きみと駆けるアイディールワールド―赤呪の章、セーブポイントから―

「ずっとやってたのか」
 おれの耳のすぐ後ろで声がした。
「おわっ? なんだよ、おどかすなよ」
「あー、ごめんごめん。普通にドア開けて入ってきたんだけど。気付いてなかった?」
「完っ璧に集中モードだった。ヤベぇ、もう八時か。時間たつの早ぇよ」
「こっちは実験の演習が終わって解放されたところ。鬼のように課題が出された」
「お疲れさーん。おれはもう卒論まで仕上げちまった。思う存分これに打ち込めんだよな」
 おれはゆっくりと肩関節を回し、首を左右に傾けた。めちゃめちゃにこわばった筋肉と関節が、ピキピキと不服そうな音をたてる。
「あんまり無理すると、後に響くんだろ? ほどほどにしなよ」
 おれの首の関節が鳴ったのを聞きつけたらしい。やつは両方の手のひらをおれの肩に載せた。柔らかい力加減で、マッサージを始める。
「うー、痛ぇ」
「力、強すぎ?」
「いや、おれの肩が凝りすぎ。やっぱ、だんだん凝りやすくなってきてるよ。必要以上に力をこめちまうんだ」
「PCに向かってる時間が長いんだよ」
「ゆっくりやってたんじゃ間に合わない。卒業までに仕上げたいんだ。って、痛てて」
 肩胛骨の内側を、親指でグリグリされた。やつのため息が、頭のてっぺんに降ってくる。
「あのな、せめてキーボードの高さを下げなよ。いっそ、タッチパネルで操作するとか。何か工夫したほうがいいぞ」
「タッチパネルね。好きじゃないんだよな。作業速度が鈍る。だいたい、手応えがないだろ。仕事してるって充実感がつかめないんだよ」
 まあ、いずれは、選べなくなる。テンキー式のタッチパネルしか使えなくなる。あれなら筋力を必要とせず、指先だけで操作できるから。でも、やっぱ嫌いなんだ、あれ。
「しょうがないよな、おまえのレトロ嗜好も」
「お互いさまだろーが」
 大学のサークル棟の東の端っこ。もともとただの物置だった部屋。「秘密基地」って名前のサークルだ。物好き連中が集まって、オリジナルゲームを作っている。
 やつとおれは話が合う。ペアを組んで創作して、物によっちゃ、版権まで取った。テイストは、時代遅れの剣と魔法の世界。
 あと三ヶ月で、おれは大学を卒業する。おれがやつと一緒にゲームを作るのは、たぶんこれが最後だ。
 だから野心を持ってみた。歴史に残るくらいの派手な名作を創り出してみせようぜ、と。
 大言壮語? まさか。おれたちは本気だ。今だからできること、今しかできないことなんだ。
「こんな人生でもさ、ワクワクしながら生きてんだよ、おれは」
 口の中でつぶやいた。
「ん? 何か言った?」
「なんでもない」
「ひとまず休憩しないか? 食事に行こう」
「オッケー。学食は飽きたから、夢飼いがいい」
「そーしますか」
「日替わり、まだ残ってるかな?」
「さて、どうだろ」
 おれはPCのデータを保存した。やつは、おれの椅子を引いた。壊れかけたキャスターが、ギシギシと文句を垂れる。
 おれは、椅子の肘掛けに力いっぱい腕を突っ張って、立ち上がった。
LOG IN?
――YES

PASSCODE?
――****************

...OK!
ALOHA, SHA-LING!

こんにちは、シャリン!

このステージは「ホヌア」。
南海に浮かぶ、大きな島です。
ホヌアとは、この島の古い言葉で「大地」を意味します。

さあ、お進みください。
新たなる冒険のステージへ!


