「それじゃあ、作るか」
ひなげしは、キッチンの前に立ち、元々作る予定だったチャーハンを二人前にすることにした。
まずは冷凍庫の中に入れていた、凍っている米を解凍するところからだ。
昨日炊いた米を保存して、今日食べきるつもりだったが、まさかこんなことになろうとは思いもよらなかった。
人に食べさせるような立派な食材ではないが、コナーは楽しみな様子で、狭い四畳半の一室からこちらを覗き込むようにしている。
普通の十代の少女ならば、男を自室に入れるということに抵抗感を持つかもしれないが、施設で育ってきたひなげしには、そこまで強いプライベート空間への執着はなかった。
これまでも、自分の部屋に他人が入ることなんて何度もあったので、コナーが部屋に入ることに関してもそこまで強い拒否の気持ちは生まれなかった。
最悪、自分が襲われても、返り討ちにできるくらいには腕っぷしに自信があった。
「米は炊かないのかい?」
「残りもんがあるんだよ。ああ、『もったいない』って言葉って、日本にしかないんだっけ?」
昔そんな話を聞いた。『もったいない』という感性は、アメリカにはなくて日本特有の考え方なのだとか。
本当か嘘かは知らないが、コナーは良いところのお坊ちゃんのようだし、こんな貧乏暮らしの食生活にはさぞカルチャーショックを受けることだろう。
「えっと、コナーだっけ? あんた、親の手料理とか食べたことないの?」
幼いころからシェフの作った料理を食べて過ごして来たと言ったコナーに、ひなげしはレンジで米を解凍しつつ、まな板を用意し、先ほど買って来たキャベツとウインナーを包丁で切る。
どちらも、大雑把ながらに一口サイズで食べることができるように小さくする。
それをボウルに放り込むと、今度は塩と胡椒を適量振りかける。
「……ああ。ないよ」
コナーの声は、恐ろしく冷たく聞こえた。
今まで彼の言葉には何かしらのぬくもりが滲んでいたように思うのに、その声だけは、氷柱のようにひんやりとしたものを感じた。
ひなげしは、そんな彼を見つめ返したが、なにも言葉は返さなかった。
そして、レンジが解凍を報せるメロディを奏でたので、ひなげしはコナーから顔を背け、レンジから温かい白米を取り出す。
それを先ほどのボウルに無造作に落とした。
「何を作ってるんだい?」
「チャーハンだよ。知ってる? 焼きめし」
「知らない。そんな料理の仕方も初めて見たよ」
ボウルにただ食材をぶちまけているだけに見えるひなげしの料理は、お坊ちゃんのコナーには犬の餌くらいにしか見えないかもしれないが、これはひなげしがよく作っている簡単な焼き飯だ。
「チャーハンって、パラパラの米が絶妙に美味しさを演出するんだけど、家ではなかなかパラパラの焼き飯が作れないんだよね」
「へえ?」
「でも、こいつを使うと、簡単にパラパラの美味しいチャーハンができる」
そういうと、ひなげしはマヨネーズボトルを取り出した。
「マヨネーズを適量、こいつに入れて……あとは卵を落とす」
マヨネーズのボトルを圧迫して、ぶちゅりとクリーム色の塊で円を描く。
そして生卵を手早く割ると、マヨネーズに塗れた白米の上に落として見せる。
「あとはこれをかき混ぜる」
ひなげしはしゃもじで、固まっているご飯を乱雑に解しながら、ボウルのなかのものを混ぜ込んでいく。
キャベツ、ウインナーが、マヨネーズと卵と絡み合って、ぐちゅぐちゅと音を鳴らす。
プラスチックのボウルの中で、ご飯はたちまち食材同士で絡み合って、見た目はあまりよろしくないものになっていく。
「こんなにべっちゃりとしているのに、パラパラになるのかい?」
コナーはその見た目から想像ができず、ひなげしの後ろに立ち、そのボウルの中を覗き込んだ。
「まぁ見てなって」
