男がひるんだ隙に、凛子が男の腕を掴んで地面に組み伏せた。刑事たちが駆け寄ってふたりを取り囲み、怒声が飛び交う。
「ナイフを捨てろ!」
「午後二時四十五分、現行犯逮捕!」
 そんな声を聞きながら、翔平は大きく息を吐き出し、マンションの壁にもたれた。

 その数日後の夕方、コンビニで買ったカップラーメンとおにぎりを食べて満腹になり、アームチェアでウトウトしていた翔平は、事務所のドアが開くかすかな音に気づいた。目を閉じたまま、耳に意識を集中させる。足音を忍ばせているが、ときおり小さく響く高い音から、ヒールのある靴の音だとわかる。
(凛子だ)
 翔平は口元を緩ませ、アームチェアを蹴られるのに備える。すぐ近くで足音が止まった瞬間、翔平はガバッと起き上がった。
「きゃあっ」
 凛子が悲鳴を上げ、翔平はしてやったりと笑った。
「刑事さんが探偵事務所に足音を忍ばせて入ってくるなんて、いったいなんの用?」
 凛子は頬を染めながら答える。
「こ、この前のお礼を言いに来たの」
「へえ」
「た、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
 凛子は体勢を立て直すべく、咳払いをして一気にまくし立てる。
「もうニュースで見たと思うけど、あの男、被害者の孫だったの。就職せずにずっと祖父にお金の無心をしてたんだけど、三十歳になった頃から断られるようになったんですって。自分にはお金をくれないのに、古いユニフォームやバットには惜しげもなく大金を注ぎ込むから、腹を立てて、祖父の寝込みを襲ったんだそうよ。強盗の仕業に見せかけるために中から玄関の鍵をかけ、窓を外から割られたように偽装した。そして、金目の物を漁ってたときに、猫が窓から入ってきたんですって。追い出そうとしたら引っかかれて、自分の痕跡が残ったらマズイと思ったそうよ」
 凛子は息をついて軽く肩をすくめた。
「翔平の言った通りだったわね」
「浅はかだな。どうせ盗んだサイン入りボールやユニフォームを換金しようとして、足がつくのに。それで、ズーノーシスは?」
「ああ、あなたが言ってた、なんとかかんとか症とかね。どれも大丈夫だったわよ。しばらく怯えてたけど」
「身勝手な理由で人の命を奪っておいて、我が身のことだけは心配するのか」
 翔平は憤然として言った。
「ホントにね」
 凛子は小さく首を振って続ける。
「とにかく協力してくれてありがとう」