せっかく早帰りしても、すぐに試験勉強に取りかかることができないのは、つらいところである。
しかしながら大吉は、浪漫亭での仕事を楽しんでもいた。
洋食の作り方を学ぶことができ、味見をさせてもらえる。(まかな)い飯も洋食が多い。
食いしん坊な彼にとって、ぴったりの職場だと言って良いかもしれない。
最後にコック帽を被り「よし」と気合を入れた大吉は、従業員宿舎を出て下駄を鳴らし、浪漫亭へと急いだ。
勝手口から入ると、そこはすぐ厨房である。
床は掃除がしやすいコンクリート敷きで、木製扉の大型冷蔵庫が二台も置かれている。
冷蔵庫は毎日来る氷屋が、上段に大きな氷の塊を押し込んでいき、下段に冷気が流れる仕組みとなっている。
中央には木製の調理台が設置され、壁際にはふたつの蛇口のある流し台と五台並んだガスコンロ。
大吉の実家は水道とガスがまだ通っていないため、ポンプで地下水をくみ上げ、煮炊きは(かまど)だ。
函館に来て一年以上が経てば、水道やガスコンロに新鮮味を感じないが、五台も並んでいるところを見たのは、浪漫亭の厨房が初めてである。
十五畳ほどもある広い厨房で働いているのは、コックが六人。
年齢は様々で、全員男である。
「学校から帰りました。今日もよろしくお願いします」と大吉が挨拶すれば、「お帰り」「頼むな」とそれぞれが応えてくれた。
昼食時は過ぎたので今は忙しくないようだが、流し台に洗い物が溜まっていた。
「皿洗いやれ」とぶっきら棒に命じたのは、他のコックより長い帽子を被ったコック長の森山、四十五歳だ。
浪漫亭には前経営者の時から二十一年勤めているそうで、一番の古株である。
背丈は大吉より六寸ほど高く、小太り。
無愛想な性分なので怖そうにも見えるが、大吉が皿を割ってしまった時には叱るより先に怪我がないかを心配してくれた優しさもある。