「おっ、光夏、ちょっとは入る気になってきたか!?」
「……いや、別に。ただ気になっただけ」
即座に否定したけれど、冬哉はめげずに、待ってましたとばかりに声を張り上げた。
「俺たちのサークルは、四季を愛でる会、その名も『FOUR SEASONS』!」
「……はい?」
想像を絶する答えに、私は唖然としてしまった。
なに、四季を愛でる会って。老人サークルじゃないんだから。しかもFOUR SEASONSって。バンド名か。
ただ、彼らの思考回路は理解できる。私たちは昔、それぞれの名前にたまたま春夏秋冬が入っていたことから、勝手に自分たちのグループを『季節の会』とか『チーム四季』とか名づけていたのだ。そういえば、秘密基地にも看板を立てたりしていた。思い出しただけで恥ずかしい。黒歴史ってやつだ。
私は肩をすくめて言った。
「なにそのサークル名……さらに入る気なくした」
「ってことは、ちょっとは入る気があったってこと?」
突き放すつもりで言ったのに、千秋が即座にそんな返しをしてきたので、度肝を抜かれてしまった。
「千秋ってそんなポジティブシンキングだったっけ……?」
なんだか、この三人と話していると、全身からどんどん力が抜けていく感じがする。でも、ちょっとだけ息がしやすいような気がするのは、気のせいだろうか。
「ていうか、なにするの? そのサークル……四季を愛でる会って……」
完全に毒気を抜かれてしまって、気になっていたことを素直に質問すると、冬哉が「よくぞ訊いてくれました」と笑った。
「こう、四季折々にな、季節を愛でて……」
腕組みをして満足げに語る彼を見ながら、ずいぶんぼんやりした活動方針だな、と呆れ顔をすると、春乃が「そうそう!」と頷いて援護射撃を始めた。
「春にはお花見に行ってー、草餅食べてー、公園で風船とかしゃぼん玉飛ばしてー、ブランコこいでー」
指折りしながら嬉しそうに言う彼女に、冬哉が続いた。
「夏にはお祭りに行ってー、かき氷食べて花火見てー、風鈴の音聞きながら昼寝してー、海に行って泳いでー」
千秋もこくこくと頷いて後を引き継ぐ。
「秋にはお月見して、天の川見て、紅葉見に行って、ぶどうと梨食べて、七輪でサンマ焼いて」
「冬には雪山に行ってスキーとかして、こたつでみかん食べて、鍋パーティーして、湯たんぽして寝て」
私ははあっと息を吐く。
「ただ遊んで食っちゃ寝するだけじゃん……。ていうかそれ絶対、今考えたでしょ」
すると千秋がおかしそうにくくっと喉を鳴らし、「まあ」と口を開いた。
「活動内容は、なんでもいいんだ。四人で一緒にいられるなら」
私は思わず目を見開いた。四人で一緒に、って。
「私まだ入るなんて一言も言ってないのに、サークル名にも勝手に入っちゃってるし……」
千秋が私の顔を覗き込むようにすっと上半身を屈め、首を傾けた。
「だって、四人じゃないと変だから」
いつの間に彼はこんなに背が高くなったんだろう。小学生のころは私と同じか、少し低いくらいだったのに。なぜだか気まずくなって、目を逸らす。
「……別に変じゃないよ。幼馴染なんて、大きくなったらみんなばらばらになるのが普通でしょ。千秋たちは三人で仲よくすればいいけど、私はもう……違うから」
彼らの屈託ない明るさは、今の私には眩しすぎるのだ。
だから、やっぱりサークルなんて入らない。そう続けようとしたとき、冬哉が「つーかさ」と声を上げた。
「光夏、やっぱり今でも俺たちのことちゃんと見ててくれてるんだな」
私は「は?」と目を丸くする。
「そんなわけないじゃん。校舎も別だし、通学時間だって違うから、遠くから見かけるくらい……」
「だって、じゃないと、俺がまだサッカー続けてるなんて分からないだろ?」
冬哉がにっと笑った。私は一瞬言葉を失い、「それは、ただ」と呟く。
「たまたま街でユニフォーム着てるの見ただけだし……」
「へーえ、ふうん?」
「光夏ちゃんて、ちっちゃいころ、いっつも私たちのこと気をつけて見ててくれたよね。私よくからかわれたりしてたから、光夏ちゃんすぐ気づいて駆けつけてくれて……」
春乃がにこにこしながら言った。冬哉が頷く。
「俺なんかよくケンカして光夏に怒られたなあ。でも止めてもらわなかったらもっと大事になってただろうな」
「うん、俺たちは、いつも光夏に助けられてた。すごく助けられてた」
千秋が深く頷きながら、きっぱりと言った。
でも私は、どんな顔をすればいいか分からなくて、俯くことしかできない。そんな昔のことを言われたって、困る。
