「したといえば、したのかもしれないけど」
「神に誓って浮気はしてないさ。内緒で借金もしてない」

 窓に映る彼女はきょとんとして、ぼくに顔を向けた。

「どうして急にそんなことを言うの」
「だってキミ、様子がおかしいから」
「あのね……。やっぱりあとで」

 嫌な汗が背中を伝う。従順な妻こそ爆弾のごとき離縁を伝えるといったのは上司だったかネットのコラムだったか。そんな情報源はどうでもいい。今のぼくがほしい情報は離れてしまったかもしれない妻の気持ちの戻し方だ。

 雪は粒の大きさを増して、植え込みのツツジを覆い始めた。しんしんと降る雪はレストランの中の音さえも吸い込み、自分の鼓動だけが鼓膜を突く。離婚などするもんか、キミが好きなんだから。

「あの付箋紙は坂巻さんと言ってぼくの母親と同じぐらいの年齢のひとで、あの長い髪は新入社員の男の子で、最近人事部も人手不足に長髪の子も採用するようになって」
「そうなの」
「だから断じて浮気ではないし、これからもしない。知り合って半年で入籍して一緒になって、ぼくは焦ってキミと結婚したんじゃないし、一緒にいて自然にいられそうだと思って、いや、キミがおとなしいから都合がいいと思ったわけではなくて……だからその、キミが好きだし、その、愛してるから。これからもキミを大切にするし、浮気はしないし、だからその……」
「忠信さん、勘違いしてるみたいだけど。できたみたいなの。赤ちゃん」
「へ?」

 間抜けな声に自分でも驚いた。そう返事するのが精いっぱいだった。赤ちゃん……赤ちゃん?
 と同時に純白の雪がくす玉から飛び出して舞い散るカラフルな紙のようにみえた。それかパンパカパーンとラッパを鳴らす天使の白い羽か。どちらにしてもぼくの頭の中は真っ白にはじけ飛んだ。

「だからアルコールはしばらくおあずけなの。忠信さん飲んで」
「あ、その、うん。ありがとう」

 飲めることにありがとうではないけれど、それをわかってくれたのか、彼女もありがとうと返事をした。



(おわり)