そう言った左門がスラリと長い人差し指で、名刺の海運政策課の文字をつついた。
それ以上は言わないが、便宜を図ってもらうつもりだと、その悪そうな笑みが語っている。
スエを助けたのは、息子である正一郎に恩を売るためであり、清らかな優しさではなかったと言いたいらしい。
「海運業ですか……」
浪漫亭の経営以外にも、なにかをやっているとは聞いていたが、海運業とは随分と大金が動きそうなものに着目したものだ。
成功すれば大富豪になれそうだが、リスクも大きいだろう。
もしかすると思っていたよりもっと凄い人なのかもしれないと、大吉は漠然と考えていた。
そこに興奮がないのは、話の規模が大きすぎて、うまく想像できないからである。
左門は海運業について大吉に講釈を垂れるつもりはないようで、言いたいことを簡潔にまとめて締めた。
「真の実業家に優しい人間などいない。優しいと言われて喜ぶ者もな。覚えておきたまえ」
「はぁ、そうなんですか」
本人が言うのならと、左門への認識を再度改め、したたか者とでもすることにした大吉は、話しながらもせっせとスプーンを動かしている。
今のレシピで作られたカレーソースは、まだ皿に注いでいない。
なにをしているのかといえば、ご飯で函館の地形を作っていた。
渡島(おしま)半島の南東に、根元がへこんだコブのように突き出ているのが函館で、三方を海に囲まれている。
函館山も形作ってから、カレーソースを海に見立てて流し入れ、大吉は満足げな顔で左門に披露する。
「名付けて函館カレーです。どうですか、面白いでしょう」
くだらないと一笑に付される可能性も考えていたが、今日の左門は機嫌がいいようだ。
馬鹿にすることなく微笑して、大吉のフォークを手に取ると、残してあった最後のビフテキのひと切れを函館山の斜面に置いた。
索道(さくどう)のゴンドラだ。ロープウェイとも言う。いずれ函館山に作るつもりだ」
山頂に展望台を建設し、(ふもと)からそこまでを索道で繋ぐ。
観光都市としても函館を発展させたいと、左門は夢を口にした。
大吉相手にそこまで話してくれるのは、ワインで酔っているせいなのかもしれないが、一人前の男とみなされた気がして大吉は得意になる。
「観光業ですか、面白そうですね。そうだ、卒業したら、僕を左門さんの会社で雇ってくれませんか?」
まだまだ事業を拡大しようとしている左門は、ひょっとするとこの先、函館一の実業家になるかもしれない。
左門の下で働けば、たくさん給料をもらえて、カフェー通いができる紳士になれるのではないだろうか。
そのような夢を描いた大吉であったが、急に真顔に戻った左門が前髪を指先で払い、冷たいことを言う。
「私は能力主義なのだよ」
「僕が馬鹿だと言うんですか!?」
「今はな。ビフテキとアイスクリームで尻尾を振る男は、レストランの下働きがちょうど良い。私と仕事をしたければ、賢くなることだ」
(左門さんに比べたら、そりゃあ色々と能力不足だとは思うけど、僕はまだ発展途上の子供だぞ。これからどんどん賢くなるはずなんだ)
左門はワインを継ぎ足して、グラスの中で揺すり、香りを嗅いでいる。
いつか認めさせてやりたいと思う大吉は、腹立たし気に函館山の斜面を崩し、ライスカレーとビフテキを勇んで食べるのであった。