あ、彼は……。

耳を覆うほどに伸びた栗色の髪。二重まぶたに切れ長の瞳。肘の辺りまでまくり上げた袖から見える腕は、細く白いものの、きれいな筋肉の隆起のせいかたくましく見える。

僕の身長は彼より十センチほど低く、女子にキャーキャー言われるような顔立ちでもない。悔しいけれど、彼は男の目から見ても十分にカッコいい。

夏目彼方――その名前は知っていた。僕だけではなく、教師も生徒も、既にこの高校の全員が彼の顔と名前を覚えたはずだ。なぜなら、彼は入学式で、新入生代表としてスピーチしたから。

あのときを新聞記事にするならば、『本校に新星登場!』なんて見出しがつきそうな光景だった。
――一ミリの気負いも顔に出さず、飛び石を踏むようにトントントンと階段を駆け上がり、壇上に立つ彼方。ああいう場で生徒や保護者の顔を見渡せば、普通はそれなりに緊張するはずだけれど、もう何百回とそれを行ったことがあるかのように、自然体でマイクを手にした。

『僕は犬になります』

それが彼の第一声だった。
会場全体がいっせいにざわめく。先生方が蒼白(そうはく)になった顔を見合わせる。

なにを言ってるんだ?と、僕もあっけに取られて、夏目彼方を食い入るように見たのを覚えている。

ただ、そう思ったのも一瞬で、彼は言い出しから、時間はその生き物、その個体によってまったく違う感じ方になるのだということ、だからこそ、これから始まる三年間という、だれしも平等に与えられた時間を悔いのないよう全力で過ごしていきたい――そんな内容のことをさらりと話した。

『犬の一年は人間の七年に相当します。僕たちがこれから過ごす三年間は、世間の高校生の三年とは違います。七倍の濃度、これ以上ないほどの深い時間にしてみせます』

直前が、校長先生の的を得ない退屈な話だったせいもあるだろう。夏目彼方の話はその場にふさわしい、最良の内容だった。軽すぎず重すぎず、羽目を外さず、それでいて自分の気持ちが入っていて、同じ学年の生徒が言っているというより、いろんな経験を積んだ大人の言葉に聞こえた。

こんな達観したようなヤツと友達になれるだろうか。いや、無理無理。自分とは違う世界で生きているんだろう。