きみと駆けるアイディールワールド―赤呪の章、セーブポイントから―

「あ、アンタたちは、ピアズ、どうなの? どれくらい、やってるの? レ、レベル自体は、かなり、低いみたいだけど」
「オレたちは、まあ、四ヶ月ってとこかな」
「ええっ? う、うそっ?」
「うそじゃねえよ。てか、ニコルのパラメータ、チラッと見てたろ?」
「レベルだけは見たけど。言われてみれば、確かに、四ヶ月……でも」
「なんなら、プレー履歴、しっかり見せようか? ハイエストクラスのステージは、これで二つ目だ」
「そんな短期間でここまで来たなんて、信じらんない」
 アタシがハイエストに来るまでに、半年以上かかったのに。
「いや、だって、オレたち、一人じゃねえから。オレとニコルは最初からピアを組んでるんだ。お互いのスキルを活かし合いながら進めてきた」
 言い訳するみたいなラフの口調に、アタシも気を取り直した。いや、まだ釈然としないんだけど。
「スキルって? ニコルは完全に補助系の便利屋だけど。アンタも何か特殊なことができるわけ?」
 ラフは、あのムカつく笑顔をつくった。
「焦るなよ。おっつけ披露していくさ。といっても、お姫さまほどの手数は持ってないぜ。お姫さまは、配信されてるスキル、全部ゲットしてるんだろ。その貧乳戦士体型で修得できるやつ、全部」
「アンタ失礼すぎる! スピード重視の戦士タイプよ。ひ、貧乳とか言わないで! スキルなら全部キッチリ持ってるわ。そんなの当然でしょっ」
「当然と言うかねぇ? 保有数マックスまでスキルを持ってるユーザって、国内でも片手の指で数えられると思うけど」
「アタシにとっては当然なのよ」
「サイドの作業クエで頑張ってるってことか」
 スキル修得のためのシングルクエスト、通称、作業クエスト。オンライン本編じゃなくて、オフラインのサイドワールドに用意されてる修行モードだ。
 作業クエストでのスキル修得は効率が悪い。オンライン本編のほうが、経験値以外にもいろいろボーナスがあるから、レベルアップもスキル修得も圧倒的に早い。
「好きなのよ、作業クエ。集中してたら、時間を忘れる」
「シャリンの『中の人』って女だよな?」
「は?」
「いや、なんというか、作業クエで黙々と複雑なコマンド入力に集中し続けるとか、そんなん好きなのって、だいたい男じゃん?」
「アタシのことオカマだっていうのっ? 女に決まってるでしょ!」
「んー、まあ知ってるけど」
「なんで、何を、知ってんのよ!」
「さあね」
 ラフは、一文字傷のある右頬で笑ってみせた。アタシの髪の一房に、ひょいと触れる。
「ちょっとっ」
「キレイな色だな」
「許可なく話をそらさないで!」
「いいじゃん。女の子を誉めるのに、いちいち許可も必要ねぇだろ?」
「話が中途半端になるのが気持ち悪いのよ!」
「じゃあ、さっきの作業クエの話は終了。黙々と修行しまくってきたから、今のお姫さまの強さがあるってことで、オレは納得した。これでOK?」
「……OKってことにしてあげるわ」
「サンキュ。今みたいに、どういう会話の組み立て方がOKとかNGとか、ズバッと言ってくれよな。っつっても、お姫さまの考え方はどうやらロジカルなタイプみたいだから、けっこうやりやすいぜ」
 アタシは驚いた。アタシの考え方も性格も、面倒くさいって言われることしかないのに。
 ラフは改めてアタシの髪の色を誉めて、どこで入手したのかを訊いてきた。アタシは誘導されるように答える。
「コロシアムで勝ち抜いて手に入れた限定カラーよ。持ってる人間は相当少ないはずだわ。アタシの髪は、もとは赤毛だったんだけど」
「シャリンには、赤よりこっちのほうが似合いそうだ」
「そ、そういうナンパな言動はやめなさいよ。いい加減にして。ぶっ飛ばされたい?」
 ペースを乱されて、アタシは本気で戸惑った。
 うっそうとした木々が、途切れた。ぽっかりと開けた広場。広場の周囲には、黄金色のタケが茂っている。
 広場の中心に、一本の巨大なタケが、立っている。タケの内側から、黄金色の光がにじんでいる。
 アタシは進み出て、先頭だったニコルに並んだ。
「どうやらここがオヘの住み処のようね」
 ニコルはフキの葉から飛び下りた。フキの葉は、ひょこひょこと走って森へ帰っていく。ラフはアタシとニコルの間に立って、さらに一歩、先へ踏み出した。
 ザワザワと、広場を囲むタケが一斉に葉を揺すり始めた。風はない。
 中央のタケが黄金色の光を明滅させた。明滅は、心臓の鼓動みたいなリズムだ。どくん、どくん。だんだん光が強くなっていく。
