「じゃ、番犬をたぶらかしたか眠らせたか。それとも内部者の犯行ってオチかな」
「ワタシたちがお預かりしていたのは、神々《アクア》の星です。神々《アクア》がホヌアの夜に集う望月のころ、最も強い力を発揮します。今宵は、その望月です。ですから、今宵にこそ、ホクラニを盗んだ者はその力を利用しようとするはずだと、ワタシは思っています」
「犯人の手がかりはないのかしら?」
 アタシの一言に、クラはハッキリと慌てた。
「こ、心当たりですか……それは、その……」
 ホクラニ盗難の情報はこれ以上、聞き出せなかった。
「コイツ、確実に何か知ってるよな」
「そうだね。まあ、次の情報を聞かせてもらおっか。長さんのケガについて、っと」
 クラはふるふると頭を振った。気持ちを切り換える仕草みたいだった。
「皆さんはこれまでにモオキハと戦ってこられたでしょう? 大トカゲの姿をしたモンスターです。あの大トカゲのことを、ホヌアの古い言葉でモオキハと呼びます」
「中央台地にゴロゴロいるアイツらのことね。ほんと、ヒットポイント高くて厄介だわ。派手なピンクのと地味な緑のと、二匹連れで出てくるとイヤになる」
「モオキハの繁殖期は、十二年に一度、訪れます。今年がちょうど、そのときに当たります。ですから、オスのモオキハは、メスの気を惹こうとしています。喉元から胸にかけて、鮮やかな色に変化させています」
「ふぅん。色違いがいるのは、そういう理由なのね」
「十二年に一度のこの時期、戦い方を知らない者は里の外へ出ません。若いオスはたいてい、年長のオスとの競争に敗れます。そのような若いはぐれ者は、とても凶暴なのです」
 ラフとニコルが顔を見合わせた。
「いやはや、モテない男はつらいよな」
「どこの世界も一緒だね」
 アタシはクラの話を先回りした。
「長のケガの原因は、はぐれ者と戦ったせいってわけね」
「先日、里の幼い兄弟が、言い付けに背いて森へ出掛けました。ネネの長である父は彼らを追いました。そして、はぐれ者に襲われた兄弟をかばって……体の強い父ですが、失血がひどく、一時は危なかったのですよ」
「痛ぇ話だな」
「父が言うには、森に居着いてしまったはぐれ者は本当に危険です。モオキハの中でも、最も大きく気性の荒いアリィキハ。あれが里を襲うことがあったら、ワタシたちには、打つ手がありません」
 クラの話はここで一段落した。
 ニコルはネネの里の買い物事情を尋ねた。
「旅の必要品、買えるの?」
「食品や薬を商う店、腕の立つ整体師の家があります。里の外れには温泉もあります。マップに書き込ませていただきますね」
 アタシはちょっとイライラして、ムシロの床を平手で叩いた。
「ホクラニ関係の話は、結局あれだけなの?」
 クラはビクッとして目を伏せた。
「……少し、考えをまとめたく存じます。夕刻に再びこちらへおいでください。『あのかた』はおそらく、今宵、動きを起こすはずですから……」
「あのかたって誰よ?」
 詰め寄ってみても、クラは黙っていた。
 クラの家から出ると、サトウキビを抱えたおばさんたちがいた。ニコルが愛想よく話しかける。おばさんたちは話し好きだった。
「おや、アンタたちが噂の旅人かい。ねえねえ、アンタたち、長に会ってきたんだろ? 長とクラはちっとも似てないって思わなかった?」
「クラは長の本当の子どもじゃないのさ。十二年前、隣の里がアリィキハにやられてね。ちっちゃかったクラだけが運よく逃げ延びて、長の養子になったの」
「クラはまじめで、いい人間だよ。ただ、長の地位を継ぐには、ちょいと頼りないね。男なんだから、たまにはガツンとやりゃいいのに」
「当人もわかってるみたいだけどね。でも、自分は長の代理に過ぎないって言って、あの人が帰ってくるのを待ちわびてるのよねえ」
「あの人ってのはね、長の血のつながった子どものこと。クラより一つ年上だっけ。頭もいいし体も強いし腕も立つし、やっぱり次の長はあの人よねえ」
「ちょうど一年くらい前に長とケンカして飛び出して、それっきり、どこ行っちまったのかしら? 早く戻ってきてほしいよ」
 噂好きのおばさんたちのおかげで、里の内情がいろいろわかった。さらに情報を集めようってことになって、アタシは、ラフやニコルと別行動をとることにした。