そのとき本館の生徒玄関が見えてきて、ほっとした。三人とはここでお別れだ。
「じゃ、私、単語テストの勉強したいから、行くね」
私は三人に手を振って、玄関に続く階段へと足を向けた。
そのとき春乃が突然、「光夏ちゃん」と私の手を握った。
「ねえねえ、今日みんなで一緒に帰らない?」
私は一瞬目を見開いてから、静かに首を振る。
「……ええと、用事が、あるから……」
もちろん今日も用事なんてない。でも、これ以上一緒にいるのは、自分にとっても彼らにとっても、いいことだとは思えないのだ。
ちらりと三人を見ると、誰ひとり納得の表情は浮かべていなかった。
「ていうか、帰りは毎日、あの……」
口から出任せでなんとかやり過ごそうとすると、千秋が「光夏」と私を呼んだ。
「光夏と一緒に帰りたい。帰ろうよ」
喉の奥がぐっと苦しくなる。なんとか細く息を吐いて、私は首を振った。
「……ごめん」
そのまま三人の視線を振り切って、振り向かずに階段を駆け上がった。
*
教室で机に突っ伏して目を閉じていると、そんなつもりはないのに、昔の思い出が勝手に甦ってくる。
あのころの私は、今思えば本当に馬鹿だった。
自分はしっかりしていて、正義感があって、責任感もあって、リーダーシップがあると自負していた。ほとんど毎学期学級委員をして、話し合いなどのときも積極的に前に出て、まとめ役をしていた。陰で嫌味まじりに『仕切り屋』と言われていることも知っていたけれど、『できる人がやらなきゃまとまらないでしょ』などと偉そうなことを思っていた。
千秋たちといるときも同じで、自分が中心になって今日はなにをして遊ぶか決めたり、役割分担をしたり、時間配分を決めたり、とにかく何につけても私が取り仕切っていた。それに、ちょっと天然な春乃と一見無愛想な千秋は周りから勘違いされることも多くて、それを解消して二人を守るのも自分の仕事だと気負い、無責任な噂話をしている人の中に乗り込んで、彼らがどんなに優しくていい子なのかを語って聞かせたりもしていた。頼まれてもいないのに出しゃばってばかりいたのだ。思い出すだけで恥ずかしくなる。
でも、昔の私は、そんな自分をなかなか気に入っていたのだ。生意気な子どもだと我ながら思うけれど、自分こそがやらなくちゃ、自分こそが戦わなきゃ、自分こそが守らなきゃ、と本気で思っていた。
そんな『理想の自分』に、当時はそれなりに近づけていたと思う。たとえ自己満足だとしても。だから私の中では、あのころの記憶は、遠くで音もなく光る小さな花火のようなものだ。決して近づけない、触れられない、失われた輝き。
考えごとばかりしているうちに、いつの間にか午前中の授業が終わり、昼休憩に入った教室がざわめき出していた。
みんなが楽しげにお弁当を広げておしゃべりに興じるこの時間は、嫌がらせが始まってから最も居心地の悪い時間になっている。
私はのろのろと腰を上げ、とりあえずトイレにでも行こうかと出入り口に向かった。
ドアの前には、女子の集団がたむろして、他のクラスの女子と笑い合っている。このままでは通れない。
「ちょっとごめん、通らせて」
小さく言ってみたけれど、当然ながら、誰ひとり反応せず、動きもしなかった。そりゃそうか、と自嘲的な笑みを浮かべながら、私は彼女たちの隙間を縫うようにしてドアをすり抜けた。
やっぱり、嫌だ。過去の私を知っている千秋たちに、こんな状況に陥っている今の私を、絶対に知られたくない。
せめてあの三人の前でだけは、昔のままの私でいたい。幼馴染たちの心の中だけでも、あのころの私の面影を残しておいてほしい。特に、いつも私のことを「光夏はすごいね」と言ってくれていた千秋の中では……。
なにより、クラス中から無視されて、不様に俯いている私を知られるのは、恥ずかしくて堪らない。
だから、サークルなんて入れるわけがない。共に過ごす時間が増えたら、共通の知り合いから私の話が出るかもしれない。そうなったらきっとばれてしまうから。
一度分かれた道は、もう二度と交わることはないのだ。
*
交わることはない、と固く思っているのに、しかもあんなに冷たい対応をしたのに、なぜだか彼らは毎日毎日私のもとへやってきた。
朝は学校に着いた瞬間から三人で私を取り囲み、朝学習が始まる寸前まで、たわいのない世間話を持ちかけてくる。放課後も、終礼が終わると同時に教室を出て靴箱に向かう私を廊下で待ち受けている。いくら逃げようとしても、さすがに三人相手ではどうにもならない。春乃が私の腕をがっちりホールドして、冬哉と千秋が前後を固める。そしてそのまま、彼らの溜まり場となっているらしい裏庭へと連行されるのだ。
