君はきっとまだ知らない

「光夏は、すごくすごく素敵な女の子だよ。光夏は知らないかもしれないけど、俺は知ってる。誰よりも俺が知ってる」
 声が出ない。これ以上ないほどに目を見開いてしまっている。なんだか頬が熱い、気がする。嫌だ。自分の身体が少しも思い通りにならない。
 口をぱくぱくさせていると、千秋の表情からふっと力が抜けて、穏やかな笑みが現れた。
「ねえ、光夏」
「……ん、なに?」
「どこか行かない?」
「……え?」
「学校出て、どこかに遊びに行かない?」
 突拍子もない言葉に、私はまた別の意味で唖然とした。
「いいけど……どこかって? 公園とか?」
 千秋はうーん、と首をかしげて、「公園でもいいけど、それより」と言う。
「映画館とか、喫茶店とか、本屋とか、ゲーセンとか、そういうところ」
「……はい!?」
 また大声を上げてしまった。慌てて両手で口を押さえ、声量を落とす。
「え……ちょっと待って、それって、なんか……あれみたいじゃない?」
 その単語をはっきり言うほど図々しくはなれなくて、曖昧にぼかす。
 すると千秋が、彼にしては珍しい満面の笑みを浮かべ、
「デート」
 とにっこり言った。
 今度こそ一ミリも動けなくなった私の手を、千秋が握って立たせる。
「行こう」
 手を引っ張られて引きずられるように廊下を歩いていたとき、突然千秋が立ち止まった。そしてリュックから出した手帳を広げ、中から一枚の写真を取り出す。
 手渡されたそれを見ると、金木犀の写真だった。
「これ……」
 見上げると、千秋は小さく微笑んだ。
「光夏に、あげる」
「え、いいの?」
「うん。いつか光夏にプレゼントしようと思って撮ったから」
「あ、ありがとう……」
 私はその写真をまじまじと眺める。
 金木犀。その名前を聞くたび、その姿を見るたび、私の胸はいつも甘くて爽やかな香りに包まれる。
 金木犀は、私と千秋の思い出の花だった。
「懐かしいね……」