 一人になると、なんだかんだ言って、気楽だ。アタシは、シャリンの体で大きく伸びをした。
「……って、何やってるんだか。オーバーリアクションの癖がついてるかも」
 ラフやニコルとしゃべりながら、ゲームを進めるせいだ。作業クエでも、ひとりごとが増えちゃってる。いや、もともとひとりごとは多いほうだけど。
「あ、そうだ! 今のうちに、温泉に行っとこう!」
 温泉の効用って、ありがたい。ヘルスポイントもスタミナポイントも完璧に回復する。しかも女性キャラの特権として、一定期間、疲労しにくい体質になる。利用しない手はないでしょ。
 アタシは里の外れの温泉のほとりの茂みで、装備品を外した。軽量型の剣も、シースルーのマントとスカートも、ビキニタイプのメイルも。ついでに、ツインテールのリボンまでほどいて、オーロラカラーの髪を背中に流す。
「助かったぁ。さっき食事したけど、ネネの食材ってバランス的に偏りがあるのよね。完全には回復しなくて、参ってたの」
 乳白色の湯に体をひたす。たちまち、アタシの頬はピンク色にほてった。ちょっと色っぽいCGが、いい感じ。パラメータボックスを表示して、ゲージの回復を確認する。
 ごくらく、ごくらく。
 クラは、夕刻に長の家へ来いって言ってた。きっと、里での情報収集が終わったら夕刻になる設定だ。そして望月が空に上れば、ホクラニの力が発揮される。ストーリーが動く。
 ガサリ。
「ん?」
 大きなシダの葉っぱが不自然に揺れた。
 何かが、そこにいる……!
 アタシは、装備品を置いた茂みから剣をたぐり寄せた。湯けむりを透かして、物音のほうをにらむ。
 ガサッ、ガサリ。
「なんだっていうのよ? こんな人里のそばにモンスター? こっちは裸だってのに」
 剣の鞘を取り払って、ピシリと構える。こんなとこで、こんな格好で負けたら、いろんな意味で恥だわ!
 と。
「ちょっ、ニコル、押すな!」
「うわわわわっ!」
 ラフとニコル!
 葉っぱの影から二人が転がり出てきた。しぶきがあがる。温泉が波立つ。
「……アンタたちねぇ」
「な、なあ、聞いてくれ! これには深い理由があってだな……」
「男キャラにとってはねっ、温泉をのぞくイベントは、ゲージの回復が……」
「バカッ!」
 くたばれ、バカども!!
“Cruel Venus”
 アタシは、のぞき魔どもをまとめて温泉の外に叩き出した。
 結局ドタバタだった温泉帰り道、クラを見付けた。白い星形の花が咲く木の下だ。
 ぼんやりと花を見ていたクラに、アタシは声をかけた。クラは驚いた様子で、小さく跳び上がった。
「ああ、シャリンさまでしたか。すみません、考え事をしていました。シャリンさまは里の者たちと話ができましたか?」
「そうね」
「この花はプア・メリアといいます。子どものころ、ワタシはよくこの木のそばで遊んでいました。次の長になるべきあのかたがプア・メリアを好いていたので」
「家出しちゃったんでしょ、その人」
「あのかたが里を出て行かれたのは、長に反発してのことでした。ですが、二人の口論の原因はワタシの存在だったと思います。年月を重ねるにつれて、あのかたは、ワタシを遠ざけるようになられました」
「ふぅん。アンタ、いじめられてたの?」
「あのかたは、本当はとてもお優しいのです。故郷を失ったワタシを引き取るように、と長を説得してくださったのは、あのかたでした。ご自身も幼くして母親に先立たれておられますから、ワタシのことをほうってはおけなかったのでしょう」
 クラはプア・メリアの花びらに触れた。彫りの深い横顔が寂しそうにかげっている。
 足下に落ちた影が、いつの間にか、ずいぶんと長い。景色が橙色の光に染まり始めている。クラが言ってた「夕刻」だ。ストーリーが進み出した。
 クラは気を取り直すように、アタシに微笑みかけた。
「ワタシは一足先に、家に戻ります。皆さまもご準備ができましたら、ワタシの家へおいでください」
 一礼して、クラは歩き去った。
 入れ替わりに、アタシの視界に、不届き者たちの姿。
「ラフ! ニコル!」
 ビクリと固まる二人。アタシは突進した。もう一回、ぶっ飛ばしてやる!
