「台風は猛威を振るい、現在○○県を直撃――――」
ガタガタと雨戸を揺らす強い風。屋根や雨戸に叩きつけられる雨。ニュースではひっきりなしに台風の状況や、被害を受けた地域の情報を流し続けている。
この状況下では交通機関も動いておらず、さすがに父と母も仕事へ行くこともできなくてニュース番組をザッピングしながら、それぞれにパソコンを開いていた。
私は自室に閉じこもり、激しい雨風の音を聞きながら神木さんのことばかり考えていた。
「僕もですよ」私の言葉にそう返してくれた彼の想いが嬉しくてたまらない。なのに、心の中ではどうしてかスッキリと晴れない想いが渦巻いて、心を落ち着かなくさせている。
こんな日に神社へ行ったところで、神木さんが来ているはずなどないのに、気持ちはウズウズとして今すぐにでもあの神社へ行きたいと思ってしまう。
なん度も玄関先まで行っては自室に戻るを繰り返していたら、リビングで仕事をしていた母が呆れた顔を向けてきた。
「外に行こうなんて気、起こさないでよ。危ないからね」
「わかってる」
そんなのは百も承知だ。だけど、この落ち着かない感情をどう処理していいのか解らなくて、私は布団の中に潜り込み、うーだの、あーだの声を出しては、ぱっと起き上がるなんてことを繰り返していた。
台風は、翌日の明け方には来た時と同様のスピードを見せ、過ぎ去っていった。まさに台風一過というように、空の汚れ総てを吹き飛ばし、清々しいほどの青を残していた。
それを確認するや否や、スニーカーを引っ掛け外に飛び出した。
「神木さんっ。かみきさんっ」
彼の名前を呼びながら、駆け足で向かう。神社までの道程が、こんなに遠いとは思わなかった。息が切れ、散乱している小枝に足を取られ躓き、転びそうになりながらも私の足は止まらなかった。
途中の歩道には、横倒しになった自転車や原付バイクがあり。停まっている車のフロントガラスには、何か硬いものが当たったのだろう、大きなひび割れができている。辺りの細い木は軒並みへし折られ無残な姿だ。それを見るたびに、心臓が痛くなった。いやな動悸がして、泣きそうになる。
「神木さんっ」
泣きそうな声で彼の名前を呼び、見慣れた石段を駆け上がる。焦りに苦しいのか、走っているから苦しいのか。私の心臓も肺も悲鳴を上げていた。
石段を半分ほど上ったところで鳥居に目が行き、余計に気持ちが焦り、足がもつれた。もつれた足を立て直せず、石段で躓き脛と膝を擦りむいた。
「痛い……」
じりじりと響くように痛む足に掌を当て頂上を見上げる。鳥居はすぐそこだ。
痛みを吹き飛ばすように足を前に出し、引きずるようにしながらも駆け上がる。
上った先に人影が見えて、確認もせずに声を上げた。
「神木さんっ!」
私の呼び声に反応し、徐にこちらを振り返った姿に落胆の短い息がもれる。
「こんにちは」
必死の形相で上ってきた女に、神主の三上さんは静かに挨拶をくれた。
神木さんの名前を呼ぶことに力を使い果たしたせいか、挨拶を返す気力がない。荒い呼吸をしながら、ゆるゆると頭を下げるのが精いっぱいだった。
ご神木様の傍に立つ神主さんは、祖母がしていたように手を幹に当てていた。そうして、上を見る。つられるように私も見上げて、絶句した。
「うそ……でしょ……」
あれほどどっしりとし。何者にも負けるはずなどなく。ずっとずっと、この先も長くここで私たちを見守ってくれると疑いもしなかったご神木様の体は、真ん中あたりから上の方が無残な姿にへし折れていた。それは、まるでご神木様よりもずっとずっと大きな巨人が現れ、乱暴に鷲掴みをし、千切り取ってしまったかのようだった。
「少し前に、病気だと気がつきましてね。だいぶ長く生きておられましたから、弱っていても当然なのですが……。それに加え、昨日の台風でしたから……」
神主さんはとても寂しそうな瞳で、ご神木様を見つめている。
「治り……ますよね」
それは当然のことと言うように訊ねた。いや、そうであってもらわなければ困るという、切実な思いから断定的な物言いをしてしまったんだ。
私の言葉に、神主さんが一度目を伏せた。
「木のお医者さんがいましてね。その方に診てもらおうと思っています。ですが、ここまでになってしまっては、きっともう……」
多分、大きく有名な神社なら、こんなことにはならなかったのだろう。お賽銭や初穂料などがたくさん入るから、定期的に境内も綺麗にできるだろうし、ご神木様だって診てもらえる。だけど、こんな小さくて、お正月にも近所の住人が来るくらいしかない神社では、定期的にご神木様をお医者様に診てもらうというのは、きっと難しいことなのだろう。