「オヘって、タケの中から現れるのね? かぐや姫?」
 ニコルが知識を披露した。
「タケの中に人が住むっていう発想は、太平洋の島々の伝説らしいよ。かぐや姫伝説も、そのうちのひとつ。もともと南洋から入ったんじゃないかって説があるんだ」
「変なこと知ってるのね」
「趣味だよ。伝説や神話、好きなんだ」
 黄金色のタケの茎に、スッと亀裂が走った。亀裂はねじ曲がって、左右に広がる。
「おっ、出てくるぜ」
 黄金色の女がタケの中から現れた。女は長い脚で、苔むした地面に降り立つ。女の背後で、タケの茎が元通りに閉ざされた。
「招いた記憶はないけれど、お客さまかしら?」
 タケそのものみたいな、硬そうな肌。黄金色の全身は、ボディスーツでも着てるような印象。裸なんだけど、裸っぽくない。スタイルはすごくいい。
 ラフは、コンピュータ制御のその女にウインクしてみせた。
「アンタがオヘかい、グラマラスなおねえさん?」
 アタシはラフの束ね髪をぐいっと引っ張った。
「敵キャラまでナンパしてんじゃないわよ」
「痛てて、マジでダメージ入ってる! ボス戦の前にそれはやめてくれ!」
「ふんっ」
 タケの色をした女は、眼球のない目でアタシたちを順繰りに見た。
「ワタクシの名はオヘ。アナタたちが何者かは知らないけれど、アナタたちからは敵意を感じる。去りなさい」
「ずいぶん高飛車なかぐや姫ね」
 オヘは色っぽい感じに笑って、プログラムされたセリフを吐いた。
「ヒイアカが結婚? おめでとうと伝えてちょうだい。でも、ホクラニは返さないわよ。ワタクシにも幸せになる権利はあるはずだもの。ワタクシは誰よりも美しくなって、あのかたを振り向かせるの」
 ニコルは眉をハの字に開いて、困った顔をした。
「こういう流れじゃあ、やっぱりこの人自身がボスだよね」
 オヘは腰に手を当てた。
「あら、見逃してあげようと思ったのに、帰らないのね。ホクラニを返せって? だったら、力ずくで奪ってみなさい!」
 タケの小枝のような髪が、ミシミシと音を立てて逆立った。オヘの胸が淡く発光している。
「あの光がホクラニか。戦神《クー》の星、だっけ?」
 オヘの胸の谷間の奥に輝きが埋まっている。冴え冴えとした、透明な光だ。風圧を放つほどの魔力。剣の間合いより遠い地点に立っていても、その風が感じられる。 
 バトル開始のカウントダウンが表示された。アタシは剣を抜き放った。隣でラフが双剣を構える。
 3・2・1・Fight!
 そのとたん、四方八方から不吉な音が聞こえてきた。地鳴りがした。殺気に取り囲まれた。広場を取り巻くタケの茂みが、一斉に立ち上がった!
「ちょっと、なによ、あれ! 全部モンスターだっていうの?」
 ものすごい数だ。一体一体の戦力は、たいしたことないと思う。でも、あれだけの数が一度に襲いかかってきたら?
 ニコルが、自分の背丈よりも長い杖を掲げた。詠唱される呪文がウィンドウに表示される。すごい速さ、すごい長さ。これは、かなり難度の高い魔法。
 小さなニコルの体から力があふれ出した。おかっぱの銀髪が燃え立つ。エメラルドの目と、杖の先端を飾る緑の珠が、澄んだ光を放った。
「せーのっ!」
 ニコルは杖を地面に突き立てた。突かれた大地の一点を中心に、衝撃波が広がる。猛烈な魔力。アタシの体も揺さぶられる。
 立ち上がったタケの茂みがビクリと震えた。雷撃を受けたかのようにこわばって、動かない。
 オヘが地団駄を踏んだ。
「このっ! オマエたち、ワタクシの命令を聞きなさい!」
 ニコルは歯を食いしって、小さな体で仁王立ちしている。噴き出す魔力が緑色のローブをはためかせる。
「使役魔法では負けないよ」
 ニコルとオヘの魔力がぶつかり合っている。
 でも、ニコルのほうが不利だ。だって、ここはもともと、オヘのための力場だ。それをニコルが強引に分捕ろうとしてる。すごく無茶なことしてる。優劣はひっくり返らない。
 その証拠に、オヘは動ける。ニコルは術を使ったきり、身動きがとれない。
 ラフが先に飛び出した。
「シャリン、続け! 波状攻撃をかける!」
「わかってるわよ! アタシに命令しないで!」
 ラフが間合いを詰め、長身を沈める。全身で横ざまに旋回。円運動する勢いのまま、二本の大剣が斬撃を繰り出す。
“stunna”
 攻撃はヒットした。
「うふふ」
 オヘは笑ってる。ダメージが浅すぎるんだ。
 ラフがオヘから跳び離れた。交替で、アタシの攻撃。七連撃する得意技。
