「迷惑なんてかけられて無いよ、ただ倉橋さんは他人に関心が無さそうに見えたから」

 穏やかな口調はいつもと変わらない。それなのに、どうして私は警戒してしまうのだろう。
 服装に違和感が有るからといって、ここまで神経質になる必要なんて無いはずなのに。

「あの……私失礼しますね。もう遅いので」

 私の緊張とは対照的に、三神さんは余裕の笑みを浮かべながら頷いた。

「悪かったね、深夜に話し込んじゃって」
「いえ……おやすみなさい」

 私は軽く会釈をしてから、急ぎ足で自分の部屋のドアの前に行った。手にしていた鍵を鍵穴に差し込もうとしたけれど、焦っているせいか上手くいかない。
 その間も、三神さんがこちらを見ている気配を感じた。

 どうして立ち去らないのだろうか。外出しようとしてたんじゃ無いの?
 やっと鍵が開くと、ドアを開け部屋に滑みそしてしっかりとロックをかける。
 同時に、足音が遠ざかって行く音が聞こえて来た。
 私は、その場にズルズルとしゃがみ込んだ。

 しばらくして周囲が完全に静かになると、ノロノロと立ち上がった。
 酷く重く感じる体を引きずり、奥の部屋に向かう。
 着替えもせずにクッションの上に座り、今の出来事を考えた。

 私はなぜ彼に対して恐怖を感じたのだろう。
 思い返してみても理由が分からない。
 思いがけなく深夜に出会い、いつもと違う三神さんの姿を目にしただけで何もされていないのに……。

 あれこれ考えたけれど、答えは出なかった。
 考えてみれば私は三神さんについて何も知らない。
 勝手に好感の持てる良い人だと思い込んでたけれど、実際の人柄は何も知らないのだと今更気付いた。
 ポストにはフルネームの表札をきちんと付け、会えば爽やかな笑顔で挨拶をして来る。
 一般的な会社務めだろうと推測できるスーツ姿と帰宅時間。
 それだけの理由で、三神さんを常識の有る安全な人だと判断していた。でも今思えば、小さな気がかりは有ったのに。

 常に同じクラッシック音楽を流していて、休日には一切姿をみかけない。
どちらも問題行動ではない。だから私は、今日三神さんに会う迄それらについて気に留めていなかった。
 
 でも、今私は三神さんに対する警戒心でいっぱいになっている……その感覚を無視するのは危険な気がした。
 新しいアパートを探して引っ越しをするまで、三神さんとは出来るだけ接触しない様にしよう。