「ふぅん。シケた場所ね」
 荒野の只中に、アタシは立っている。
 殺風景なフィールドだ。黒っぽく粗い土。白けた色の雑草がまばらに生える。薄曇りの空に、昼下がりの太陽が丸く透けている。
 マップを表示してみる。
 ここは、島の中央部にせり上がった台地。これより北には、高い山がある。南側に向けて、ゆっくり下っていく地形。ぐるりと広がる荒野の行き着く先には、霧。見通しが利かない。
 強い風が吹いている。アタシのオーロラカラーのツインテールが好き放題に、風に遊ばれている。
 アタシはウィンドウに全身を表示した。小さな顔に、ローズピンクの大きな目。細身の体に、長い髪。
 装備品は軽さ重視で、ビキニタイプのメイル。シースルーの魔法布でできたマントとスカート。武器は細身の剣。素早い動きで敵を翻弄するのが、アタシの戦術。
 ふと、パラメータボックスに、赤い文字が表示された。
“WARNING!”
 モンスターが接近しているらしい。
「早々に、お出ましかしら。少しは楽しませてもらわないとね」
 アタシは剣の鞘を払った。あごを引いて、脚を肩幅に開く。
 南側の斜面からこっちへ向けて駆け上がってくる土煙。パラメータボックスを見れば、アタシと敵との体積比は一:五とあるから、ずいぶんデカブツみたい。
 逃げも隠れもできない荒野の真ん中だ。取るべき手は正面突破だけ。
 突然、パラメータボックスに妙な表示が現れた。
“SOMEONE COMING”
「誰か《someone》? って何なの?」
 力場が発生し、空間が歪む。ブォォン、と低く唸るような効果音に、アタシは理解した。この音は、アバターが表示されるときの効果音。
 この地点は、ログインポイントだ。誰かがホヌアに入ってきたらしい。
「珍しいわね。他人と出くわすなんて。ハイエストクラスの、しかもこんな辺鄙なステージで」
 アタシはずっと一人旅だった。誰かとログインの待ち合わせをしたことがない。だから、他人がログインするシーンを、初めて目撃している。
 鈍い金属質の輝きが、足のほうから頭のほうへ、人の輪郭を形づくる。
「戦士タイプ?」
 アバターに色彩が定着する。
 スラリと引き締まった体つきの男だ。襟足でくくられた長い黒髪。肩と胸を覆うシルバーメイル。むき出しのお腹には、形よく割れた筋肉。背中には、交差に装着された二本の大剣。
「メイルの内側の赤黒い紋様は、イレズミ? ちょっと趣味悪いわね。でも、ピアズのキャラデザって、やっぱ整ってる」
 双剣の戦士は目を閉じている。浅黒い肌と右頬の一文字傷が野生的。顔立ちは、端正だ。繊細っていえるくらい、キレイ。
 このアバター、アタシと同じで、ユーザ自身の3D投射で作ってあったりして。だったら、実物はけっこうな美形だ。
 男のくせに長いまつげを震わせて、彼はまぶたを開いた。
「お、美少女発見! お姫さま、お名前は?」
 発声の感じからして、人工音声ではないみたい。たぶん、ユーザ本人の肉声だ。姿も声も悪くないけど、チャラいセリフに興醒めしてしまう。
「人の名前を尋ねる前に、自分が名乗りなさいよ」
「こいつは失礼。はい、オレの名前」
 ぴろりん、と効果音。双剣の戦士は、パラメータボックスを開示した。

  name : Laugh-Maker(♂)
  class : highest
  peer : Nicol

「ラフ・メイカーっていうの?」
「ああ。ラフって呼んでくれ。んで、こっちがオレの相方」
 もう一人、アバターが浮かび上がってくる。
 魔術師らしい緑色のローブをまとった子どもだ。年齢は、設定可能な下限である十二歳にしてあるんだろう。
 銀色の髪はサラサラのおかっぱ。緑色の目はこぼれ落ちそうに大きい。ピンク色のほっぺたがかわいらしい顔つき。男の子なのか女の子なのか、パッと見にはわからない。
「初めまして! ボク、ニコルです」
 コンピュータ合成の子ども声も、やっぱり性別不詳。ただ、そいつのパラメータボックスに答えが書いてあった。

