梨々子を喫茶スペースに案内した蒼衣と八代は、彼女の話を聞くことにした。梨々子の前には、今日の試食であるベルサブレが置かれている。
「いただきます」
丁寧に手を合わせ、それからサブレをかじる。リンリン、と鈴の鳴る音がサブレからして、梨々子は驚いた。八代が鈴の音は、サブレをかじった音だと説明すると「すごい」と面白がった。
「やっぱり、魔法使いなんだぁ」
うれしそうにつぶやく梨々子に対し、蒼衣は微かに困惑した表情を浮かべるが、鈴の音を楽しむ梨々子はそれに気づいていない。
「気に入ってもらえて、おじさんうれしいなあ。それさ、おじさんも好きなんだよね。面白いじゃん」
あらかたサブレを食べ終えた梨々子へ、八代が話しかける。気兼ねない八代の態度は、やはり子どもに受けがいい。梨々子も例外ではないようで、面白いね、と最初より砕けた態度で答えていた。
「それで、梨々子ちゃん。ケーキの事なんだけど」
お冷やで口を潤した梨々子に、蒼衣は本題に切り込んだ。
「あ、はい。えっと、今まで家にいたお母さんが半年前に働くようになったり、お父さんの仕事が忙しくなったころから、二人の仲が悪くなって。私には優しいけど、二人が楽しそうにしゃべってるの、見かけなくなってしまって。そんなときに、二人から同じ『魔法のお菓子』をもらって。どっちも誕生日にはすごいケーキを用意したよなんて言うんです。お父さんには、お母さんにはナイショだからねって念を押されて。でも、喧嘩してるのに同じお店で、二人ともナイショなんて、なんか変だなって」
「どちらもお互い、同じお店でケーキを予約したとは思ってないわけだ」
「私、どうしていいか考えてたら、友だちが『不思議なお菓子を作るケーキ屋さんは魔法使いなんだ』って教えてくれたんです。空を飛んだり、声を変えることができるんだって。それに私も、あのお菓子を食べたら、光って、中から金の粒と銀の粒が出たのを見たし。だから、魔法の力でなら、お父さんとお母さんが仲直りできるかもって、思ったんです」
『魔法菓子職人は魔法使い』――どうやら子どもらしい発想と伝聞、そしてフィナンシェとマドレーヌの『あたり』。梨々子の魔法菓子への認識はずれているらしかった。そう考えた蒼衣は、八代に「僕から説明していいかな」と問いかける。八代は「頼むわ」と言葉短く答えた。
「梨々子ちゃん。まずは、うちに来てくれてありがとう。実は僕らも、ご両親がべつべつにケーキを予約にいらして、どうしたものかと困っていたんだ。でもその前に、梨々子ちゃんに説明しないといけないことがあるんだけど、いいかな」
「説明?」
「うん。魔法菓子の大事なお話なんだ」
優しく諭す蒼衣の言葉に、梨々子は怪訝な表情で「はい」と答えた。
「まず、魔法菓子は魔力を使って作られるお菓子であることは、間違いじゃない。それは、梨々子ちゃんが見た通りだよ。でも、残念ながら、僕自身は魔法の力を持っていない」
「それって、お兄さんは魔法使いじゃないってことですか?」
蒼衣がうなずくと、梨々子は明らかに落胆した表情になる。四、五歳の幼児ならともかく、梨々子はもう十歳だ。少し言葉を選べば、魔法菓子のことを理解してくれると蒼衣は考えた。
詳しく言えば、魔力を感じられ、後天的に持った能力――感情が伝わってくる能力――があるが、それは梨々子の思い描く『魔法』とは違うものだ。あえて混乱させることはない。
「あくまで、僕は魔力がある食材の使い方を知っているだけなんだ。不思議なお菓子だし、そう思ってしまうのも仕方がないんだけど。そして、次の話が一番重要。魔力はほんの少しの時間、一時間か、二時間しか効かない。つまり、魔法菓子の魔力では、ひとの気持ちを変えることはできないんだ。だから、梨々子ちゃんの欲しい『ケーキ』は、僕には作れない」
