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校門を出ると、ターゲットの高橋萌乃はイチョウ並木の通りを歩いてショッピングモールへと向かっていた。
俺と並んで歩く左衛門真琴がこちらを向いた。
「優一郎殿、これから萌乃さんが何をするのか推理しなさい」
「なんで俺が?」
「尾行だけでは退屈でしょう。ついでに推理能力も鍛えるのです」
そんなこと言ったって、手がかりもないし、分かるわけがない。
「よく考えるのです。当て推量は認めませんよ」
二人で並んで歩くのは初めてだ。
中学の時にもこんなことはなかった。
彼女がやや視線を上向きにして俺を見つめている。
いつの間にか俺の方が少しだけ身長を追い越していたらしい。
お嬢様は中学の時から体型が変わらないんだな。
スリムな体型だから隠れやすくて探偵向きだ、なんてことは断じて思ったりはしていない。
余計なことを考えてしまって、つい顔が熱くなる。
俺は動揺をごまかすために話をそらした。
「でも、推理は探偵の仕事ですよね。俺は助手なんじゃないんですか?」
自称名探偵の姫君はどうやら俺の発言がお気に召したらしい。
左手の人差し指を立てて微笑む。
「あなたはいいことを言いました。ならばわたくしがお手本を見せましょう」
彼女は太いイチョウの幹に隠れるようにして尾行を続けながら、高橋萌乃の行動を予想し始めた。
「萌乃さんはこの後、ショッピングモールへ行くでしょう」
まあ、この道なら、そうだろうな。
周りは住宅街で、他に立ち寄りそうなところはない。
「そして、まずは百円ショップに入ります」
まあ、入り口すぐにあるお店だからな。
買いたい物がなくてもなんとなく見てしまうのが百円ショップというものだ。
「そしてその後、二階フロアの手芸屋さんへ行くでしょう」
手芸屋?
「あいつ、そんな趣味あったっけ?」
「なくても関係ありません。これは推理なのですから」
ただの当てずっぽうかよ。
なにが名探偵だよ。
まったく、放課後まで気まぐれなお嬢様の相手をしなくちゃならないなんて、とんだ災難だよ。
でも、俺はそんな心の内を見透かされないように努めて、任務に集中しているふりをした。
なにしろ、気まぐれなくせに、そういうところだけはズバリと見抜くのだ。
気のない返事などしたら大変なことになる。
左衛門一族の支配するこの街で生きていくことができなくなる。
ていうか、なんなら追い出してもらって、東京の大学にでも進学する方がいいような気もしてきた。
その方が地元より仕事も見つかりやすそうだし、こんな気をつかわなくてもすむ。
そうだそうだ。
真面目に勉強を頑張って、こんな街、俺の方からおさらばしてやるぜ。
俺をこの街から追い出してくれ。
急に人生の希望がわいてきて、思わず顔が緩んでいたらしい。
「何をニヤけているのですか」
いかん、機嫌を損ねてしまった。
勉強を頑張るのは今日じゃない、明日からだ。
いや、なんなら明後日からでもいい。
とにかくまあ、いつでもいい。
今はこの局面を無事に乗り切らなければならない。
俺はとっさに前を指さした。
「あ、探偵! ターゲットがショッピングモールの中に入りましたよ」
わざとらしくても、俺の態度がお気に召したのか、姫君は鷹揚にうなずきながら言った。
「結構ですね。まずは一つ、わたくしの推理が的中しました」
俺にも予想できたことだけどな。
ここは手柄を譲るのが正解だろう。
「まあ、良かったな」
「なんですか。まぐれだと思っているのですか」
「いや、名推理だと思いますよ」
「当然です」
左手の人差し指を立てて名探偵殿がショッピングモールへ入っていく。
俺も慌てて追いかけた。
正面入り口すぐにある百円ショップをのぞくと、高橋萌乃は本当にそこにいた。
「二つ目も的中です。どうです」
お嬢様は満足げに胸を反らして俺を見ている。
反らすほどのモノはないなんて決して思ったりはしない。
あれだ、スリムなモデル体型なんだ。
ものは言いようってやつだ。
浴室用品の棚に隠れながら自称名探偵の姫君はターゲットを観察している。
客のおばさんが俺達を邪魔そうに見ながらタオルを物色している。
ウチの探偵が本当にすみません。
高橋萌乃は髪の毛につけるスリーピンという形のパッチン留めを見ているらしい。
だが、どうやら気に入った物がなかったらしく、何も買わずにすぐに店を出て行った。
後を追おうとする俺を、名探偵が呼び止める。
「優一郎殿」
なんでござるか。
振り向くと名探偵殿はターゲットが見ていたヘアピンの棚を眺めている。
何してるんだよ。
ターゲットが行ってしまうぞ。
「わたくしに似合うのはどれかしら」
はあ?
