<戦場に乗り込む女>
なつきから電話がかかってきたのは夕ご飯を食べ終わって、これからお風呂に入ろうって時だった。
「それ、ほんとにひーくんたちなの? 間違いない?」
『うん、さっき家の前通り過ぎてった自転車が打倒及川聖!! って叫んでたもん。どうせまた、西高生でしょ? あの学校、バカが多いから』
「それ言ったら、ひーくんたちも十分、おバカさんなんだけどね」
言いながらふーっ、大きなため息が出ちゃう。まったく、高校二年生にもなって喧嘩なんて、何やってるんだろう?
なつきは街外れの今は廃墟になっている元レストラン『ボンジュール』の近くに住んでいて、ボンジュールでひーくんたちと思われる不良が暴れてるのを見つけるたび、こうして電話をくれる。電波の向こうで椅子から立ち上がる音がして、カーテンを引く音が続いた。高台にあるなつきの家の二階からは、ボンジュールの建物が見下ろせる。
『中、なんか騒がしいなぁ。ここまで聞こえてくるし。建物の前にいっぱい自転車停まってるのも見えるもん』
「しょうがないなぁもう、ひーくんってば。わたし、止めてくる」
『大丈夫? 心(ここ)菜(な)一人で』
「大丈夫。あの人たち、見た目はちょっと怖いけど女の子には優しいもん」
『女の子ってか、美少女に優しいんだろうね。そりゃ、心菜みたいな可愛い子に喧嘩なんかやめてーって言われたら、やめちゃうわ』
電波のあちら側とこっち側でくすくす笑いながら、携帯を持ってないほうの手で支度をする。自転車の鍵、たぶん使わないだろうけれどお財布。きっとケガをしてるはずだから、ばんそうこうと救急セット。七月にしてはちょっと肌寒い日だから、Tシャツの上にパーカーを羽織る。電話を切るなり部屋を飛び出し、玄関で靴を履いているとお母さんが近づいてきた。
「こんな時間にどこ行くの、もう九時過ぎてるわよ」
「ひーくんが喧嘩してるっていうから、止めてくる」
「また? あの子も喧嘩さえしなければ、いい子なのにね」
って、お母さんも呆(あき)れてる。ひーくんは何度もうちに来てるから、お母さんとも顔見知り。美人親子だとか二十代に見えるとか下手なお世辞を並べるひーくんを、お母さんは結構気に入ってくれてるみたい。不良だからって他の大人みたいに頭ごなしに否定しない、そこがうちのお母さんの素敵なところだ。
「しょうがないわね。明日も学校なんだし、あんまり遅くならないようにするのよ」
「はーい、行ってきます」
お母さんにちらっと手を振って、走り出した。うちのマンションはエレベーターがないから、一階まで一気に駆け下りる。自転車置き場に停めておいた愛車にまたがり、いざ発進! まったく、不良の彼氏ってほーんと、世話が焼けちゃうな。
ボンジュールは町外れの荒地みたいな一角にある。住宅地かなんかに開発しようとして不況の影響で中途半端に止まっちゃったって感じの、茶色い土がむき出しになって広がってる場所。近くを細い川が流れていて、岸にびっしり茂ってる葦が夜風に吹かれてザワザワささやくのが聞こえてくる。なつきが言ってたとおり、ボンジュールの前には自転車が何十台もずらりと停めてあって、街灯の光がステンレスのボディを銀色に光らせている。わたしも端っこに自転車を停めて、うらーとかおらーとかいう声が響き、殴ったり蹴ったりしてるような音が続く建物に近づいていった。もう慣れてるから、別に怖いとは思わない。
「みんなやめなさーい!!」
破れた窓のひとつから顔を出して叫ぶと、次の瞬間、殴り合ってもつれあってた影がぴたっと静止して、不良たちが一斉にわたしを見る。電気の通ってない建物の中、天井にいくつかぶら下げられた懐中電灯が、男の子たちのまだ幼さの残る顔を照らしていた。わたしはすぐ、人ごみの中で笹原(ささはら)くんともみ合った格好のまま、こっちを見てぎょっと目を広げているひーくんを見つけた。
ひーくんは可愛い顔をしている。小学校の頃に自転車で転んだ痕だっていうほっぺたの傷はちょっと怖いけれど、睫毛の長いくるくるしたつぶらな目も丸い形の鼻もピアスがあんまり似合わない口元も、子犬か小動物に見えてほんとに可愛い。背の低さをごまかすため、ブリーチを繰り返した金髪はワックスでツンツン逆立ててあって、ハリネズミの背中みたいになっている。
「ひーくん、これどういうことなの!? 喧嘩はダメって、わたし言ったじゃない! ひーくんだって約束するって言ってくれたよねぇ!?」
窓から中に入り、ひーくんに向かって歩きながら言う。数秒前まで喧嘩に夢中だった男の子たちが、慌てて道を開けてくれる。ひーくんの彼氏であるわたしは、ひーくんの仲間から見ればいわゆる「姐さん」ってポジションに当たるらしい。だからただの女の子でも決して乱暴には扱われず、一目置かれてるみたいだ。ひーくんはもみ合ってた西高のボスの笹原到くんからおずおずと体を離し、わたしをまっすぐ見れずに俯いた。丸い目が叱られた子どものように足元で彷徨(さまよ)っている。
なつきから電話がかかってきたのは夕ご飯を食べ終わって、これからお風呂に入ろうって時だった。
「それ、ほんとにひーくんたちなの? 間違いない?」
『うん、さっき家の前通り過ぎてった自転車が打倒及川聖!! って叫んでたもん。どうせまた、西高生でしょ? あの学校、バカが多いから』
「それ言ったら、ひーくんたちも十分、おバカさんなんだけどね」
言いながらふーっ、大きなため息が出ちゃう。まったく、高校二年生にもなって喧嘩なんて、何やってるんだろう?
