黄金色に焼けたミニフィナンシェが、ころんとばんじゅうの中で転がる。
ピロートのカウンター内にあるテーブルの前。使い捨てのビニール手袋をした八代は、手早くミニフィナンシェを袋に詰めていく。既定の重さのフィナンシェを入れた後、シリカゲルと魔力保持剤の袋を入れ、手早く真空パックの機械へかける。最後に店のロゴシールと、原材料などを記したシールを貼れば、商品のできあがりだ。
「今日もいい色してんなあ。それに、香りも」
袋に入れる前のフィナンシェを指でつまんだ八代は、上機嫌ではちみつと焦がしバターの甘い香りを楽しんだ。焼き菓子の梱包は、オーナー兼販売員である彼の仕事である。
「あれ、これ、形が」
つまんだフィナンシェを見て、つぶやく。
全てを無造作に入れているわけではない。形のいびつなものがあれば、それは商品にはせずに試食に回すことになっている。テーブルの上に置いてある壺のふたを開け、中に入れようとして――その手を止めた。
「……今日はまだ、味見してない、なあ」
目を泳がせ、そっとガラス戸から厨房の様子をうかがう。シェフパティシエたる蒼衣は、ジェノワーズ生地の材料計量をしているようだ。計量は重要だとつねづね語る蒼衣は、至極真面目な顔つきで小麦粉をはかっている。八代に気づく様子はない。客の来店を知らせるベルも、鳴る気配はない。
八代は口の端をつり上げる。まるでいたずらを思いついた少年そのものだった。
「よし」
素早くしゃがみ込み、フィナンシェを半分だけかじった。
瞬間、焦がしバターのリッチな風味と、口の中が溶けそうなほど甘い蜂蜜の味が口いっぱいに広がる。表面のカリカリ感もたまらない。まさに『金の延べ棒』の異名通りの贅沢さに、頬がゆるむ。
指でつまめるほどの小さな小さなそれは、あっという間に口の中でなくなった。
しばらく味わったその後、残りを見つめた八代は、少し残念そうな表情になった。
「ハズレか」
このフィナンシェの商品名は『金のミニフィナンシェ』一定の確率で、フィナンシェの中に小さな金の粒があるという魔法菓子だ。姉妹品に『銀のミニマドレーヌ』がある。こちらはレモンの香りがさわやかなミニマドレーヌで、銀の粒が出てくる。
金銀の粒が出てこれば、それは『アタリ』だ。魔力で生成されるが、一定時間経っても消滅したりはしない。五~六個入って五百円という値段なこともあって、運試しで買っていく一品だ。
粒は焼成時、ランダムに生成されるため、焼き上がったものの中を割ってみなければわからない。魔力耐性がある蒼衣なら、触ればどこにあるかはわかるらしいが。
「ふっ、幸運の女神は俺以外のラッキーなお客様に振り向くだけさ」
負け惜しみのように残りのフィナンシェを口に放り込んだ瞬間だった。
「や~し~ろ~、またつまみ食いしたね」
「うわぁっ!」
突然の声に振り向けば、厨房のドアから蒼衣の顔がのぞき見える。彼は呆れた表情を浮かべていた。
「なんだ、蒼衣かよ。びっくりさせんな」
「カウンターの中で食べたのが失敗だったね。厨房とは近いんだから、食べたら一発でわかるよ。ふふふ、残念がってたってことは、ハズレだったんですねぇ、東オーナー?」
珍しく挑発的な物言いの蒼衣に、八代はぐぬぬ、とうなりを上げる。
蒼衣は、半径七五センチ以内で魔法菓子を食べた人間の感情を『感じる』ことのできる能力を持っている。
「なぁパティシエくんよ、これアタリ増やせねぇの?」
毎回ハズレばっかりで、とぼやくと「これまでにもつまみ食いしてたってことだね」と言われ、口を閉ざす。
「そりゃあ、使う魔法金粉や銀粉の量を多くすれば確率は上がるけど、そのぶん値段も倍になるよ? なにより、粉を増やすと味が変わっちゃっておいしくないから、僕はおすすめしないです。それに、確率が低いからこそ、運試しは楽しいと思うんだけどなぁ」
ね? と蒼衣はいつもの穏やかな笑みを浮かべる。世渡りや生きかたは不器用だが、ことお菓子のことになると、蒼衣は案外したたかな態度になる。蒼衣にとっての魔法菓子は、彼のアイデンティティそのものだとすら感じることもある。それを知っている八代は、両手を挙げて『降参』のジェスチャーをした。
「はいはい、シェフパティシエ様の言うとおりでございます」
答えに満足したらしい蒼衣は「じゃ、戻るね。つまみ食いはほどほどに」と言い残して、厨房に戻ろうとした。しかし八代は、その肩を叩いて引き留める。
「なに、なにどうしたの」
「あのさ、この中にアタリってあるの? せめてそれ教えてくれよ」
試食用の壺を手に取り、蒼衣の目の前に差し出した。八代は今までに一度も金はおろか銀も当てたことがない。興味は存分にあった。
「え? この中に?」
うーん、と言いながら、蒼衣は壺に触れる。しばらく目を伏せたあと「ふうん」とか「あー」とあいまいな言葉をつぶやいた。
「あるのか?」
期待に目を輝かせて八代が尋ねる。すると蒼衣は目を細めて、意味ありげに笑う。
「秘密です」
それだけ言い残して、扉は閉められた。
「……あンの野郎!」
