君はきっとまだ知らない



 このまま帰る気になんてなれるわけがなくて、校舎に戻って最上階の図書室に逃げ込んだ。
 適当な本を一冊とって、窓際の席に腰かける。
 窓の外を見ると、高校の隣にある大きな緑地公園が目に入った。小さな男の子が母親と手をつないで歩道を歩いている。どこかの店でもらったのか、ぷかぷか浮かぶ黄色い風船を持っていた。空の青と、木々の緑と、風船の黄色が目に痛いくらい鮮やかだ。
 そのとき、ふいに男の子の手から風船の紐が離れてしまった。男の子と母親が慌てて手を伸ばしたけれど、風船は風に乗ってぐんぐんと上昇していく。男の子が泣き出し、母親は抱きしめて慰め始めた。
 思わず席を立って窓から手を伸ばし、こっちに飛んでこい、と念じたけれど、逆の方向へと飛んでいってしまった。
 青空に溶けていく黄色を見つめながら、私はまるであの風船みたいだ、と思う。
 以前は確かに地につなぎとめられていた。でも、その紐があまりにも細く頼りなかったことに、少しも気づいていなかった。私はいつまでもしっかりと地に足をつけいていられると思っていた。
 ふいにぷつりと紐が切れてしまった今はもう、ただ風に吹かれるまま空を漂うしかない。もう元には戻れない。なんて無力で、よるべない存在になってしまったことだろう。