「じゃ、そういうことだから……」
言いかけたとき、千秋が「それでも俺は」と遮った。
「それでも、光夏と一緒に、いたい」
ひどいことを言われたのに、少しも揺らいでいない声だった。
すぐには答えられなくて、ただ彼を見つめ返す。静かな瞳の奥に、青白い炎がちらちらと燃えているように思えた。きっと私の勘違いだ。
「ごめん」
きっぱりと告げる。
「私といたって、いいことないよ」
島野たちの顔を思い浮かべながら言った。でも、重すぎただろうかと不安になって、冗談だと思ってもらえるよう、はは、と乾いた笑いを取って付ける。
「私なんかいないほうが……三人のほうが、きっと楽しいと思うよ。……だから、もう、私のことは忘れて……」
「無理だよ」
言い切らないうちに、千秋の声が私の言葉を遮った。思わぬ強さに私は目を見開く。
「忘れるなんて、できるわけないだろ」
怒っているのかと驚いて見つめ返したけれど、彼の目は、苦しげに細められていた。
「光夏を忘れるなんて……」
「……それでも、忘れて」
私はまた笑みを貼りつけて、「じゃあね」と彼らに背を向けた。
まっすぐすぎる視線が、いつまでも背中に突き刺さっているような気がした。
*
「光夏」
私が校門をくぐった瞬間、昨日と同じく待ち構えるように立っていた千秋はぱっと顔を輝かせ、こちらへ駆け寄ってきた。
「おはよう、光夏」
「……おはよう」
私は溜息をついて挨拶を返す。
「待ってるのやめてって言ったのに……」
「でも、待ちたいから。どうしても光夏をいちばんに出迎えたくて」
千秋は当たり前のように答える。嘘やお世辞なんてひとかけらも含んでいなさそうな、無垢な微笑みと共に。
勝手に音を立てる心臓を、ブラウスの上からぎゅっと抑える。
どうしていきなりそんなことを言うのだろう。何年も言葉さえ交わしていないのに。急にどうして。わけが分からない。
「なんで……」
私なんかを待ってどうなるの、と続けようとしたとき、
「おっはよー、光夏ちゃん」
後ろから春乃の明るい声が聞こえてきた。私は前を向いたまま、ふうっと深く息を吐き、背中で「おはよ」と呟く。
「よー、光夏!」
彼女と一緒に登校してきたらしい冬哉も、朝いちばんとは思えないからりとした声を投げかけてくる。
「おはよう……」
私の声は反対に小さくかすれていた。
「今日もいい天気だね」
目も見ずに答えたのに、春乃は少しも気にするふうもなく、いつものようにのんびりと空を見上げた。
「暑くなりそうだねえ。もう秋のはずなのにね」
ああ、とも、んん、ともつかない声で、そっけなく相づちを打つ。
昔のように四人で肩を並べて歩く。でも、申し訳ないけれど、私にとっては違和感と居心地の悪さしかない。
居たたまれなさに歩調を速めたものの、三人は足早についてくる。もう、いい加減にしてほしい。
あれから四日。三人は性懲りもなく私の前に現れては、謎のサークル活動に誘ってくる。何度も断っているのに、なぜか全く諦める素振りもない。
「絶対楽しいと思うんだよね。光夏ちゃんも部活入ってないでしょ? 別にそれでいいんだけど、せっかくならサークルやって毎日を充実させようよ!」
「おう、絶対楽しいと思うぞ、俺も!」
春乃と冬哉が、何度目かも分からない説得をしてきた。
こういうときには黙って様子見をするタイプだったはずの千秋も、
「サークルって、なんか、大学生みたいで、憧れの響きだよね」
などと、なぜか積極的に口を挟んでくる。
「そう? 私はちっとも憧れないけど……」
「キャンパスライフといえばサークルじゃん!」
冬哉の言葉に、私は「そうかなあ?」と首を傾げた。
「私たちだけだとつまずいちゃいそうだから、光夏ちゃんに協力してほしいなあ。私は馬鹿だし、冬哉は飽きっぽいし、千秋くんは超マイペースだし、絶対途中でだめになっちゃうもん」
春乃がうなだれるので、私は「そんなことないでしょ」と首を振った。
