全然理解できなかったけど、わかったふりをしておこう。こんな奇天烈な話、多分今すぐに理解するのは無理だ。
「ただザンシ課の仕事はそう簡単じゃない、思いやりや優しさ、人の気持ちが汲み取れる者にしか勤まらない仕事なんだよ。徳というのは、浮遊魂の思いそのものだからね。だから、死にたがりさんの君と、たった今、死神見習いに降格した不出来な薊。ふたり合わせて、六十年分の徳を得て貰いたいんだ」
「え、でも私は別に……」
「君には申し訳ないけど、これは薊の罰則でもあるからね。六十年の徳は君が〝いる〟〝いらない〟にしろ、うつし世に戻りたい、戻りたくないにかかわらず、溜めてもらわないといけないんだよ。薊が狩った魂は、雨賀谷春子という人間だからね。君の人生を元に戻せないと、薊の罰は解消されない。もっとも、人生を戻すためには本人の意思も必要になる。だから君には、薊と共に行動し、たくさんのことを学んでほしいんだ」
「……」
「まあ、結局最後に選ぶのは君だけど」
何も言わなかった私にほんの少し声色を変えて、青天目さんは目を伏せた。
でもそれは一瞬のことで、彼はすぐに顔をあげると手を合わせた。
「なんにせよ、ふたりについたその腕輪は決められた分の徳が集まらないと外れない。別名、罰則具。薊がひとりでは力を使えないようにもしてあるよ」
「嘘だろ」
ガチャガチャと、腕輪を外そうとしている男を横目に青天目さんは話を続ける。
「パートナーである君が近くにいる事で、本来の力に“ほぼ近い”力を出せるようにはしているけど…おそらく、本人からしたら二分の一の力も出せていないように感じるだろう」
この腕輪が何の意味をなすのかわからないままだけど、何だろう、じわじわと感じるこのサディズム精神。男を無視して、笑顔で淡々と話す様がどことなく恐ろしい。
「それから、これ」
青天目さんが指を鳴らしたら、今度は目の前に紐綴じされた古ぼけた冊子のようなものと筆がふわっと現れた。
「それは、お悔やみ帳簿。徳を回収するのに優れた道具だよ。私のお古だけど、とっても扱いやすいんだ。今回は特別に雨賀谷さんに預けたいと思う」
「これ、どうするんですか?」
「具体的には、その帳簿に浮遊魂の言葉を書き留め、届けるんだ」
「届けるって誰へ?」
「浮遊魂が一番に思いを届けたい人。それを書き止めて送り届けるのがザンシ課の仕事だからね。簡単に言えば、“手紙の代筆屋さん”」
「代筆……」
「うつし世にいる浮遊魂たちは、誰かに伝えきれなかったことがあるから成仏できずにいる。それを代わりに言霊として届けてあげることで、彼らの魂は浄化され、本来あるべき場所――つまり天国や地獄に還るんだ。言霊には大きな力があるからね。その力が大きければ大きいほど、たくさんの徳になるんだよ」
私の頭ではなかなかその光景が想像できず、上手く返事が出来なかった。
「そうそう。雨賀谷さんの生涯経歴を覗かせてもらったけど、君は字が綺麗みたいだね」
「生涯経歴?」
「亡くなった人たちに関する、詳細な資料だよ。ざっくり言ってしまえば家族構成とかその人の簡単な経歴……君で言うと、父親、母親、それから妹さん……全員の経歴も付属で見ることができたりね」
「…………」
そうですか、と呟こうとしたけれどできず、私は少しだけ俯いてしまった。
私の情報は筒抜けということか。死後の世界って、少しだけ苦手かもしれない。
「ざっとした説明はこんなところかな、あとはその都度、薊に聞くといい。そいつはそれはそれは大変なミスをすることもあるけれど、頭は良いからね。頼りになるよ」
嫌味にしか聞こえない。試しに男の方を見れば、なぜか舌打ちをされる。そして私を睨み付けながら「おいお前」と苛々した様子で声をかけてきた。
「さっきから聞いてばっかで文句も言わないけど、いいのかよ。それで」
「まあ……六十年もさまよってるのは退屈だし。暇潰しにはなるかなと」
「はあ?」