今度はフライパンを取り出し、そこに薄く油を敷く。
そして中火にかけると、ひなげしはボウルの中身を熱したプライパンに落とす。
火が通りやすくなるように、マヨネーズと卵が絡んだご飯を解すように鉄板の上に広げ、そのまま少し待つ。
「卵がある程度固まるまで待つのがポイント」
「いい匂いがしてきた」
ジャァッ――。
と油に焼かれる食材たちが、香ばしいものを運んできた。
ひなげしはコンロの火力を強くし、ご飯を炒め始めた。
鉄のフライパンを器用に手首のスナップで振り、熱が通っていく場所にむらが出ないようにする。
やがて、ご飯がパラパラになっていくのが目に見えて分かるようになる。
黄金色の米は、具だくさんのキャベツとぶつかり合って弾ける宝石のようにも見える。
「あとは、ここに醤油で味調節」
さっと少量の醤油を炒めるフライパンに注ぎ、またひなげしは取っ手を持ち上げて、よく混ぜ合わさるようにフライ返しをする。
「器用だね」
「このくらい誰でもできる」
中華鍋なら、もっと簡単にフライ返しはできるだろうが、底の平らなフライパンでは、ちょっとしたコツがいる。
しかし、そんなに難易度が高いような技術ではない。フライパンを少し奥に傾けて、食材を寄せたら、こちらに引き寄せるように軽く振るのだ。
あまり力を入れすぎると零れてしまうので、気楽にやるのが一番いい。
手首のスナップが重要で、腕には力を込めないよう振ればうまくいく。
たちまち、プライパンの中のチャーハンが食欲をそそるきつね色になっていく。
コナーはその様子を見て、「ほう」と感嘆の溜息を吐き出していた。
どこから見てもチャーハンの姿になったのは、まるで魔法のようにも思えた。
先ほどまではグチャグチャで、見栄えが宜しくないボウルの中身だったのに、フライパンの上で炒められている焼き飯は、食欲を駆り立ててきた。
ぐうっ……。
情けなくも愛らしい腹の虫が鳴る。
コナーが苦笑した。
「あんた、ほんとにノイローゼなの?」
「ヒナゲシの料理が、私を救ってくれてるのさ」
「変な奴だな」
コナーが本当に食事を摂れないようなノイローゼなのか疑わしいと思えた。
何せ、ひなげしはコナーがお腹を空かせているところしか見たことがないからだ。
奇妙な男だが、なぜか嫌な感じはしなかった。
コナーが、こちらを見つめる瞳が、とても優しいものだと感じたからだろうか。
幼い頃に見たゾウの目に似ている気がした。
「こんなもんかな」
しゃもじで炒めた米のパラパラ具合を確認し、ひなげしはお皿を取り出す。
コンロの火を止め、上手そうな香りを昇らせるチャーハンを、飾り気のない百円均一で買ったお皿に盛りつける。
これで完成だ。
ごく普通の、人に食べさせるような料理とは言えないと思っている、楽々貧乏メシ。
ひなげしの、ごく普通の昼食だ。
「ん」
そしてひなげしは、チャーハンをコナーに手渡した。
「二人で一緒に食べるような広さないし。先に食べな。あたし、こっちで食べるから」
コナーに四畳半の部屋へ行くように促し、ひなげしはキッチンでフライパンに乗ったままのチャーハンをそのままスプーンで食べるつもりだった。
残念ながら、この部屋は誰かと一緒に食事できるような環境にない。食器だって、一人分しかない。
一人暮らしをするための部屋なので、当たり前ではあるが。
コナーは、きょとんとした間抜けな表情をしたが、ひなげしが、「ん」と言って押し付けてくるお皿を受け取り、部屋のローテーブルに落ち着いた。
西洋人のコナーがそこに座ると、ますますその部屋の狭さが際立つ。
「いただきます」
コナーはそう言うと、日本人のように手を合わせた。
そんな知識はあるんだな、とひなげしは、不思議なアメリカ人男性に、少し目を丸くする。
