「お、ここにいたのか」

呼びかけられた声に反応するようにして後ろを振り返ると、葬儀場の入り口には喪服を着た二十代半ばぐらいの男性が立っていた。

(誰……?)

訝しむように、眉を顰める。

弔問客はすべて帰ったと思っていたのに、まだ残っていたのか?

故人に文句を言うところを聞かれた私は、どことなく後ろめたくなった。

男性は黒ネクタイを片手で緩めながら、コツコツと革靴を鳴らしながらゆっくりと私に近づいてきた。

「心配すんなよ。千佳の弁当は毎日兄ちゃんが作ってやるからな」

さも親し気に名前を呼んだ男性は、無防備だった私の肩をいきなり抱き、ニカッと歯を出し笑いかけた。

「お兄ちゃん……?」

私は茫然自失となって男性の顔を見上げた。兄と名乗った男性は目が合うと、ガシガシと無遠慮に私の髪を撫で回した。

(思い出した……)

笑うと狐のように目が細くなる垂れ目。左頬だけに出来るえくぼには確かに見覚えがある。

……間違いない。

十年前、父と母が離婚をしてから一度も会わなかった兄の穂純だった。

どうやら母と二人きりの生活が長すぎて、自分に父と兄がいたことをすっかり忘れていた。

「こんなにでっかく育っちまって、いやあ……作り甲斐があるな」

兄は私を上から下までじっくり眺めると、腕を組み顎に手を添えながらうんうんとしきりに頷いた。

(何で……お弁当……?)

っていうか……それ、この場で言うこと?

ぐしゃぐしゃにされた髪を手櫛で直しながら再び兄の顔を見上げれば、優しい眼差しで微笑み返される。

「どうした?」

ひとりで砂漠を彷徨っていた私にとって兄の存在は砂塵の中に突如現れたオアシスのようなもので、とても縋らずにはいられなかった。

何だか泣きそうだった。いや、実際泣いていたのかもしれない。

……こうして、私は父の元に身を寄せることになり、十年ぶりに兄と暮らすことになったのだった。