「あはは、雨賀谷さんはおもしろい子だね」
特におもしろいことを言った覚えはないのだけど、青天目さんは本当におかしそうに口元をおさえる。
「きっとこれはいい機会になるよ。死にたがりな君は人の心に触れて多くのことを知るだろう」
笑ったまま、青天目さんが続けた。
「それじゃあ君たちが今日から互いを高め合いながら、質のいい徳をより多く得られるよう祈っているからね」
そう言った直後、青天目さんの姿が白い鳥になる。それはなんだかとても気高く、見る者すべてを魅了するような綺麗な鳥だった。
そして、その鳥はそこら中を行き交う光の玉を避けながら上へ上へ昇っていくと、弾けるように火花を散らしてどこかへ消えてしまった。
そうして空間は初めのような暗い世界に染まり、青天目さんの散らした光だけがまるで花火の残り火のように辺りを照らしていた。
「冗談じゃない……」
振り返れば同じように頭上に視線をやる男が不愉快そうな顔でそう呟いた。
ぱちりと目が合ったけど、素っ気なく逸らされた。元はと言えば自分で蒔いた種だというのに、苛立ちをぶつけられても困る。
今にもどこかに飛び立ちそうな彼を見ながら「あの」と声を上げた。
「怒るのは勝手だけど、人の命を間違えて奪っといてその態度はどうなの? 私、あなたに殺されたことだけはまだ納得してないんだけど」
死ぬことに関してはどうでもいいとは言っても、ミスで私のことを殺したくせに、まったく悪気のないこの男の態度には正直納得いかない。
はくはくと男の口が動いている。顔は不服そうだけど、言い返す言葉がないのだろう。
当たり前だ。この男は私に重大な責任を感じなければならないはずである。
「そもそもお前が急に飛び出してきたのがいけないんだろ!」
「私は、あのおじいちゃんを助けようとしただけよ。なのに何でそんな非難されなきゃいけないの? あなたがもっと慎重なら、こんな事態になってなかったと思うけど」
全身が黒ずくめだから、赤色の角と赤茶色の目がより目立つ。引き攣った口から生意気そうな八重歯がちらりと見えた。
「それに、あなたも手っ取り早く自由になりたいんじゃないの?」
腕輪のついた腕を上げれば、しゅるり、男の尻尾が動揺したように揺れている。
「なんて女だ……」
「ああ、私の名前は雨賀谷春子。あなたは薊でいいの? 変わった名前。噛みそう。言いづらい」
「そういう意味の“なんて”じゃねえよ! とんでもねえの“なんて”だよ!」
「そのくらいわかってるけど、冗談に決まってんでしょ」
「……チッ。 お前みたいなやつ、大嫌いだ」
「そう? 冗談は嫌い?」
「冗談も。お前自身も」
嫌悪に満ちたその目には、軽蔑の眼差しも入り混じっていた。本当に嫌いなんだろう。どうでもいいけど、『自分が殺した相手』だってことを少しくらい念頭に置いてほしい。
「まあ、私もあなたのこと好きじゃないけど。コスプレ男はちょっとね」
「コスプレじゃない!」
「でもだったらなおさら。詫びでも何でもいいから、私の暇潰しに付き合ってよ」
男を見上げるように、二、三歩近づく。
条件反射か後ろに下がり、ふわりと身体を上げる男――薊。なかなか長身だ。
「大嫌いな私から離れる方法は、それしかないんだから」
悔しそうに唇を噛み、何か言いたげにそいつは眉根を寄せる。
お断りだ、と言わないところを見ると自分の状況を少なからずわかっているのだろう。
青天目さん、容赦なかったからなこの人に。
ふいに舌打ちが聞こえた。くそが、という声も。
「私を殺した責任、ちゃんと取ってよね」
別に死んでもかまわなかったけれど、ひとまず念を押しておこう。
ここで『生き返る気もさらさらないし、殺してくれてむしろ感謝です』なんて言ってしまえば、こいつの責任逃れがいっそう強くなるだけだ。
思わぬ形で迷い込んでしまった、“死後生活”。
別になんの期待もしていないけど、とりあえずは言われたことをやってみるか。
きっと先は長いはずだ。