今はそんなのんきなことを言っている場合じゃないだろうが。
尾行の途中にパッチン留めを買うなんて、それでも名探偵のつもりかよ。
せっかくこっちは探偵ごっこにつきあってやってるというのに。
百均のヘアピンが欲しくて迷うなら、全部買い占めたらどうだ。
「どれでもいいんじゃないか。早く行かなきゃ見失うぞ」
気のない返事をすると、途端に不機嫌な顔になる。
分かりましたよ。
選べばいいんだろ。
俺はざっと目を通して、パステルカラーの星飾りがデザインされた物を指さした。
ちょっと小学生っぽいんだが、どうでもいいことに構ってなどいられない。
「まあ、このへんなんかいいんじゃないか」
すると、名探偵の姫君は俺が指さした中からホワイト系の落ち着いた色合いの物を手に取った。
「では、これを買い求めることにいたしましょう」
「え、なんで!?」
マジで買うとは思わなかったぞ。
「なんです。適当に選んだというのですか。当て推量は認めませんよ」
「いや、いちおうちゃんと選んだつもりだけど……」
「それなら良いではありませんか」
「でも……」
やばい。
引っ込みがつかなくなってしまった。
「なんでしたら、あなたもこれを買いなさいな」
「なんで俺がヘアピンを買わなくちゃいけないんだよ」
「制服のポケットにはめるのです」
そう言うと彼女は俺の制服の胸ポケットにパステルピンクのスリーピンをパチンとはめた。
よりによってその色かよ。
「どうです。探偵団のマークみたいで素敵ではありませんか。探偵団には団員バッジがつきものでしょう」
え……、そうか?
どうでもいいんだが、アニメとかに出てくる少年探偵団って、どうしてバッジなんか付けたがるんだろうな。
探偵って正体がばれたら困るだろうに
実際、敵に捕まって、『おい、これは何だ』なんて取り上げられてピンチに陥るのがお約束だ。
こんなものをつけていたら、なんだか俺まで困ったことに巻き込まれそうで嫌だな。
でも、戸惑っている俺を名探偵の冷たい瞳がまっすぐに見つめている。
逆らうとそれこそ面倒だからおとなしく従うことにしよう。
本物の事件よりも、まずは目の前のピンチから逃げなくちゃいけない。
この街で生きていけなくなる。
ああ、もう、いっそのこと俺を追放してくれないか。
その方が自由になれて楽でいい。
そんな俺の気持ちなど華麗にスルーして、名探偵殿は探偵バッジに見立てたパッチン留めを自分の髪にはめている。
「どうです? 似合いますか?」
長身の彼女に小学生向けのパッチン留めが似合うはずがない。
「ああ、いいよ。ふつうに似合ってる」
自然と棒読みになってしまう。
姫君が頬を膨らませる。
「褒めるならもう少し気持ちを込めなさい」
「パリコレのランウェイでも歩いていそうだな」
俺は凹凸のないモデル体型に対する皮肉のつもりだったのだが、お嬢様にはそうは聞こえなかったらしい。
「パッチン留めくらいで褒めすぎです」
どうやら今度は真に受けたらしく、膨らませていた頬を赤く染めながら品物を持って本当にレジへと向かい始めた。
「え、マジで買うのか?」
「わたくしに似合うのでしょう?」
「ああ、まあ……」
俺は引っ込みがつかなくなって返事に困ってしまった。
おまけに、レジで順番が来たときに、自分の胸ポケットにさっきのパステルピンクのパッチン留めがついたままだったことに気がついた。
なんてことだ。
「あ、俺、これ返してくるから」
戻ろうとした俺を姫君が呼び止める。
「あなたのはわたくしが買いますから、あなたはわたくしのを買いなさい」
いや、いらないんだけど。
ていうか、なんで俺がそっちのを買ってやらなくちゃならないんだよ。
しかし、後ろに並んでいる他のお客さんもいて、グダグダやっている場合ではなかったし、せっかく機嫌の良くなった女王陛下がまたへそを曲げると困るので、俺は黙って従うことにした。
俺はお嬢様のを支払い、彼女は俺のを支払い、二度手間で無駄に時間が過ぎてしまったけど、彼女は満足げにパッチン留めを髪に止めて百円ショップを後にした。