悲しいけれど、諦めるしかないのだというように、神主さんが地面に向かってこぼした。
そんな……。酷いよ、どうしてっ。
ご神木様は、ずっと私の傍に居てくれて。私の話を聞いてくれて。私と共に、ここに住む人たちと共に生きてきたのに。
ぽたぽたと涙が零れて止まらなくなると、神主さんか慌てたようにハンカチを探しているのだけれど見つからないようで、社務所で休みますか? と声をかけてくれた。けれど、その行為に首を振り、無残な姿に変わり果てたご神木様の根元にしゃがみ込む。
「しばらく、ここにこうしていていいですか?」
グズグズの鼻声の私に、「もちろんです」と神主さんが優しく声をかけてくれる。後ろ髪を引かれるように踵を返しながら、神主さんが声をかけてくれる。
「社務所は、開いていますから。ご気分が変わりましたら、いらしてくださいね」
「ありがとうございます」
神主さんの姿が消えて、悔しいくらいの青空の下、ご神木様に寄りかかった。
「ずっと、辛かったんだね。気がつかなくって、ごめんなさい。たくさん話聞いてもらったのに、私なんにもできないよ……」
話せば話すほど涙は零れて、止まらない。子供みたいに袖口で涙を拭いながら、本当は自分の中で感じていたことを口にした。
「あんなに咳が続いていたのにね。無理やりにでも、病院に連れて行けばよかった。ああ、でも。木のお医者さんじゃないと、ダメだったのかな……。私、ダメだね。自分のことばかりで、ホントダメ。もう、会えないの? もう、名前呼べないの? もう、私の名前、呼んでくれないの? 好きって言ってくれたのに。私だって、大好きなのに。もっとずっと話したかった。もっとたくさん一緒の時間を過ごしたかった。もっともっと抱き締められたかったよ。ねぇ、神木さん……」
ぽろぽろとこぼれる涙に構うことなく、私は何度も神木さんの名前を呼んだ。もう一度紗耶香さんと言って欲しくて、何度も何度も名前を呼んだんだ。
だけど、もう神木さんは私の名前を呼んではくれないし。私の前に現れることはなかった――――。
ガタガタと雨戸を揺らす強い風。屋根や雨戸に叩きつけられる雨。ニュースではひっきりなしに台風の状況や、被害を受けた地域の情報を流し続けている。
この状況下では交通機関も動いておらず、さすがに父と母も仕事へ行くこともできなくてニュース番組をザッピングしながら、それぞれにパソコンを開いていた。
私は自室に閉じこもり、激しい雨風の音を聞きながら神木さんのことばかり考えていた。
「僕もですよ」私の言葉にそう返してくれた彼の想いが嬉しくてたまらない。なのに、心の中ではどうしてかスッキリと晴れない想いが渦巻いて、心を落ち着かなくさせている。
こんな日に神社へ行ったところで、神木さんが来ているはずなどないのに、気持ちはウズウズとして今すぐにでもあの神社へ行きたいと思ってしまう。
なん度も玄関先まで行っては自室に戻るを繰り返していたら、リビングで仕事をしていた母が呆れた顔を向けてきた。
「外に行こうなんて気、起こさないでよ。危ないからね」
「わかってる」
そんなのは百も承知だ。だけど、この落ち着かない感情をどう処理していいのか解らなくて、私は布団の中に潜り込み、うーだの、あーだの声を出しては、ぱっと起き上がるなんてことを繰り返していた。
台風は、翌日の明け方には来た時と同様のスピードを見せ、過ぎ去っていった。まさに台風一過というように、空の汚れ総てを吹き飛ばし、清々しいほどの青を残していた。
それを確認するや否や、スニーカーを引っ掛け外に飛び出した。
「神木さんっ。かみきさんっ」
彼の名前を呼びながら、駆け足で向かう。神社までの道程が、こんなに遠いとは思わなかった。息が切れ、散乱している小枝に足を取られ躓き、転びそうになりながらも私の足は止まらなかった。
途中の歩道には、横倒しになった自転車や原付バイクがあり。停まっている車のフロントガラスには、何か硬いものが当たったのだろう、大きなひび割れができている。辺りの細い木は軒並みへし折られ無残な姿だ。それを見るたびに、心臓が痛くなった。いやな動悸がして、泣きそうになる。
「神木さんっ」
泣きそうな声で彼の名前を呼び、見慣れた石段を駆け上がる。焦りに苦しいのか、走っているから苦しいのか。私の心臓も肺も悲鳴を上げていた。