  name : Nicol(♂)
  class : highest
  peer : Laugh-Maker

「ボクっ娘かと思ったら、普通に男の子なのね」
「そうだよ。よく勘違いされるんだけどね。で、おねえさんのお名前は?」
「呑気に自己紹介なんかしてる場合じゃないわよ。面倒くさそうなやつが迫ってきてるの」
 アタシは剣先でモンスターを示してみせた。大トカゲだ。地響きと土煙を立てて爆走してくる。
「バカでかいトカゲだな。南国系ステージらしく、爬虫類型モンスターがお出迎え役ってわけだ。ニコル、情報を」
「了解」
 ニコルはローブの袖から、ペンくらいのサイズの小枝を取り出した。ニコルが小枝をサッと一振りする。小枝は、ニコルの背丈よりも長い杖へと姿を変えた。
 杖のてっぺんに付いた緑色の珠が淡く光った。ニコルが何かの魔法スキルを発動させたらしい。魔力を帯びた風が、ニコルの小さな体から湧き起こっている。
「モオキハって名前のモンスターだ。バシリスクタイプではないから、石化魔法は使わないよ。炎の属性も毒の属性も検出されないし。ヒットポイントが高いだけの、ただの力押しキャラだ」
「透視? アンタ、妙な能力を持ってるのね」
「見たところ、おねえさんも力押しキャラ? 意外と攻撃力の数値が高いんだね。敏捷性がすごい。そんなに速くて、自分についていける?」
「当たり前でしょ。反応速度には自信があるの。透視や索敵みたいな補助系の魔法なんて必要ない。初めての敵でも、戦いながら属性を見破れるわ。アンタたちと一緒にしないで」
 ラフが両手に一本ずつ、大剣を構えた。
「頼もしいもんだ。で、お姫さまに相談があるんだけどさ」
「なによ?」
「このホヌアってステージをクリアするまで、オレたちのピアにならないか?」
 ピアっていうのは、つまり、ともに戦う仲間のこと。ピアという単語は、ゲームタイトルにも冠されている。

『PEERS' STORIES《ピアズ・ストーリーズ》』

 ソーシャルネットワークを利用した仲間《ピア》との協力プレーができる。それが、ピアズの特徴。
 でも、アタシは鼻を鳴らしてやった。
「ピア? 結局どんなメリットがあるのかしら? こっちの人数が増えれば敵も強くなるように設定されるんでしょ?」
「難易度上昇は事実。でも相対的に見て、協力プレーのボーナスのほうがおいしいぜ。つまり、三人でバトルをワンミニッツクリアした場合、一人で三分かけるよりも、経験値とゴールドが多く稼げるってこと」
 ニコルが口を挟んだ。
「あのトカゲはもっと楽だよ。ハーフミニッツを狙える。ボクたち三人なら、ね」
「協力ボーナスがお得かどうかは、アンタたちがアタシについてこられることが前提でしょ。アタシの足を引っ張らないって保証できるの?」
 手を結ばないのであれば、あの大トカゲは、先に手を下した側の獲物となる。遅れをとった側はバトルから弾き出される。
 ラフとニコルを威嚇してみせながら、アタシはすでに不利だ。ニコルはもうフィールド系魔法を発動させているから、それをバトル系に切り替えれば先手をとることができる。
「頼むよ、お姫さま。ピアになってよ。ひとまずこのバトルで様子を見てくれ」
「うるさい」
「協力して三十秒を切れなかったら、別行動してくれてかまわないからさ」
「ずいぶん自信がありそうね」
「もちろん。ほらほら、バトル開始まで時間がないぜ。どうする?」
 取り引きや駆け引きは苦手。言葉を返すのが面倒くさくなってきた。
「わかったわよ。とりあえず、アンタたちをアタシのピアと認めるわ」
 アタシは、初めてのその操作をする。

  name : SHA-LING(♀)
  class : highest
  peer : none

  Here come new peers.
  Will you accept them?
  ――YES

  Laugh-Maker became your peer!
  Nicol became your peer!