なし崩しで付き合わされているうちに、いつの間にか放課後を彼らと過ごすのが当たり前のようになってしまった。
裏庭は学校の敷地のいちばん奥、別館の裏手にあり、本館クラスの生徒は基本的に訪れることはないというのも、少し私の気を緩ませた理由だった。ここなら誰にも見られない、という安心感から、少しくらいなら彼らのサークル活動とやらに付き合っても大丈夫かな、と思ったのだ。
今日も終礼直後に教室に現れた彼らに引きずられるようにして、自動販売機でジュースを買い込み、裏庭の真ん中に置かれている木製のテーブルとベンチに陣取った。
春乃がいちごミルクを一口飲んで、ふいに「今日ねー」と眉を下げる。
「数Ⅰの授業で当てられちゃって、いちおう予習してたんだけど、分かんなくて空欄にしてたのが何問かあってね」
「ほう、それが当たっちゃったわけか」
紅茶ラテをすすりながら冬哉が言うと、彼女は「そうなの!」とさらに眉を下げた。
「答えられなくてね、先生に『基本問題だぞ』って呆れられちゃった。数学はやっぱ苦手だよー、一学期も赤点ぎりぎりだったし……」
春乃は「はあぁ」と溜息をついて頭を抱える。そういえば彼女は小学生のときも算数が苦手だった。
「冬哉が教えてあげればいいんじゃない?」
確か彼は得意だったはずだと思い、グレープフルーツジュースのパックをたたみながらそう言うと、二人は同時に苦い顔をした。
「いや、それがさあ! 俺も前に教えてやろうと思ってやってみたんだけどさ」
「冬哉ってば、教えるのめっちゃ下手なの!」
「いやだって春乃、わけ分かんねえとこで引っかかってんだもん!」
「ほらー、自分が得意だから、できない人の気持ち理解できないんだよ」
お互いに嫌そうな表情をしながらも、安心して軽口を叩ける親密さを感じた。
二人は今でもこんなに距離が近いんだな、と思ってから、ふと動きを止める。全然気づかなかったけど、もしかして、付き合ってるんだろうか?
自分の推測に驚きを隠せず、思わず春乃と冬哉を見比べていると、私の視線に気づいた彼女はなぜか、ぴっと背筋を伸ばし、気まずそうな顔で「ごめん」と呟いた。
「え、なに? なんで謝るの?」
怪訝に思って首を傾げると、春乃はふふふと笑って「ううん、なんでもない」と首を振った。
「そう? ならいいけど」
彼女は昔から天然でちょっと不思議ちゃんで、ひとりだけ人とずれたことを考えたりしていることもよくあった。きっと今も、私には理解の及ばないことを考えているのだろう。
「そういえば、このサークルって、いつから正式に活動開始するの?」
ふいに気になっていたことを口にしてみると、三人が「えっ?」と目を丸くして同時に私を見た。私も動揺して「えっ」と声を上げる。なにかおかしいことを言っただろうか。
千秋がコーヒーのパックを口から離し、ぱちぱちと瞬きをして、
「もうしてる……つもりだった」
と遠慮がちに答えた。
「え、もうしてるって? サークル活動を?」
「うん……。だって毎日集まってるし」
「え……」
集まってるだけじゃん、と心の中で突っ込みを入れる。私たちは本当に、放課後になると裏庭に集まって、なにをするでもなくおしゃべりをしているだけなのだ。
「え、でも、あれでしょ? 四季を愛でる会、でしょ? 特になんにもしてなくない?」
おそるおそる訊ねると、冬哉が「確かに」と腕組みをして頷いた。
「とりあえず集まったらサークルだと思ってた……」
春乃が心底驚いたという顔をしている。千秋は「確かになんにもしてないな」と小さく笑った。
「えー? なにかないの? いつまでになにするとか、なにか作るとか」
呆れ返って訊ねると、三人ともへらりと笑った。
「へへへ……ないね」
「ないな」
「うん、ない」
私はがっくりと肩を落とした。
「どういうことよ……。そもそも、どういう目的でこのサークル作ったの? 今まで一回もそれらしい活動してるの見たことないんだけど」
「えー、いやまあ、主な目的としては、放課後ライフを充実させる、的な」
「季節、関係ないじゃん」
「でもでも、このメンバーなら、やっぱり四季でしょ!」
