『ベガ』

 あるポートレート専門のフォトコンテストの雑誌を眺めていると、特別掲載という枠組みの中に一枚の異質な写真を見つけた。

 ほかに掲載されているような、巧みな技術で撮られた美しいポートレートとはまったく異なるそれは、夏の夜空に輝く一等星の名前を題とした写真であった。けれど、そのどこにも星が写っていることはなく、部屋の中で夕陽を背景にひとりの少女がこちらを向いているという写真だった。

 ほかの作品たちと比べるとあまりにも稚拙(ちせつ)な写真だった。被写体(ひしゃたい)である少女のピントはずれていて、夕陽の光は少し飛んでいる。
技術をどうこう語るまでもない写真だとも言ってもいい。普通であれば、コンテストの雑誌には載ることはないであろう写真だ。

 しかし、気がつくと私はその写真に魅入(みい)っていた。

 写真の中の少女は流れる涙を気にも留めずに、一生懸命に笑っていた。まるで、自身の幸せを噛みしめるように。

 長年、数多(あまた)ある写真を見て吟味(ぎんみ)してきた私でも、こんなにも写真という媒体の本質を捉えた作品を見たことはない。

 撮影者はきっと、この表情を逃さないように慌てて撮ったのだろう。でないと、こんなにもピントがずれることはないはずだ。撮影とは本来、落ち着いた環境下で集中して行うものであるはずなのに。
 だからこそ、この写真は、被写体が〝もっとも輝いている瞬間を抜き出す〟という一点において、どの作品よりも傑出(けっしゅつ)していた。

 そんな瞬間を抜き取れるほどに少女を見続けてきたのであろう撮影者と、おおよそこの年齢の子どもには浮かべられないような含蓄(がんちく)のある笑顔の少女。この写真にはきっと、なにか大きな意味がある。

 撮影の場ではどんな会話が交わされたのだろう。この写真を撮るまでにどんな過程を経たのだろう。私はそれが気になって仕方なかった。

 その思いをどうしても捨てきれず、私は、雑誌の編集部を通して撮影者との接触を試みた。

 ――撮影者は、十七歳の男子高校生だそうだ。

 驚いた。高校生に、このような写真が撮れるというのか。私が高校生だった頃なんて、綺麗に映る表面上の写真しか撮れなかったと言うのに。


 私は自身の写真家としての立場を用いて、撮影者である彼から話を聞くことに成功した。
 彼は私からの電話に快く出てくれた。彼は私に写真の少女との約二カ月間の出来事を、本当に楽しそうに話してくれた。
 そして、彼は最後にひとつ言い切った。

「僕はもう、カメラを手にすることはありません」
 と。