君はきっとまだ知らない

「ね、光夏ちゃん、もし、なにか困ってることがあるなら……」
「ない!」
 気がついたときには、春乃の言葉を遮る叫びとともに、勢いよく立ち上がっていた。
「なんにも困ってないし、悩みもない! 余計なお世話……ほっといて」 風雨を浴びてざらついたテーブルの表面に両手をつき、深く俯いたまま告げる。声は自分でも分かるくらい震えていた。
「ご、ごめ……」
 でも、謝る春乃の声は、私よりもずっと震えていた。
「ごめんね……光夏ちゃん……」
 涙まじりの声。冬哉が「大丈夫か?」と彼女の肩に軽く触れつつ、
「泣くことないだろ。お前もちょっと悪いしさ……」
「うん、分かってる……」
 春乃は手のひらで涙を拭いながら、えへへと笑って私を見た。
「ごめんね、光夏ちゃん。最近ちょっと涙もろくて……勉強疲れかなあ? ふふ」
 私が悪いのに、彼女はそんなふうに言うのだ。罪悪感と自己嫌悪が強烈に込み上げてくる。
「……私こそごめん。きつい言い方しちゃって……なんていうか、その、……」
 謝りたいのに、素直になれない。知られたくないことがあるから、隠しごとがあるから。
「ごめん……ごめん」
 それだけしか言えなかった。目頭が熱くなって、鼻の奥がつんと痛くなる。じわりと視界が歪んだ。
 でも、私には泣く資格なんかない。なんとか涙を堪える。
「光夏」
 静かに呼ばれた。まだ歪んだままの視界で千秋をとらえる。
 千秋は、困ったような、寂しそうな、悲しそうな、不思議な表情で私を見ていた。軽蔑されているんだろうな、と思う。
 昔、彼は私のことをよく『すごいね』と言ってくれていた。『光夏はすごいね』。でも、本当の私は、どこにもすごいところなんてない。千秋に褒めてもらえるようなところなんてなんにもない。むしろ、自分勝手で、自分を守るための言葉で人を傷つけてばかりの、最低の人間だ。
 彼の澄んだ瞳に、今の私はどう映っているんだろう。そう思うと、無性に虚しくなる。
「ごめん……今日は帰るね」
 ベンチに置いていた鞄を胸に抱えて、私は裏庭から逃げ去った。