桃香は初めて梨華を押し倒して馬乗りになり、襲い掛かった。
とりまき達は顔を真っ青にして止めようとしたが、桃香はやめない。
髪をひっぱり、頬を叩き、体を殴る。梨華が叫んでもやめない。桃香は泣きながら笑っていた。そして笑いながら怒っていた。
気の狂った桃香を制御できるものはもう何もなかった。桃香は気が済むまで梨華を襲い、梨華がフラフラになるまでやめなかった。
「げほっごほっ……」
梨華は顔も体も腫れ上がっていた。髪の毛も散らばっていた。
桃香は梨華から離れると、梨華の鞄を逆さまにして荷物を床に叩きつけた。派手な音が上がる。手鏡の割れた音だった。
梨華は、先程の出来事は夢だったんじゃないかと思った。そして、浮かれて桃香を怖くないと見くびっていた自分を激しく後悔した。
体が痛い、心が痛い。
白瀬と想いが通じ合って、やっと笑える日々が来ると思っていた。桃香もいつかは諦めてくれるかもしれないと思っていた。
けれど桃香は怪物だったのだ。それを忘れてはいけなかった。
日本はこんなにも生き辛いのか。
普通の生活を望むことすら許されないのか。
母親に言えばアメリカに戻れるかもしれない。梨華は幾度と考えた。けれど、それは負けであると思えてしまう。桃香から『逃げた』と言われるのだけは嫌だった。だから、母親には絶対にばれない様に、毎日振る舞っていた。
流石に、このボロボロの姿ではもう隠しきれない。
「消えてくれない?死ねよ」
桃香は鞄を蹴っ飛ばした。
初めてだった、その言葉を言われるのは。
どんなにひどい仕打ちをうけても、その言葉だけは今まで言われなかった。もう、その言葉すら言われてしまうところまで来てしまったのか。
そっか、そうなのか。
ガラスのように砕けてしまった破片を、梨華はひとつ手にした。
桃香の眉がぴくりと動くのと、梨華がガラスを左手首に当てたのは同時だった。
「……うっ!」
描いた細いラインから、鮮やかな血がじわりじわりと溢れ出す。破片の上に滴るそれを見て、ようやく桃香は顔を真っ青にした。
「死んでほしいんでしょう?」
とりまき達は一歩引きさがった。息を飲む。梨華が顔を上げ、その場にいたとりまき達を見渡すと、揃って目線を外された。
「……馬鹿みたい」
梨華は静かに荷物を拾い上げ、手首をそのままに教室を後にした。