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(意外と、あっけなかったな……)
弔問客がいなくなった葬儀場はシーンと静まり返っていた。
花で飾られた祭壇には遺影が掲げられ、棺桶の中には母の遺体が静かに横たえられている。
信号無視の車に跳ねられたらしいが物言わぬ遺体は生前の惨事を感じさせることなく、穏やかな笑みをたたえていた。
母の聖恵は45歳にしては、若いと言われる部類だと思う。
いつも濃い目のルージュと、アイシャドウで隠していた割には、薄い死化粧も似合っていた。
私はパイプ椅子に腰掛け、遺影をしばらく眺めていた。
遺影は昨年一緒に旅行した時のものだ。たまには贅沢したっていいじゃないと、箱根の温泉旅館に一泊した際に記念に撮ってもらった。
普段は仕事に追われている母が珍しく休暇をとってくれたというのに、温泉なんて退屈だと私はすっかり不機嫌で、カメラを向ける仲居さんにもっと笑ってと言われ余計に表情が険しくなったことをよく覚えている。
(もっと笑っておけば良かった……)
あの時は、まさかこれが最後のツーショットになるなんて思いもしなかった。
別れとは突然やって来るものなのだと、身をもって知った。
少しの後悔も大きな感謝も、明日には骨となる母に届くのだろうか。
(これからどうやって生きていこうか……)
母子家庭で育った私にとって母の死は文字通り死活問題だ。
頼れる人もない以上、まだ葬儀が終わらない今から自分の身の振り方を考える必要があった。
中学校の卒業までは半年足らず。
その間、私はどうやって生活すればいいのか。未成年の一人暮らしはどれぐらいの期間、許されるものなのだろうか。
私の通う学校は中高一貫の私立校で受験などしなくとも進学できるはずだった。しかし、保護者死亡となると少なからず話が変わってくるだろう。
大して親しくもない親戚に厄介になるのならば、高校は別の所に通う必要があるだろう。それとも今から全寮制の高校を探すか。
(あーあ……。考えたくなーい!!)
母が死ぬ前の私は未来とは無限に広がっているものだと思っていたし、自分が望めば好きな道を選び取れると信じて疑わなかった。
それが今や、世界は急速に狭くなり、星の数ほどあった選択肢は片手で数えられるほどになった。
……理不尽だ。
何で私ばかりがこんな目に遭うんだ。その時の私は先の見えない今後への絶望感でムシャクシャしていた。
「お母さんのバーカ!!何で死んじゃったのよー!!」
私は気がつくと、遺影に向かって叫んでいた。
一番理不尽な目に遭ったのは死んでしまった母だというのに、なんて自分勝手な娘だろう。そんな自分が最低で情けない気分になる。