“Wild Iris”
「硬い……!」
 オヘは平然と立っている。
 ラフは両腕を開いて構えた。双剣を持った両腕をハサミの刃に見立てて、勢いよく閉じる。
“chill out”
 ガキン。硬い音をたてて、オヘの体はラフの双剣を受け止めた。
「うそだろ?」
 肉弾戦の間合いで、オヘが微笑む。オヘの脚が、双剣ごとラフを蹴り飛ばした。
「なにやってんのよ!」
 アタシは地面を蹴って低く跳んだ。剣に力を込める。細い剣身が、ぶわりと、巨大な槍になる。
“Bloody Minerva”
 オヘのくびれた腰に剣を突き立てた。刃が通らない。
 アタシはオヘから跳び下がった。ラフは、よろめきながら立ち上がった。放り出された双剣を、一本ずつ拾う。
「なんだよ、あの守備力? チートかよ?」
「鼻の下伸ばして油断してんじゃないわよ、バカ」
「伸ばしてねえよ。揺れない胸とか硬すぎる肌とか、そそるわけねえだろ」
「そういう問題か!」
「マジでやんなきゃヤバそうだな」
 ラフの黒い両目に、不意に、赤い光がともった。襟足でくくられた黒髪が、ざわりと波立つ。
 ……なんなの? 何かが、変。何かが……ラフの何かが、おかしい。
「ちょっと、ラフ?」
 オヘがなまめかしい仕草でアタシを見た。攻撃対象は、アタシひとり。
 アタシは身構える。
 オヘは無造作に腕を振り上げて、振り下ろした。
 遠すぎる間合い。でも、遠すぎなかった。
「は、反則っ!」
 オヘの腕が伸びた。しなうタケの強靱な一撃。思いがけないスピード。
 アタシは剣を叩き付けた。オヘの腕の勢いを相殺できない。剣もろとも、アタシは吹っ飛ばされた。
 ダメージ判定。脳しんとうは起こしていない。コマンド入力。言うことを聞いて!
 ぶざまに転がる寸前、アタシはネコのように身をひるがえして着地した。
 と。
「……ウ……ア、ア、アァッ……!」
 低い唸り声に、アタシはゾッとした。振り返って、画面にアイツを表示させる。
「ラ、ラフ?」
 シルバーメイルの内側に隠れていた、赤黒いまがまがしいイレズミが、くっきりと発光している。しゅうしゅうと煙を上げている。
 イレズミじゃないんだ。なんなの、この赤黒い紋様?
 ラフの肌の上に増殖するように、赤黒い紋様が徐々に広がっていく。割れた腹筋にまで、紋様が及ぶ。
 黒いはずのラフの両眼が、ギラギラと赤い。度を超えた闘志は、むしろ、狂気だ。
「ハ、ハハ……ァハハハッ……!」
 ラフは笑った。牙がのぞいた。上下の牙の間に唾液が糸を引いて光った。
「ど、どういうことっ?」
「驚クな、シャリン。こレガ、オレの、スキルだかラ」
 耳障りな野獣の唸りがラフの声に混じる。
「もしかしてアンタ、『呪い』を……?」
「ゴ明察」
 ラフは楽しそうに、野獣みたいに、笑っている。
 呪いは、一種の異常ステータスだ。ゲームの製作過程で生じたバグ、らしい。修正しきれずに、削除もできずに、残ってしまったもの、らしい。
 噂だけは聞いたことがあった。でも、実在するとは思ってなかった。
 呪いを発動すれば、そのバトルの間、チートになる。通常時をはるかに上回る能力を手にすることができる。
 一方で、呪いの対価もある。一定の法則に従って、操作性が失われる。つまり、コマンドが利かなくなる。下手をすれば、アバターが暴走する。
 呪いを設定した最初のうちは、まだコマンドが利く。そのぶん、引き出せる能力は低い。呪いを発動させればさせるほど、強い能力を手にできる。同時に、次第に操作不能になっていく。
 操作性が完全に失われたとき、そのアバターのデータはデリートされる。これはつまり、死だ。ピアズにおいて、おそらく唯一の、死。
「噂は本当だったの?」
「ああ、正しイよ。オ姫さまも知っテルとおり、オレは、どんどん、呪われテイク」
 なによ、それ。コイツ、ほんとのほんとにバカ?
 怒鳴ってやろうかと思った。でも、やめた。アタシは笑顔をつくってみせた。
「アンタみたいにクレイジーなやつ、初めて出会ったわ。おもしろいじゃないの」
 返事の代わりに、ラフは獣の声で大笑いした。
 ニコルが声を高くした。
「シャリン、ラフ、聞いて! タケはね、横に薙いじゃダメだよ。タケの繊維は縦方向に走ってる。だから、横じゃなくて縦に、攻撃を加えなきゃ」
 オヘがタケの両腕を伸ばした。標的は、アタシとラフ、両方。
「させないわよ!」
「ガァッ!」
 アタシとラフの合計三本の剣が、同時にひるがえった。タケの繊維と同じ方向に、刃を滑らせる。
 パシン!
