おなかがすいた……。おいしいものがたべたい。
父様の湯を飲みたい。饅頭も添えて。
「鈴珠、覚えておけ。料理人になれば食いっぱぐれることはない」
料理人だった父は、私に教えてくれた。父のこの言葉が私のすべて。
父は病で幼い頃に亡くなり、母も後を追うように亡くなった。天涯孤独となった私は生きるため、幼くして村の飯屋で下働きを始めた。父が料理人だったこともあり、幼い娘でもどうにか雇ってくれたのだ。
掃除全般、野菜の水洗いに下ごしらえ、材料の調達に配達。やれることはなんでも文句ひとつ言わず働いた。
「鈴珠、食え。賃金はあまりやれんが、飯だけはしっかり食べさせてやる」
「ありがとう、おじさん」
飯屋の店主は、幼くして両親を失った私を気の毒に思ってか、食事(賄い飯)だけはしっかり食べさせてくれた。
賃金は安くて生活は貧しかったけど、それでも私は幸せだった。だって食事を美味しいって感じながら食べられることは、何より幸せなことだから。
やがて私は飯屋の厨房に立つようになった。勿論、最初は見習い。でも料理人として働けるようになるまで時間はかからなかった。
「鈴珠の作るメシはうまいなぁ!」
「ああ、きっと天下一品だ」
「鈴珠は看板娘ならぬ、看板料理人だな!」
私の作る料理は評判を呼び、都にまで噂が届いたらしい。
「鈴珠、都の大店から料理人が不足してるから誰か送ってほしい、という要望があるんだが、おまえ行ってみるか?」
「都っていったら、美味しいものが沢山あります?」
「そりゃ都だからな。各国のうまいもんが集まってるはずだ」
「食べますっ! じゃない、行きます! 都の料理人になります」
村の人々に盛大に見送られ、私は晴れて都の料理人になるのだ。
そのはずだったのに……。
「ああ、女? 女の料理人なんぞいるか。さっさと帰れ」
首根っこをつかまれ、裏門からぽいっと投げ出されてしまった。
「なんでっ!?」
「私は確かに女ですけど、れっきとした料理人ですっ! ねぇ、ちょっと、門を開けて下さいってば!」
「うるさい! 料理人は男の世界だ。女なんぞいるか。さっさと帰れ!」
どれだけ門を叩いても、私のために扉が開くことはなかった。
「なんで、なんでよ。女だって料理人になれるのに。なんで女ってだけで」
悔しい。父と同じように名料理人になることを夢見て、必死に頑張ってきた。亡くなった両親だってそれを望んでいるのに。体は少しばかり小さいかもしれないけど、私の料理は男の料理にだって負けてないという自信がある。それなのに。
私は唇を噛み、泣くのを堪えた。ここで泣いたら負けだ。
「このままじゃ帰れない。他の店をあたろう」
「女? 女に料理人が務まるわけないだろ」
「客の隣で酌をするなら雇ってもいいぞ。男に媚びを売るのか女の仕事だ」
私が女と知るや、無言で追い出す店まであった。数日間、なんとか粘って探し続けたけど、働き先は見つからない。
「どうしよう、もうお金ない……。村に帰ることもできない……」
途方に暮れた私は、龍神様が祭ってある祭壇近くで座り込んだ。祭壇にはお供えものが沢山あり、都では龍神様を大切に祀っているらしい。
「龍神様、お願いですから私に料理人のお仕事をください」
藁をもすがる思いで、龍神様にお祈りしたその時だった。
ぐ~きゅるる~くぅるるる~
お腹が盛大に鳴り始めてしまった。こうなると、もうダメ。一時も耐えられなくなる。
「お腹空いた……」
お腹が空くと、もうそれしか考えられなくなってしまう。村を出発して、都で職探しを始めてどれだけ経っただろう。もう何日もまともにごはんを食べていない。
「疲れた……父様の湯が飲みたい。饅頭も添えて。父様の湯は本当に美味しかったものね……饅頭も絶品だった」
疲れ果て、遠い思い出に縋ってしまう。現実で目に入るのは祭壇のお供え物。いけないとわかっていても、どうしても目がいってしまう。
「ひとつだけ、ほんのすこしだけならいいよね……?」
周囲に人がいないことを素早く確認すると、お供えの饅頭をひっつかみ、噛り付いた。
「お、おいしい~!」
口いっぱいに広がる饅頭の優しい味わい。おいしい、なんて美味しいの。
「おい、そこの者。何をしている!」
饅頭を頬張る私の腕を掴むものがいた。さっきまで誰もいなかったのに。
顔をあげた瞬間、目に飛び込んできたのは、目の覚めるような青い衣を纏った美貌の男性だった。
「おい、おまえはここで何をしている。そしてその手に掴んでいるものは一体なんなのだ」