 が。
「「先ほどは、どうも申し訳ありませんでしたっ!」」
 二人のほうが素早かった。華麗な身のこなしで、ジャンピング土下座。
「あ、謝って済むと思うのっ? リアルだったら犯罪よ? い、いくら、ゲームだからって、こんなの最低!」
「いや、あのさ、お姫さま。これはシステム的なことなんだけどさ……」
「システム? どーいうことよ?」
 ニコルが暴露した。
「男にとって、温泉をのぞくイベントはね、究極の料理を食べるのと同じだけの効果が得られるんだよね。料理には材料費がかかるけど、温泉をのぞくのはタダでしょ。だから、絶好のチャンスだと思って、ついつい」
「バっカじゃないの!」
「だけど、オレもニコルも初めて発動させたんだぜ。こーいう、のぞきイベント。今まで女性キャラクターとピアを組んだことがなかったからさ」
「あ、あっそう」
 初めてって言われた。それもそうかな。アタシのことをわざわざ追いかけてきた二人だ。
 ……違うから。別に嬉しくなんかないし。
 ニコルはうやうやしげにおでこを地面にこすりつけた。
「なかなかいい絵を堪能させていただきました」
「さ、最っ低ね。次があったら、承知しないんだからねっ」
 ラフとニコルは土下座したまま顔を上げた。めちゃくちゃ、にこにこしてる。屈託のない笑顔ってやつ。
 アンタたち、その美麗なCGでごまかそうとしてるでしょ。ほんとに反省してるわけ?
 松明を手にしたクラは、吹っ切れたみたいに淡々と告げた。
「ホクラニを盗んだのは、イオさまだと思われます。イオさまは長の実子。一年前に、ネネの里を出奔してしまわれました」
「その人が戻ってきたんだね?」
「今年は大トカゲ属の繁殖期です。イオさまは、里の様子をうかがいに、こっそ戻られたのでしょう。そして、里で最強の戦士である長が痛手を負ったと知った。だからイオさまは、ホクラニの力を利用してアリィキハを倒すことを決心されたのではないかと思います」
「なるほどねえ」
「イオさまであれば、ホクラニのことをご存じです。番犬も、イオさまにはなついていました。簡単にホクラニを盗むことができたでしょう」
 彫りの深いクラの顔に松明の火が映り込んでる。同じように、ラフの顔にも、ニコルの顔にも。
 少し沈黙が落ちた後、アタシは言った。
「で? 具体的に、アタシたちは何をすればいいの?」
「ホクラニを持っているのが本当にイオさまだとしたら、必ず今宵、望月の明るいうちにアリィキハ討伐を試みるはずです。ワタシはイオさまを止めたい。ホクラニの強い力を人間が扱うのは危険です。皆さま、よろしければ、ワタシと一緒に来ていただけませんか?」
「そりゃー、ここまで来て『いいえ』って選択肢はねえよ。な、シャリンにニコル?」
「そうね」
「うん」
 アタシたちの返事に、クラは深々と頭を垂れた。
 アリィキハの居場所は、長がヒントをくれた。
「里の北西にある森を目指せ。ワシがアリィキハと戦ったのは、その森のそばだった。近くまで行けば、アリィキハの足跡をたどれるはずだ」
 アタシたちは森に入った。
 アリィキハの爪痕はすぐに発見できた。大木の幹が深くえぐられている。薙ぎ倒された木もある。どんだけデカいのよ、こいつ?