 小気味よい手応えがあった。ヒット判定。オヘが悲鳴をあげる。
「よし、割れたわね!」
 ニコルが、アタシとラフに発破を掛けた。
「じゃあ、今から反撃開始だよ!」
 攻略法がわかってしまうと、バトルの難易度は一気に下がった。ホクラニを体内に取り込んだオヘは、異様にヒットポイントが高かった。でも、それだけだった。
「いやぁぁぁっ!」
 甲高い悲鳴とともに、オヘは倒れた。
 黄金色の肌が強烈に発光する。オヘは、自分の体を抱きしめた。光はオヘに反発するように弾ける。オヘの胸元から、キラキラと、ホクラニがこぼれ落ちた。
「もらってくわよ」
 アタシはホクラニを拾い上げた。
 オヘがアタシを見上げた。呆然とした顔。その輪郭が歪む。みるみるうちに、オヘの背丈が縮んだ。シャープすぎる顔立ちが、子どもっぽく丸くなる。バストが、ぺたんこにしぼんだ。
「え。ガキかよ」
 それがオヘの本性だった。十歳くらいかしら。黄金色をした大きな目が、うるうるとにじんだ。
「えーん!」
 オヘはピョコンと跳び上がった。泣きじゃくりながら、巨大なタケの中へ引っ込んでいく。
「一つ目のミッションは、これでクリアね」
 アタシは手のひらの上でホクラニを転がした。ピンポン球くらいの大きさだ。装備できないアイテムだから、重さを感知できない。
 あとはフアフアの村へ帰ればいいだけだ。
 でも、帰り道は、悲惨だった。
「なんなのよ、この迷路!」
「おい、ここ、さっきも通っただろ?」
「通ったわよ、バカ!」
「オレにキレるなって」
「さっきは右の道を選んで行き止まりだったから、次は左よ」
「シャリンって記憶力はバツグンだけど、勘は最悪だよな」
「うっさいわね!」
「あ、ほらそこトラップ」
「わかってるわよっ!」
 さっきのバトルで、ニコルはスタミナポイントを消費しきってしまった。だから、迷路みたいな熱帯雨林に使役魔法をかけることができなくて、ラフの背中におぶさるだけのお荷物になっちゃってる。
「ごめんね~」
 ニコルは謝るけど、その笑顔、絶対に反省なんかしてないわよね?
 長い長い迷路の道のりを、アタシとラフはひたすら根気強く歩き続けた。
 朝。
 日差しにはまだどことなく夏の暑さが残ってるけど、風はすっかり秋だ。
 あたし、風坂麗《かぜさか・うらら》は、涼しい朝の空気を肩で切り裂いて早足で歩く。学校へ行かなきゃいけない。
 まるで儀式ね。あたしは供物。向かう先は、いけにえを待つ祭壇みたいなもので。
 ポニーテールを揺らして歩くあたしと、どこかの学校の男子三人がすれ違う。聞こえよがしの声が耳に入ってくる。
「今の子、見たか? けっこうよくね?」
「見た見た。ガリ勉メーセーのわりに、レベル高ぇ」
「胸にボリュームあったらカンペキなのにな」
「わかってねぇな。手のひらすっぽりサイズのほうがかわいいじゃん」
 雑音。
 黙っててよ。
 こっちを見ないで。神経をひっかき回さないで。
 あたしが着ているのは、時代がかった制服だ。白いブラウス、ボルドーのリボンネクタイ、青がメインのギンガムチェックのスカート、黒い革靴。
 明精女子学院高校の制服は、半世紀前と同じデザインだ。つまり、二〇〇〇年ごろに流行った形の制服らしい。
 制服が物語るとおり、明精の体質は古くさい。「淑女を育てるための」っていうしらじらしい校訓のせいで、かえって、よその男子は明精の女子に興味を持ってる。
 あたしがこれだけイライラしたオーラを出してても、寄ってきたバカから無遠慮に声をかけられることがある。
 腹が立つ。傷付く。苦しくなる。
 でも、面と向かったら、あたしはうまく声が出ない。足を速めながら、一人きりでつぶやくだけ。
「頭の悪いやつに用はないのよ」
 つまり、世の中の九十五パーセントを占める「普通の」人間に、用はない。
 あたしは、特異高知能者《ギフテッド》だ。生まれて半年で文字を覚えて、数をカウントした。一歳の誕生日には、小学校入学レベルの頭脳があった。
 今、あたしが望むなら、世界一流の研究機関の勤めることができる。そして、親の給料より、よっぽど稼ぐことができる。
 でも、あたしは一般の高校に入学した。そうしてみたかっただけ。ただの気まぐれ。その選択を、今は後悔してる。
