店に出ると、女子高生のグループがショーケースの前で歓声を上げていた。若い女の子特有のにぎやかさに目を丸くしていると、その中の一人が手を挙げ、弾んだ声で「蒼衣さん!」と呼んだ。
 声の主は、信子だった。
「鈴木さん! いらっしゃいませ」
「約束通り、友だち連れてきちゃいました」
 グループから離れ、蒼衣に駆け寄ってきた信子は、晴れやかな顔をしていた。
「あのあと、みなみ……仲たがいした友だちに、今までのことを謝りました。そしたら、友だちもなんで私を避けたのか、ちゃんと本音で話してくれました。友だちは、私のことを大切にしようとしてた。でも、大切にするっていうのは、なんでも言うことを聞くことじゃなくて。友だち自身もイヤな気持ちだし、私のためにならないし、って気づいて、離れようとしたって。なんか、蒼衣さんの友だちと似たようなことを言ってくれました」
 信子は、八代の接客トークを聞いている中の一人――優しげな笑みを浮かべる少女――を見て、目を細めた。
「でも、理由も話さずに避けてごめんって、逆に友だちから謝られました。で、ちゃんと本音でお互いの気持ちを話そう、ってことになって、あのカップケーキを食べながら、一晩中おしゃべりしたんです。食べたら本当に顔にゾンビのメークが現れて! 二人で面白がってたら、いつのまにか、仲直りできてました」
「そうなんだ。それはとてもよかった」
「私、友だちのこと、もっと好きになれました。私も彼女のこと、大切にしたいって思えたんです。蒼衣さんと、蒼衣さんのおいしいお菓子のおかげです。ありがとうございます」
 改まって頭を下げる信子に、蒼衣は思わず首を横に振った。
「そんな、大げさだよ。鈴木さんが、きちんと相手に気持ちを伝えることができたから、今の鈴木さんがあるんだよ」
 信子はきちんと関係を再構築できた。それは、ほかの誰でもない、信子自身の行動によるものだ。自分の功績ではない。蒼衣はそう伝えたかった。しかし信子は、小さく首を振った。
「でも、きっかけをくれたのは蒼衣さんです。あのとき、蒼衣さんが私の話を聞いてくれなかったら、私はずっと、自分の中の嫉妬に気づけなかった。友だちの優しさにも気づけなかった。だから、本当に、出会えてよかったって思ってます。だから今日、みんなを連れてここに来ました。約束を守るために」
 信子の真っすぐな視線に、蒼衣の胸が熱くなる。自分が差し出した手は間違っていなかったのだと思うと、今まで感じていた自己嫌悪と不安がどこか遠くに行ってしまうように感じた。
「鈴木さん……」
「そうだ、これ見てください。カップケーキを食べたときの写真です」
 信子はスマホを取り出し、蒼衣に画面を見せた。ゾンビメークで笑う、信子とあの少女のツーショット写真だった。楽しそうな雰囲気に、蒼衣のほおが緩む。
「いい写真だねえ」
「ありがとうございます」
 信子と笑いあっていると、突然、蒼衣の横から声がした。
「いい写真じゃん。これ、インスタとかツイッターに上げたの?」
 二人が横を向くと、そこには八代と、信子の連れてきた女子高生たちがいた。
「あ、いえ、蒼衣さんが試作品だって言ってたので、上げてないです」
「じゃあ上げちゃって上げちゃって! もうハロウィンの宣伝したいしさ。よかったらうちの店のハッシュタグ使ってよ」
 気さくな八代の言葉に、信子は写真に写っている少女に了解をとると、すぐにスマホを操作しはじめた。上げました、という信子が言うと、皆が一斉にスマホをのぞき込む。蒼衣はスマホを持っていないので、その様子を手持ち無沙汰で眺めていた。
「ありがと。俺も店のアカウントでチェックしてみるね」