青い衣を着た男性は、厳しい目つきで私を睨んでいる。どうしよう、お役人様なの? 都の料理人になる前にここで捕まるの? そんなのイヤだ! 口に残った饅頭をのみこみながら私は必死に考えた。
「なにって、饅頭ですけど」
さらりと答える。何がおかしいの? といわんばかりに平然と。
「そんなことはわかってる。それをどこから盗み出したんだ、と聞いている」
「盗んでなんかいません。龍神様にいただいたんです。ここにある饅頭を食べて、都の調理法を学べって。私、料理人ですから」
かなり無理がある気がするけど、これしかない。盗んだって認めたら終わりだ。確かに私はしてはいけないことをしたけど、都の人たちも私に冷たすぎると思う。だから饅頭をひとつぐらいもらったっていいよね? 賃金をもらえたら、饅頭分と合わせて三倍返しでお供えするつもりだったし。
青い衣の男は、怪訝そうな顔で私をみている。
「おまえが料理人? 女なのに?」
「女だって料理人になれます。これまで料理人として働いてきましたから。力では男性に劣るかもしれませんが、他で補ってみせますし自信もあります」
「ほぅ。大きく出たな」
青い衣の男はにやりと笑った。正直、そこまでの自信なんてない。でもここは強気でいかないと、きっと突破できない。
「よかろう。そこまで言うなら、饅頭をくれた龍神様にお礼として料理をお出しせよ。気に入れられれば、龍神の料理人になれるぞ」
ん? 話が変な方向にいってない? 龍神の料理人って一体なに? そんな名前の店があるの?
考え込んだ私の隙を見計らうように、青い衣の男性は私をひょいっと担ぎ上げたのだ。「ひぇ、人さらい!」と叫ぼうとした時だった。青い衣の男は、ふわりと宙に浮かんだ。そしてそのまま青い空へとみるみる昇っていく。肩には私をひょいっと乗せて。どんどん遠くなる地面に私はもう唖然茫然。
「わ、わたし、飛んでる! いや、飛んでるの私じゃなくて、連れ去られてる! たすけて~!」
「人聞きの悪い。おまえはこれより龍神が住まう天空城へ行くのだ。そして城の主様に料理を出してもらおう。料理人なのだろう、おまえは」
「料理人ですよ! 料理人ですけど、雲の中で料理なんてできません!」
「天空城は貧相なところではないぞ。楽しみにしているがいい」
青い衣の男は片腕だけで私をがっちり掴み、全く放してくれそうになかった。やがて地面は全く見えなくなり、空へ空へと昇っていく。受け止めきれない現実と連日の疲れで、私の意識はゆっくりと遠のいていった。
「おい、いつまで寝ている。女料理人」
「んぁ?」
ふかふかの布団で気持ちよく寝ていたのに、起こされてしまった。
「天空城に到着する前に気を失いやがって。手がかかる女だな」
青い衣の男が、私を上から覗き込んでいる。
「てんくうじょう……そうだ、私、あなたに連れ去られたんだった!」
「だから連れ去ったわけではないといっているだろう。おまえが龍神に饅頭をもらったなどと嘘をつくから、少しだけ驚かせてやったのだ。本来はもう少し丁重に運ぶのだぞ」
「う、嘘だなんて」
「そこまで。おまえが嘘をつきたくなった理由はわからないでもないが、それでも言っていい嘘と悪い嘘がある。龍神を保身のために利用するな」
悔しいけどその通りだった。最初は助けてほしくて龍神様に手を合わせていたのに、空腹だったとはいえ、饅頭を盗み、あげく龍神様に罪をなすりつけた。悪いのは私だ……。
「ごめんなさい。もうしません」
「おや。意外と素直だな。よろしい。その素直さに免じて今回だけは目を瞑ってやる。ただし一つだけ条件がある」
「な、なんでしょう?」
青い衣の男は、にやりと笑った。
「ここに連れてくる道中で説明した通りだ。女料理人。主様のために料理を作れ。主様は体調を崩され、人間界の食べ物を懐かしがっておられる」
「なぜ私に?」
都ではどこの料理店も私を女だからと門前払いした。この人も最初は怪訝そうに見ていた。私を必要としている理由がわからなかった。
「主様はな、女人なのだ。だから女料理人がいいかどうかは俺にもわからん。しかしおまえの目を見た時に直感したのだ。おまえなら主様をお救いできると。どうだ、この条件をおとなしく受け入れるか?」
にやついた笑みは消え、真摯な眼差しで私をみている。その瞳に吸い込まれそうなほどだ。きっと本気で主様とやらをお救いしたいのだろう。私に何ができるかわからない。でも料理人として頑張ってみよう。
「畏まりました。謹んでお受けいたします」