「春乃はいつも周りが見えてて気を遣えて全然馬鹿なんかじゃないし、冬哉はずっとクラブチームのサッカー続けてるんだからちっとも飽きっぽくないし、千秋は……千秋は確かにマイペースだけど」
「え、俺はフォローしてくれないの」
千秋がショックを受けたような顔をした。自覚がないんだろうか。春乃と冬哉が噴き出し、あははと声を上げて笑った。千秋もくすりと笑う。
こうしていると、なんだか昔に戻ったみたいな感じがしてくる。錯覚だけど。昔になんて戻れないけど。
「ていうか、サークルサークルって言ってるけど、いったいなんのサークルなの?」
錯覚に陥ったせいか、私は自分から話題を広げてしまった。案の定、冬哉がにやりと笑う。
「おっ、光夏、ちょっとは入る気になってきたか!?」
「……いや、別に。ただ気になっただけ」
即座に否定したけれど、冬哉はめげずに、待ってましたとばかりに声を張り上げた。
「俺たちのサークルは、四季を愛でる会、その名も『FOUR SEASONS』!」
「……はい?」
想像を絶する答えに、私は唖然としてしまった。
なに、四季を愛でる会って。老人サークルじゃないんだから。しかもFOUR SEASONSって。バンド名か。
ただ、彼らの思考回路は理解できる。私たちは昔、それぞれの名前にたまたま春夏秋冬が入っていたことから、勝手に自分たちのグループを『季節の会』とか『チーム四季』とか名づけていたのだ。そういえば、秘密基地にも看板を立てたりしていた。思い出しただけで恥ずかしい。黒歴史ってやつだ。
私は肩をすくめて言った。
「なにそのサークル名……さらに入る気なくした」
「ってことは、ちょっとは入る気があったってこと?」
突き放すつもりで言ったのに、千秋が即座にそんな返しをしてきたので、度肝を抜かれてしまった。
「千秋ってそんなポジティブシンキングだったっけ……?」
なんだか、この三人と話していると、全身からどんどん力が抜けていく感じがする。でも、ちょっとだけ息がしやすいような気がするのは、気のせいだろうか。
「ていうか、なにするの? そのサークル……四季を愛でる会って……」
完全に毒気を抜かれてしまって、気になっていたことを素直に質問すると、冬哉が「よくぞ訊いてくれました」と笑った。
「こう、四季折々にな、季節を愛でて……」
腕組みをして満足げに語る彼を見ながら、ずいぶんぼんやりした活動方針だな、と呆れ顔をすると、春乃が「そうそう!」と頷いて援護射撃を始めた。
「春にはお花見に行ってー、草餅食べてー、公園で風船とかしゃぼん玉飛ばしてー、ブランコこいでー」
指折りしながら嬉しそうに言う彼女に、冬哉が続いた。
「夏にはお祭りに行ってー、かき氷食べて花火見てー、風鈴の音聞きながら昼寝してー、海に行って泳いでー」
千秋もこくこくと頷いて後を引き継ぐ。
「秋にはお月見して、天の川見て、紅葉見に行って、ぶどうと梨食べて、七輪でサンマ焼いて」
「冬には雪山に行ってスキーとかして、こたつでみかん食べて、鍋パーティーして、湯たんぽして寝て」
私ははあっと息を吐く。
「ただ遊んで食っちゃ寝するだけじゃん……。ていうかそれ絶対、今考えたでしょ」
すると千秋がおかしそうにくくっと喉を鳴らし、「まあ」と口を開いた。
「活動内容は、なんでもいいんだ。四人で一緒にいられるなら」
私は思わず目を見開いた。四人で一緒に、って。
「私まだ入るなんて一言も言ってないのに、サークル名にも勝手に入っちゃってるし……」
千秋が私の顔を覗き込むようにすっと上半身を屈め、首を傾けた。
「だって、四人じゃないと変だから」
いつの間に彼はこんなに背が高くなったんだろう。小学生のころは私と同じか、少し低いくらいだったのに。なぜだか気まずくなって、目を逸らす。
「……別に変じゃないよ。幼馴染なんて、大きくなったらみんなばらばらになるのが普通でしょ。千秋たちは三人で仲よくすればいいけど、私はもう……違うから」