 これで、ラフとニコルはアタシのピアになった。
「サンキュ、お姫さま」
「シャリンよ」
「シャリン姫さまね。これで百人力だ」
 モオキハが、爆走を止めた。砂をかぶった全身は、おおよそ緑褐色。でも、喉元から胸にかけて、毒々しい鮮やかなピンク色。赤く裂けた口から、尖った長い舌と凶悪そうな牙がのぞいた。
「ハーフミニッツで決められるって、本当でしょうね?」
 アタシの言葉に、ニコルがうなずいた。
「ボクが保証する。援護するから、シャリンとラフは大暴れして」
「アタシは速いわよ。ついてきてよね」
 ラフが双剣を打ち合わせた。
「疑ってくれるなよ。オレたちだって、だてにハイエストやってるわけじゃねえよ」
「ふぅん。そう」
「なあ、お姫さま。ハーフミニッツは当然として、クォーターミニッツでやれたらさ、ご褒美にキスしてくれる?」
「はぁ? なに言ってんのよ、バカ!」
「つれないねぇ。まあ、いいや。とりあえず、一発目からコンボ狙おうぜ」
「BPM300の鬼譜面、いける?」
「出せる出せる。敏捷性はお姫さまのほうが高いから、一番槍は任せる」
「遅れずに入ってよね」
 バトル開始のカウントダウンが表示される。
 3・2・1・Fight!
 BPMとかっていうのは、ユーザとしての会話。シャリンとしてのアタシは、華麗に剣を構える。
 ニコルの全身がポゥッと光った。
「攻撃力強化、っと! じゃ、行ってらっしゃーい」
 アタシが、一番槍。行けっ、と叫ぶ。
“Wild Iris”
 七回連続の斬り技が炸裂する。
 次にラフが飛び出した。
“kick ass”
 縦回転しながら左右の大剣で斬りまくる。
 ニコルが、後ろのほうから魔力を飛ばす。
「敵さんの防御力ダウン! ……って、まだ硬いな。もう一回やっとくかな」
 アタシとラフで波状攻撃をかける。休みのない斬撃を受けてモオキハは動けない。
「案外やるわね」
 ラフの双剣は一撃一撃が重い。表示される技の名前は英語のスラング。ちょっと感心できない言葉ばっかりだけど。
「防御力、下がれー!」
 ニコルがガンガン補助魔法を使うたび、モオキハに与えるダメージがおもしろいほど大きくなる。
 ラフが笑った。
「すっげー! 息ピッタリじゃん! ここまでうまくハメれるって、すげーよ!」
 そう。ほんと。
「うん、気持ちいい!」
 ニコルが葉っぱのチャクラムを飛ばした。
「押して押してー! クォーターミニッツ切れるかもよ!」
 つまり、十五秒でこんな強敵を撃破できるってこと。爽快!
 ラフがモオキハに突進した。
「とどめだ!」
“stunna”
 ラフは横回転しながら左右の剣で攻撃した。モオキハが断末魔の悲鳴をあげて、光って消滅する。
 勝利のモーションで、ニコルがぴょんぴょん跳ねた。
「十三秒〇二って、すごいね! ほんとにクォーターミニッツ切ったよ!」
 バトル勝利に加えて、各種ボーナスが加算される。十五秒以内でのモンスター撃破のボーナス。それと、ノーミスクリアのボーナスがおいしい。
「アンタたち、相当やり込んでるの? BPM300の鬼譜面がジャマナカクトなんて」
 最高難度の技を平気で繰り出してた。アタシと息を合わせて、完璧なタイミングで。
 ラフが双剣を鞘に収めた。
「今回の技はショートコマンドばっかだったからね。これくらいなら余裕だよ。ま、オレは多少ミスっても、ニコルがカバーしてくれるし」
「このバトルでは、ボクの出番は少なかったけどね」
 でこぼこコンビって感じ。背が高くて細身で、顔に傷があって、ワイルド系のラフ。小柄で、子どもっぽくて、女の子みたいにかわいいニコル。
 二人とも強い。というか、二人セットだと強い。
 なんてね。やすやすと認めちゃうのは、しゃくだ。アタシがいちばん強いんだから。