コナーはスプーンを手に取り、お皿に盛られたきつね色のチャーハンをひと掬いする。
パラパラの炒められた米からは香ばしい湯気が上がっていて、食欲を刺激した。
小さく切られたウインナーと、ざっくり大雑把に切られているキャベツの存在感が、いい意味での適当さを感じさせる。
コナーはそれを口に運ぶ。
「美味しい!」
感激の声を大げさにあげて、金髪のイケメンは、高級そうなスーツ姿で、お手軽チャーハンをガツガツと食べ始めた。
「金持ちって、わかんねーな」
ひなげしはそんなコナーを見て、自分もフライパンの上のチャーハンをスプーンで掬って口に運んだ。
「うん、まぁ普通」
特に美味しいとは思わない普通のチャーハンだ。
まずくはないし、美味しいとは思うが、コナーみたいに大げさに声を上げる程のものじゃない。
シャクっとした食感はキャベツのものだ。
それに合わさり、パラパラの炒められたチャーハンとウインナーが、濃厚な旨みを舌の上に広げる。
マヨネーズで味付けされたチャーハンは、そこまでマヨネーズの味は強くなく、最後に味調節で入れた醤油がいい具合に整えてくれていた。
キャベツを噛んだ時のさっぱりした風味が、もう一口、とスプーンを動かしてくれる。
「ヒナゲシ、これは素晴らしい料理だ!」
「いや……。普通のお手軽チャーハンだってば。これまでどんなもの食べて来たんだ、あんた……」
カチャカチャとお皿とスプーンを鳴らし、チャーハンをかっ込むコナーは、食べ盛りの高校生男子みたいだ。
それだけガツガツと行ってくれる姿は、作り手としては嬉しくなってしまう。
本当に嬉しそうに、美味しそうに食べるコナーは、ひなげしの頬を少し持ち上げさせた。
ひなげしにとってのごく普通の昼食が、少し特別なもののように感じ取れたのは、間違いなく彼のお陰だろう。
心なしか、いつものチャーハンより、美味しくも感じる。
「ごちそうさまでした」
スプーンを置き、コナーはやはり、律儀に手を合わせてお辞儀する。
「満足したか?」
「……ああ。こんなに心から食が進んだのは、久しぶりだ」
柔和な笑みで、コナーは頷いてくれた。
包み隠さず、本当に満足をしてくれたと、その表情が物語っている。日本人には出来ない、海外のしっかりと気持ちをアピールする姿勢のお陰だろうか。
そんな反応をされると、ひなげしとしても悪い気分はしない。
「んじゃ、食器洗いくらいはやってってくれよ」
「お安い御用さ」
コナーはそう言うと、スーツを脱ぎ、シャツの袖をまくり上げた。
「……あ、マジでやってくれるんだ」
「当然だろう。そうだ……、食事代も支払おう」
そう言うと、尻のポケットからあの時の高級なサイフを取り出し、一万円札を差し出して来た。
「別に金はいいよ」
ひなげしはそれを押し返す。
貰い過ぎだし、そもそも一銭だって受け取る気はなかった。
「受け取って欲しい。これは感謝の気持ちが含まれている」
「チップってやつ? 別に金が欲しくてあんたの希望を聞いたわけじゃないし、ホントに要らないから」
「じゃあ、どうして私に食事を奢ってくれたんだい?」
コナーは疑問の表情を向け、未だ一万円札をひなげしに差し出したままだ。
「助けてほしいって言われて、ほっとく奴がいるか?」
そんな返事をぶっきらぼうに返す。
コナーが腹を空かせて、どうしても食べたいというから、食事を分けただけのことだ。
特別なことは何もしてない。ひなげしはそう思っていた。
ひなげしにとっては、そこに疑問の余地さえ挟むものがなかった。
助けてくれと手を伸ばされたら、その手を自然に取るのが人間だと考えていたからだ。
コナーは、そんなひなげしを見て、一万円札をサイフに戻し、もう一度じっと視線を交差させてきた。