石段を半分ほど上ったところで鳥居に目が行き、余計に気持ちが焦り、足がもつれた。もつれた足を立て直せず、石段で躓き脛と膝を擦りむいた。
「痛い……」
じりじりと響くように痛む足に掌を当て頂上を見上げる。鳥居はすぐそこだ。
痛みを吹き飛ばすように足を前に出し、引きずるようにしながらも駆け上がる。
上った先に人影が見えて、確認もせずに声を上げた。
「神木さんっ!」
私の呼び声に反応し、徐にこちらを振り返った姿に落胆の短い息がもれる。
「こんにちは」
必死の形相で上ってきた女に、神主の三上さんは静かに挨拶をくれた。
神木さんの名前を呼ぶことに力を使い果たしたせいか、挨拶を返す気力がない。荒い呼吸をしながら、ゆるゆると頭を下げるのが精いっぱいだった。
ご神木様の傍に立つ神主さんは、祖母がしていたように手を幹に当てていた。そうして、上を見る。つられるように私も見上げて、絶句した。
「うそ……でしょ……」
あれほどどっしりとし。何者にも負けるはずなどなく。ずっとずっと、この先も長くここで私たちを見守ってくれると疑いもしなかったご神木様の体は、真ん中あたりから上の方が無残な姿にへし折れていた。それは、まるでご神木様よりもずっとずっと大きな巨人が現れ、乱暴に鷲掴みをし、千切り取ってしまったかのようだった。
「少し前に、病気だと気がつきましてね。だいぶ長く生きておられましたから、弱っていても当然なのですが……。それに加え、昨日の台風でしたから……」
神主さんはとても寂しそうな瞳で、ご神木様を見つめている。
「治り……ますよね」
それは当然のことと言うように訊ねた。いや、そうであってもらわなければ困るという、切実な思いから断定的な物言いをしてしまったんだ。
私の言葉に、神主さんが一度目を伏せた。
「木のお医者さんがいましてね。その方に診てもらおうと思っています。ですが、ここまでになってしまっては、きっともう……」
多分、大きく有名な神社なら、こんなことにはならなかったのだろう。お賽銭や初穂料などがたくさん入るから、定期的に境内も綺麗にできるだろうし、ご神木様だって診てもらえる。だけど、こんな小さくて、お正月にも近所の住人が来るくらいしかない神社では、定期的にご神木様をお医者様に診てもらうというのは、きっと難しいことなのだろう。
悲しいけれど、諦めるしかないのだというように、神主さんが地面に向かってこぼした。
そんな……。酷いよ、どうしてっ。
ご神木様は、ずっと私の傍に居てくれて。私の話を聞いてくれて。私と共に、ここに住む人たちと共に生きてきたのに。
ぽたぽたと涙が零れて止まらなくなると、神主さんか慌てたようにハンカチを探しているのだけれど見つからないようで、社務所で休みますか? と声をかけてくれた。けれど、その行為に首を振り、無残な姿に変わり果てたご神木様の根元にしゃがみ込む。
「しばらく、ここにこうしていていいですか?」
グズグズの鼻声の私に、「もちろんです」と神主さんが優しく声をかけてくれる。後ろ髪を引かれるように踵を返しながら、神主さんが声をかけてくれる。
「社務所は、開いていますから。ご気分が変わりましたら、いらしてくださいね」
「ありがとうございます」
神主さんの姿が消えて、悔しいくらいの青空の下、ご神木様に寄りかかった。
「ずっと、辛かったんだね。気がつかなくって、ごめんなさい。たくさん話聞いてもらったのに、私なんにもできないよ……」
話せば話すほど涙は零れて、止まらない。子供みたいに袖口で涙を拭いながら、本当は自分の中で感じていたことを口にした。
「あんなに咳が続いていたのにね。無理やりにでも、病院に連れて行けばよかった。ああ、でも。木のお医者さんじゃないと、ダメだったのかな……。私、ダメだね。自分のことばかりで、ホントダメ。もう、会えないの? もう、名前呼べないの? もう、私の名前、呼んでくれないの? 好きって言ってくれたのに。私だって、大好きなのに。もっとずっと話したかった。もっとたくさん一緒の時間を過ごしたかった。もっともっと抱き締められたかったよ。ねぇ、神木さん……」
ぽろぽろとこぼれる涙に構うことなく、私は何度も神木さんの名前を呼んだ。もう一度紗耶香さんと言って欲しくて、何度も何度も名前を呼んだんだ。
だけど、もう神木さんは私の名前を呼んではくれないし。私の前に現れることはなかった――――。