なつきは街外れの今は廃墟になっている元レストラン『ボンジュール』の近くに住んでいて、ボンジュールでひーくんたちと思われる不良が暴れてるのを見つけるたび、こうして電話をくれる。電波の向こうで椅子から立ち上がる音がして、カーテンを引く音が続いた。高台にあるなつきの家の二階からは、ボンジュールの建物が見下ろせる。
『中、なんか騒がしいなぁ。ここまで聞こえてくるし。建物の前にいっぱい自転車停まってるのも見えるもん』
「しょうがないなぁもう、ひーくんってば。わたし、止めてくる」
『大丈夫? 心(ここ)菜(な)一人で』
「大丈夫。あの人たち、見た目はちょっと怖いけど女の子には優しいもん」
『女の子ってか、美少女に優しいんだろうね。そりゃ、心菜みたいな可愛い子に喧嘩なんかやめてーって言われたら、やめちゃうわ』
電波のあちら側とこっち側でくすくす笑いながら、携帯を持ってないほうの手で支度をする。自転車の鍵、たぶん使わないだろうけれどお財布。きっとケガをしてるはずだから、ばんそうこうと救急セット。七月にしてはちょっと肌寒い日だから、Tシャツの上にパーカーを羽織る。電話を切るなり部屋を飛び出し、玄関で靴を履いているとお母さんが近づいてきた。
「こんな時間にどこ行くの、もう九時過ぎてるわよ」
「ひーくんが喧嘩してるっていうから、止めてくる」
「また? あの子も喧嘩さえしなければ、いい子なのにね」
って、お母さんも呆(あき)れてる。ひーくんは何度もうちに来てるから、お母さんとも顔見知り。美人親子だとか二十代に見えるとか下手なお世辞を並べるひーくんを、お母さんは結構気に入ってくれてるみたい。不良だからって他の大人みたいに頭ごなしに否定しない、そこがうちのお母さんの素敵なところだ。
「しょうがないわね。明日も学校なんだし、あんまり遅くならないようにするのよ」
「はーい、行ってきます」
お母さんにちらっと手を振って、走り出した。うちのマンションはエレベーターがないから、一階まで一気に駆け下りる。自転車置き場に停めておいた愛車にまたがり、いざ発進! まったく、不良の彼氏ってほーんと、世話が焼けちゃうな。
ボンジュールは町外れの荒地みたいな一角にある。住宅地かなんかに開発しようとして不況の影響で中途半端に止まっちゃったって感じの、茶色い土がむき出しになって広がってる場所。近くを細い川が流れていて、岸にびっしり茂ってる葦が夜風に吹かれてザワザワささやくのが聞こえてくる。なつきが言ってたとおり、ボンジュールの前には自転車が何十台もずらりと停めてあって、街灯の光がステンレスのボディを銀色に光らせている。わたしも端っこに自転車を停めて、うらーとかおらーとかいう声が響き、殴ったり蹴ったりしてるような音が続く建物に近づいていった。もう慣れてるから、別に怖いとは思わない。
「みんなやめなさーい!!」
破れた窓のひとつから顔を出して叫ぶと、次の瞬間、殴り合ってもつれあってた影がぴたっと静止して、不良たちが一斉にわたしを見る。電気の通ってない建物の中、天井にいくつかぶら下げられた懐中電灯が、男の子たちのまだ幼さの残る顔を照らしていた。わたしはすぐ、人ごみの中で笹原(ささはら)くんともみ合った格好のまま、こっちを見てぎょっと目を広げているひーくんを見つけた。
ひーくんは可愛い顔をしている。小学校の頃に自転車で転んだ痕だっていうほっぺたの傷はちょっと怖いけれど、睫毛の長いくるくるしたつぶらな目も丸い形の鼻もピアスがあんまり似合わない口元も、子犬か小動物に見えてほんとに可愛い。背の低さをごまかすため、ブリーチを繰り返した金髪はワックスでツンツン逆立ててあって、ハリネズミの背中みたいになっている。
「ひーくん、これどういうことなの!? 喧嘩はダメって、わたし言ったじゃない! ひーくんだって約束するって言ってくれたよねぇ!?」
窓から中に入り、ひーくんに向かって歩きながら言う。数秒前まで喧嘩に夢中だった男の子たちが、慌てて道を開けてくれる。ひーくんの彼氏であるわたしは、ひーくんの仲間から見ればいわゆる「姐さん」ってポジションに当たるらしい。だからただの女の子でも決して乱暴には扱われず、一目置かれてるみたいだ。ひーくんはもみ合ってた西高のボスの笹原到くんからおずおずと体を離し、わたしをまっすぐ見れずに俯いた。丸い目が叱られた子どものように足元で彷徨(さまよ)っている。