 ラフが傷のある顔でアタシに笑いかけた。
「お姫さま、オレたち合格だろ?」
「まあ、そうね。合格にしてあげる」
「よっしゃ! このホヌアってステージの間、よろしく頼むぜ」
 差し出された手を、握る。
「繰り返すけど、アタシの足を引っ張らないでよ」
「了解了解。そうそう、それと、さっきの約束」
「約束?」
「ご褒美のキスはいつでも受け付けるよ」
「ぶっ飛ばされたい?」
 ニコルは、呑気ににこにこしている。
 そのときだった。女のホログラムが出現した。
 南国らしい肌の色をした美少女だ。少女からオトナへ羽化しようとする年ごろ、みたいだ。十七歳のアタシと同じくらいか、少し年上。
 波打つ豊かな黒髪。彫りの深い顔立ち。黒く濡れた大きな目。ふっくらした唇は、優雅な笑みを浮かべている。踊り子みたいな衣装にメリハリのある体型で、かなりセクシーだ。
 ラフは、かすれた口笛を吹いた。
「すげぇグラマー。いいねぇ」
「いやらしいわね、アンタ」
「出し惜しみしないのはすばらしいことだぜ。アンタもけっこう出してるじゃん」
「最っ低! このタイプのメイルは軽さ優先で選んでるだけよ!」
「はいはい。ま、どっちにしろ、ちょっと子どもっぽいよな、お姫さまは」
「なんですって!」
「オレはこっちの彼女みたいに迫力のあるバストのが好み」
「ほんと最っ低!」
 アタシはラフの土手っ腹に肘鉄をぶち込んだ。
 まあ、体型に関しては事実だけど。
 アタシは華奢だ。敏捷性を重視した体型を選んで設定している。
 一方、目の前に出現したホログラムの美少女は胸がおっきい。半割にしたココヤシのブラが小さすぎる。赤い花が染め抜かれたスカートも、丈は長いけど、左脚の正面に入った深いスリットがなかなか危険だ。
 この踊り子っぽい美少女がホヌアのステージガイドなのかしら。
 踊り子はお辞儀をした。所作そのものが優雅なダンスみたいだ。
「初めまして。シャリンさま、ラフ・メイカーさま、ニコルさま。ホヌアへ、ようこそお越しくださいました。手荒いお出迎えとなってしまいましたことを、どうぞご容赦ください」
 ハイアークラス以上のステージは、いきなりバトルから始まる。それは、言ってしまえば入学試験。このバトルに敗れると、ステージに挑戦することができない。
 踊り子は、ひらりと両腕を広げた。
「ワタシの名はヒイアカ。ホヌアを旅する皆さまにミッションを依頼する者。また、癒しと憩いの場を提供する者です。まずは、西の海岸にございますフアフアの村をお目指しください。フアフアの村でお待ちしていますわ。道中、どうぞお気を付けて」
 ヒイアカはしなやかな腰つきでステップを踏んだ。両腕は何かを物語るみたいに、ゆったりと舞う。指先が空を示した。そこから赤い光が生まれる。光はみるみるうちにヒイアカを包んだ。
「お待ちしていますわ……」
 エコーのかかった声を残して、ヒイアカである光は、ある方角を指してまっすぐに飛んでいった。
 アタシは、マップを拡大表示した。ヒイアカが消えた方角は、ほぼ真西。光のとおりに進めば、海岸線沿いにある人里のマークにたどり着くはずだ。
「ひとまず、フアフアの村とやらを目指せばいいのね。で、アンタたち、今日はどれくらい時間あるの? アタシはさっきログインしたばっかりなの。だから、あと三時間半はあるんだけど」
 オンライン本編における一日あたりのログイン時間は、上限四時間。それが、オンラインRPG『PEERS’ STORIES』に課せられた法的規制だ。
 この規制はうっとうしい反面、ありがたくもある。アタシは、現実では高校生。だから、一日じゅうこっちにはいられない。延々とログインし続ける暇人に後れを取るのは腹が立つ。規制があるから、フェアな実力主義で勝負できる。