 クラは松明で森の奥を指した。
「縄張りを主張するための爪痕でしょう。足跡は森の奥へと続いています。行きましょう」
 途中でバトルが発生した。
 クラは攻撃手段を持ってないけど、傷や毒を治す呪術を使える。畑仕事に鍛えられてるからスタミナはある。敏捷性も低くはないし、まるっきり役立たずってわけじゃないみたい。
 アリィキハが作った道は一直線だった。森の奥へ奥へ、アタシたちは進んだ。
 そして、森が切り拓かれた場所にたどり着いた。村の廃墟だった。雑草が生えた荒れ地。あちこちに、建物の柱の跡が遺されている。
 クラは松明を掲げて四方を見回した。呆然とつぶやく。
「ワタシがかつて暮らしていた里です……こんなに近い場所だっただなんて……」
 風が渡った。森がざわめいた。風に押されてクラはよろめいた。松明が土に落ちた。炎が弱くなって、でも燃え続けて、やがて消えた。
 満月の明かりが廃墟を照らしてて、不気味だった。
 ふと声が響いた。
「クラ、オマエは弱い。この場所に来れば、心が揺らぐに決まってる。ただでさえ戦い方を知らないってのに、そんなふうにボーッとしてんじゃ、ますます邪魔だ」
 女の声、だった。
 クラはハッと顔を上げた。
「イオねえさま!」
 ラフとニコルがのけぞった。
「ええっ? イオって、女なのか?」
 アタシは驚かないわよ。やっぱりねって感じ。
 プア・メリアの木のそばでクラが見せた表情は、切なそうで、寂しそうで。あれは、ロマンスの気配だった。
 よくあるシナリオだもの。アタシもそのあたりは推測できるようになった。
 でも、ラフとニコルが驚くのは仕方ないか。あの会話イベントを見逃したんだし。
 木立の間から現れたのは、野性味あふれる美女だった。女の人としては、背が高い。威圧的なくらいの巨大なバスト。胸と腰をほんのちょっと覆っただけの格好。太ももにベルトを巻いて、幅広の短刀を装備している。筋肉質な体つきをした女戦士だ。
 ラフが無神経に口笛を鳴らした。アタシはラフの足を踏んづけた。
「痛ぇな」
「いちいち気に障るのよ」
「妬くなって」
「ぶっ飛ばされたい?」
 女戦士イオは、背中の後ろに回していた右手を前に出した。輝く球体が、イオの右手にある。満月みたいな光。ホクラニ、神々《アクア》の星だ。
 静かな風が、光るホクラニから起こっている。風と光を受けるイオの黒髪がそよいでいる。
「オマエたち、命が惜しかったら立ち去りな。はぐれ者のアリィキハが、じきにここへやって来る。やつを誘うため、メスのモオキハの血を森の木々に塗りつけてきた」
 モオキハの血?
 ピアズはグラフィックとサウンドだけの世界だ。匂いはユーザには伝わらない。もしも匂いまでが感じられるなら、と想像して、アタシは気持ち悪くなった。森から廃墟までの間、モオキハの血の匂いに満ちてたはずだなんて。
 キシャァァァッ!
 突然、咆吼が夜の空気をつんざいた。
 パラメータボックスに“WARNING!”と、赤い文字が躍った。アタシと相手との体積比は計測不能。やっぱり、よっぽどデカいんだ、アリィキハって。
 ニコルはローブの袖から杖を取り出した。ぶん、と一振り。杖がバトルモードのサイズになる。
「逃げる暇なんてなさそうだよね」
 イオが舌打ちした。
「もう来たのか」
 そういう設定でしょ? でも、切羽詰まって闇をにらむイオのCGは、ゾクッとするほどキレイだ。
 ホクラニの輝きを、イオは見つめた。思い詰めた表情。イオは、ホクラニ、胸元に寄せた。
 オヘのホクラニもそうだった。胸の真ん中に入り込んでいて、オヘを狂わせてた。
 って、ちょっと待って! イオまで正気じゃなくなったら、ボスが二体になる!
 飛び出そうとしたアタシより先に、動いた人影がある。クラがイオの右の手首をつかんだ。
「おやめください! 人の子が神々《アクア》の力を操れるはずもありません! ホクラニに身を委ねては、ねえさまが壊れてしまいます!」
「アタイがどうなろうと、かまわない! あの化け物を倒さなけりゃ、ネネの里が危ない」
「いいえ。ねえさまがおられなければ、ネネの将来はありません」
「長の地位はオマエが継げばいい!」
「戦い方を知らないワタシは里を守れません。里にはアナタが必要です」
「手を離せ、バカ!」
 空いたほうの左手で、イオはクラの頬を叩いた。クラは少しよろめいた。でも、イオの手を離さない。
 キシャァァァッ!
 地響きが迫ってきた。森が悲鳴をあげている。眠っていたはずの鳥たちが一斉に飛び立った。
 巨大な頭が木立を薙ぎ倒しながら、廃墟のフィールドに現れた。続いて、全身が出てくる。毒々しいピンク色の喉首。鈎爪を持つ四肢。
 アリィキハだ。
「あっ! クラ、オマエ何をする!」
 イオが叫んだ。アリィキハに気を取られた隙に、クラが動いてたんだ。イオの手から、ホクラニを奪っていた。
「ニコルさま、ホクラニをお預けします!」
 クラはホクラニを投げた。正確なコントロール。ニコルはキャッチして、ポーチに落とし込む。
 アタシとラフは、同時に剣を抜いた。
 3・2・1・Fight!
