「で、その女子高生ちゃんにサービスしちゃったの? あのなー、蒼衣はほんと優しすぎ。商売向いてない!」
「ごめんよ八代《やしろ》、だってどーにかしてあげたいなって思って……」
「あ~~~、この、お人よし~~~。まあでも、やっちまったもんは仕方ないな。それよりも、ちゃんと言ったか? 魔法の呪文」
「言ったよ言った!『写真はSNSに上げても大丈夫です』って! 二回も!」
「ならよし! 宣伝になるならすべてよし!」
 信子が帰ってから数時間後。十九時で営業を終了した『魔法菓子店 ピロート』の中では、パティシエである天竺蒼衣と、黒縁眼鏡の男性――オーナーの東《あずま》八代《やしろ》が閉店雑務をそれぞれの持ち場で行いつつ、雑談を交わしていた。
 八代には保育園に通う五歳の娘がいる。送り迎えやお世話のために、夕方は店にいないことが多い。報告も兼ねて、信子とのやりとりをかいつまんで説明していたのだった。
 蒼衣は厨房で掃除、八代はカウンターの中で売上や予約注文などの事務的な仕事をこなしていた。そんな中、八代は作業をしながら、傍らに置いてあるばんじゅう――ケーキを入れておく大型のケース――から、ケーキを豪快に手づかみで食べている。
 そのケーキは今日までの消費期限のもので、本来ならば食品衛生上、廃棄処分しなければならない。しかし数が少ないことや、個人経営であること、なによりも「だっておいしいのにもったいないだろ」と主張する八代はお構いなしに食べる。蒼衣も、せっかく作ったものを捨てるのは心苦しいので、実のところ、八代には感謝をしているのだが。
「ああ、本当におまえの作ったケーキはうまい。最高だよ。こうやって店を持つことができてよかったわ。毎日ケーキが食べ放題!」
 八代は満面の笑みだ。つぎつぎと口に入れては、魔法効果にいちいち驚いている。この店を彩遊市の一角でオープンさせて、一ヶ月。準備期間も含めて店の商品はすべて把握しているはずなのに、それでも八代は毎回うれしそうに蒼衣の作った菓子を食べる。ケーキを食べ続ける八代を見て、蒼衣は口元がほころぶのを自覚する。同時に、蒼衣の髪の毛がぼんやりと青く光った。
「いちいち言葉にしなくたって分かってるよ」
「まあな。おまえの作った魔法菓子を食べると、それを食べた人の感情が、蒼衣《おまえ》に伝わっちまうんだから。おっ、今日もよく光ってますなあ」
 いたずらっ子のように笑う八代が、厨房と店の間にあるガラス越しに顔を覗かせる。「人を電球かなんかのように言うなよ」とあきれて返すが、その声音にはどうしても隠せないうれしさが混じる。
 蒼衣は魔法菓子にかかわるようになってから、魔力の影響で、自身が作った魔法菓子を食べた人間の感情が「伝わってくる」という能力が身に付いてしまった。髪の毛が青く発光するのも、それの副作用のようなものだ。
「まあ、伝わるというか、つながるというか。でも心がすっかり読めるわけじゃないんだよ。なんとなく、その人の感情のゆらぎが伝わってくるというか……うまく説明できないなぁ。でも普段は困らないよ。だって、近くにいないとわからないしね」
 もっとも『半径七十五センチ以上』離れれば伝わってこないため、蒼衣自らが積極的に近づかない限り、あまり影響はない。
 蒼衣が信子に自分の経験を語ったのも、この能力があったからだった。来店したときにただならぬ様子だということは見た目でわかったが、心の中まではわからない。お菓子を食べている間、近くにいれば、話すよりもさらに深く、しかも正確に、相手の気持ちがわかる。
「しかし、八代は僕の能力を知ってて、なんで目の前でケーキを食べるのを止めないかなあ。不気味に思わないの?」
 八代は蒼衣の作った魔法菓子を、身近で食べることをまったく気にしていない。