もともとこの世界に存在する『魔力』は、石油などのように大きなエネルギーになるほどの力は持っていない。それゆえ、嗜好品として使われるようになったいきさつがある。しかし、エネルギー利用はできずとも、生物には毒にも薬にもなる力であることは確かだった。
自治体の定めた魔法菓子条例にも、万が一、人体や精神に影響をきたすことはないよう、魔力量の規定が存在する。
魔法菓子の魔力量では、ひとの精神への干渉は不可能に近い。魔力量を増やせば可能性はあるが、それは薬物中毒と等しい行為であり、決して魔法菓子職人がすることではない。
梨々子から感じる「両親に仲直りしてほしい」感情は、真摯なものだ。だからこそ、魔法菓子の正しいありかたをわかってほしかった。
梨々子は蒼衣の説明を理解したのだろう。押し黙ったまま、空になった皿を見つめている。ほどなくして、彼女から『落胆』と『不安』という気持ちが伝わってきた。
蒼衣はショックを受ける梨々子に心を痛めつつも、梨々子の『不安』がなんなのかが気になった。
おそらく、これがが魔法菓子を選んだ理由だと蒼衣は予想した。
直接聞いても、今の梨々子は上手く言葉にできないだろう。そう考えると、蒼衣もどう声をかけていいのかわからなくなり、次の言葉が出ない。
「なあ、梨々子ちゃんは、二人に仲直りしてほしい、って言ったの?」
先に沈黙を破ったのは、八代だった。責める風でも、怒るでもない。どこかひょうひょうとしているけれど、ひとの神経を逆なですることはない、特徴的な声音だ。そんな八代の言葉に、梨々子は少しだけ顔を上げ、小さな声で「言ってない」と答えた。
「そうなんだ。お父さんもお母さんも、梨々子ちゃんのことを大事に思ってる、優しい人に思えるんだけど」
紗枝や壮太の気持ちを少しだけ知っている蒼衣も、それにうなずく。どちらも、自分の子どもに喜んでほしいと思っているのは確かだ。
しかし、梨々子は唇をきゅっと結び、辛さに耐えるような顔になった。
「普段は、二人とも優しい。でも、その話をしようとすると、二人とも顔が怖くなって、話をそらすの。このままじゃイヤなのに、二人に仲良くしてって言い出せない。二人がもっと怒っちゃう気がして、怖い。自分の親なのに、怖いなんておかしいかもしれないけど、怖いの。だから、魔法の力なら、って……」
梨々子の目から、涙がこぼれ始める。そして新たに梨々子から強く伝わってきたのは、臆病な気持ちだった。
だから魔法の力に頼りたがったのか。蒼衣は梨々子が魔法にこだわる理由にやっと得心がいった。
両親に本当の願いが言い出せない苦しさは、親の顔色を伺って過ごした子供時代を経験した蒼衣にとって、強く理解できる感情だ。
梨々子の不安な気持ちと、蒼衣の苦い思い出が重なる。その衝動に動かされ、蒼衣は口を開いた。
「自分の親だって、怖いときには怖いって思っていいんだよ。怖いのは事実。それを『自分の親だから』って見ないふりするのは、梨々子ちゃんのためにはならないと思う」
親だって人間で、いろいろな顔があるのは、大人になった蒼衣とてわかっている。しかしそれで子どもを、しかも自分の子どもを委縮させているのだとしたら、それは梨々子の気持ちを殺しているのも同然に思えた。
「お兄さん?」
「あっ、ごめん。知ったような顔しちゃって。その、怖いっていう、梨々子ちゃんの気持ち、わかるなあって、僕が勝手に思っちゃっただけで……とにかく、怖いって思うのはおかしくないよ、ってことが言いたかったんだ」
梨々子のあっけにとられた顔を見て、蒼衣は自分の声に力が入りすぎていたことに気づく。ははは、と取り繕うように笑うと、梨々子は「そっか、お兄さんもそうなんだ」と、安心したような声でつぶやいた。
