「呼び出された理由は分かっているよねえ、梨華」
話し合いも終わり、大体の配役は決まった。
案の定、王子役は白瀬だ。
桃香は開き直ったのか、周りの女子たちと継母・義姉役を固めに来た。嫌な予感しかしないキャストである。
「良かったねえ、大好きな白瀬くんのお姫様になれて。気分いいでしょ?」
いつぞやのトイレに呼び出され桃香を先頭に複数人に囲まれた梨華は、早速突き飛ばされた。
梨華がキッと睨み返すと、桃香は楽しそうに友達に何か指示を仰ぐ。
手には水が滴る青いバケツ。嫌な予感が全身を駆け巡り、
「……きゃっ!」
頭から大量の水を被った。夏だから良かった、それでもセーラー服が重く水を含む。毛先から滴る水は、スカートにいくつもの染みをつけていく。
「ねえ、頭冷えた?」
カラになったバケツを勢いよく蹴っ飛ばし、梨華の髪を掴んで離さない桃香の瞳は、梨華を本気でぞっとさせるには十分すぎた。
もう、初日に笑いかけてくれた桃香の顔は思い出せない。
シェイクスピアは作品内で、嫉妬という感情を「緑色の目をした怪物」と言い表したらしい。今目の前にいるのは、ただの怪物だ。本能が危ないと察知させるような、嫉妬と執着に駆られた、醜い怪物。
「桃香、離して!痛い!」
「痛い?何が?」
頭おかしい、頭おかしい、頭おかしい!
梨華は最早恐怖でしかなかった。怖いなんてものじゃない。熱(いき)り立つ桃香は、容赦なく梨華の髪を引っ張る。
「やっ……」
「何をしているのですか?」
突然、鈴が転がるような声がトイレに響いた。
桃香はぱっと手を離し慌てて振り向くと、トイレの入り口に一人の女の子が立っていた。
白雪姫のように色白で、柔らかく細い髪をふわりと揺らすその女の子に、梨華は見覚えがあった。そうだ、この子はクラスメートだ。
「萌葱さん、何でもないよ。梨華と劇の打ち合わせをしてたの」
萌葱さん、と呼ばれた一見か弱そうなその女の子は、桃香の言葉に反応することも動じることもせず、ただ真っ直ぐに梨華を見つめた。
濁りのないその瞳に全てを見透かされているようで、梨華は何故か後ろめたい気持ちもした。
「……それじゃ。桃香、継母役頑張るねえ」
怖いくらいの笑顔と共に手をひらひらと振る桃香が恐ろしかった。