「不気味っていうよりは、不思議って感じはするけど。なんつうか、職業病の一種? みたいなもんじゃねえの? 魔法菓子職人らしくていいと思うけど。まあ、俺としては、いまさら胸の内を蒼衣に知られてもなー。どーせ『蒼衣のケーキは世界一ィィィ!』っていうのが伝わるだけだし」
「世界一は言い過ぎ。僕なんて、まだまだだよ。でもまあ、職業病って思ってもらえればありがたいな」
「気軽に客からヒアリングができるんだから、儲けもんじゃん」
「そこまで言う?」
「何を言う、市場調査《マーケティング》は必須項目なんだぞ」
「流石、元営業マンだねえ、八代は」
「よせやい、照れるぜ」
 八代は営業マンとして働いたその後、蒼衣の魔法菓子を広めるためにこの店の経営を始めたという、少し変わった経歴の持ち主だ。彼は近くにある商店街の一軒『東デンキ店』の息子で、おまけにこの店があるアパートの所有者……大家でもある。昔から、地元で店を出したいと考えていたらしい。蒼衣はそんな八代の誘いに乗り、この店でシェフパティシエとして働くことになったといういきさつがある。
「それはそれとして、女子高生ちゃんは元気になったの?」
「そうだといいけれど」
 話題が信子のことに戻った。信子にはなるべく前向きになれるような言葉をかけたつもりだったが、彼女がどんな選択をするのかはわからない。ただ、少しでも同じような思いをした人が救われればいいと、蒼衣は思っていた。
「まあ、嫉妬大魔王のおまえのアドバイスなら大丈夫じゃないの。あのときのおまえの嫉妬はすごかったからなー」
「なんだよ、嫉妬大魔王って……僕のこと!? まだ覚えてたの? あのときのこと」
 洗い場でコンロを洗っていた蒼衣は、ガラス戸から顔を出す。もう十五年前のことだから、覚えているとは思わなかったのだ。
「そりゃあ、まあ。付き合いのある中で、あんなにいじけた男は、おまえ以外いないよ」
 蒼衣と八代は高校からの付き合いである。蒼衣が信子に話した『友人』とは、八代のことだ。
「あのときは、その、ごめん」
「もういいって。今のおまえはぜんぜん違うし。それに、もう腐れ縁みたいなもんだろ? 嫉妬もクソもねえよ。今じゃ店で、ずーっと一緒にいるんだし」
 八代はさわやかな笑顔を蒼衣に向けた。八代の持ち前の明るさと前向きさ、素直な心に、どれだけ自分は救われてきたのだろうと蒼衣は考える。それは友人としても、ビジネスパートナーとしても。そう思うと、こうして一緒に店を経営できる今の関係は、蒼衣にとってとても幸せなことだった。
「まあ、ね」
 蒼衣が返事をすると、八代は満足した表情になった。


 あらかた片づけが終わり、二人は店の戸締りをして外に出た。秋になりたての夜は少し肌寒い。蒼衣はなにも羽織っていないことを少しだけ後悔した。八代はというと、出かけに妻が持たせてくれたというジャケットを着ていた。
「待ってろよ、俺のかわいい娘ちゃ~ん!」
「あんまり寝る前に恵美《えみ》ちゃんを興奮させて、寝つけなくさせるなよ。良子《よしこ》さんが困ってたよ」
 恵美と良子は、八代の娘と妻の名である。ここから車で十五分くらいのところに、去年新居を構えたばかりだ。蒼衣の部屋はこのアパートの一室にあるため、二人はいつも店の前で別れることになる。
「だいじょーぶ、寝かしつけまでが俺の仕事ですぅ。ヨッシーだって、俺と同じくらいに帰ってきたときは同じことしてんのにさぁ。ってか、ヨッシー、蒼衣にまで愚痴ってたわけ? いつの間に!?」
「ふふん、良子さんと僕は『八代被害者の会』仲間だからね」
「なんだなんだ、被害者の会って!」
「八代に振り回されてて困ってる人の会。良子さんはおまえに強引にプロポーズされて、結婚して、仕事も育児も両立してるし、僕はパティシエとして日々コキ使われて……うっうっうっ」