 ここ、響告《きょうこく》市は、四方を山に囲まれた町だ。レトロな町並みは二十一世紀初めごろのままらしい。
 学生の町でもある。世界屈指の研究機関、響告大学のメインキャンパスがあって、その近辺には響告大学の学生がたくさん下宿している。学生相手のお店も多い。
 おにいちゃんも響告大学の出身だから、大学のまわりのおもしろいお店を、いっぱい知ってる。
 あたしの実家は響告市の隣町にある。あたしは高校入学と同時に響告市に引っ越してきた。それ以来、一度も実家に帰ってない。実家から連絡が来ることもない。
 一人暮らしではなくて、あたしはおにいちゃんと一緒に住んでる。おにいちゃんが全部間に立ってくれるから、何のトラブルもない。安心できる。この安心感がないと、生きていけない。
 あたしはカバンを肩越しにして、四本の指に引っかけた。軽いカバンの中身は、おにいちゃんが作ってくれるお弁当だけ。あたしには教科書やノート用の端末も必要ないから。
 明精女子の校舎も築数十年の古いもので、見た目だけなら、もっとずっと古く見える。中世ヨーロッパって言ってもいいくらいのゴシック様式。重苦しくて、堅苦しい、牢獄みたいな場所。
 黒鋼の門柱を背にして、十人の教師が笑顔と挨拶を振りまいている。五十年の伝統を持つという、朝の挨拶運動だ。
 国語教諭の出来静世《でき・しずよ》があたしを見た。
 いかにも先生らしい格好と雰囲気の女。長い髪は一つに編み込まれてる。度の弱いメガネと、色白な顔。明精女子の卒業生らしい。二十五歳で、教師の中ではいちばん若い。
 あたしは静世が嫌いだ。あの人には裏表がある。甘ったるい笑い方がやたら好かれてるらしいけど、信じられない。
「風坂さん、おはようございます」
 あたしは応えない。
 静世のそばをすり抜けるとき、花のような匂いがした。コロン? この女、そんなのつけてた?
 ただでさえ、毎朝、校門をくぐるときには吐き気がする。そのうえ、この不自然な匂い。
 気持ち悪い。本気で吐きそうになる。
 ダメ。負けちゃ、ダメ。
 逃げちゃいけない。毅然として、強がってなきゃ。
 あたしは奥歯を噛みしめた。体のどこかが痛いような気がする。でも、どこが痛いのかわからない。
 明精女子の校舎は、四つの建物が、十字架の形に配置されている。
 南向きに長く伸びるのが紅玉館。四つの建物の中で、いちばん広くて大きい。南端に正面玄関があって、全学年の教室や特別教室、校長室や職員室、購買部は、この紅玉館に入っている。
 中庭は正方形。それを挟んで左右対称に、東の瑠璃館と西の真珠館。瑠璃館は、まるごとひとつが図書館になっている。真珠館には、教職員の居室や教科ごとの資料室が置かれている。
 北の黒曜館は、一般生徒は立ち入り禁止。「黒曜館の地下には核シェルターがある」「昔、黒曜館の北塔で自殺者が出たらしい」みたいな無責任な噂が、たくさんある。
 ほとんどの生徒は、紅玉館が、学校生活の中心になる。でも、あたしのための教室は、黒曜館にある。
 あたしは足早に紅玉館を抜けた。中庭を突っ切って黒曜館に入るのがあたしのルートだ。ときどき、人に咎められる。
「中庭の出入りは許可されていないわよ」
 余計なお世話よ。ほっといて。
 あたしは特別なんだから。
 中庭へ出るための扉は、電子キーで閉じられている。あたしは、普段どおり、手動でキーを解除した。この程度のパスワード、一分あったら解析できちゃう。何回設定し直しても同じこと。
 出来静世の話によると、中庭の出入り禁止は、虫のせいなんだって。虫が出て、人を刺したり噛んだりして、危険だから。
 バカじゃないの? 虫より人間のほうが危険だと、あたしは感じる。
 ミツバチの羽音。アゲハチョウのダンス。セミの歌声。ハエのごますり。ほら、虫くらい、どうってことないのに。
 中庭の小道は幾何学的なラインを描く。両脇は、あたしの背丈くらいの高さのバラの垣根。秋バラの香りが、中庭に満ちている。ヒメリンゴの青い実が、華奢な木に、たくさんぶら下がっている。
 ガサリ。
 風のない中庭で、音がした。
 人がいるってこと? うんざりだわ。誰にも会わずにすむはずのこの場所に誰かがいる。あたしだけの場所のはずなのに。
「おはよう。ねえ、ちょっと待って」
 背の高い美少女が、現れた。
