ただし、料理に関して意見されると、途端に不機嫌になるところは欠点とも言えよう。
森山は左門がオーナーとなったばかりの時に、自分より随分年下に見える若造に指図されるのを嫌ったそうだ。
メニューやレシピについて遠慮なく上から指示する左門と睨み合い、ついには浪漫亭を辞めるとまで言いだした。
ところが、辞める前にと誘われ、ふたりきりで酒を飲みつつ腹を割って話し合った結果、左門の西洋料理に関する造詣の深さ、味覚の正しさを知ることとなり、オーナーとして認めたのだという。
その話を大吉は、勤めて間もない頃に、他のコックからこっそりと教えてもらった。
森山に指示された皿洗いを黙々とこなした大吉は、次にディナーの仕込みに入る。
調理台に向かい、バケツ一杯のコロッケ用じゃがいもの皮むきに取り掛かりつつ、ぶつぶつと口にするのは英単語だ。
明日の試験は税法、簿記、経済学、それと英語の四科目である。
その中で、英語が一番の苦手であった。
どうやら洋物への憧れと英語力は、比例しないようだ。
「ソルビング、解決する。アクチュアリー、実際に。コンセプト、概念。ミスアンダースタンディング、誤解。許すは、ええと……なんだったかな」
ポケットに英単語と和訳を書いた用紙を一枚、折り畳んで持ってきたが、皮むきの途中なので取り出せない。
すると隣でセロリの筋を取っている、ごま塩頭のコックが、「許すはフォーギブですよ、大吉君」と教えてくれた。
「あ、そうでした。柘植(つげ)さんは英語を話せるのですか?」
「いいえ、これっぽっちも話せません。大吉君が先日から繰り返し口にしていたので、自然と覚えたのです」
「へぇ、簡単に覚えられるなんて凄いですね」
柘植は五十二歳で、浪漫亭の従業員の中の最年長だ。
それなのに、若い大吉より記憶力が優れているとは恐れ入る。