 蒼衣はわざとらしく泣きまねをしてみせる。それを見た八代は、お返しとばかりに蒼衣の頬を掴んで引っ張った。
「ヨッシーのことはともかく、そんな言いかたはないだろ。開店資金はおまえも半分出したくせに~。おまえの店でもあるんだぞー、おまえがここの唯一のシェフなんだぞー、二度言うけどここはおまえの店なんだからなー」
「ふぁい、ふぉめんなさい」
 そして二人はははは、と笑った。蒼衣は、気の置けない関係の居心地の良さを、心の中だけでかみしめた。
「長々と引き留めてごめん。恵美ちゃんと良子さんによろしく。君たちのパパをお返しするよって」
「気にすんな。じゃあな、おやすみ、蒼衣」
「おやすみ、八代」
 八代が車に乗って発進するまで、蒼衣はその姿を眺めていた。


 蒼衣は自分の部屋に入るなり、深いため息をついた。八代に引っ張られた頬にそっと触れ、余韻に目を伏せる。
「……一緒にいられるだけでも、十分のはずなのにな」
 思わず気持ちがそのまま言葉になって、吐き出される。気兼ねない仲は成人しても続き、仕事の上でもパートナーになれたのに。これ以上、彼になにを望むというのだろう。
 信子から伝わってきた感情が、忘れかけていた昔の気持ちを思い出させた。つい引き留めて話してしまったのも、それのせいだ。
 今さら八代と恋人にはなれないし、もちろん、体を重ねたいとも思わない。女性のような容姿ではあるが、蒼衣の性自認は男性であり、性的指向も女性のはずだった。そして、蒼衣も八代も、もう大人だった。わがままで他人を振り回す行儀悪さを知っている。
 しかし、ふとさびしいと思うとき。蒼衣がそばにいてほしいと思うのは、八代だった。
(ああ、まだ僕も大人げないなあ)
 困ったように蒼衣は笑った。自分の中に眠る、嫉妬という名の魔物をなだめながら。

***

 平日の夕暮れ時、『魔法菓子店 ピロート』の厨房内。蒼衣は、もくもくとケーキの仕上げをしていた。
 網の上に並んでいるのは、ドーム状のチョコレートムース。蒼衣は一つひとつに、星のかけら入りグラサージュショコラをかけていく。つややかなグラサージュはムースの上に広がり、ムースの表面を覆っていく。
 星とチョコレートの魔法菓子『プラネタリウム』の仕上げだった。
『プラネタリウム』は、魔法菓子らしい驚きときれいさを持ち合わせた、ピロートのスペシャリテだ。温度管理と生地の硬さが絶妙でないと、あの光沢は現れない。
 全てのムースにグラサージュをかけ終わり、網のまま冷蔵庫へと入れた。すると、冷蔵庫に貼ってあるカレンダーが目に入る。それを見た蒼衣は、憂うように目を伏せる。
 女子高生・信子と出会ってから、二週間が経った。十月もすでに半ばを過ぎ、ピロートの店内はハロウィンの飾り付けで賑やかだ。
 あれから彼女はどうなったのだろうか。蒼衣はたびたび、その後が気になって仕方なかった。
 前向きになってくれたように感じたが、しょせん、信子からすれば、蒼衣は見ず知らずの他人だ。一方的に説教するだけになっていたのではないか、と思うと、信子に対して申し訳ない気持ちまで浮かんでくる。終わったことに対して、いつまでも悩み続けるのは悪癖だというのはわかっていても、なかなかやめられない。
 気持ちが伝わってきて、それがほっとけなくて話をしてしまった。今考えると、ずいぶん偉そうにしてしまったように思える。三〇歳になったというのに、いまだに嫉妬を治められない、と自己嫌悪に陥った。彼女が幸せになる選択肢にたどり着いてくれることを祈るしかない。
 自己嫌悪と不安に頭を悩ませていたそのとき、店と厨房をつなぐドアから、八代がひょっこりと顔を見せた。
「蒼衣、手ぇ空いてるか? 鈴木って名前の女の子が、おまえに会いたいって店に来てるぞ」