珍しくも蒼衣にしてやられた八代の恨み節が、店に響いた。
ピロートのカウンター内にあるテーブルの前。使い捨てのビニール手袋をした八代は、手早くミニフィナンシェを袋に詰めていく。既定の重さのフィナンシェを入れた後、シリカゲルと魔力保持剤の袋を入れ、手早く真空パックの機械へかける。最後に店のロゴシールと、原材料などを記したシールを貼れば、商品のできあがりだ。
「今日もいい色してんなあ。それに、香りも」
袋に入れる前のフィナンシェを指でつまんだ八代は、上機嫌ではちみつと焦がしバターの甘い香りを楽しんだ。焼き菓子の梱包は、オーナー兼販売員である彼の仕事である。
「あれ、これ、形が」
つまんだフィナンシェを見て、つぶやく。
全てを無造作に入れているわけではない。形のいびつなものがあれば、それは商品にはせずに試食に回すことになっている。テーブルの上に置いてある壺のふたを開け、中に入れようとして――その手を止めた。
「……今日はまだ、味見してない、なあ」
目を泳がせ、そっとガラス戸から厨房の様子をうかがう。シェフパティシエたる蒼衣は、ジェノワーズ生地の材料計量をしているようだ。計量は重要だとつねづね語る蒼衣は、至極真面目な顔つきで小麦粉をはかっている。八代に気づく様子はない。客の来店を知らせるベルも、鳴る気配はない。
八代は口の端をつり上げる。まるでいたずらを思いついた少年そのものだった。
「よし」
素早くしゃがみ込み、フィナンシェを半分だけかじった。
瞬間、焦がしバターのリッチな風味と、口の中が溶けそうなほど甘い蜂蜜の味が口いっぱいに広がる。表面のカリカリ感もたまらない。まさに『金の延べ棒』の異名通りの贅沢さに、頬がゆるむ。
指でつまめるほどの小さな小さなそれは、あっという間に口の中でなくなった。
しばらく味わったその後、残りを見つめた八代は、少し残念そうな表情になった。
「ハズレか」
このフィナンシェの商品名は『金のミニフィナンシェ』一定の確率で、フィナンシェの中に小さな金の粒があるという魔法菓子だ。姉妹品に『銀のミニマドレーヌ』がある。こちらはレモンの香りがさわやかなミニマドレーヌで、銀の粒が出てくる。
金銀の粒が出てこれば、それは『アタリ』だ。魔力で生成されるが、一定時間経っても消滅したりはしない。五~六個入って五百円という値段なこともあって、運試しで買っていく一品だ。
粒は焼成時、ランダムに生成されるため、焼き上がったものの中を割ってみなければわからない。魔力耐性がある蒼衣なら、触ればどこにあるかはわかるらしいが。
「ふっ、幸運の女神は俺以外のラッキーなお客様に振り向くだけさ」
負け惜しみのように残りのフィナンシェを口に放り込んだ瞬間だった。
「や~し~ろ~、またつまみ食いしたね」
「うわぁっ!」
突然の声に振り向けば、厨房のドアから蒼衣の顔がのぞき見える。彼は呆れた表情を浮かべていた。
「なんだ、蒼衣かよ。びっくりさせんな」
「カウンターの中で食べたのが失敗だったね。厨房とは近いんだから、食べたら一発でわかるよ。ふふふ、残念がってたってことは、ハズレだったんですねぇ、東オーナー?」
珍しく挑発的な物言いの蒼衣に、八代はぐぬぬ、とうなりを上げる。
蒼衣は、半径七五センチ以内で魔法菓子を食べた人間の感情を『感じる』ことのできる能力を持っている。
「なぁパティシエくんよ、これアタリ増やせねぇの?」
毎回ハズレばっかりで、とぼやくと「これまでにもつまみ食いしてたってことだね」と言われ、口を閉ざす。
「そりゃあ、使う魔法金粉や銀粉の量を多くすれば確率は上がるけど、そのぶん値段も倍になるよ? なにより、粉を増やすと味が変わっちゃっておいしくないから、僕はおすすめしないです。それに、確率が低いからこそ、運試しは楽しいと思うんだけどなぁ」
ね? と蒼衣はいつもの穏やかな笑みを浮かべる。世渡りや生きかたは不器用だが、ことお菓子のことになると、蒼衣は案外したたかな態度になる。蒼衣にとっての魔法菓子は、彼のアイデンティティそのものだとすら感じることもある。それを知っている八代は、両手を挙げて『降参』のジェスチャーをした。
「はいはい、シェフパティシエ様の言うとおりでございます」
答えに満足したらしい蒼衣は「じゃ、戻るね。つまみ食いはほどほどに」と言い残して、厨房に戻ろうとした。しかし八代は、その肩を叩いて引き留める。
「なに、なにどうしたの」
「あのさ、この中にアタリってあるの? せめてそれ教えてくれよ」
試食用の壺を手に取り、蒼衣の目の前に差し出した。八代は今までに一度も金はおろか銀も当てたことがない。興味は存分にあった。
「え? この中に?」
うーん、と言いながら、蒼衣は壺に触れる。しばらく目を伏せたあと「ふうん」とか「あー」とあいまいな言葉をつぶやいた。
「あるのか?」
期待に目を輝かせて八代が尋ねる。すると蒼衣は目を細めて、意味ありげに笑う。
「秘密です」
それだけ言い残して、扉は閉められた。
「……あンの野郎!」
珍しくも蒼衣にしてやられた八代の恨み節が、店に響いた。