静観していた八代は腕を組むと「うーん」とうなってから、なにかを思いついたような顔になった。
「じゃあさ、明日の誕生日、うちのケーキを持ってってさ、「仲直りして」って言ってみようか」
「えっ?」
八代の言葉に、梨々子は困惑しながら声を上げた。蒼衣も目を見開き「八代、どういうこと?」と訊ねた。今さっき、ケーキは作れないよ、と言ったばかりである。
「確かに梨々子ちゃんの言うようなケーキは作れないな。でも、お父さんもお母さんも、そして梨々子ちゃんも『なんとかしたい』って思ったから、このお店に来てくれたんだ。つまり、みんなケーキを食べて幸せになりたいってことなんじゃないの? っておじさんは思ったわけよ。問題は、だれが一番最初に気持ちを言えるか、って所にある。なあ、蒼衣」
突然名前を呼ばれて、蒼衣は「へっ?」と間抜けな声を出す。
「おまえならわかるかなーって思うんだけど」
そう言われて、八代の言葉を頭の中で反芻した。「だれが一番最初に気持ちを言えるか」。気持ちを言う、つまり、自分の気持ちや意思を、はっきり他人に伝える勇気。
八代は蒼衣の過去を知っている。梨々子に、親への不満をうまく言えず苦しんだ過去の自分を重ねていることを、すぐに察したのだ。そして、そういう子どもを助けたいと思ってしまう、今の自分のこともお見通しなのだ。
首をすくめる梨々子へ、今度は蒼衣が口を開いた。
「梨々子ちゃん。気持ちを伝えるのが怖いのは、梨々子ちゃんも、そしてお父さんたちも同じだと思う。そうだね……魔法で気持ちは変えられないけど、そのお手伝いをすることなら、僕らはできると思う。梨々子ちゃんたちが仲直りする勇気を出すための」
蒼衣は、梨々子にここであきらめてほしくなかった。
親である紗枝や壮太も、子どもである梨々子も「家族」という関係の中で、どうしたらいいのか、あがいているのが見えるから。
「僕らと一緒に、がんばってみない?」
ね? と蒼衣が念を押すのと、八代の「なっ?」という声が重なる。特に意識はしていないのだが、こういうときの呼吸は合うのはありがたい。
しばらくの沈黙の後、梨々子は上目遣いに二人を見た。その目には、強い意志が宿っている。
「……私、がんばってみる。だから、ケーキを、作ってください」
「そうこなくっちゃ!」
小さなお客様の前で、パティシエと店長は同時に破顔した。
予約当日の朝、少し早めに出勤した蒼衣は『バルーン・バースデー』の仕上げを始めた。
バルーン・バースデーの中心に飾るのは、魔力を込めた風船型の飴細工だ。魔法フウセンカズラから抽出したエッセンスをほんの少し加えれば、伸縮自在な風船ができる。蒼衣は、手のひらに乗るくらいの大きさのものを、三つ作った。
色とりどりの雲マシュマロを飴の風船の中に目いっぱい詰め込み、空気を入れて口を閉じる。ほんの少し指で押すだけでふわりと浮かぶマシュマロ風船を作れば、メインの飾りは完成だ。
飾りだけではケーキは成り立たない。マンゴーやイチゴを、やわらかいジェノワーズとたっぷりの生クリームで挟み、きれいにクリームを塗る。
ジェノワーズには、三種類の魔法ベリーコンフィチュールを刷毛で塗り、薄くしみこませてある。切ればベリーの香りが広がり、しっとりとした食感になるのだ。
できあがったショートケーキは、大・中・小と、重ねれば三段のケーキになるように、三つ用意した。
ショートケーキにマシュマロ風船と、イチゴや生クリームをデコレーションし、全体を魔力保持ワックスペーパーで包めば完成だ。
