入籍を控えたある日、山登りが趣味の彼女が知人と山に行ったきり帰ってこなかった。前日の雨でぬかるんだ足元が土砂崩れを起こし、転落死した。
打ち所が悪かったようだ。彼女だけが、亡くなった。
それからの碧李は、気力を全く感じないどころか、魂もが死んだようだった。
大切な人を守れない苦しみに、昼夜襲われていた。やるせない思いが、行き場のない思いが、碧李を襲った。
毎朝、目を覚ます度に現実が現実だと受け止めなくてはならない。毎晩、目を閉じる度に今日も彼女のいない世界を過ごしてしまったと苦しまなくてはならない。
寝ても覚めてもこれが現実なら、どうやって生きていけばいいのだろう。何を支えに、生きていけばいいのだろう。
膨大な虚無の時間を経て、漸く碧李が歩き出せる日が来たのは、この研究があったからだ。
誰かの大切な人を守れるように、誰かの大切な未来を守れるように。
そんな思いでずっと研究に携わってきた。
だから研究所外で初めて試験的にロボットを始動させることが決まった時、碧李はMN-601を作った。
沈静色や重量色と言われ、安心感や安定、調和を表す緑色。どうせ人を救うのなら、心をも救いたい。そんな碧李の思いから、萌葱翠と名付けられた。
「どうして彼女にそっくりな顔立ちなの?」
「どうしてだろうね。ただ彼女にもう一度会いたかったからかな」
そう言った碧李の真意は、きっと別のところにあったのだろう。それでも漸く穏やかな顔になった碧李に、必要以上に踏み入る人は誰もいなかった。
碧李はやっと歩き出せたのに。また誰かを守りたいと思うことができたのに。今度こそ守れる人になりたいと願っていたのに。
失敗という形で碧李が碧李を否定するのなら。
「……あの山に行ったんですね」
翠は独白を零し、そう確信すると研究所を飛び出した。