悠希さんが小説家デビューをして暫く経った頃、俺の元に美言さんから連絡が来た。
 なんでも今度悠希さんのサイン会をやるらしく、その時にスタッフのアルバイトを頼みたいというのだ。
 一瞬、八百万の神様達で何とかなるのではないかと思ったのだが、 一応人間に詳しいであろう俺もいてくれた方が良いとの事。
 まぁ、確かに神様が人間のサイン会のスタッフやってるってのは異常事態だよな。
 日程を訊くと、まだ予定が埋まっていない日だったし給料も出るので、素直にアルバイトをする事にした。

 そして当日、本屋の一角で列整理をしているわけなのだが、実力があると言われているものの、 まだまだ駆け出しの小説家なわけで、驚くほど人が並んでいるという訳ではない。
 最後尾札を持ったままお客さんの誘導をしていたら、周りを見渡しながら近づいてくる見覚えの有る顔が。
「あれ? 勤、こんな所で何してるの?」
「ああ、ちょっとアルバイトで列整理のスタッフやってるんだよ」
「そうなんだ。あ、最後尾はここ?」
「そうそう。時間かかると思うけど、気長に並んでてくれよ」
 やってきたのはシンプルだけれど、少しおめかしをしているというのがわかるワンピースを着たカナメ。
 前に見たフリフリの服もかわいかったけど、こう言うのも良いな……
 それにしても、カナメは悠希さん宅のごく近所に住んでるのにわざわざサイン会に来るなんて。
 きっと、公私混同は良くないと思って、直接行かずにサイン会があるの待ってたんだろうな。
 本当はもっとカナメと話していたかったけど、他のお客さんも来ているし、 バイト中なのに余り話し込むのも良くない。
 名残惜しさを感じながら列整理を続けた。

 列整理を続ける事暫く。
 びっくりするほど人は来てないと思ったけど、意外と絶え間なく来ている。人数としてはびっくりするほどになってきているのではないだろうか。
 ふと、悠希さんが疲れていないかどうかが気になってそちらを見るのだけれど、ここからだと全く見えない。無理をしていなければ良いのだが。
 少し不安を抱えながら列を見ていたら、突然声を掛けられた。
「寺原勤、何故お前がここにいる」
「え?」
 いきなり俺をフルネームで呼ぶような知り合い? 一体誰だと想いながら振り返ると、 そこにはいつぞやの堕天使が立っていた。
「それはこっちの台詞だ。お前こそ何をしに来たんだ?
もし良からぬ事を考えているんだったら容赦はしないぞ」
 睨み付けながらそう返すと、堕天使はなにやら紙袋を抱えてこう言った。
「ふふ……残念だったな。今日はサイン会に来ているだけだからお前に文句は言わせない」
「最後尾はこちらです」
 よく見ると紙袋の中から可愛らしくラッピングされた包みが覗いていて、なるほど差し入れかと察しが付く。
 普通にサイン会に並んでいる分には文句はないし、何か悪事を働こうとしても今日は美言さんやその上司がいる。 何とかなるだろう。
 そして列整理を続けて暫く。また誰かが声を掛けてきた。
「お前……いつぞやの! 何故ここにいる!」
「え? あの……」
 一体誰だ? と思い、相手の顔をよく見て色々思い返す事暫く、何とか思い出した。
 何時だったかパイ投げ合戦をした天使長だ。
 取り敢えず、険悪な雰囲気ではあるが相手は神聖なる天使だ、向こうから手を出してこない限り迂闊な事は出来ない。
「そちらこそ、何故この様な所へ?」
 この問いに、天使長は一瞬言葉を詰まらせてから答えた。
「今日は……さ……サイン会に……」
「最後尾はこちらです」
「勘違いするな! 読書用、布教用、保存用と三冊ずつ買っているという事は無いからな!」
「お買い上げ誠にありがとうございます」
 恙無く最後尾へと案内すると、天使長は部下なのか知り合いなのか、数人に声を掛け列に並ぶ。
 天使長が声を掛けてるって事は、多分部下の天使達だよな。 あれだけ大騒ぎしたのになんだかんだでサイン会にいらっしゃってるとか、 図太いのか切り替えが早いのか、それともそこまでさせる悠希さんの小説が凄いのか。どれなのだろうか。
 とにかく、大人しく並んでくださったのは良いけれど、 美言さんの上司と口げんかをしてパイ投げが始まらないよう、そっと仏様にお祈りをした。