そして蒼衣はショップカードに、ほんの短いメッセージを書いた。もし、梨々子の気持ちが伝わったのなら、こうしてほしいと願いを込めて。
「いただきます」
丁寧に手を合わせ、それからサブレをかじる。リンリン、と鈴の鳴る音がサブレからして、梨々子は驚いた。八代が鈴の音は、サブレをかじった音だと説明すると「すごい」と面白がった。
「やっぱり、魔法使いなんだぁ」
うれしそうにつぶやく梨々子に対し、蒼衣は微かに困惑した表情を浮かべるが、鈴の音を楽しむ梨々子はそれに気づいていない。
「気に入ってもらえて、おじさんうれしいなあ。それさ、おじさんも好きなんだよね。面白いじゃん」
あらかたサブレを食べ終えた梨々子へ、八代が話しかける。気兼ねない八代の態度は、やはり子どもに受けがいい。梨々子も例外ではないようで、面白いね、と最初より砕けた態度で答えていた。
「それで、梨々子ちゃん。ケーキの事なんだけど」
お冷やで口を潤した梨々子に、蒼衣は本題に切り込んだ。
「あ、はい。えっと、今まで家にいたお母さんが半年前に働くようになったり、お父さんの仕事が忙しくなったころから、二人の仲が悪くなって。私には優しいけど、二人が楽しそうにしゃべってるの、見かけなくなってしまって。そんなときに、二人から同じ『魔法のお菓子』をもらって。どっちも誕生日にはすごいケーキを用意したよなんて言うんです。お父さんには、お母さんにはナイショだからねって念を押されて。でも、喧嘩してるのに同じお店で、二人ともナイショなんて、なんか変だなって」
「どちらもお互い、同じお店でケーキを予約したとは思ってないわけだ」
「私、どうしていいか考えてたら、友だちが『不思議なお菓子を作るケーキ屋さんは魔法使いなんだ』って教えてくれたんです。空を飛んだり、声を変えることができるんだって。それに私も、あのお菓子を食べたら、光って、中から金の粒と銀の粒が出たのを見たし。だから、魔法の力でなら、お父さんとお母さんが仲直りできるかもって、思ったんです」
『魔法菓子職人は魔法使い』――どうやら子どもらしい発想と伝聞、そしてフィナンシェとマドレーヌの『あたり』。梨々子の魔法菓子への認識はずれているらしかった。そう考えた蒼衣は、八代に「僕から説明していいかな」と問いかける。八代は「頼むわ」と言葉短く答えた。
「梨々子ちゃん。まずは、うちに来てくれてありがとう。実は僕らも、ご両親がべつべつにケーキを予約にいらして、どうしたものかと困っていたんだ。でもその前に、梨々子ちゃんに説明しないといけないことがあるんだけど、いいかな」
「説明?」
「うん。魔法菓子の大事なお話なんだ」
優しく諭す蒼衣の言葉に、梨々子は怪訝な表情で「はい」と答えた。
「まず、魔法菓子は魔力を使って作られるお菓子であることは、間違いじゃない。それは、梨々子ちゃんが見た通りだよ。でも、残念ながら、僕自身は魔法の力を持っていない」
「それって、お兄さんは魔法使いじゃないってことですか?」
蒼衣がうなずくと、梨々子は明らかに落胆した表情になる。四、五歳の幼児ならともかく、梨々子はもう十歳だ。少し言葉を選べば、魔法菓子のことを理解してくれると蒼衣は考えた。
詳しく言えば、魔力を感じられ、後天的に持った能力――感情が伝わってくる能力――があるが、それは梨々子の思い描く『魔法』とは違うものだ。あえて混乱させることはない。
「あくまで、僕は魔力がある食材の使い方を知っているだけなんだ。不思議なお菓子だし、そう思ってしまうのも仕方がないんだけど。そして、次の話が一番重要。魔力はほんの少しの時間、一時間か、二時間しか効かない。つまり、魔法菓子の魔力では、ひとの気持ちを変えることはできないんだ。だから、梨々子ちゃんの欲しい『ケーキ』は、僕には作れない」