 アリィキハが突進してくる。
「動きは遅いわね!」
 アタシはアリィキハの前肢を踏み台にして跳び上がった。高速でコマンドを入力する。
“Wild Iris”
 七連続の斬撃。アリィキハの鼻面に、うっすらと引っかき傷が付いた。
「あー、もうっ! また硬くてヒットポイントが高いってパターンっ?」
「まぶたや喉を狙えよ。まだしも皮膚が薄いはずだ」
 ラフは双剣を両肩に背負ってアリィキハに突っ込んでいく。前肢の爪をくぐって、ふところへ。ピンク色の喉元に双剣を叩き付ける。
“chill out”
 ガキン。
「前言撤回。やっぱ、喉も硬ぇ」
 ニコルが口を尖らせた。
「ラフの馬鹿力でもダメかぁ」
 ニコルは足下の雑草を摘み取って、杖で打った。細長い形をした雑草の葉っぱが槍へと姿を変えた。
 キシャァァァッ!
 アリィキハが咆吼した瞬間。
「そぉれっ!」
 ニコルは雑草の槍を投げた。槍がアリィキハの舌に突き刺さる。
 でも。
「効いてねぇぞ」
「魚の小骨みたいなもんかなぁ?」
 まぶた、喉、口の中。弱そうなところを、繰り返し狙ってみる。
「ヒットポイントのゲージが減らないわね。長期戦覚悟よ」
 攻撃要員は、アタシたち三人とイオ。
 イオのナイフは、ネネの戦士らしく原始的だった。金属の刃は付いてない。ナイフの本体は木製。刃の部分には、サメの歯がびっしりとくくりつけられてる。切り裂くんじゃなくて、えぐる武器。
 イオは、タカみたいな独特の動きで、アリィキハの尾に打ちかかる。ニコルがイオのAIに命令した。
「尻尾じゃ意味ないよ。こっちに合流して、頭を狙って」
「アタイに命令するんじゃないよ!」
 啖呵を切りながら、イオはニコルの指示に従った。ニコルは遠隔攻撃で、イオは直接攻撃で、アリィキハのまぶたや鼻面、開いた口の中を襲う。
 アタシとラフは、交互にアリィキハに接近した。喉元をしつこく攻め続ける。だんだん、傷が開いていく。時間はかかってるけど、無意味じゃないみたい。
 アタシは一回、ラフは二回、アリィキハの前肢の一撃で、吹っ飛ばされた。すかさずクラが駆け寄ってきて、呪術で傷を治癒する。
 でも。
「ワタシでは力不足です。皆さまの傷を塞ぐことはできますが、疲れを癒してさしあげることはできません。申し訳ない」
 傷を塞ぐのは、ヘルスポイントの回復。疲れを癒やすのは、スタミナポイントの回復。つまり、クラの呪術を受けてもスタミナポイントは減ったままだ。
 アタシはパラメータボックスのゲージを確認した。純粋な体力消費やスキル発動によって減ったスタミナポイントは、レッドゾーンが目前だ。このペースじゃ、アリィキハより先にアタシたちが動けなくなる。
「ラフ、ニコル! のんびりしてる場合じゃないわよ! スタミナ、かなり減ってる!」
「オレもさっき気付いたとこ。こんなペースじゃあ、らちが明かねえよな」
「ボクもヤバい。打てば当たるのが気持ちよくて、ガンガン魔法使ってた」
 ラフはアリィキハから間合いを取った。
「本気出すよ。あんまりキレイな姿じゃないけど、勘弁してくれ」
 ラフは目を閉じた。双剣を持つ両腕が下ろされる。
 不穏な風がラフの足下から、ぶわりと湧いた。
 まぶたが開かれる。まがまがしい赤が両眼にともっている。
「また呪いを発動するの?」
 むき出しのお腹に、二の腕に、赤黒い紋様が燃える。燃えながら、紋様はじわじわと広がった。
 猛獣の唸り声みたいな笑いがラフの口からこぼれた。牙が光った。双剣が軽々と振りかざされた。
「あ、ハはっ、はハハッ……! コントろール、どうナってンだヨ? 体のジユウがキかねェ……!」
 ザラザラと濁った響きでつぶやいて、ラフは跳躍した。
 二本の大剣は、まるでおもちゃだった。重量を無視した動き。ラフは、やたらめったらに大剣を振り回す。
「なんなのよ、あの動き……スキルも何も、あったもんじゃないわ」
 ものの数秒で、アリィキハの舌が刎ね飛ばされた。アリィキハは絶叫する。
 ラフは止まらない。アリィキハのまぶたが、鼻面が、喉首が、ズタズタに切り裂かれていく。
 アタシは立ち尽くすしかない。
「援護に回る隙もないなんて」
 ラフは、前回の呪いよりも激しく暴走してる。
 ニコルはイオに防御を命じた。ニコル自身もバトルフィールドから下がる。
「ラフの攻撃力、ゲージが針を振り切ってる。理性のゲージはほとんどブラックアウト。スタミナが尽きるまで暴れ続けるね、これは。同時にヘルスがゼロにならないように気を付けとかないと、ほっといたらハジかれちゃう」
「そんなの、めちゃくちゃだわ」
 アリィキハの前肢を、ラフは交差させた双剣で受け止めた。巨体の重みに、ラフのブーツが地面にのめり込む。
 ラフの顔が歪んだ。赤い目が、紋様が、らんらんと燃える。ラフは牙をむいた。獣の声で吠えた。
 アリィキハの前肢がスパッと飛んだ。
 キシャァァァッ!