 満足そうに言う八代だったが、次の瞬間、口に手を当ててなにかを思案し始めた。そしてふらっと厨房に入った八代は、試食用の『変装カップケーキ』を二つ持って戻ってきた。
「オーナー、なにしてるの?」
 八代は不思議がる蒼衣をお構いなしに、カップケーキの一つを口にしたあと、もう一方を無造作な様子で蒼衣に差し出した。
「え? 食べろ? なんで?」
「いいから、いいから」
 にやにやと笑いを浮かべる八代から、蒼衣に感情が伝わってきた。「いたずら」的なことをしてやろう、という浮かれたものだ。一瞬、戸惑う。しかし、お客が目の前にいる今、八代が店のオーナーとしての立場を逸脱するようなことはしないだろうと判断した蒼衣は、その誘いに乗った。
 口にすれば、かぼちゃを練り込んだ生地と、中身に仕込んだ変化リンゴと、着色シナモンのジャムの風味が広がる。うまい具合にできあがったな、と心中で自画自賛しつつ蒼衣がカップケーキを食べると、少しだけ顔が熱くなった。魔力の効果が出たのだ。
「あっ、ガイコツと吸血鬼!」
 わっ、と女子高生たちから歓声が上がる。八代の顔を見れば、そこには白塗りの顔で歯が浮き上がった、ガイコツのようなメークが施されていた。ということは、自分のメークは吸血鬼か。
 八代は、今にもカタカタと歯を鳴らしそうな笑顔を浮かべている。
「ちょっとごめんよ」
 八代はそう言うと、蒼衣のコック帽を素早く取った。束ねた髪が肩に落ちた瞬間、女子高生たちから黄色い声が上がる。
「わっ、ちょっ、オーナー!?」
「うわ、やっぱり美形。信子の言う通りじゃん」
「アラサーには見えないよ~」
 なにやらヒソヒソと話す声が聞こえるが、それを気にする間もなく、今度は蒼衣の体が八代のほうに引き寄せられた。
「ひえっ!?」
 さらに女子高生たちから甲高い声が聞こえた気がしたが、がっしりと肩を組まれたほうの驚きが強かった。
「な、なにすんの!」
「自撮り」
「じどり?」
 八代の言葉が理解できたのは、目線の斜め上に掲げられたスマホの画面を見てからだった。顔を寄せるガイコツと吸血鬼。どんな組み合わせだよと思っていると、カシャ、と写真を撮られた音がした。
「撮ったどー!」
 したり顔の八代から離れると、蒼衣は抗議の意味を含めて彼をにらんだ。せめて説明しろやこのお祭り男め、という気持ちを込めたつもりだった(しかし、八代には毛ほども届いていないだろう、ということを蒼衣は知っている)。
「東オーナー!」
「そんなににらむなって。これ、カップケーキの宣伝で使う写真だから。どんな効果が出てるのか、実際に見たほうが気になるだろ」
 だからって男二人で撮る意味はないんじゃないかとは思いつつ、あらためて写真を見る。威厳も怖さも感じられない、呆けた顔の吸血鬼と、ちゃっかり笑顔の愛嬌たっぷりのガイコツ。さすがに宣材写真として華やかさに欠けるのではないかと思うのだが、撮った本人は満足そうだった。
 写真を女子高生たちに見せにいこうとする八代を横目に、蒼衣は少し距離を取った。こんなもので、きちんと宣伝になるのだろうか。気づかれないような小さなため息をつく。しかし、蒼衣の耳に入ってきたのは、おおむね好意的な言葉だった。
「すごく面白い! ガイコツのオーナーさんかわいい~。パティシエさんめっちゃカッコいいし!」
「カップケーキもかわいいから、これも写真上げてください~」
「はーい、どっちも店のSNSに上げました~。みんな、反応や投稿よろしくね!」
 はーい、と元気の良い女子高生の返事が聞こえてきた。写真やケーキを見ながら盛り上がる彼女たちは楽しそうだ。そうこうしているうちに、彼女たちは喫茶用のケーキを選び始めていた。
(……みんなが楽しそうなら、いいのかな)
