でも、悲しいかな。時計の針は進んでも、事態はなにも変わらない。
涙と一緒に自分の体が溶けて消えてしまうこともないのだ。

ここでいつまでも泣いてはいられない。マスターが心配しないよう、涙をしっかりとぬぐって席に戻った。

戻るとすぐ、料理が運ばれてきた。

「チーズハンバーグです」
とろりと溶けたチーズを纏っているハンバーグだった。

その他に、砕いたナッツが絡んでいるレンコンとサーモンとブロッリーのサラダ。コーンスープ。

ここで頂く最後になるだろうディナーが、子供のころから大好きなハンバーグであることに胸が熱くなる。

デザートのチーズケーキを出しながら、小声でマスターが言った。

「こちらはサービスです」

「……あ」
それ以上は言葉にならなかった。

静かな店内を満たすのは、口数の少ないマスターの優しさとジャズ。

――ありがとうございます。


肉汁が溢れるハンバーグにチーズを絡めて口にすると、牛肉の旨味を包み込んだチーズが溶けだして口の中いっぱいに美味しさがひろがった。

美味しいと思ったら、うっかり頬を涙が伝ったけれど、拭ったら泣いていることがわかってしまう。
我慢することが礼儀だ。泣くなら家でと、羽菜子は自分に言い聞かせた。

こんな時も薄暗い店内はいい。
多少泣いたところで、他の人には気づかれずに済むのだから。

お皿が空になり、気持ちが落ち着いたところで汗を拭くふりをして顔をぬぐい、席を立った。



会計を済ませると「防犯ベルはお持ちですか?」とマスターが聞いてきた。

「え? あ、はい」

「そうですか、さっきの男がちょっと心配で」
マスターは心から心配してくれているようだった。