「私が、裕福な家の男だと思って、見返りを期待したりしないのかい?」
「舐めてんのか? 殴るぞ」
コナーにドスの効いた声で、睨みつけてやる。
「あんたが金持ちだから助けたんじゃない。辛そうだと思ったから、メシくらいは食わせてやれると思っただけだ」
人を、代名詞では判断しない。その人物が何者で、何の仕事をしているかなんてのもどうでもいい。
コナーが、参っている様子だったから、安い昼食でもいいんならという気持ちしかもっていないのが、ひなげしという人間だった。
「すまない。そして、ありがとう。ヒナゲシ」
コナーは、そう言うと、不意に抱きしめてきた。
あまりにも自然に、優しく抱擁してきたので、ひなげしは呆気に取られて、そのまま抱きしめられてしまっていた。
「ちょ、ちょっと……!」
アメリカ人のハグという挨拶なのかもしれないが、生粋の日本人であるひなげしは、ハグされることになれておらず、ドキンと胸が鳴った。
こんなふうに、男性に優しく抱きしめられたのは、生まれて初めてだと思った。
離れるように言いたかったが、信じられないくらいコナーの腕の中が心地よくて、気持ちがそこから離れたくないと言っていた。
コナーはひとしきり抱きしめると、身体を離し、ひなげしをじっと見つめてきた。
「私に……なにかできることはないか」
「気にすんなっつってんだろ。そういうつもりじゃなかったって言った」
「きみが、人を助けたいと思うことに理由がないと言ったように、私もきみに、なにかをしたいと願っているだけだ」
「……」
真っすぐに、コナーはひなげしを見つめて、心からの言葉を向けてくれた。
ひなげしは、そんな彼に何も言えなくなってしまって、少し頬を赤らめた。
「食器洗ってくれたら、それでいい」
「……分かった」
コナーは了承し、ひなげしと場所を入れ替わるようにして、キッチンの前に立った。
ひなげしはそのまま、四畳半の部屋のほうに言って、コナーを覗き込む。
狭いキッチンに立つ、金髪の長身男性がいる姿は、妙に異質で滑稽に見えた。
「変な奴……」
コナーは三角コーナーに置いてあったスポンジを手に取り、食器洗いを始めながら、ひなげしに笑顔を見せる。
その笑顔が、あまりにも美麗で、ひなげしは柄にもなく、恥ずかしくなって顔を背けた。
僅かな洗い物はあっという間に片付いて、コナーは手拭きタオルで水気を拭うと、スーツを着なおした。
「お邪魔してしまったね」
「……」
ひなげしは、返事ができなくて、ただ彼をじっと見つめていた。
「もし……きみさえよければ……。また……食事に来ても良いだろうか」
「へっ……?」
「私は……君以外の料理は、喉を通りそうにないんだ」
「な……なんでさ」
「なぜだろうね」
コナーは、愁いを帯びたような眼をして、薄く笑っていた。
ひなげしは、その表情に、胸を鷲掴みにされたような気持ちになった。
「……貧乏メシで良いんなら」
それだけ返すのが精いっぱいだった。
なぜかコナーの顔には、ほおっておけない何かが浮かんでしまうのだ。
普通なら断るような話であるはずなのに、ひなげしは、この大富豪らしい青年に、憐みのようなものを感じていた。
「ありがとう」
コナーはにこりと嬉しそうに笑った――。
※※※※※
ひなげしのアパートから立ち去ったコナーは、そのまま公園まで向かった。
あの日、彼女と出逢ったベンチに腰掛け、胸のポケットからスマホを取り出す。
そして、自分の部下へと一報を入れた。
「……ああ、私だ。台ひなげしの調査、ありがとう。ああ、間違いない……。今日、彼女と話して確信したよ」
相手の男は、なにやら神妙な態度で、コナーに確認する。
その声に、コナーは静かに頷いた。
「ああ、彼女は……。僕の妹だ――」
三月の公園に、白い蝶が、舞い踊っていた――。