 いや、少女ってカラダじゃない。豊満なバスト。ブラウスのボタンが、今にも弾け飛びそう。首のリボンネクタイはボルドーだから、あたしと同じ二年生らしい。
 その胸の大きな女が言った。
「きみが、風坂麗?」
 気持ち悪い、と思った。
 こっちは相手のことを知らない。なのに、向こうはこっちの名前と顔を知ってる。
 晴れた朝の空気に、軽やかな笑い声があがった。
「あはは、そんなに尖った目をしないでよ。かわいいなあ!」
 あたしは黙って相手をにらむ。
 声が出ない。言葉を編んで、喉が温まるのを待つ。そうしないと、対面した相手の前で、あたしは声が出ない。
「わたしは葉鳴万知《はなり・まち》。風坂、きみと同じ二年一組の生徒だよ。といっても、つい一ヶ月くらい前に、この明精に編入したんだ。よろしく」
 右手が差し出された。あたしはその手を、音をたてて払いのけた。
 その瞬間、喉のつかえが取れたみたいに、あたしの口から声が出た。
「二年一組担任の出来静世が、あたしの監督教員だから、あたしも、二年一組といえなくはない。でも、あたしは普通の連中とは関わりがないの。挨拶、なんか必要、ない」
 万知のあごにほくろがある。唇は赤くてぽってりしている。笑顔には、こっちを呑み込みそうなくらいの色気があって、ゾッとする。万知は、背中に流した長い髪を掻き上げた。
「つれないね。静世センセイが言ってたとおりだ」
「……あんたに、関係ない、でしょ」
「関係あるよ? 風坂の話し相手になってほしいって、静世センセイに頼まれてる」
 いきなり、あたしは強い力で引き寄せられた。
「っ……!」
 万知があたしの肩を抱いている。
「わたしは風坂の友達になりたいな。その孤独な目に惹き付けられる」
「ちょっ……」
 キスされそうなほど顔が近い。花のような匂い。あたしの手からカバンが落ちる。
「スキンシップ、苦手?」
 万知の吐息があたしのおでこに触れた。あたしの目の高さに、万知の微笑んだ口元がある。あごのほくろ、すんなりと長い首。
「や……やめ、なさいよ……」
 抱かれたままの肩から、ぞわぞわと寒気が広がる。
 万知の体は柔らかくて温かくて、だから、鳥肌が立った。人間の体って、ぐにゃっと簡単につぶれて壊れてしまいそう。
 心臓が走っている。呼吸が上がっている。
「かわいいな。そんな顔しないでよ。わたしは、ただ、お見知りおき願いたいだけ」
「め、迷惑よ……」
 喉に声が詰まって、うまくしゃべれない。
 離してよ。そこ、どいて。あんたなんかに、かまわれたくない。
 ああ、また声が出ない。
 あたしは無理やり、もがいた。背の高い万知を力ずく手押しのける。
「あらら、逃げられちゃった」
 万知が肩をすくめた。
 あたしは万知を避けて、さっさと歩き出す。あたしの背中を、万知の声がなで回した。
「わたしはきみのことが気に入ったよ、風坂。わたしは必ずきみと仲よくなるよ」
 あたしは、あんたみたいになれなれしいやつが嫌いよ。大嫌い。
 ほてりと寒気を同時に感じている。万知の肉体の感触。熱くて弾力があって、あたしに吸いつくみたいで。
 人の体温に触れたのは、いつ以来だろう? こんなに気味が悪いものだった?
 変なんだろうか、あたし。
 あたしは黒曜館の玄関の前に立った。
 古いふりをした、ヨーロッパ調の、黒塗りの扉。でも、ハンドルは取り付けられていない。ハンドルがあるはずの場所には、黒い金属プレートが貼り付けられている。
 あたしはプレートに触れた。掌紋が認証されて、扉が重々しくスライドする。
 屋内に入ると、赤外線センサが作動して明かりがついた。黒樫の廊下。御影石の柱。大理石の階段。
 あたしの背後で扉が閉まった。
 歩き出そうとした矢先、あたしは何かを踏みつけた。
「きゃっ! って、これ、なに? ぬいぐるみ?」
 ひとりごとでつぶやく。
 うん、そう。ピンク色のぬいぐるみだ。クマ? ウサギ? 丸っこい尻尾がついた体だけじゃ、どっちかわからない。
 ぬいぐるみには首がなかった。ほわほわした白い綿が、切り口からあふれ出して床に散っている。
「なんでこんなところに? あたし以外の誰かがここに入ったっていうの? それにしても、なんで首がないのよ?」
 あたしはぬいぐるみを拾い上げた。命を持たないおもちゃでも、頭を失った姿は悲しい。そして、薄気味悪い。
 誰の仕業なの?