彼らの屈託ない明るさは、今の私には眩しすぎるのだ。
だから、やっぱりサークルなんて入らない。そう続けようとしたとき、冬哉が「つーかさ」と声を上げた。
「光夏、やっぱり今でも俺たちのことちゃんと見ててくれてるんだな」
私は「は?」と目を丸くする。
「そんなわけないじゃん。校舎も別だし、通学時間だって違うから、遠くから見かけるくらい……」
「だって、じゃないと、俺がまだサッカー続けてるなんて分からないだろ?」
冬哉がにっと笑った。私は一瞬言葉を失い、「それは、ただ」と呟く。
「たまたま街でユニフォーム着てるの見ただけだし……」
「へーえ、ふうん?」
「光夏ちゃんて、ちっちゃいころ、いっつも私たちのこと気をつけて見ててくれたよね。私よくからかわれたりしてたから、光夏ちゃんすぐ気づいて駆けつけてくれて……」
春乃がにこにこしながら言った。冬哉が頷く。
「俺なんかよくケンカして光夏に怒られたなあ。でも止めてもらわなかったらもっと大事になってただろうな」
「うん、俺たちは、いつも光夏に助けられてた。すごく助けられてた」
千秋が深く頷きながら、きっぱりと言った。
でも私は、どんな顔をすればいいか分からなくて、俯くことしかできない。そんな昔のことを言われたって、困る。
そのとき本館の生徒玄関が見えてきて、ほっとした。三人とはここでお別れだ。
「じゃ、私、単語テストの勉強したいから、行くね」
私は三人に手を振って、玄関に続く階段へと足を向けた。
そのとき春乃が突然、「光夏ちゃん」と私の手を握った。
「ねえねえ、今日みんなで一緒に帰らない?」
私は一瞬目を見開いてから、静かに首を振る。
「……ええと、用事が、あるから……」
もちろん今日も用事なんてない。でも、これ以上一緒にいるのは、自分にとっても彼らにとっても、いいことだとは思えないのだ。
ちらりと三人を見ると、誰ひとり納得の表情は浮かべていなかった。
「ていうか、帰りは毎日、あの……」
口から出任せでなんとかやり過ごそうとすると、千秋が「光夏」と私を呼んだ。
「光夏と一緒に帰りたい。帰ろうよ」
喉の奥がぐっと苦しくなる。なんとか細く息を吐いて、私は首を振った。
「……ごめん」
そのまま三人の視線を振り切って、振り向かずに階段を駆け上がった。
*
教室で机に突っ伏して目を閉じていると、そんなつもりはないのに、昔の思い出が勝手に甦ってくる。
あのころの私は、今思えば本当に馬鹿だった。
自分はしっかりしていて、正義感があって、責任感もあって、リーダーシップがあると自負していた。ほとんど毎学期学級委員をして、話し合いなどのときも積極的に前に出て、まとめ役をしていた。陰で嫌味まじりに『仕切り屋』と言われていることも知っていたけれど、『できる人がやらなきゃまとまらないでしょ』などと偉そうなことを思っていた。
千秋たちといるときも同じで、自分が中心になって今日はなにをして遊ぶか決めたり、役割分担をしたり、時間配分を決めたり、とにかく何につけても私が取り仕切っていた。それに、ちょっと天然な春乃と一見無愛想な千秋は周りから勘違いされることも多くて、それを解消して二人を守るのも自分の仕事だと気負い、無責任な噂話をしている人の中に乗り込んで、彼らがどんなに優しくていい子なのかを語って聞かせたりもしていた。頼まれてもいないのに出しゃばってばかりいたのだ。思い出すだけで恥ずかしくなる。
でも、昔の私は、そんな自分をなかなか気に入っていたのだ。生意気な子どもだと我ながら思うけれど、自分こそがやらなくちゃ、自分こそが戦わなきゃ、自分こそが守らなきゃ、と本気で思っていた。
そんな『理想の自分』に、当時はそれなりに近づけていたと思う。たとえ自己満足だとしても。だから私の中では、あのころの記憶は、遠くで音もなく光る小さな花火のようなものだ。決して近づけない、触れられない、失われた輝き。
