「痛くもかゆくもあるから、連れていったんだよ」
「は?」
「猫に引っかかれたか咬まれたかしたんじゃないか?」
「はぁ?」
 仕事柄、いつも感情を顔に出さない凛子が、呆れた表情になった。翔平は真顔で説明を続ける。
「猫の足跡が犯行現場で見つかって、万一、足の裏に血のついた猫が捕獲され、そのツメや歯の間から自分の皮膚片が検出されたら、自分と犯罪現場を結びつけられる恐れがある。だから、猫を捕まえて猫の足跡を消し、連れ去った」
 凛子は唇を尖らせ、考えるような仕草をした。
「〝名探偵気取りの元会社社長〟にしては、なかなかの名推理だと思わないか?」
 翔平の言葉に答えず、凛子は長い人差し指でモニタを軽く叩いた。
「この映像、もらえる?」
「捜査関係事項照会書は?」
「いるの? 善良なる市民なんでしょ? なくても協力して」
 翔平は軽く肩をすくめ、パソコンにUSBメモリを差し込んで問題の映像を保存した。
「はいよ」
 翔平が差し出したUSBメモリを、凛子が受け取る。
「ありがと。今度ごはんでも奢る」
「うーん、飯より美貌の敏腕刑事さんとデートがしたいな」
「はぁっ!?」
 翔平が冗談めかして笑い、凛子は右手で翔平の襟元を掴んで締め上げた。いくら女性とはいえ、さすがに鍛えられた刑事だ。翔平は「ギブ!」と言いながら、凛子の右手の甲を軽く叩いた。
「おあいにくさま。私の回りに美貌の刑事なんていない。私の班では私が唯一の女性なんだから」
「美貌の刑事はちゃんといるよ」
「しつこい。いないってば!」
「俺の目の前にいる」
 翔平の言葉を聞いて、凛子の瞳に苦悩の色が浮かんだ。翔平は左手を伸ばして凛子の右頬にそっと触れ、凛子はハッとしたように右手を緩めた。
「正義に燃える凛子は誰よりもきれいだよ」
「や……めて。この傷跡が醜いってことは自分でわかってる。この傷のせいで、婚約者にも振られたんだから。惨めになることを言わないで」
 凛子の瞳が悲しげに揺らぎ、翔平は四ヵ月前に彼女の頬に傷を残した男――現行犯逮捕されたナイフ強盗犯――に心の中で呪いの言葉を吐いた。
 そのとき、凛子のスーツのポケットから低い振動音が聞こえてきた。凛子は翔平の襟首から手を放し、ポケットに手を入れる。そうしてスマホを取り出し、耳に当てながら翔平から離れた。その横顔にはもうなんの感情も浮かんでいない。
「はい、檜月」