「ただいま帰りました」
「おかえり、翠」
萌葱翠が帰宅すると、いつもは部屋に籠ってばかりの碧李が出迎えてくれた。
「珍しいこともあるんですね」
「翠、今日どうだった?」
「何をですか?」
「学校だよ」
「クラスメートの黒木梨華と接触しました。それ以外は特に変わらず、一日を過ごしていました」
「そうか。学校の話は後でゆっくり聞かせてもらおうかな」
碧李はそう言うと、また部屋に閉じこもってしまった。
碧李は一日中部屋に籠ってパソコンをカタカタと弄っている。部屋から出てくるのは決まって、マグカップの中のカフェオレが無くなった時と食事•入浴の時、それから集中力が切れて気分転換をする時。
「スイちゃん!」
翠はふと誰かに呼ばれて振り向くと、茶野さんがにこやかに歩いてきた。
「おかえりなさい、スイちゃん!」
「ただいま帰りました。何をしているのですか?」
「ん?息詰まったから散歩」
「……ここの施設の人は、みんな散歩がお好きですね」
「スイちゃんもたまには散歩してみたら?」
「あまり動き回ると、碧李さんに叱られてしまいます」
「そうだね、碧李はスイちゃんが大切だからねえ」
流れで茶野さんと並んで歩く。
ここはとある施設だ。様々な人間がいる。翠の帰る場所はここだ、ここしかない。
翠は碧李以外の人間のことを詳しくは知らない。茶野さんは世話好きのお兄さんで、プログラミングが得意だということしか把握できていない。
それから、
「あら、スイちゃんおかえりなさい。お疲れさま」
「ただいま帰りました、灰田さん」
灰田さんは茶野さんと仲が良く、ここの施設の料理全般を担当している。
翠は、碧李が何を好きか、何を考えているのか、何をしているのか、事細かく把握しているのに、それ以外の人間のことはあまり分かっていないのだ。
だが、それでいいと思っていた。翠には必要以上の情報は要らない。相手にとってもきっとそうだ。
毎日が円滑に進めばそれでいい。生活に支障が出なければそれでいい。