凛子はしばらく電話の相手と話していたが、「えっ」と声を上げてから、突然口元を手で覆って声を低める。
「この辺りに潜んでいるのなら、もしかしたら刑事が聞き込みに回っていることに気づいているかもしれない。でも、磯川探偵事務所の所長は私の知り合いだから……ドアの前では名乗っていない。だから、もし聞かれていても、私を刑事だとは思っていないと思う」
 またしばらく話をして、凛子は「わかった。こっちでも調べてみる」と通話を終えた。
「どうした?」
 恭平も声を低くして凛子に尋ねた。凛子は刹那、迷うように目を動かしたが、小さな声で答える。
「この先にあるコンビニで防犯カメラを見せてもらった後輩が、そっちには男が映ってないって言うの。ちょうどパトロール中のパトカーが巡回してたから、それに気づいてこの辺りに隠れた可能性がある。どこかに身を隠せそうな場所はない?」
 凛子に見つめられ、翔平は人差し指を顎に当てて顔をしかめる。
「あー……このマンションに……二部屋、空き部屋がある。勝手に入られても、誰も気づかないと思う」
 凛子の表情に緊張が走った。
「何号室?」
「一〇五号室と三〇二号室だ」
「わかった。ありがとう」
 凛子がドアに向かおうとするので、翔平は彼女の前に立ちふさがった。
「おいおい、応援が来るのを待つべきだろ?」
「そんなの待ってられない! その間に犯人が逃げたらどうするのよ? 猫だって殺されるかもしれない。いいえ、もう殺されて、どこかに埋められたか捨てられたかもしれない。大切な目撃猫だもの、一刻も早く見つけなくちゃ」
「拳銃は携行しているのか?」
「……いいえ。聞き込み捜査だから許可されていない」
「それなら、ダメだ。行かせない」
「凶悪な犯人をこのまま野放しにはできないの。わかって」
 翔平はため息をついた。
「このマンションに隠れてないかもしれないだろ。俺は訊かれたから可能性を述べたまでだ」
「だったら、見ても構わないでしょ」
「構う」
「止めても無駄よ」
 凛子は揺るがぬ意思を宿した目で翔平を見上げた。翔平も同じくらい強い瞳で凛子を見下ろす。
「それなら、俺が先に行く」
「は? 一般人のダメンズ探偵を巻き込めるわけがないでしょ」
「ダメンズ……」
 翔平は目を見開いたが、すぐに真顔に戻る。
「俺はこのマンションのオーナーだ。凛子は空き部屋を見に来た客ってことでどうだ? それなら不自然じゃない。犯人だっていきなり襲ってこないだろう」