 悲鳴。アリィキハが横倒しに倒れた。
「アハハははっハハはハッ!」
 ラフは笑っている。
 仰向いたアリィキハの喉を目がけて、ラフは双剣を振りかざして宙に跳んだ。
 四人がかりで手こずっていたモンスターは、呪いを発動させたラフひとりの手で、あっという間に光になって消滅した。
 アリィキハとのバトル終了後。バトルフィールドが消滅すると、ラフが元に戻った。
「大丈夫なの?」
「へーきへーき。ご心配ありがと、お姫さま」
「べ、別に、心配なんか」
「それより、イベント発生の気配だぜ」
 ラフが指差す先に、クラとイオがいる。クラはイオの前にひざまずいた。
「ねえさまの帰りを、ずっとお待ちしていました」
 イオの、ナイフを持つ腕から力が抜けた。クラから目をそらす。
「アタイは盗みをした。里の掟を破った。親父がアタイを許すはずがない」
「いいえ。とうさまも、ねえさまの帰りを待っておられます」
「わからずやの親父となんか、顔を合わせたくない」
「里を出られる前、とうさまと、どんなお話をなさったのです?」
「男たちに交じって森へ入るのはやめろって。アタイに戦い方を教えたのは親父だぞ? そのくせ急に、もう戦うなと言ったんだ。しかも、このアタシに向かって……は、は、花嫁修業しろだなんて……っ!」
「ワタシにも、とうさまは同じ話をなさいました。一年と少し前、ワタシが成人の儀を迎えた夜に。時は満ちた、と」
「い、言うな!」
「ねえさま」
「姉と呼ぶのはやめろ! あ、アタイは、本当は、もっと前から勘づいてたんだ」
「もっと前から?」
「オマエ、自分の置かれた立場を知ってるんだろう? 親父がなぜオマエを引き取ったか。オマエは初めから候補だったんだ。アタイと結婚させるにふさわしい、と……」
 クラは、すっと立ち上がった。一歩、進み出る。
「お聞きください」
 クラはイオの両肩に手を掛けた。すぐ近くからまっすぐに見つめられたイオは、ひるんだみたいに半歩、後ろに下がる。でも、クラはイオを離さない。
「く、クラ?」
「ワタシには戦う力もなければ、長としての統率力もない。ワタシはそういう男です。あるのは、ネネの里への忠誠心だけです。イオさま、どうぞネネへお戻りください。ネネにはイオさまが必要です」
「……イヤだ、と言ったら?」
「おっしゃらないでください。無理やりアナタをさらって帰るしかなくなります」
 ヒュウッと、ラフがかすれた口笛を鳴らした。
「男らしいじゃん! クラさんカッケぇ」
「アンタいちいちうるさいのよ。黙って見守れないわけ?」
「いやぁ、ついつい。お姫さまも憧れるだろ、こーいうシーン」
「そ、そんなこと……別に……」
 ニコルが仕切った。
「二人とも、いい? 続き、進めまーす」
「イオさま、二心を持っていることをお許しください。ネネの里に対する忠誠心と、イオさまに対する忠誠心。ワタシは、その二心を持っています。幼いころから勝手にお慕いしてきたことを、どうぞご容赦ください」
「何が言いたい?」
「愛しています。めおとになってください」
「生意気なやつ……」
 イオは短剣を地面に投げ落とした。そして、クラに抱きついた。クラがそっとイオの背中に腕を回した。
「イオさま」
「浮気したら殺す」
「はい」