ひなげしは、キッチンの前に立ち、元々作る予定だったチャーハンを二人前にすることにした。
まずは冷凍庫の中に入れていた、凍っている米を解凍するところからだ。
昨日炊いた米を保存して、今日食べきるつもりだったが、まさかこんなことになろうとは思いもよらなかった。
人に食べさせるような立派な食材ではないが、コナーは楽しみな様子で、狭い四畳半の一室からこちらを覗き込むようにしている。
普通の十代の少女ならば、男を自室に入れるということに抵抗感を持つかもしれないが、施設で育ってきたひなげしには、そこまで強いプライベート空間への執着はなかった。
これまでも、自分の部屋に他人が入ることなんて何度もあったので、コナーが部屋に入ることに関してもそこまで強い拒否の気持ちは生まれなかった。
最悪、自分が襲われても、返り討ちにできるくらいには腕っぷしに自信があった。
「米は炊かないのかい?」
「残りもんがあるんだよ。ああ、『もったいない』って言葉って、日本にしかないんだっけ?」
昔そんな話を聞いた。『もったいない』という感性は、アメリカにはなくて日本特有の考え方なのだとか。
本当か嘘かは知らないが、コナーは良いところのお坊ちゃんのようだし、こんな貧乏暮らしの食生活にはさぞカルチャーショックを受けることだろう。
「えっと、コナーだっけ? あんた、親の手料理とか食べたことないの?」
幼いころからシェフの作った料理を食べて過ごして来たと言ったコナーに、ひなげしはレンジで米を解凍しつつ、まな板を用意し、先ほど買って来たキャベツとウインナーを包丁で切る。
どちらも、大雑把ながらに一口サイズで食べることができるように小さくする。
それをボウルに放り込むと、今度は塩と胡椒を適量振りかける。
「……ああ。ないよ」
コナーの声は、恐ろしく冷たく聞こえた。
今まで彼の言葉には何かしらのぬくもりが滲んでいたように思うのに、その声だけは、氷柱のようにひんやりとしたものを感じた。
ひなげしは、そんな彼を見つめ返したが、なにも言葉は返さなかった。
そして、レンジが解凍を報せるメロディを奏でたので、ひなげしはコナーから顔を背け、レンジから温かい白米を取り出す。
それを先ほどのボウルに無造作に落とした。
「何を作ってるんだい?」
「チャーハンだよ。知ってる? 焼きめし」
「知らない。そんな料理の仕方も初めて見たよ」
ボウルにただ食材をぶちまけているだけに見えるひなげしの料理は、お坊ちゃんのコナーには犬の餌くらいにしか見えないかもしれないが、これはひなげしがよく作っている簡単な焼き飯だ。
「チャーハンって、パラパラの米が絶妙に美味しさを演出するんだけど、家ではなかなかパラパラの焼き飯が作れないんだよね」
「へえ?」
「でも、こいつを使うと、簡単にパラパラの美味しいチャーハンができる」
そういうと、ひなげしはマヨネーズボトルを取り出した。
「マヨネーズを適量、こいつに入れて……あとは卵を落とす」
マヨネーズのボトルを圧迫して、ぶちゅりとクリーム色の塊で円を描く。
そして生卵を手早く割ると、マヨネーズに塗れた白米の上に落として見せる。
「あとはこれをかき混ぜる」
ひなげしはしゃもじで、固まっているご飯を乱雑に解しながら、ボウルのなかのものを混ぜ込んでいく。
キャベツ、ウインナーが、マヨネーズと卵と絡み合って、ぐちゅぐちゅと音を鳴らす。
プラスチックのボウルの中で、ご飯はたちまち食材同士で絡み合って、見た目はあまりよろしくないものになっていく。
「こんなにべっちゃりとしているのに、パラパラになるのかい?」
コナーはその見た目から想像ができず、ひなげしの後ろに立ち、そのボウルの中を覗き込んだ。
「まぁ見てなって」