そういえばこの三人は、昔からこんな感じだった。なんでも全力で楽しむけど、自分で提案することはあまり得意ではない冬哉。いつも流れに任せて、みんなに合わせる自然体の春乃。とにかくマイペースで、周りがやいのやいのと話し合うのを静観していて、いざ決まってからはそれに従って素直に動く千秋。彼らはみんな、素直で優しい性格で、我を通すということが本当になくて、だからこそ誰かが決めてあげないといけないのだ。
「しょうがないなあ……。じゃあ、私が考えるよ」
私は溜息をつきながら言った。
「せっかくサークルやるんなら、ちゃんとやらなきゃ。なにか目標を立てて、達成できるように計画的に進めて……」
ふいに、千秋がくすりと笑みを洩らした。私はどきりとして言葉を呑み込む。
「え……なに? なんか変なこと言った?」
不安が込み上げてきた。でも彼は、「ううん」と首を振った。
「そうじゃないよ。さすが光夏だな、と思って」
「え……?」
私は瞬きをして千秋を見つめ返す。彼はふわりと笑った。
「そういうふうに、てきぱきとやること決めていくの、すごく光夏らしいなと思って」
返答に困って、私は小さく唾を呑み込んだ。
「光夏はやっぱり光夏だ。そう思ったんだ。それが俺はすごく嬉しい」
どういう意味? と反射的に訊き返しそうになったけれど、きっと今の私にとっては痛い答えだろうと思って、私は口をつぐんだ。
「俺ら、目標なんて全く考えてもなかったもんな」
へへっと笑いながら冬哉が言った。
「……あったほうがいいよ、絶対。じゃないと中だるみして、最悪、自然消滅しちゃうでしょ」
さっきよりもトーンを落として答える。
ふ、と笑いが洩れる音がした。見ると、千秋がなぜか妙に嬉しそうな顔をしている。
「……どうしたの?」
「いや、光夏は自然消滅したら嫌なんだな、と思って」
少し悪戯っぽく訊ねられて、はっとした。
「いや、別に……そういうわけじゃ」
「相変わらず優しいね、光夏は」
千秋の穏やかな微笑みが、胸に突き刺さる。冬哉がひゅうっと口笛を吹いた。
「……そんなことないよ」
私は全然優しくない。本当に優しかったら、きっと失敗なんてしなかった。人の気持ちが分からないから、自分本位の正義感ばかり振るうから、私はこんな状況になってしまったのだ。
「優しくなんかないよ……。ただの自己満足。出しゃばってるだけ……」
でも、そんな自分を卑下するようなことを、昔の私だったら決して言わなかったようなことを口にしたら、変に深読みをされてしまうかもしれない、という危惧から、言葉は囁きになった。
聞き取れなかったらしく、千秋が「え?」と訊き返してきたけれど、「なにも」と答えた。
油断してた、気を引き締めなきゃ。自分にそう言い聞かせる。彼らには――彼にだけは、絶対に知られたくない。ひとつの言葉にも細心の注意を払え。
平静を装うために、何気ないふうで空を見上げる。
裏庭の真ん中には、五階建ての校舎よりもずっと背の高い、大きな大きな銀杏の木が生えていた。今の季節は、青々とした葉を繁らせている。目を落とすと、梢の隙間を通り抜けてくる白い木洩れ陽が、落ち葉に覆われた地面を複雑な網目模様で彩っていた。
秋になるとこの木は、全て鮮やかな黄色に染まるのだろう。そのころにも私は、まだ今と同じような状況なのだろうか。きっとそうだろう。たぶん、クラス替えがあるまで変わらない。来年もあいつらと同じクラスだったら、来年も変わらないだろうと思う。もしかしたら再来年も。
どくどくと胸が早鐘を打つ。でも不思議と心はすうっと落ち着いていた。
どうでもいい。あんなやつらが私になにをしようが、どうでもいい。やりたいなら勝手にやればいい。私は心を凪の海のように静めた。
「……とりあえず!」
私は気を取り直すように、少し大きな声で言った。
「来月文化祭があるから、そこでなにかサークルの活動発表とか展示とかできないか、先生にかけあってみよう」
「発表! 展示!」
「なんか楽しそうー」
冬哉と春乃が目を輝かせてぱちぱちと手を叩く。
「文化祭で展示か、よさそうだね。時期も決まってて動きやすいし、さすが光夏だね」
千秋もそう言って微笑んだ。
さすが光夏、という言葉は、久しぶりに言われた。小学校のときも中学校のときもよく言われていて、私はそれを正面から受け取り、褒められているのだと少しいい気分になっていたと思う。
今となっては、さすが、なんて言葉は、耳に痛いだけだ。自分がそんなに優れた人間ではないと、分かってしまったから。
いつだってクラスの中心にいて、行事のたびに積極的に動いていた私は今、クラスの幽霊になって教室の片隅で息を殺している。
つまり、私はそういう人間だということだ。