 黒曜館には機密情報が収められているらしい。だから、あたしや一部の教職員だけしか入館が許可されてないはず。
 ヴィィィィ。静かな駆動音が近寄ってきた。平たい円盤型をした掃除機が床の上をくるくる回る。ぬいぐるみの首からこぼれた綿や糸くずが飲み込まれていく。
「何かあるなら、出来静世が言ってくるわよね」
 あたしはぬいぐるみを手に、いつもの小部屋へ向かった。
 名前のないその小部屋には窓がない。白塗りの壁と天井。開け閉めするたびに軋むドア。机と椅子が一組と、柱時計が一つ。
 ここがあたしのための教室。ひとりきりの小部屋。
 あたしは椅子に腰を下ろして、机に左肘で頬杖をついた。右手の親指に噛みつく。
 遠くからチャイムの音が聞こえてくる。黒曜館ではチャイムが鳴らない。別の場所で鳴る音が、うっすら、ここまで届く。
 チャイムから少し経って、ドアがノックされた。あたしは応えない。ドアは軋みながら開かれる。
「おはようございます、風坂さん。お待たせしたわね」
 静世が入ってくる。花の匂い。吐き気がするみたいな匂い。
「……どういう心境、の変化?」
「あら、なんのことかしら?」
「匂い」
 静世は、甘ったるい声で笑った。あたしの質問には、答えない。
「風坂さん、これが今日の課題よ。三時間で可能なところまで、コンピュータに打ち込んでちょうだい」
 静世は紙の束と旧式のノート型PCを机の上に乗せた。A4サイズの紙には、五ミリ角の数字が延々と連なっている。ノート型PCを開いて、起動。ディスプレイの液晶は安物みたいで、ざらざらしてる。
「こんな、作業に……なんの意味が、あるっていうの?」
 静世はにっこりした。
「あなたが意味を知る必要はないのよ、風坂さん。あなたに求められているのは、集中して課題をこなすことなの」
 わかってるわよ。
 静世は、環状のヘッドギアをあたしに差し出した。あたしはヘッドギアを引ったくって、頭に装着する。
「PCは、3時間で自動的にデータが保存されて電源が落ちる設定よ。わたしはここを離れるけれど、いいわよね?」
「……さっさと、行って。時間」
「ええ。そうするわ」
 いつも課題をスタートする時刻を、すでに少し過ぎている。おかげであたしは据わりが悪い。与えられた課題をこなさないと小部屋から出られないんだから、さっさと取り掛かりたい。
 あたしは目を閉じた。静世の存在を意識から弾き出す。集中しよう。集中すれば、三時間なんて、一瞬だ。呼吸を数える。
 3、2、1。
 目を開ける。あたしは細かい数字の羅列に視線を走らせた。
 4793493597973621790379453……。
 ひとにらみで記憶した数字の群れを、両手の指先で画面の中に叩き込む。数字をにらみながら、叩き込む、叩き込む、叩き込む。
 開くときと閉まるときに、部屋のドアは相変わらず軋んだ。意識の片隅でそれを聞いた。
 それっきり、あたしは単純作業に没頭した。


 あたしが毎日やっているのは、十年くらい前の宇宙飛行士採用試験らしい。その情報だけは、初めに静世から聞かされた。
 試験っていうより、訓練に近いと思う。
 単調な作業が多い。真っ白で絵が描かれていないジグソーパズルを組み立てるとか。ナノサイズのブロックを平面図どおりに組み上げるとか。三桁×三桁のかけ算を延々と暗算するとか。
 作業の進度や成績が優れてるのか劣ってるのか、ヘッドギアで測定する脳波のデータが何に利用されるのか、あたしは何も知らない。
 特異高知能者《ギフテッド》に課せられたカリキュラムは当事者の教育のためのものではなくて、あたしはデータ収集用の材料に過ぎない。収集されたデータは、あたしの知れないところで使われる。
 あたしは、ただのモルモット。
 これがあたしの学校生活だ。一人きりで延々と単純作業をして、その脳波のデータを提供するだけの日々。
 むなしい。
 三時間は一瞬だった。入力終了のアナウンスが表示されて、PCがシャットダウンする。
「よっし、終わったー」
 あたしは思いっきり伸びをした。
 そのはずみで、つま先で何かを蹴飛ばした。
「え?」
 立ち上がって床を見る。首のないピンク色のぬいぐるみがひっくり返っている。
 あたしはぬいぐるみを拾って机の上に座らせた。そして、カバンをつかんで小部屋を抜け出す。
 与えられたノルマは終わらせた。下校時刻まで、あたしは自由だ。お昼のお弁当はちょっとマシな場所で食べる。
 同級生たちがどんな一日を過ごしているのか、あたしは知らない。下校の時刻だけ知ってる。まわりが帰るタイミングを合わせて、あたしも下校する。
「麗も部活に入りなよ」
 そんなふうに、入学前、おにいちゃんに勧められた。おにいちゃんは、高校時代の演劇部がすごく楽しかったらしい。