今度はフライパンを取り出し、そこに薄く油を敷く。
そして中火にかけると、ひなげしはボウルの中身を熱したプライパンに落とす。
火が通りやすくなるように、マヨネーズと卵が絡んだご飯を解すように鉄板の上に広げ、そのまま少し待つ。
「卵がある程度固まるまで待つのがポイント」
「いい匂いがしてきた」
ジャァッ――。
と油に焼かれる食材たちが、香ばしいものを運んできた。
ひなげしはコンロの火力を強くし、ご飯を炒め始めた。
鉄のフライパンを器用に手首のスナップで振り、熱が通っていく場所にむらが出ないようにする。
やがて、ご飯がパラパラになっていくのが目に見えて分かるようになる。
黄金色の米は、具だくさんのキャベツとぶつかり合って弾ける宝石のようにも見える。
「あとは、ここに醤油で味調節」
さっと少量の醤油を炒めるフライパンに注ぎ、またひなげしは取っ手を持ち上げて、よく混ぜ合わさるようにフライ返しをする。
「器用だね」
「このくらい誰でもできる」
中華鍋なら、もっと簡単にフライ返しはできるだろうが、底の平らなフライパンでは、ちょっとしたコツがいる。
しかし、そんなに難易度が高いような技術ではない。フライパンを少し奥に傾けて、食材を寄せたら、こちらに引き寄せるように軽く振るのだ。
あまり力を入れすぎると零れてしまうので、気楽にやるのが一番いい。
手首のスナップが重要で、腕には力を込めないよう振ればうまくいく。
たちまち、プライパンの中のチャーハンが食欲をそそるきつね色になっていく。
コナーはその様子を見て、「ほう」と感嘆の溜息を吐き出していた。
どこから見てもチャーハンの姿になったのは、まるで魔法のようにも思えた。
先ほどまではグチャグチャで、見栄えが宜しくないボウルの中身だったのに、フライパンの上で炒められている焼き飯は、食欲を駆り立ててきた。
ぐうっ……。
情けなくも愛らしい腹の虫が鳴る。
コナーが苦笑した。
「あんた、ほんとにノイローゼなの?」
「ヒナゲシの料理が、私を救ってくれてるのさ」
「変な奴だな」
コナーが本当に食事を摂れないようなノイローゼなのか疑わしいと思えた。
何せ、ひなげしはコナーがお腹を空かせているところしか見たことがないからだ。
奇妙な男だが、なぜか嫌な感じはしなかった。
コナーが、こちらを見つめる瞳が、とても優しいものだと感じたからだろうか。
幼い頃に見たゾウの目に似ている気がした。
「こんなもんかな」
しゃもじで炒めた米のパラパラ具合を確認し、ひなげしはお皿を取り出す。
コンロの火を止め、上手そうな香りを昇らせるチャーハンを、飾り気のない百円均一で買ったお皿に盛りつける。
これで完成だ。
ごく普通の、人に食べさせるような料理とは言えないと思っている、楽々貧乏メシ。
ひなげしの、ごく普通の昼食だ。
「ん」
そしてひなげしは、チャーハンをコナーに手渡した。
「二人で一緒に食べるような広さないし。先に食べな。あたし、こっちで食べるから」
コナーに四畳半の部屋へ行くように促し、ひなげしはキッチンでフライパンに乗ったままのチャーハンをそのままスプーンで食べるつもりだった。
残念ながら、この部屋は誰かと一緒に食事できるような環境にない。食器だって、一人分しかない。
一人暮らしをするための部屋なので、当たり前ではあるが。
コナーは、きょとんとした間抜けな表情をしたが、ひなげしが、「ん」と言って押し付けてくるお皿を受け取り、部屋のローテーブルに落ち着いた。
西洋人のコナーがそこに座ると、ますますその部屋の狭さが際立つ。
「いただきます」
コナーはそう言うと、日本人のように手を合わせた。
そんな知識はあるんだな、とひなげしは、不思議なアメリカ人男性に、少し目を丸くする。