 その後、なにやら妙に日本語が上手い海外からのお客さんを何人も案内して。
 サイン会の後の打ち上げも終わり、日払いの給料を貰いに紙の守出版編集部に行ったらこんな事を言われた。
「寺原さん、今日はありがとうございました。
おかげさまで海外から来た神達の案内もスムーズに済みましたよ」
 美言さんのその言葉を聞いて、思わず顔から血の気が引く。
「あの、スイマセン、俺が確認した人外って、堕天使と天使長とその部下達だけなんですけど……」
「ああ、寺原さんは面識が有りませんものね。結構各国から来ていましたよ」
 面識無いって、神様とは面識が無い方が普通なんですからね?
 そうは思っても口には出せず。
 手で顔を覆った俺の口から弱々しく出てきた言葉は。
「……パイ投げが始まらなくて良かったです……」
 泣きたい気持ちを抑えつつ肩を落としていると、美言さんが突然思い出したようにこう言った。
「あ、そう言えば、寺原さんへの言付けと言う事で、我が社で預かっている物が有るんですよ。
ちょっとお持ちしますね」
「言付け? あの、一体どこの誰から何を?」
「最近規制が緩くなったとかで、天使さん達から本を預かっているんですよ」
 天使から預かった本?一体何だろう。もしかして聖書の新しい日本語訳だろうか。
 いや、聖書だったら規制が緩くなると言うのは関係ないだろう。では一体何か。
 そう悩んでいるうちにも美言さんは応接間から出て、すぐに本を抱えて帰ってくる。
「是非、寺原さんに渡して欲しいとの事だったので、お預かりしておきました!」
 渡されたのは、数冊の大きくて薄い本。
 やばい。俺、こんな感じの良くない本をカナメの部屋で見た事有る。
 恐る恐る表紙をよく見てみると、イラストになってはいるが微妙に見覚えの有る人物が二人。
 可愛らしい表紙をそっと捲り、中身に目を通す俺に美言さんがこんな事を言う。
「最近あの子達のお父さんも、時勢を考慮して二次元で楽しむだけだったら同性愛も別に良いじゃないかと、 渋々納得してくれたらしいんですよね。
それで、早速こう言う本を作ったと私の所に報告が来たんですけれど」
「美言さん、俺とカナメって何時二次元に入りましたかね……」
「これは流石に見つかったら怒られるから内密に。って言われてます」
「あと、天使の方々に認識されてるのが怖いです……」
「地上を見守るのが仕事の子達でしたからね、色々見てると思いますよ」
 ページを捲っていくと、次第にあられも無い姿のカナメのイラストが多くなってきて顔が熱くなる。
 そして遂に耐えきれなくなって、俺は薄い本を閉じた。
 すると美言さんは心配そうな顔をして問いかけてくる。
「あの、もし持って帰るのが嫌でしたら、当社で保管か、ご希望とあれば処分しますけれど……」
「いえっ、あの……有り難くいただきます……」
 正直な事を言うと、この本に書かれているような事を想像した事が無いと言えば、嘘になる。
 でも、改めて画像にして渡されると恥ずかしいもので。
 そうだな、うん。これは一人で落ち着いてる時にじっくり楽しもう。
 このまま持って帰るのは酷だろうと渡された紙袋に本を詰めていると、美言さんがこんな事を言った。
「寺原さんの分を無事お渡しできて良かったです。後は新橋先生の分を何時渡しましょう」
「え?」
 ちょっと待って、悠希さん宛てにも来てるのかこれ。
 思わず驚いて訊ねると、悠希さん宛てと、 後は渡すきっかけが無さそうだけれども他数人分の言付けを頼まれているという。
 内容をざっくりと訊いてみると、全部カナメ絡みらしい。
 カナメも大変だなと思いつつ、天使への恐怖を改めて感じたのだった。