もともとこの世界に存在する『魔力』は、石油などのように大きなエネルギーになるほどの力は持っていない。それゆえ、嗜好品として使われるようになったいきさつがある。しかし、エネルギー利用はできずとも、生物には毒にも薬にもなる力であることは確かだった。
自治体の定めた魔法菓子条例にも、万が一、人体や精神に影響をきたすことはないよう、魔力量の規定が存在する。
魔法菓子の魔力量では、ひとの精神への干渉は不可能に近い。魔力量を増やせば可能性はあるが、それは薬物中毒と等しい行為であり、決して魔法菓子職人がすることではない。
梨々子から感じる「両親に仲直りしてほしい」感情は、真摯なものだ。だからこそ、魔法菓子の正しいありかたをわかってほしかった。
梨々子は蒼衣の説明を理解したのだろう。押し黙ったまま、空になった皿を見つめている。ほどなくして、彼女から『落胆』と『不安』という気持ちが伝わってきた。
蒼衣はショックを受ける梨々子に心を痛めつつも、梨々子の『不安』がなんなのかが気になった。
おそらく、これがが魔法菓子を選んだ理由だと蒼衣は予想した。
直接聞いても、今の梨々子は上手く言葉にできないだろう。そう考えると、蒼衣もどう声をかけていいのかわからなくなり、次の言葉が出ない。
「なあ、梨々子ちゃんは、二人に仲直りしてほしい、って言ったの?」
先に沈黙を破ったのは、八代だった。責める風でも、怒るでもない。どこかひょうひょうとしているけれど、ひとの神経を逆なですることはない、特徴的な声音だ。そんな八代の言葉に、梨々子は少しだけ顔を上げ、小さな声で「言ってない」と答えた。
「そうなんだ。お父さんもお母さんも、梨々子ちゃんのことを大事に思ってる、優しい人に思えるんだけど」
紗枝や壮太の気持ちを少しだけ知っている蒼衣も、それにうなずく。どちらも、自分の子どもに喜んでほしいと思っているのは確かだ。
しかし、梨々子は唇をきゅっと結び、辛さに耐えるような顔になった。
「普段は、二人とも優しい。でも、その話をしようとすると、二人とも顔が怖くなって、話をそらすの。このままじゃイヤなのに、二人に仲良くしてって言い出せない。二人がもっと怒っちゃう気がして、怖い。自分の親なのに、怖いなんておかしいかもしれないけど、怖いの。だから、魔法の力なら、って……」
梨々子の目から、涙がこぼれ始める。そして新たに梨々子から強く伝わってきたのは、臆病な気持ちだった。
だから魔法の力に頼りたがったのか。蒼衣は梨々子が魔法にこだわる理由にやっと得心がいった。
両親に本当の願いが言い出せない苦しさは、親の顔色を伺って過ごした子供時代を経験した蒼衣にとって、強く理解できる感情だ。
梨々子の不安な気持ちと、蒼衣の苦い思い出が重なる。その衝動に動かされ、蒼衣は口を開いた。
「自分の親だって、怖いときには怖いって思っていいんだよ。怖いのは事実。それを『自分の親だから』って見ないふりするのは、梨々子ちゃんのためにはならないと思う」
親だって人間で、いろいろな顔があるのは、大人になった蒼衣とてわかっている。しかしそれで子どもを、しかも自分の子どもを委縮させているのだとしたら、それは梨々子の気持ちを殺しているのも同然に思えた。
「お兄さん?」
「あっ、ごめん。知ったような顔しちゃって。その、怖いっていう、梨々子ちゃんの気持ち、わかるなあって、僕が勝手に思っちゃっただけで……とにかく、怖いって思うのはおかしくないよ、ってことが言いたかったんだ」
梨々子のあっけにとられた顔を見て、蒼衣は自分の声に力が入りすぎていたことに気づく。ははは、と取り繕うように笑うと、梨々子は「そっか、お兄さんもそうなんだ」と、安心したような声でつぶやいた。