コナーはスプーンを手に取り、お皿に盛られたきつね色のチャーハンをひと掬いする。
パラパラの炒められた米からは香ばしい湯気が上がっていて、食欲を刺激した。
小さく切られたウインナーと、ざっくり大雑把に切られているキャベツの存在感が、いい意味での適当さを感じさせる。
コナーはそれを口に運ぶ。
「美味しい!」
感激の声を大げさにあげて、金髪のイケメンは、高級そうなスーツ姿で、お手軽チャーハンをガツガツと食べ始めた。
「金持ちって、わかんねーな」
ひなげしはそんなコナーを見て、自分もフライパンの上のチャーハンをスプーンで掬って口に運んだ。
「うん、まぁ普通」
特に美味しいとは思わない普通のチャーハンだ。
まずくはないし、美味しいとは思うが、コナーみたいに大げさに声を上げる程のものじゃない。
シャクっとした食感はキャベツのものだ。
それに合わさり、パラパラの炒められたチャーハンとウインナーが、濃厚な旨みを舌の上に広げる。
マヨネーズで味付けされたチャーハンは、そこまでマヨネーズの味は強くなく、最後に味調節で入れた醤油がいい具合に整えてくれていた。
キャベツを噛んだ時のさっぱりした風味が、もう一口、とスプーンを動かしてくれる。
「ヒナゲシ、これは素晴らしい料理だ!」
「いや……。普通のお手軽チャーハンだってば。これまでどんなもの食べて来たんだ、あんた……」
カチャカチャとお皿とスプーンを鳴らし、チャーハンをかっ込むコナーは、食べ盛りの高校生男子みたいだ。
それだけガツガツと行ってくれる姿は、作り手としては嬉しくなってしまう。
本当に嬉しそうに、美味しそうに食べるコナーは、ひなげしの頬を少し持ち上げさせた。
ひなげしにとってのごく普通の昼食が、少し特別なもののように感じ取れたのは、間違いなく彼のお陰だろう。
心なしか、いつものチャーハンより、美味しくも感じる。
「ごちそうさまでした」
スプーンを置き、コナーはやはり、律儀に手を合わせてお辞儀する。
「満足したか?」
「……ああ。こんなに心から食が進んだのは、久しぶりだ」
柔和な笑みで、コナーは頷いてくれた。
包み隠さず、本当に満足をしてくれたと、その表情が物語っている。日本人には出来ない、海外のしっかりと気持ちをアピールする姿勢のお陰だろうか。
そんな反応をされると、ひなげしとしても悪い気分はしない。
「んじゃ、食器洗いくらいはやってってくれよ」
「お安い御用さ」
コナーはそう言うと、スーツを脱ぎ、シャツの袖をまくり上げた。
「……あ、マジでやってくれるんだ」
「当然だろう。そうだ……、食事代も支払おう」
そう言うと、尻のポケットからあの時の高級なサイフを取り出し、一万円札を差し出して来た。
「別に金はいいよ」
ひなげしはそれを押し返す。
貰い過ぎだし、そもそも一銭だって受け取る気はなかった。
「受け取って欲しい。これは感謝の気持ちが含まれている」
「チップってやつ? 別に金が欲しくてあんたの希望を聞いたわけじゃないし、ホントに要らないから」
「じゃあ、どうして私に食事を奢ってくれたんだい?」
コナーは疑問の表情を向け、未だ一万円札をひなげしに差し出したままだ。
「助けてほしいって言われて、ほっとく奴がいるか?」
そんな返事をぶっきらぼうに返す。
コナーが腹を空かせて、どうしても食べたいというから、食事を分けただけのことだ。
特別なことは何もしてない。ひなげしはそう思っていた。
ひなげしにとっては、そこに疑問の余地さえ挟むものがなかった。
助けてくれと手を伸ばされたら、その手を自然に取るのが人間だと考えていたからだ。
コナーは、そんなひなげしを見て、一万円札をサイフに戻し、もう一度じっと視線を交差させてきた。