 でも、あたしが部活に入ることは静世に禁止された。
「風坂さんの活動を、ほかの生徒に知られてはならないの。理解してね」
 わかってるわよ。なれ合うつもりなんか、さらさらないんだから。
 黒曜館には塔がある。校舎の中でもいちばん北にあるから「北塔」って名前だ。
 初め、塔の入り口は電子キーで閉ざされていた。パスワードの解析をしてみたら、あっさり煙を上げてロックが解除された。それ以降、鍵はかけられていない。
 北塔は六角柱の形をしてる。一階から最上階の六階までほとんどの部屋が書庫で、二十世紀に収集された物理学関係の資料がたくさん眠ってる。研究報告書から一般向けまで、いろいろ。暇つぶしに読むにはもってこいだ。
 あたしは息を弾ませて、吹き抜けの螺旋階段を駆け上がる。学校の中であたしが唯一好きな場所は、最上階の「天球室」だ。
 天球室は、一昔前までは、プラネタリウムとして利用されてたみたい。壁と天井はドーム型で、UVカット仕様の強化ガラス製。遮光幕を引っ込めたら、天球室には空色の光が満ちる。
 天球室の真ん中に大机が一つ、ぽつりと置かれている。大机の裏には「天文部は永久不滅」と丸文字で書いてあった。二十五年前の日付と一緒に。
 当時の部員の名前が五人ぶん。その中に、あたしの母親の名前がある。
 あたしは大机に腰掛ける。カバンを投げ出して革靴を脱ぎ散らして仰向けに倒れた。
「空が近い」
 この場所でこうして寝転んでると、まるで空に浮いてるみたいだ。
 無意識のうちに、あたしは右手の親指に噛みついてる。半端に開いた口から、ため息があふれる。
 なんて無意味な日常。
 特異高知能者《ギフテッド》のカリキュラムは、家族にさえ漏らしちゃいけない。そんなふうに釘を刺されてる。
 漏らすはずがない。あたしはただのモルモットだなんて、言えるはず、ないじゃない。
 感情を閉ざしていなければ、心が壊れてしまう。
 普通だったらよかったのに、と思ったことはない。普通だったら、あたしがあたしでなくなる。
「負けるもんか」
 どんなに屈辱でも、プライドを守り通したい。あたしは負けない。
 放課後、待ち伏せされていた。
「お疲れさま、風坂」
 微笑んでみせたのは、葉鳴万知。朝、あたしの体にさわった女。
 万知の隣に立つ静世は黙ったまま、メガネの角度を直した。機嫌悪そうだ。
 というか、あたしのほうこそ、機嫌悪い。
「なんで?」
「なんでここにいるのかって? 下校時刻になれば、風坂がここを必ず通過するからね」
「違う……なんで、あんたが黒曜館の中に?」
 万知は黒い扉にもたれかかってる。あたしがにらんでも、気にする様子がない。
「許可はもらってるよ。静世センセイにね。センセイがわたしをここに入れてくれた」
 静世は目を伏せるようにしてうなずいた。
「学長にも葉鳴さんの入館を報告してあるわ。風坂さんこそ、あまり黒曜館の中をうろうろしないで。ここには機密事項がたくさんあるの。まして、風坂さんのプライベートな空間ではない。わかっているわよね?」
「北塔だけよ。許可、あるんでしょ?」
「ええ。学長にも報告したし、許可もいただいているわ」
「あたしは、北塔以外には、行ってない。信用できないなら、監視カメラの映像、あるはず。どいて」
「風坂さん、あのね……」
 何か言いかけた静世の唇に、万知が人差し指を押し当てた。静世を黙らせた指先を、万知はぺろりと舐めた。みるみるうちに静世が赤くなる。
 違和感。
 静世がこんなに簡単に黙るなんて。それに、あんな表情。
 万知はつかつかとあたしに近寄ってきた。あたしは万知をにらんだ。万知は平然としている。
「ねえ。風坂は友達がいないよね?」
 単刀直入な質問。
 深呼吸して、答える。
「……いるわけ、ない」
「昼休みでも放課後でも、教室に行ってみればいいのに」
「教室って?」
「二年一組。静世センセイが担任するクラス。わたしたちはクラスメイトなんだよ?」
「クラス、メイト」
 万知はあたしに右手を差し出した。朝と同じ仕草、同じまなざし。大人びていて、どこかに毒が含まれた、キレイな笑顔。花の匂いがする。
「わたしは風坂と仲よくしたい。だから、静世センセイに無理を言って、ここへ入れてもらったんだ。よかったら、今日、一緒に帰らない?」
 何を、言ってるのよ?
 あんた、なんなの? あたしと話をして、何になるっていうの? だいたい、どうして、一般生徒があたしのこと、気にしたりするの?
 違和感。
 そして、恐怖。ふわふわした恐怖に呑まれる。
「お、お断りよ。あたしは……た、他人と調子を合わせるのが、嫌いなの……ほっといて」
 静世に呼び止められたのを無視して、あたしは黒曜館から飛び出した。