 ラフは自分のパラメータボックスを開いてみせた。
「オレとニコルも、あと三時間半だ。進めるだけ進もうぜ」
「あっそ」
 主導権を握ってるみたいな言い方が何だかイヤ。アタシは腕組みをしてみたけど、ラフは気にした様子もない。
「道中に気を付けろって、わざわざ言い置いてったよな。つまり、道中にいろいろ出てくるんだろうな頼むぜ、お姫さま!」
 ふぅん。アタシの意向を無視して突っ走るって感じではないんだ。
 アタシは深呼吸をして、気を取り直した。
「何が出てこようが、望むところよ」
 荒野の台地を下るにつれて、景色は鮮やかになっていく。カラフルな熱帯植物のフィールドは、「南島のステージ・ホヌア」っていうキャッチフレーズのとおりの景色だ。
「見て、海!」
 行く手に海岸線が見え始めた。白砂の浜が緑葉の森に映える。空は青くて、日差しは明るい。
 アタシたちの行く手に、たびたびモンスターが現れた。撃退するのに、それほど苦労はなかった。
 でも、一度だけ、ヒヤッとした。アタシとラフの動線が重なって、効果的な攻撃ができなかったの。
 なにやってんのよバカ! ってアタシが怒鳴るより先に。
「すまん。今のはオレが悪ぃ」
 ラフは潔く頭を下げた。
 なんていうか、毒気を抜かれた。
「べ、別に、どっちが悪いってこともないでしょっ」
「いや、おれのほうが出だしが遅かったし」
 ニコルが間に入った。
「無事に倒せたんだから、よしとしようよ。もしシャリンがイヤでなければ、ボクが司令塔になってもいいよ?」
「ハッキリ言うと、イヤよ。指示されるのは嫌い。でも万が一、必要だと判断したときには、司令塔とやらをお任せするわ」
「了解、了解。たぶんね、普通にエンカウントするモンスター程度は問題ない。でも、ボス戦は連携プレーできるほうが安全だと思うよ」
「ふぅん?」
「お互いの凡ミスのせいでハジかれたら、本末転倒だからね」
 ピアズの世界では、ユーザが操るアバターは死なない。死という概念が、基本的に存在しない。
 アバターのヘルスポイントとスタミナポイントの両方が尽きた場合、死ぬわけじゃなくて、ステージからの追放というペナルティが課せられる。
 ペナルティによってステージを追われることを「ハジかれる」ってう。一定回数以上ハジかれると、クラスを落とされる。
 ちなみに、クラスとレベルは別の概念。クラスは、ユーザのテクニックによって段階分けされてる。レベルは、経験値を積めば積むほど上がっていく。
 レベルが上がれば、ヘルスポイントとスタミナポイントの上限が上がる。ボーナスポイントも与えられる。それを攻撃力や敏捷性みたいな各能力に割り振って、アバターの基礎値を上げていく。
 クラスが高い人はたいていレベルも高い。逆に、低いクラスにレベルが高い人がいることもある。
 というのも、バトルの鍵を握るのはユーザのテクニックだから。基礎値はそれほど大きな問題にならない。テクニックがないユーザは、いつまで経ってもクラスを上げられない。
「アタシ、今まで一度もハジかれてないの。連勝記録に傷を付けないでほしいわね」
「ボクたちもだよ。ほら」
 ニコルが示すパラメータボックスを、アタシはチラッと見た。
 コイツ、アタシよりもレベルが低い。そのくせに、アタシと同じハイエストクラスにいるなんて。つまり、相当テクニックがあるってこと? なんかムカつく。
 ユーザが口元に着けるリップパッチが、表情筋の動きを認識する。それをアバターに反映する。
 アタシは今、ムッとしてる。現実では、顔にも出てると思う。
 でも、画面の中に反映できるのは、ハッキリした表情だけ。微妙な苛立ちの表情なんてリップパッチは認識できないから、アバターのアタシは、愛らしい顔に無表情を保っている。