丁重に頭を下げる。これは仕事だ、料理人としての。青い衣の男は、再びにやりと笑う。でも今度は少しだけ優しそうだった。
「よろしい。頼んだぞ」
「はい!」
ようやく私の都での(天空だけど)初仕事が決まったのだ。
青い衣の男は、「青という名前だった。青い衣に青という名前だなんて都合よすぎる気がしたけれど、詮索しても仕方ない。
「青さん、主様に会わせていただくことはできませんか? いくつかお聞きしたいことがあって」
「いいだろう。ついてきなさい」
案内されるまま、私は城の中を歩いていった。
「ひぇ、窓から雲がすぐそこに。地面が全く見えない! 本当に空に浮かんでいるのですか、この城は!」
「だから天空城だと言っているだろう。いちいち騒がしいぞ」
「なぜ浮かんでいるのですか?」
「龍神の神力だ」
さも当然と言わんばかりにさらりと答えてくれたが、何をどう信じていいのかわからない。天空城は驚くほど広大で、案内がなければ私には歩くことさえままならないだろう。
「着いたぞ。この奥の離れ屋にいらっしゃる」
どれだけ歩いたかわからない先に、中庭を挟んだ離れ屋があった。その中庭に、誰かが寂しげに佇んでいる。その髪は黄金色で、肌は透けるように白い。
「主様、人間の料理人を連れて参りました」
主様と呼ばれた人は、ゆっくりと振り向いた。近くで見る主様は、青い目をもった神秘的な美女で、この国の人とは思えないほど美しかった。
「まぁ。女人の料理人なのね。それは楽しみだわ」
「わたくしは鈴珠と申します。どうかお見知りおきを」
「元気そうな方ね」
「あの体調を崩されているとお伺いしましたが、どこか具合が悪いのですか?」
「体がとても冷えるの。そのせいかお腹の調子まで悪いし。青たちが豪勢な食事で私をもてなしてくれるけど、胃にもたれて食べられないの」
「なるほど……」
美しい主様は、天空の城に溶け込んでしまいそうなほど、存在感がなかった。それだけきっと調子が悪いのだ。
「青さん、私が頼んだものをすぐに用意してくれますか?」
「どんなものでも用意してやろう」
相手が誰であろうと、美味しいと思ってもらえる料理を提供したい。料理人としての思いに火がついた瞬間だった。
「主様、お料理をお持ち致しました」
慣れない天空の城の厨房でどうにか料理を作った私は、冷めないうちに主様の元へと運んだ。厨房も驚くほど大きく、大概のものは用意されていた。料理人としては最高の職場だ。
「まぁ、何かしら」
主様が少女のような可愛らしい微笑みを浮かべ、いそいそと近づいてくる。
青さんも傍らで見守っている。主様のことが心配でたまらないといった様子だ。うやうやしく料理をお出しすると、主様はすぐに「まぁ」と声をあげた。
出した料理は、白い蓋つきの器ひとつだけだったからだ。
「おい、鈴珠。これは一体どういうことだ。主様の料理が一つだけだなんて」
青さんが不満の声をあげる。わからないでもないが、ここは料理人である私の話を聞いてほしい。
「おそれながら申し上げます。主様は御体が衰弱しておられます。その状態で
豪華な食事はかえって体に毒です。今は滋養のある食べ物で体を休められたほうがよいかと思います」
主様は頷き、白い器の蓋をあけた。その途端、何ともいえない優しい香りが主様の鼻をくすぐる。器の中にあったのは、うっすら茶色い色の、地味な見た目の湯だ。
「これは椎茸の蒸しスープね」
「椎茸だと? まさかそんな貧相なものをお出しするとは。見損なったぞ」
文句を言い続ける青さんをよそに、主様は匙でスープをそっとすくい取り、口へ運ぶ。
「美味しい……! それになんて芳醇な香りなの。これは見た目に反して手間がかかるスープなのよね」
「ご存じなのですね。時間はかかりますが、滋養があって美味しいスープですし、体も温まります」
「ありがとう、鈴珠。食事がこんなに美味しいと思ったのは久しぶりだわ」
「もったいないお言葉です」
椎茸のスープと饅頭で食事を楽しむ主様を見守っていると、青さんが私に話かけてきた。
「おまえは不思議な女だな。最初は混乱していたのに、料理を始めた途端、変わった。全く見事なものだよ」
「いいえ、これが私の仕事ですから」
「おまえさえよければここで働かないか? 賃金も出してやれるぞ?」
「本当ですか?」
「ああ、おまえなら大歓迎だ」
こうして人知れぬ天空の城で働くことになった私だが、料理人として働けるなら大歓迎だ。うん、そういうことにしよう。
了