静観していた八代は腕を組むと「うーん」とうなってから、なにかを思いついたような顔になった。
「じゃあさ、明日の誕生日、うちのケーキを持ってってさ、「仲直りして」って言ってみようか」
「えっ?」
八代の言葉に、梨々子は困惑しながら声を上げた。蒼衣も目を見開き「八代、どういうこと?」と訊ねた。今さっき、ケーキは作れないよ、と言ったばかりである。
「確かに梨々子ちゃんの言うようなケーキは作れないな。でも、お父さんもお母さんも、そして梨々子ちゃんも『なんとかしたい』って思ったから、このお店に来てくれたんだ。つまり、みんなケーキを食べて幸せになりたいってことなんじゃないの? っておじさんは思ったわけよ。問題は、だれが一番最初に気持ちを言えるか、って所にある。なあ、蒼衣」
突然名前を呼ばれて、蒼衣は「へっ?」と間抜けな声を出す。
「おまえならわかるかなーって思うんだけど」
そう言われて、八代の言葉を頭の中で反芻した。「だれが一番最初に気持ちを言えるか」。気持ちを言う、つまり、自分の気持ちや意思を、はっきり他人に伝える勇気。
八代は蒼衣の過去を知っている。梨々子に、親への不満をうまく言えず苦しんだ過去の自分を重ねていることを、すぐに察したのだ。そして、そういう子どもを助けたいと思ってしまう、今の自分のこともお見通しなのだ。
首をすくめる梨々子へ、今度は蒼衣が口を開いた。
「梨々子ちゃん。気持ちを伝えるのが怖いのは、梨々子ちゃんも、そしてお父さんたちも同じだと思う。そうだね……魔法で気持ちは変えられないけど、そのお手伝いをすることなら、僕らはできると思う。梨々子ちゃんたちが仲直りする勇気を出すための」
蒼衣は、梨々子にここであきらめてほしくなかった。
親である紗枝や壮太も、子どもである梨々子も「家族」という関係の中で、どうしたらいいのか、あがいているのが見えるから。
「僕らと一緒に、がんばってみない?」
ね? と蒼衣が念を押すのと、八代の「なっ?」という声が重なる。特に意識はしていないのだが、こういうときの呼吸は合うのはありがたい。
しばらくの沈黙の後、梨々子は上目遣いに二人を見た。その目には、強い意志が宿っている。
「……私、がんばってみる。だから、ケーキを、作ってください」
「そうこなくっちゃ!」
小さなお客様の前で、パティシエと店長は同時に破顔した。
予約当日の朝、少し早めに出勤した蒼衣は『バルーン・バースデー』の仕上げを始めた。
バルーン・バースデーの中心に飾るのは、魔力を込めた風船型の飴細工だ。魔法フウセンカズラから抽出したエッセンスをほんの少し加えれば、伸縮自在な風船ができる。蒼衣は、手のひらに乗るくらいの大きさのものを、三つ作った。
色とりどりの雲マシュマロを飴の風船の中に目いっぱい詰め込み、空気を入れて口を閉じる。ほんの少し指で押すだけでふわりと浮かぶマシュマロ風船を作れば、メインの飾りは完成だ。
飾りだけではケーキは成り立たない。マンゴーやイチゴを、やわらかいジェノワーズとたっぷりの生クリームで挟み、きれいにクリームを塗る。
ジェノワーズには、三種類の魔法ベリーコンフィチュールを刷毛で塗り、薄くしみこませてある。切ればベリーの香りが広がり、しっとりとした食感になるのだ。
できあがったショートケーキは、大・中・小と、重ねれば三段のケーキになるように、三つ用意した。
ショートケーキにマシュマロ風船と、イチゴや生クリームをデコレーションし、全体を魔力保持ワックスペーパーで包めば完成だ。
そして蒼衣はショップカードに、ほんの短いメッセージを書いた。もし、梨々子の気持ちが伝わったのなら、こうしてほしいと願いを込めて。