 そう思うと、突然の写真も楽しいことに思えてきた。蒼衣の口元にふっと笑みがこぼれる。
「おーい、パティシエくん手伝ってくれ。喫茶四名様」
「はい、ただいま参りますよ」
 八代の呼ぶ声に、蒼衣は笑顔のままで答えた。

***

「おつかれさん。なあ蒼衣、見てくれよ。反応がこんなにたくさん! バズってんな~」
 閉店後の片付けを終えた蒼衣が身支度をしていると、八代が興奮した面持ちで声をかけてきた。八代の持つスマホにはSNSらしきページが表示されている。そこには例の写真があった。八代の言うところの数字を見ると、万単位になっている。
「えっと、この数字はたしか……」
「単純に言えば、これだけの人たちが、俺たちの写真を見てくれたってことになる」
「ひええええっ」
 インターネットの文化に疎くても、数字で示されればどんなにすごいことかは蒼衣にも分かる。途方もなさに驚く蒼衣とは反対に、八代はどこかしみじみとした表情をしていた。
「どうしたの?」
「鈴木って女の子、あれがこの前の女子高生ちゃんなんだろ」
「ああ、うん。仲直りできたらしいよ」
「よかったな、蒼衣」
「そうだね」
 あの後、彼女たちは喫茶スペースでケーキを食べながら楽しく過ごしていた。蒼衣が近くに行ったとき伝わってきた感情は温かく、居心地の良いものだった。
「やっぱり、友だちっていいよなって、あの子たち見てて思ったわ。でさ、おまえとも、あのとき仲たがいしたままじゃなくてよかったなって、思ったワケよ」
「なんだよ、唐突に」
 スマホをもてあそぶ八代は、少し照れくさそうな様子で言葉を続けた。
「高校のときの、知り合ったばっかりの頃の話。確かに、おまえの嫉妬はめんどくさかったよ。でも、おまえは本当に優しい奴だし、あんなことになったのは理由があるはずだって思って、いろいろ考えた。んで、とことん話した。そうだったよな」
 八代の言葉にうなずくと同時に、今でも鮮明に覚えているのは自分だけではなかったことを、うれしく思った。自分の嫉妬で仲がこじれた。それでも八代は、蒼衣のもやもやした気持ちの正体を言い当てて、言語化してくれた。そして、見捨てなかった。
「……うん。あのとき八代が僕の話を聞いてくれて、見捨てなかったから、僕は今、ここにいる。だから、本当に感謝したいのは僕のほうだよ。ありがとう、八代。ぼくの友だちでいてくれて」
 そのときだった。襲い来る嫉妬という魔物をなだめる方法が、蒼衣の中に浮かぶ。
「僕は、君のことがずっと好きだよ。これからも、大切にしたい」
 友情というには少し度が過ぎているが、恋というほど甘くはない。だけど表すとしたら、この言葉しかなかった。嫉妬を乗り越えるのは『好き』というプラスの気持ちだ。
 やはり、と言うべきか。八代は目を丸くし、困った様子で頭をかいた。
「……おまえ、ようそんなこと、しらふで言えんな……。っていうか、既婚者にそんなこというなよ。俺、ヨッシーと離婚する気ないから」
 ふんぞり返る八代が面白くて、蒼衣はふき出した。そういうところが好きだなあ、とあらためて思う。
「なに言ってんだよ。僕だって離婚なんかしてほしくないよ。今の八代だからこそ僕は好きだって」
「だぁーっ、そう何度も言うな! 恥ずかしいだろ! 口説いてんのかよ!」
「そういうつもりはないんだけどなあ」
「くっそ、この天然タラシ優男! 危険だ、おまえは危険だ! こいつから逃げるために俺は帰る! 家族のもとへ!」
 半ば笑いながら店を出ようとする八代を、蒼衣は微笑を浮かべて見つめる。
「はいはい、そうしてくださいな」
 ずっと君とこうしていられればいいね。と、心の中で思いながら、蒼衣も店を出るために歩きだした。