考えごとばかりしているうちに、いつの間にか午前中の授業が終わり、昼休憩に入った教室がざわめき出していた。
みんなが楽しげにお弁当を広げておしゃべりに興じるこの時間は、嫌がらせが始まってから最も居心地の悪い時間になっている。
私はのろのろと腰を上げ、とりあえずトイレにでも行こうかと出入り口に向かった。
ドアの前には、女子の集団がたむろして、他のクラスの女子と笑い合っている。このままでは通れない。
「ちょっとごめん、通らせて」
小さく言ってみたけれど、当然ながら、誰ひとり反応せず、動きもしなかった。そりゃそうか、と自嘲的な笑みを浮かべながら、私は彼女たちの隙間を縫うようにしてドアをすり抜けた。
やっぱり、嫌だ。過去の私を知っている千秋たちに、こんな状況に陥っている今の私を、絶対に知られたくない。
せめてあの三人の前でだけは、昔のままの私でいたい。幼馴染たちの心の中だけでも、あのころの私の面影を残しておいてほしい。特に、いつも私のことを「光夏はすごいね」と言ってくれていた千秋の中では……。
なにより、クラス中から無視されて、不様に俯いている私を知られるのは、恥ずかしくて堪らない。
だから、サークルなんて入れるわけがない。共に過ごす時間が増えたら、共通の知り合いから私の話が出るかもしれない。そうなったらきっとばれてしまうから。
一度分かれた道は、もう二度と交わることはないのだ。
*
交わることはない、と固く思っているのに、しかもあんなに冷たい対応をしたのに、なぜだか彼らは毎日毎日私のもとへやってきた。
朝は学校に着いた瞬間から三人で私を取り囲み、朝学習が始まる寸前まで、たわいのない世間話を持ちかけてくる。放課後も、終礼が終わると同時に教室を出て靴箱に向かう私を廊下で待ち受けている。いくら逃げようとしても、さすがに三人相手ではどうにもならない。春乃が私の腕をがっちりホールドして、冬哉と千秋が前後を固める。そしてそのまま、彼らの溜まり場となっているらしい裏庭へと連行されるのだ。
なし崩しで付き合わされているうちに、いつの間にか放課後を彼らと過ごすのが当たり前のようになってしまった。
裏庭は学校の敷地のいちばん奥、別館の裏手にあり、本館クラスの生徒は基本的に訪れることはないというのも、少し私の気を緩ませた理由だった。ここなら誰にも見られない、という安心感から、少しくらいなら彼らのサークル活動とやらに付き合っても大丈夫かな、と思ったのだ。
今日も終礼直後に教室に現れた彼らに引きずられるようにして、自動販売機でジュースを買い込み、裏庭の真ん中に置かれている木製のテーブルとベンチに陣取った。
春乃がいちごミルクを一口飲んで、ふいに「今日ねー」と眉を下げる。
「数Ⅰの授業で当てられちゃって、いちおう予習してたんだけど、分かんなくて空欄にしてたのが何問かあってね」
「ほう、それが当たっちゃったわけか」
紅茶ラテをすすりながら冬哉が言うと、彼女は「そうなの!」とさらに眉を下げた。
「答えられなくてね、先生に『基本問題だぞ』って呆れられちゃった。数学はやっぱ苦手だよー、一学期も赤点ぎりぎりだったし……」
春乃は「はあぁ」と溜息をついて頭を抱える。そういえば彼女は小学生のときも算数が苦手だった。
「冬哉が教えてあげればいいんじゃない?」
確か彼は得意だったはずだと思い、グレープフルーツジュースのパックをたたみながらそう言うと、二人は同時に苦い顔をした。
「いや、それがさあ! 俺も前に教えてやろうと思ってやってみたんだけどさ」
「冬哉ってば、教えるのめっちゃ下手なの!」
「いやだって春乃、わけ分かんねえとこで引っかかってんだもん!」
「ほらー、自分が得意だから、できない人の気持ち理解できないんだよ」
お互いに嫌そうな表情をしながらも、安心して軽口を叩ける親密さを感じた。
二人は今でもこんなに距離が近いんだな、と思ってから、ふと動きを止める。全然気づかなかったけど、もしかして、付き合ってるんだろうか?