「私が、裕福な家の男だと思って、見返りを期待したりしないのかい?」
「舐めてんのか? 殴るぞ」
コナーにドスの効いた声で、睨みつけてやる。
「あんたが金持ちだから助けたんじゃない。辛そうだと思ったから、メシくらいは食わせてやれると思っただけだ」
人を、代名詞では判断しない。その人物が何者で、何の仕事をしているかなんてのもどうでもいい。
コナーが、参っている様子だったから、安い昼食でもいいんならという気持ちしかもっていないのが、ひなげしという人間だった。
「すまない。そして、ありがとう。ヒナゲシ」
コナーは、そう言うと、不意に抱きしめてきた。
あまりにも自然に、優しく抱擁してきたので、ひなげしは呆気に取られて、そのまま抱きしめられてしまっていた。
「ちょ、ちょっと……!」
アメリカ人のハグという挨拶なのかもしれないが、生粋の日本人であるひなげしは、ハグされることになれておらず、ドキンと胸が鳴った。
こんなふうに、男性に優しく抱きしめられたのは、生まれて初めてだと思った。
離れるように言いたかったが、信じられないくらいコナーの腕の中が心地よくて、気持ちがそこから離れたくないと言っていた。
コナーはひとしきり抱きしめると、身体を離し、ひなげしをじっと見つめてきた。
「私に……なにかできることはないか」
「気にすんなっつってんだろ。そういうつもりじゃなかったって言った」
「きみが、人を助けたいと思うことに理由がないと言ったように、私もきみに、なにかをしたいと願っているだけだ」
「……」
真っすぐに、コナーはひなげしを見つめて、心からの言葉を向けてくれた。
ひなげしは、そんな彼に何も言えなくなってしまって、少し頬を赤らめた。
「食器洗ってくれたら、それでいい」
「……分かった」
コナーは了承し、ひなげしと場所を入れ替わるようにして、キッチンの前に立った。
ひなげしはそのまま、四畳半の部屋のほうに言って、コナーを覗き込む。
狭いキッチンに立つ、金髪の長身男性がいる姿は、妙に異質で滑稽に見えた。
「変な奴……」
コナーは三角コーナーに置いてあったスポンジを手に取り、食器洗いを始めながら、ひなげしに笑顔を見せる。
その笑顔が、あまりにも美麗で、ひなげしは柄にもなく、恥ずかしくなって顔を背けた。
僅かな洗い物はあっという間に片付いて、コナーは手拭きタオルで水気を拭うと、スーツを着なおした。
「お邪魔してしまったね」
「……」
ひなげしは、返事ができなくて、ただ彼をじっと見つめていた。
「もし……きみさえよければ……。また……食事に来ても良いだろうか」
「へっ……?」
「私は……君以外の料理は、喉を通りそうにないんだ」
「な……なんでさ」
「なぜだろうね」
コナーは、愁いを帯びたような眼をして、薄く笑っていた。
ひなげしは、その表情に、胸を鷲掴みにされたような気持ちになった。
「……貧乏メシで良いんなら」
それだけ返すのが精いっぱいだった。
なぜかコナーの顔には、ほおっておけない何かが浮かんでしまうのだ。
普通なら断るような話であるはずなのに、ひなげしは、この大富豪らしい青年に、憐みのようなものを感じていた。
「ありがとう」
コナーはにこりと嬉しそうに笑った――。
※※※※※
ひなげしのアパートから立ち去ったコナーは、そのまま公園まで向かった。
あの日、彼女と出逢ったベンチに腰掛け、胸のポケットからスマホを取り出す。
そして、自分の部下へと一報を入れた。
「……ああ、私だ。台ひなげしの調査、ありがとう。ああ、間違いない……。今日、彼女と話して確信したよ」
相手の男は、なにやら神妙な態度で、コナーに確認する。
その声に、コナーは静かに頷いた。
「ああ、彼女は……。僕の妹だ――」
三月の公園に、白い蝶が、舞い踊っていた――。